第二十五話 勧誘
「帰ったわ」
「あ、おかえりステラ。――って、なんだか賑やかじゃん。というか、その白目剥いてる人、大丈夫なの?」
「生きてはいるみたいね」
「生きてはいるって。なんだか吐いた跡があるし。お前、一体何をしたんだよ!」
「例えるなら猪回しかしら。それよりマリー、この三人を買ってきたの。私は手を出さないから、貴方が教育を行なって労働力とするように。いいわね?」
「はい、分かりました。それで、彼らの名前は?」
「さぁ、知らないわ」
ステラの言葉に、ティピカの様子を窺っていたライアが呆れる。
「知らないって。選んだのはステラじゃないの?」
「違うわ。名前も聞いてない」
興味がないので名前を覚える気がしない。単純な労働力としての採用だ。成人した男がいなかったのだから、仕方がない。
「本当に薄情だなぁ。もうちょっと、なんというかさ!」
「商人に適当に選ばせたから。私に買われて運が良かったのか悪かったのか。さて、どちらなのかしらねぇ」
ステラは口元を歪めた。
「そんなの知らないよ! でも、マリーさんが面倒見てくれるから、きっと大丈夫かな。うん」
「そうでしょうね」
マリーは彼らを手荒には扱うことはないだろう。ステラも反抗しようとしなければ危害を加えるつもりはない。だが、幸運かといえば、奴隷に落ちた時点で不幸なのは間違いない。名前も知らずに買われたのだから、嬉しいと思うことはあるまい。
「あの、隣の家は契約が無事終わりました。もう自由に使っていいとメイスさんが。彼らはそちらで暮らしてもらうということで宜しいでしょうか」
「貴方の好きにしなさい。それと、先に警告しておくわ。別にここから逃げてもいいけど、野垂れ死ぬか、また攫われるかが関の山よ。無駄なことはやめておく事ね。まさに時間と命の無駄よ」
「……ステラ、いきなりそんなに脅さなくても。ほら、子供が脅えてるよ」
「子供だからって容赦してくれるような街じゃないでしょう。それじゃあマリー、後はよろしく」
「はい、分かりました。さ、皆こちらへいらっしゃい。これからのことを話しましょう」
マリーが若い女と少年を隣の家へと連れて行く。手には着替えを持って。契約書を見る限り、明日から改築が始まるようだ。流石にこの人数が住むにはこの家は狭すぎる。隣の家とあわせれば大丈夫だろうが。
(それでも駄目なら、左隣も買い取れば良いだけか。私の居住空間が確保されていればどうでもいいけれど)
ステラはこの家から離れるつもりはあまりない。あの部屋が落ち着くのだ。だが防御力には色々と不安があるので、やはり増改築は必須である。改築ついでにメイスにでも相談してみることにしよう。アポールに依頼してもよいかもしれない。あれの屋敷はすばらしい防御力であった。少し褒めれば、鉄板ぐらいは張り巡らしてくれそうだ。
「……うーん。なんだかなぁ」
「難しい顔をしてどうかしたのかしら」
「いや、あの子達だよ。ステラに買われて、一応良かったとは思うんだけど、やっぱり奴隷って言葉は嫌だなって。本当に嫌な言葉だよ」
ライアが頬杖をついて眉を顰める。
「好きな人間なんてそうそういないでしょうねぇ。一部の変態を除いて」
「……神様はなんでこんなことを許すんだろう。やっぱりおかしいと思うんだよね」
その言葉を聞いたステラは、強く言い切った。
「それは簡単よ。神なんてこの世に存在しない。人間の作り出した都合の良い偶像。神の名の下に、人間が人間を支配するためのねぇ」
「……そんな事言ってると教会のシスターに怒られるよ」
「怒るくらいなら、今すぐ全ての弱者を救済してみせればいいのよ。奇跡の力、神の慈悲とやらでねぇ。そうしたらひれ伏して認めてあげるわ」
「……それは、きっと無理だろうなぁ」
教会は奇跡ではなく救いを与える事が仕事らしい。救いというのは、お金と交換でありがたい祝詞を唱えてあげる事。それだけ。
「当たり前でしょう。ああ、実に馬鹿馬鹿しい」
ステラは吐き捨てた。ライアが落ち込んでしまったので、言い過ぎたと頭を撫でておく。複雑な顔をしたので、どうかしたのかと尋ねると、なんだか世の中の理不尽を感じたと述べた。中々興味深い感想である。
そして、いよいよ本日の目玉。猪女――ティピカの下へと向かう。今はライアとマリーの部屋に寝かされている。汚れてしまった顔はヴァレルがふき取ったようだが、流石に服を脱がせるのはためらいがあるようだった。仕方ないので交代してやると告げると、ヴァレルは安堵した顔で外へ出て行った。
「それじゃあ、この人間の掃除をしましょうか」
「あのさ、この人ヴァレルさんの妹なんでしょ? 掃除って言い方は、流石にひどくないかな」
「そうかしら。だって本当に臭いし汚いわよ。部屋中に饐えた臭いが漂っているわ」
「そりゃ、吐いた後なら誰でもそうなるよ。ほら、さっさと鎧を脱がせて着替えさせちゃおう。あー、ちゃんと洗わないと駄目だねこれは」
ライアがてきぱきと鎧を外していく。中々手馴れている。まるで経験でもあるかのように。
「なんだか慣れてるわね」
「そ、そうかなぁ」
「どうして鎧のはずし方なんて知っているの? 不思議ねぇ」
「よ、鎧ぐらい誰だって外せるよ。うん、別に変じゃないし!」
「ふふっ、そういうことにしておきましょうか。あなたを弄るのは、後にとっておいたほうが面白そうだものねぇ」
弱みを見つけたので口の端を釣り上げる。沢山の情報を集め、最後に突きつけて白状させてやろう。一つ一つ、ねちねちと甚振るのはとても楽しそうだ。反応の良いライアならなおさらである。
「や、やめろよその楽しそうな顔! 獲物を見つけた獣みたいだ!」
「満面の笑みを止めろと言ったり、この顔を止めろと言ったり。貴方は我が儘ね」
「普通にしていればそこそこ可愛いのに。まったく、どうしてこういう性格なんだろう!」
「ふふ、褒めてくれてありがとう」
「別に褒めてない!」
服のサイズはマリーのものが丁度良かったので借りる事にした。この娘が着るには少し地味であるが、それは我慢してもらおう。ざっと見る限り、身体は綺麗で傷はそんなについていない。その分、手や脚は引き締まっていていわゆる戦士のものとなっている。戦場でというよりは、訓練を重ねるうちについたものだろう。力よりも素早さを活かしての攻撃を得意とするようだ。しなやかな筋肉は、ヴァレルのものとは質が違う。戦い方を見る限り、1対1を想定したものか。あの動きを延々と続けるのは戦場では難しいだろう。すぐに力つき、討ち取られてしまう。英雄志願の人間に多い最期である。上から見ていたステラは良く知っている。
「――う、うう。こ、ここは? 一体どこなんですの?」
「ここはグレン雑貨店よ。貴方はヴァレルと戦って敗北し、この部屋に連れてこられて私たちに介抱されている。……ここまでは理解できたかしら?」
「……この私が、負けた? 馬鹿なことを! この私が負ける訳がありませんわ! 嘘をつくのはおやめなさい!」
「嘘じゃないわ。腹部に一撃受けた貴方は、逆上してヴァレルに噛み付いた。その後に更に一撃貰って、吐瀉物を撒き散らしながら白目を剥いて気絶した。証拠は、貴方が着ていたこの服や下着。実に耐え難い臭いがするでしょう? ほら、もっと近くで嗅いで目を覚ますといいわ」
ステラが指でつまんでそれをティピカに近づけると、悲鳴を上げる。自分のものなのに嫌なようだ。
「お、おやめなさい! ちょっと!」
「信じられないみたいだから、意識をはっきりさせてあげるわ。ほら、遠慮しないで。夢じゃないでしょう?」
「わ、分かったからそんなに近づけないで! み、認めますわ!」
「あら、それだけなのかしら。着替えさせてあげた私たちに、何か言うべき言葉があるんじゃないかしら。――ねぇ、ライア」
「う、うん。でも、目覚めたばっかりの人に無理は言わないよ。なんだか、厄介――じゃなくて難しい性格してるみたいだし」
ライアが慌てて言い繕う。厄介で難しい性格なのは確かだ。流石はライア、本質を見抜く力がある。
「でも人の言葉を理解するか分からないでしょう? きつく言って分からなければ、調教するしかないのよ。私はそれを試しているの。感謝できない人間は獣と同じだからね」
ステラが冷たく呟くと、ティピカが素直に頭を下げてきた。今は頭に血が上ってはいないようだ。言葉が通じてなによりである。
「た、助けてくださったことは、感謝いたしますわ」
「手加減されたとはいえ、急所に二度も打撃を受けたからね。しばらくは安静が必要でしょう。さて――」
言葉が理解できると分かったので、ステラは口元を歪めながらティピカに近づく。ティピカは「ひっ」と小さく叫んで部屋の隅に移動していく。何かされるかと脅えているようだ。
「何を脅えているのかしら」
「わ、私を食べても美味しくないですわよ!」
「食べる? 何故私が貴方を食べなくてはいけないの」
「い、生贄にする気なのですわね! や、やめなさい。魔女の実験材料にされるのだけは嫌ですわ!」
「ちょっと。誰も実験材料にするなんて一言も――」
「死霊術の材料にされるのは嫌よ! 私は人間でいたいのですわッ!!」
ティピカがいきなり泣き叫ぶ。本当に涙をボロボロと流している。流石のステラもこれには唖然とさせられる。
「……この猪は、本当に人の話を聞かないのねぇ。ヴァレルの苦労が偲ばれるわ」
呆れるステラ。それを見たライアは、もう我慢できないと床に顔を伏せて笑い始めた。人の不幸は楽しいものだから仕方がない。だが、腹が立つものだ。
「貴方も、意外と良い性格しているわよね」
「性格の悪さが誰かに似てきちゃったじゃん」
「クレバーね。間違いないわ」
「お前だよ!」
「――お、おい! 何があった! 大丈夫なのか!」
騒ぎを聞きつけたらしいヴァレルが、いきなり扉を開けてくる。妹がまた暴れはじめたのかと心配したのだろう。
泣きわめくティピカが、手近にあった壺をヴァレル目掛けて勢い良く放り投げる。見事に受け止めたため壺は割れなかった。目で合図すると、ヴァレルは頭を掻きながら出て行った。壺を抱えながら。
――ステラは暫く時間を置いた。5分もするとティピカも落ち着きを取り戻し、自らの醜態にひたすら恥じ入っている。
「勘違いしてしまって、本当に申し訳ありませんでしたわ。つい、呪われた魔女と早合点を」
「ふふ、私の青白い顔がそんなに怖かった? 魔女みたいだった? ねぇ、この死体みたいな顔がいけないのかしら?」
ステらがぐいっと顔を近づけると、ティピカが後ずさる。
「い、いえ、そんなことはありませんわ。も、もう慣れたから大丈夫ですわ」
「あっそう。それじゃあ、しっかり話を聞かせてもらおうかしら。時間を消費して介抱してあげたのだから、それぐらいは当然よねぇ」
「分かりましたわ。さぁ、なんでもお尋ねなさい! 覚悟を決めた以上、バシッと答えて差し上げます!」
勢いになんとなく疲れを覚えながらも、ステラは気になる事を尋ねてみた。まず何者なのか、何故ヴァレルを狙うのか、あの大剣の価値はそれほどのものなのかを。
「では一つずつお答えしますわ。私の名は、ティピカ・アートと申します。栄えあるアート家の長女ですわ!」
「アート家?」
「ふふん、知る人ぞ知る名家ですわ! 私はその名を継ぐ者として絶賛修行中なのです!」
何が絶賛なのかはさっぱり分からない。ライアは聴いた事があるらしく、「あーあの家か!」と声をあげた。大陸北方の有名な貴族とのことらしい。結界術で名を馳せたとか。
(……アート家、結界術? なんだかどこかで覚えがあるような。相当昔に)
記憶が曖昧だが、なんとなく関わった覚えがある。クレバーなら知っているかもしれないが、あれは昔のことをあまり喋りたがらない。余計なことは今の人生には不要という考えらしい。首を締め上げても吐く事はなかった。意外と頑固なのだ。
「一応の兄であるヴァレルという男が、大剣を持って勝手に放浪の旅に出てしまったのです。ですから、それを取り戻すのが旅の目的の一つでしたの。そう、あれは私が継ぐべき物なのです」
「継ぐ? そういう約束でもあったのかしら」
「そんなものはありませんわ。私が決めたのです! ですからあれは私のものなのです!!」
「あっそう」
疲れてきたのでステラはさらっと流した。頭は悪そうだが、ベックとは違う種族のようだ。このティピカ種は思い込みが激しいらしい。ついでに人の話を聞かず、嵐の如く大暴れして最後には嘔吐する。これはこれで珍種である。価値があるかは知らない。
「そこで、私は兄を追って旅に出て、大剣を奪い返すために戦いを挑んでいるのですわ。とっとと返せばよいものを」
「そこまで拘るということは、あの大剣にはよほど価値があるのかしら」
「さぁ。それはさっぱり分かりませんわ。なにせ使った事がありませんから」
ステラは眉を顰める。このまま話をしていて良いのか疑問が生じてきた。
「でも、貴方は欲しいと」
「ええ」
「……貴方の得物は双剣よね?」
「そうですわね。私の身軽さを活かせる華麗なる剣術ですわ」
「大剣は扱えるの?」
「あんなもの、鈍重で嵩張るし良いことは一つもありませんわね。あんな身体で受けるような無骨な剣術は習う必要もありませんわ。美しくありませんもの。速さで翻弄し、鋭く急所を突くことが私の剣の持ち味なのですから」
急所を突くじゃなく、噛むの間違いである。そして、沸々と湧いていた疑問が確信に変わってきた。ライアも困ったような表情を浮かべている。
「……そんな不要な物なのに、貴方はあの真紅の大剣が欲しいのよね? それはなぜかしら」
「そんなの決まっていますわ。あの大剣――ブラッディソードが最高に格好良いからですわ。どんな高価な宝石でも、あそこまで見事な赤色の輝きは出せませんもの。飾ったらさぞかし気分が良いと思いません? あんな無骨な男に持たせておくのは勿体ないし無駄の極み。そう、まさに宝の持ち腐れですわ!」
「……あっそう」
ステラは深い溜息を吐き、堪えられずにベッドに顔を埋めた。ライアが髪を撫でてくる。振り払う気力がない。これだけ体力と気力を消耗して話を聞いた見返りが、ティピカ種の発見である。面白いのは間違いないが、それと引き換えに精神疲労を味わってしまった。とても辛い。
ステラは力を振り絞ってむくっと起き上がる。
「今の話、ヴァレルにはしたの?」
「する訳がありませんわ。あれとは話が合いませんから。根本的に相性が合わないのですわ」
「そうよね。そうだと思ったわ」
「……なんだか、先ほどから馬鹿にされているような気がするのは気のせいでしょうか」
「気のせいじゃないかしら」
ヴァレルは妹が大剣を自分で使いたいから襲撃してくると考えている。だが、当のティピカはただ単純に見栄えが良いから飾っておきたいというだけ。家宝の一種という考えだろう。なんという馬鹿馬鹿しいすれ違い。ヴァレルが聴いたら、さぞかし楽しい反応を見せてくれるはずだ。あの男はこの大剣とともに運命を背負うなどと立派なことを言っていたから。
(面白いコンビにはなりそうだけれども。主に頓珍漢な凸凹具合が)
この二人をセットにしておけば色々と面白いことになりそうではある。賑やかで面白いやりとりが見れるだろう。というか、それぐらい楽しませてもらわないとこの無駄な時間と体力消耗を取り返せない。
「貴方は、あの赤色が欲しいのよね?」
「ええ、そうですわ」
「……ならこれを見なさい」
ステラは魔水晶を握り、売れ残っていたナイフを翳す。そして、変化させる。
切れ味の悪そうな鉄製のナイフが、みるみるうちに赤を帯びていく。そしてヴァレルの大剣同様の、血のような真紅の輝きを放ち始めた。
「こ、これは、あの真紅の輝き! 一体どういうことですの?」
「私は魔術師の端くれでもある。だから、あの赤色を作り出せる。でも、こんなことができるのは世界を探しても私だけ。この意味が分かるかしら?」
もったいぶるように真紅のナイフを見せ付ける。釣竿の糸を垂らすかのようにぶらぶらと。猪が顔を左右に動かす。
「欲しいですわ!」
「そうでしょうねぇ」
「貴方、ただの白餓鬼かと思ったら、中々凄いですわ! 普通にできることじゃありませんわよ。で、それはお幾らなのかしら!」
即座に食いついてきた。だが、白餓鬼という新しいあだ名まで頂いてしまった。
「慌てないで、ティピカ。こんな小さなものじゃなく、貴方の愛剣だって変化させられるわ。時間をそれなりにかければだけどねぇ」
「本当ですの!? ならばお金は惜しみません! すぐにお願いしますわ! 今すぐに! さぁ! 今すぐ!」
興奮したティピカが立てかけてあった二つの剣を差し出してくる。が、ステラはそれを制止する。本当に顔が近い。押し倒されたら潰れてしまう。この貧相な身体で猪を制御するのは難しい。ライアが慌ててティピカの身体を抑えているが、あまり意味を為していない。
「そ、そんなに慌てないで。これだけの大きさの剣だもの。この妖艶な赤を定着させるには数年は掛かる。私もかなりの労力をかけなければいけないしね。だから、貴方にはそれなりの代償を支払ってもらわないといけないわ」
半分は嘘である。寝ているときに水晶の近くに翳しておけば、勝手に定着していくであろう。でなければ面倒なのでやらない。
「お金以外に何を差し出せと仰るの?」
「私はお金には困っていない。……そうね、変化が定着するまでの間、貴方が私のものになるというのはどうかしら?」
邪悪な笑みを浮かべてやると、ライアがうわぁと引いている。
「わ、私はそんな趣味はありませんことよ! きょ、教会も同性愛は禁止していますわ! 第一、白餓鬼の玩具にされるのはお断りですわ!」
「私だってないわよ。勘違いをしないで。貴方が私の所有物としてここで働いてくれればいいの。そうすればお金はいらない。貴方の労働で返せといっているのよ。主な仕事はヴァレルと同じく、警備や護衛ね」
「……警備、護衛」
「そう。この街は闘技場があるから修行もできるし、何より貴方の兄、ヴァレルは私のものとして働いている。一緒に修行に励めば、もっと強くなれるんじゃないかしら?」
「た、確かに一理あるようなないような。でも、私も色々と忙しいのですわ。第一、あの男と一緒に修行なんて冗談じゃない」
「あっそう。じゃあ、この話はなかったということで」
「ま、待ちなさい! ちょ、ちょっとだけ考えさせてくださいな。困ったら冷静に考えろといつも言われていましたの。ですから、落ち着いて、慎重に考えますわ」
ティピカが腕を組んで悩み始める。本当に考えているのか怪しいが、一応顔は真剣だ。ここまで来ればもう一押しである。
「何を悩む必要があるのかしら。貴方はヴァレルに負けた。誇りある剣士なら、見返すために努力するのが普通でしょう。でも、そのまま帰るというなら好きにしなさい。情けない負け犬を雇うほど私も暇じゃないのよ。さようなら、負け犬さん。とっとと帰ってミルクでも飲んでいなさい」
早口で嘲ると、案の定ティピカは真っ赤になって怒り始める。冷静に考えるといったそばからこれだ。実に分かりやすくて宜しい。
「――ま、ま、負け犬ッ! 私が負け犬ですって!! 冗談じゃありませんわ! いいでしょう! 貴方のものになってさしあげます! この華麗な剣さばきをじっくりとその目に焼き付けるといいですわ!」
ティピカが立ち上がって腰に手を当てて宣言する。操りやすい人間である。
「はい、これで決まりね。それじゃあ、この二振りの剣は夜の間預かるから。朝になったら取りに来るように」
「あっはい、了解しましてよ」
ティピカが丁寧に返事をしてきた。躾はできているようで、厳しく言うと素に戻るらしい。ステラは満足気味に頷くと、部屋を退出した。外では壺を抱えたヴァレルが立ち尽くしていた。
「……えらく騒がしかったようだが。終わったのか?」
「ええ、話はまとまったわ。大剣目当てに貴方を追う事はもうない。私に感謝しなさい」
今度からは純粋に見返すための戦闘となる。大剣目当てではなくなったので、嘘ではない。襲撃されなくなるとは一言も言っていない。
「……ほ、本当か?」
「ただし、ティピカは当分の間ここにいてもらうことになった。私のものとしてね」
「――なに?」
絶句するヴァレル。ステラは優しくその身体を叩いてやる。
「これでこの店の戦力は更に向上、私は暇つぶしの人間を更に手に入れた。しかも珍しい種族だし。ふふっ、疲れた甲斐があったわぁ」
「お、おい。嘘だろう? 嘘なんだよな? あの一年中騒がしいのが嫌で俺は家をでたんだぞ!」
「誰が騒がしいですってぇ!? 私はありのままに生きているだけですわ! 批難される謂れは全くありません!」
「……本当に勘弁してくれ。胃が痛くなってきた」
「ティピカ。夜に騒いだら罰を与えるわ。勿論連帯責任で、ヴァレルにも罰を与える」
「何故だ! 俺には何の関係ないだろう!」
「関係大有りよ。血は水よりも濃いのでしょう? だから、しっかり手綱を握るように。それとティピカ。騒ぐなら昼間、外ですること。外の連中がどうなろうとどうでもいいから、好きにしなさい」
「はい、勿論ですわ。家で大騒ぎする様な柔な教育は受けておりませんもの」
「宜しい。それじゃあ、夕食にしましょうか。何やら良い匂いがしてきたわ。きっと、マリーが腕を振るってくれたのよ。さあ、立ち尽くしてないでいきましょう? 剣士ティピカ、会場までのエスコートをお願いするわ」
「ええ、よろしくてよ」
ステラが優雅に一礼すると、ティピカが恭しく手を差し出してくる。その手をとって先を促すと、ダンス会場へと向かうかのように居間へと歩き始めた。




