2話
「な、なぜ……っ!?」
それを知っているのか。とは、続けられなかった。
勢いよくソファから立ち上がったハヤトの双眸を、聖蓮の銀色の瞳が一心に貫いていたからだ。
(身長174cm、体重は目算62kg程度。情報通りだ。彼の漂う風格も聞いていた通り。白星にはあとで礼をしなくちゃな)
聖蓮はそんなハヤトの動揺など意にも介さず、彼の姿をまじまじと眺める。
事前に聞いていた通り。
平均よりやや高い身長に、健康的な肉付き。およそこの時代の人間とは思えない理想的な背格好。
黒髪の短髪を乱雑に切り、戦闘経験などほとんどなさそうな細い腕。
ごくごく普通な風体のハヤトだが、聖蓮の目には何よりも異色に見える。
「白星から聞いているよ。約半年前、君はこの裏の世界に呼び出された」
聖蓮はコーヒーカップに口を付けながら、艶やかに唇を震わす。
彼の丁寧な口調に、動揺していたハヤトもひとまず話を聞こうと椅子に座りなおした。
熱いコーヒーが喉を伝うと、少し心臓の動悸が落ち着くのを感じる。
「君を呼び出したのはとある反社会的勢力。我が国では禁忌となっている高等儀式魔法を用いて、君を表の世界から召喚した」
コトリとカップを置く聖蓮の一挙手一投足が、いやに誇大に映る。
一見荒唐無稽に思える彼の発言だが、そのすべてが真実であることをハヤト自身が自覚している。
何より、それを誰にも話していないことも。
「……俺がこの世界に来たとき、見たこともない幾何学模様の周りに、大勢の人が死んでいました」
ハヤトはゆっくりと、震える口から言葉を紡ぐ。
彼がこの世界に降り立ったとき、最初に見たのは美しい幻想でもなければ人知を超えた常識外の理でもない。
ただただ、この世界の残酷さが、彼の脳を襲った。
以来彼は、自分の出自について誰にも語らず生きてきた。
「それを説明するには、まず表裏の世界とは何かを語らなければならないね」
対する聖蓮は、あくまでも調子を崩さず淡々と語る。
ハヤトの目にした悲劇は、何も珍しいことなどではないのだ。
同じ例は少ないが、大量の人間の死場に遭遇するという一点においては、この時代を生きる者なら誰もが経験するところだ。
聖蓮は一度席を立ち引き出しから巻物を手にすると、机の上にそれを広げる。
「裏の世界の暦では120年前。21世紀最後のウィザード、ルーク=ウィル=エクシスという、おそらくこの世で最も神に近しい人物が発動した世界魔法が起源であるとされている」
彼は広げた巻物、世界地図の一点を指さしながら語る。
そこは、かつてアメリカ合衆国のあった地。ワシントンのど真ん中だ。
途端、聖蓮は地図に指を突き立て紙を破る。
そして地図そのものを裏返すと、そこにはまったく同じ世界地図が描かれていた。
「世界魔法は、表の世界にさした影響を与えなかった。ただ、数百万人単位の行方不明者が出たというだけの些事さ」
彼の言葉はあまりに苛烈だ。一度に数百万人の人間を消失させるなど、神隠しであってもあり得ない。
そんな大惨事を、彼は些事だと断言した。
なぜなら、世界魔法はそれで終わらなかったから。
「ルーク=ウィル=エクシスの魔法はまさに世界の理そのものを変えた。地球の裏にもうひとつの地球を生み出した。しかしそれだけではない」
聖蓮は地図上を掌でなぞりながら語る。
その瞳は、この世を憂いているのか儚んでいるのか。とても快い表情には見えない。
「彼はしきりに語っていたそうだ。神代の時代こそ己が生きたかった時代だと。そして憎んでもいた、人類の文明を。人類の発展によって神々は空想の影に隠れ、悪鬼羅刹は世に干渉することすら許されなくなった」
21世紀。ルーク=ウィル=エクシスを除いて、本物のウィザードなどもはや残ってはいなかった。
神はいない。仏もいない。如来もデーモンもエンジェルも、地球には存在しなかった。
彼はただただ、それが憎くてたまらなかったのだという。
だから創り出した。己が生涯のすべてを懸けて。
修羅神仏が、悪鬼羅刹が、神魔の跋扈する超常の世界を。そして数百万人の人類に、その地で生きることを強制した。
「表の世界から来たのなら、伝承とかで知ってはいるだろう? 神や仏や、妖怪や霊。そういったものが具現化しているのが、この裏の世界だ」
あまりの話に、ハヤトは絶句する。
当然、表の世界でも事件として広く知られてはいた。数百万人が何の前触れもなく忽然を姿を消したという事件。
表の暦では40年前の出来事だ。
だがそれが、まさかそれで終わりではなかったなど。
「最初にこの地へ召喚された人々も、初めは表の世界へ帰る方法を模索した。だが、何十年かかっても見つからなかったんだ。その過程で生まれたのが、高等儀式魔法。【彼方の落々】」
彼方の落々は、100人以上の死者を代償に構築する儀式魔法。
表の世界と裏の世界を繋げ、物体をこちらへ落下させるという魔法。
……そう、表の世界から裏の世界へは、落ちることしかできないのだ。
上へと昇る方法は、今のところ発見されていない。
ハヤトをこちらへ呼び出した勢力は、ただ表の世界へ帰りたかっただけなのだ。
そのために、倫理を欠いた禁呪を行使した。
「だけどタイミングの悪いことに、彼らは儀式の直後に白星の奇襲を受け壊滅。君は召喚されたという事実すら誰にも知られることなく、儀式場から逃れた」
ハヤトは俯きながらも、聖蓮の言葉を肯定する。
あの日何が起きたのかは、彼自身にもよくわかっていない。
だが、もしあの場に留まっていたのなら誰かに殺されていたかもしれない。そんな直感だけを頼りに、彼は逃げた。
「後日、白星の調査で彼らがナニカを召喚したことが判明した。それを追跡するのに、半年もかかってしまったけどね」
聖蓮の銀瞳が、再びハヤトの瞳を射抜く。
しかし、先ほどのような圧は感じない。
「君の適正は人。つまりは純粋な人類種だ。悪魔や妖怪に適合していない。だけど……」
彼はそこで一度言葉を区切ると、おもむろに立ち上がりハヤトの額に手を当てる。
「だけど。君、人にはない特別な力を持っているそうだね……?」




