第二十三話 夢幻
「……何が何やらよくわかんないけど。ステラ、お前なにかやっただろ」
「何って、何をかしら?」
さっぱり分からないとすっとぼけて、珈琲を口に含む。メイスがくれた新しい豆なので、今までとは違い味と香りが素晴らしい。これなら続けて三杯はいける。
「いやいや、珈琲ばっかり飲んでないでミルクも飲みなよ」
「さっき貴方が作った特製珈琲を飲んだじゃない。何か不満?」
「……飲んだって、珈琲にちょびっと入れただけじゃないか。私の考えた奴はもっとどばーっと入れるんだよ!」
「やっぱりあれは甘すぎるから修正したの。あんなのを三杯も飲んだら、三日ぐらい寝込んじゃうわねぇ」
「言いすぎだろ! ……って、そうじゃなくて。なんで一日でパルプド組合が壊滅してるんだよ! しかも商会の会長まで死んでるし! 昨夜からなんか騒がしかったけど、西区は今大騒ぎだよ!」
「さぁ。全く分からないわ」
ステラがとぼけると、大体の事情を把握しているヴァレルもそっぽを向いた。話を振られるのを恐れたのだろう。そしてベックは畑を耕している。小さな芽が出てきたと喜んでいた。まだ前会長が死んだことにも気が付いていない。流石はベックである。
戦闘員として派遣し、経験を積ませてみることも考えたが、あっさり死にそうなので止めておいた。一応所有物なので、他の人間に始末されるのは気分が悪い。どれだけ役立たずでもだ。
「さっき聞いた話だと、組合の騙まし討ちでルロイが死んだんだって。それで父親の仇を討ったメイスが新会長だろ? なんだか上手くいきすぎだよね? あの頭でっかちにそんなことできるとは思わないじゃん?」
中々鋭い。大当たりである。
「まぁ、メイスも腹を括ったんじゃないかしら。彼は金庫番と嘲られていたけれど、力がないならある人間を使えばいいだけよ」
「うーん。でもなぁ。そんな度胸があるのかなぁ」
実に鋭い。ないので背中を蹴飛ばしてやった。
「西区制覇が彼の夢だったから、色々と頑張ったのでしょう」
「色々?」
「そう、色々」
「その色々に、ステラが絡んでるんだよね?」
「なんのことだかさっぱり分からないわ」
「嘘だ! じゃあなんでメイスが一々報告にやって来るんだ! それにオーソン一家のアポールまで、自慢気に報告しにくるし! 絶対おかしいじゃん!」
今朝方、メイスが殲滅作戦の成功を伝えに来ると共に、協定締結が完了したことを報告しにきた。ステラには副会長の席を用意するといってきたが、リスクが増えそうなので断った。パルプド組合の残党が復讐に来るかも分からない。ならば、せめて相談役にと泣きそうな顔で迫られたので、それぐらいなら良いかと承諾してやった。メイスはステラの所有物ではあるが、基本的に放置である。ガルドは顔を見る気もしない。今のところは、商会運営に積極的に絡んでいきたいとは思わない。それよりも自分の肉体、魔力の強化が優先である。
ちなみに、アポールは汚名返上と名誉挽回を遂げたことを自慢しにきただけだ。煩わしいのでとっととお引取り頂いた。非常に悲しそうな顔が印象的であった。髪の色と顔の変化が実に面白い人間である。ある意味では貴重なのかもしれない。
『うんうん、分かる分かる! 俺っちもおかしいと思うじゃん! 本当は全部知ってるけど! ウケケ!』
「クレバー、俺にも教えてくれよー。俺たち仲間じゃん!」
『どうしようかなぁ! そうだ、俺っちを捕まえられたら教えてやるじゃん! さらばじゃんライアっち!』
クレバーが店の外へ出て行くと、ライアもそれを追って掛けていく。実に仲が良いコンビだ。見ているだけで面白いのだが、時間が無為に過ぎていくのでオススメできない。
ふと、マリーがこちらを眺めていることに気が付く。
「マリー、貴方も気になるのかしら?」
「……気にならないといえば嘘になりますが、ステラさんを信じていますから」
「ふふっ、それはありがとう。とりあえず、ここら一帯が綺麗になったのは確かよ。どこかの馬鹿がいきなり突撃してくることはなくなったと思う。住民が搾取される形態は変わらないでしょうけど、私達の安全度は格段に上昇したということね」
「……まさか、この店を守るためだけにこんな大掛かりな真似をしたのか? オーソン一家まで動員して?」
ヴァレルが眉を顰める。その通りである。どうしてこんな面倒なことを仕掛けたのか、ステラにもよく分からない。復讐だったのか、ただの暇つぶしか、店を守る為に最善の手段を取ったのか。どれが正解かは自分でも分からないが、そこそこ満足できたので問題ない。
「さぁてね。その判断は貴方に任せるわ。ところで、ちょっと散歩に行こうと思うのだけど。クレバーがいないから、貴方が付き合ってくれる?」
「……ああ、分かった」
ヴァレルを伴い、西区を歩く。目的地は、旧パルプド組合の縄張りだ。彼らの縄張りを示す印は全て取り除かれ、戦闘で死亡した人間の遺体はいまだ放置されている。蛆が沸く頃には、誰かが裏のドブ川にでも放り込むことだろう。運の良い死体は教会で埋葬されるかもしれないが。死んでからの扱いなどどうでも良いと思うが、それは好みというものがあるのだろう。
「貴方は、ドブ川に放り込まれるのと、丁重に埋葬されるの、どちらが好みかしら」
「どちらでも構わん。死んでからのことなど、全く興味がないんでな。生きている間に、どこまでの領域に達することができたかが一番重要だ。俺はそれを人生の目標としている」
「とても素晴らしい目標ね。貴方が高みに達することを祈っているわ」
「本心かは分からんが、その気持ちは受け取っておく」
「勿論本心よ。私はそんなに嘘はつかないのよ」
ヴァレルが世界一の剣士になれば、ステラも嬉しい。所有物の活躍を喜ぶのは主として当然だ。ステラの見込みでは、ライアは行動力があるので、中々の人間になると思っている。マリーも店を任せるのに不足はない。メイスが一皮剥ければ頼もしいが、さてどうなるだろうか。個人的にはアポールの顔は面白いので、いずれ手に入れたいところだ。彼を所有物とすれば、ついでにオーソン一家もついてくる。頭が悪いのが玉に瑕だ。
(まぁ、慌てることはないか。とりあえず、メイスには足元を固めるように伝えなくちゃね。のぼせ上がって暴走でもされたら迷惑だし)
「お前はどうなんだ、ステラ。人生六十年、後五十年しかないといつも嘆いているだろう。お前はどう死にたいと思っている?」
「それは、その時になってみないと分からないわねぇ。多分、最後はまだまだやることが一杯あるのにって文句を言っていると思うけれど」
時間が足りない。人間の時間はあっと言う間だ。だが、毎日が発見の連続だ。とても充実していて面白い。いまのところ退屈、停滞とは無縁である。これが永遠に続けばよいと思うが、それは矛盾を生じることになるだろう。飽きを感じたとき、すべてが苦痛となる。だから、ステラは永遠が嫌いである。不老不死を望む馬鹿どもがいたが、実に愚かなことである。それを叶えたとき、肉体は魂の牢獄となるだろう。幸いにもそうなった人間がいないのは実に良い事である。いまだ囚われている女が、いつそこから解放されるかはしらない。頑固な女だから、今もあそこにいるのだろうか。
「……なんだか懐かしそうな顔をしているな。歳に不相応な表情だが。一体、どうしたらそのように育つんだ? 是非聞かせてもらいたいな」
「それを知りたければ、自分で勝手に調べなさい。その方が人生は面白いわ。人から答えをもらって、そのまま生きるなんてつまらないでしょう」
ステラが一蹴すると、ヴァレルはむぅと唸る。子供にやりこまれたことに納得いかないのだろう。
そうこう話していると、絞首台に吊るされた死体が目に入ってきた。見せしめのために吊るされているパルプド組合の長の死体だ。通行人は目をやるだけで、降ろしたりはしない。勝手に下ろせばどのような災禍が降りかかるか分からない。立て札には、騙まし討ちした卑怯者と記されている。真実を記す事ができるのは、勝者の特権である。
首に食い込んだ縄、白目を剥く目玉、だらんと伸びた舌、流れ落ちる排泄物。耳障りな音を発して群がる小蝿。ステラが苦手とする光景がそこにはある。死体が苦手なのではない。絞首による死体だ。
「顔色が悪いな。さぁ、さっさと場所を変えよう。こんなものは子供が見るものじゃない」
「気を使わせて悪いわね。縄にはなれたつもりなのだけど、絞死体を見る機会なんてそんなになかったから」
ステラは少し距離を取り、苦笑する。慣れるためにはどうしたら良いだろう。いっそ誰かを絞め殺してみるか。だが、人間一人を絞め殺すのは意外と大変だ。それはステラが生き残っていることが証明している。
「私が最後に見た両親の姿があれよ。厳重に封鎖してある部屋を見たでしょう。二度と思い出したくないけれど、決して捨てることはできないもの。人間って、本当に不便ねぇ」
「……殺されかけたというのは」
「道連れにされかかっただけ。多分、一緒に死んでたほうが楽だったのかもしれない。でも、私は嫌だった。だから、こうして生きている。だって、後50年は生きなければいけないから。そうじゃないと、私の努力と時間が無駄になるじゃない?」
「お前は、たまに妙な物の言い方をするな」
「不思議でしょう。将来、良い女になれるかしら」
「もう少し肉をつけて顔色が良くなればな。手伝ってやるから、飯は残さないことだ」
「それは楽しみ。私はね、いずれ子供を作りたいと思っているの。自分の血を受け継いだ子供。その血の連なりこそが人間の強さの源でしょう。いつかそれを体験できるかと思うと、胸が高鳴るじゃない?」
相手はどうでも良いが、そこそこ優秀な方が望ましい。恋など愛だのは体験できる気がまるでしない。そんなものはなくても子供は作れることぐらいは分かっている。
「ふん、子供が生意気言うな。10年早い」
「10年経ったら考えるということかしら?」
「大人をからかうな!」
ヴァレルが軽く頭を小突いてくる。本当に触る程度であるが。
死体が見える道でくだらない会話に花を咲かせる二人。ここに住んでいる人間たちも、最初は恐怖に脅えていたようだが、今では迷惑そうな視線を軽くむけるくらいだ。そのうち異臭を発するようになる。絞首刑になったこの男に同情する者は誰もいない。死んでしまえば、道端の石ころや犬猫の排泄物と同じということだ。
(力を持っていた人間が、たった一晩で石ころ以下か。儚い世の中ねぇ)
ステラはよく、死体のような顔色をしているといわれる。これが意味するのは、いつこの世から消え去り、石ころ以下になるか分からないということ。心底恐ろしい。それを改善できるのであれば、忌まわしいミルクを何杯飲んでも構わない。
「死ぬって、本当に怖いわね。その先には一体何が待ち受けるのかしら」
無か、それとも大きななにかと一つになるのか。そもそも魂とはなんなのだろう。永い間考え続けたが、ステラは結局その答えを見出すことができなかった。だが、ステラにも魂があるということは証明済みだ。
「それは分からない。だが、誰にでもいずれは訪れるものだ。最後に笑って死ねる人間は、幸福なんだろうな」
「それってただの強がりじゃないかしら」
「ああ、そうかもな。だが、そうじゃないのかもしれない。答えは本人にしか分からないだろう。死を経験して蘇生した人間などいないのだから」
「ええ、貴方の言う通りねヴァレル。人間は死んだらお終い。だからこそ面白いのよ」
首吊り死体を遠くから眺めるのに飽きたステラは、ライアとクレバーを捜しに行く事にした。たまには目的地を定めない散歩も良いだろう。なんにせよ体力の強化になる。予想では、以前つりをした小川だ。今日は暑いから、水場にいる可能性が高い。
「歩くだけならもう問題なさそうだな。多少は足の筋肉がついてきたのだろう」
「最近は走ってもいるのよ。それに、色々な物を食べているから、嫌でも体力はつくわ。そうじゃなかったら、本当に死体ということじゃない」
「そんなに喋る死体はいないから安心しろ」
「証明してくれて嬉しいわ。まぁ、それはいいとして。貴方が心配していた嵐って、結局なんだったの?」
天気は快晴。店に被害も出ていない。襲撃といえばパルプド組合の馬鹿どもだけ。あれはただの戯言だったのか。
「慌てなくても直ぐに分かる。本当に直ぐ近くにいると感じる。あいつは奇襲が得意でな。その名も騒嵐のティピカ。素早い上にしつこくて、実に厄介なやつなんだ」
「それは貴方の知り合いかしら?」
「……俺の妹だ。何故か分からんが、この背中の真紅の大剣を執拗に狙っているんだ。有無を言わさず斬り掛かってくるから参っている。毎回撃退してはいるんだがな」
「それは物騒ね。次は見逃さないで、本気で叩き潰したらどう?」
ステラが呟くと、ヴァレルが苦笑いを浮かべる。仕方がないという諦めの表情。
「俺にとっては大事な妹なんだ。だから、いつか分かってくれると思っているのだが。……あいつにはこの大剣は重過ぎる。これは俺が死ぬまで背負うべきだ」
「苦労してるのねぇ。ヴァレルお兄さんは」
「その訳知り顔と呼び方を止めろ。昔の妹を思い出して心臓に悪い」
本気で嫌そうなヴァレル。と、小川の方から賑やかな声が聞こえてきた。クレバーとライアが楽しそうに追いかけあっている。水飛沫を上げながら。
「……外が戦乱の世とは思えないほど、のどかな光景だ。やはり、子供が笑って暮らせる世の中が良い」
ヴァレルが目を細める。ステラは薄く笑って腕を組む。
「じゃあ、貴方が頑張って世の中を変えてみたら? 世界は常に英雄を待ちわびているじゃない」
「人には器というものがある。俺は剣を振るうことしかできない。大勢の人を率いるには、剣の力だけでは駄目なんだ」
ヴァレルが口惜しそうに下を向く。何やら失敗した経験でもありそうだ。いずれ聞けるのかもしれない。
「それは残念だったわね。じゃあ、私が代わりに変えてあげようかしら」
「……何をだ?」
「世の中というのは大げさだけれど、この街ぐらいならなんとかなるかもしれないわ。西区の掃除が終わったから、次はもう少し範囲を広げてみるのも良いかもねぇ」
「それは、本気で言っているのか?」
「ふふっ、小さな魔女の戯言よ。精々怪しむといいわ、正義の騎士さん。貴方は私を見張るために、こうやって傍にいるのでしょう?」
ステラは目を細めた。図星を突かれたヴァレルが口を噤む。それ以上追及するのは止めておいた。今手放すには惜しい。使える駒は手元に置いておきたい。
現在の戦闘用の駒は実に頼りない。戦力として数えられるのはクレバーとヴァレルぐらいだ。役立たずのベック、商会を掌握したばかりのメイス、何かが折れてしまったガルドは当分頼りになりそうにない。
(さぁて、次は一体どうしようかしら。色々と悩ましいわね)
時間はないが焦る事はない。釣りと同じ方針でゆっくりいくとしよう。機会を見て餌を撒き、緩やかに、そして素早く片付けていく。ステラが過ごしやすい環境を作る為にだ。ヴァレルが考えるような善行のためではない。
「さて、どうする? 川で一休みしていくか?」
「冷たくて気持ち良さそうね。……さぁ、私も新しい経験を積みにいくとしましょうか」
「お、おい。まさか、お前が水遊びを?」
「いけないかしら」
「いや、いけなくはないが。ほ、本気か?」
目を丸くしているヴァレルに、ステラは悪戯っぽく片目を瞑る。
「たまにはいいじゃない。ここから最短距離で行きたいの。そこまでよろしくね」
「……突っ込めというのか?」
「ええ。少し驚かせてあげましょう」
ステラは指を鳴らすと、ヴァレルに合図する。仕方ないといった様子で、ヴァレルがステラを抱きかかえ、段差を飛び越えて小川へと一直線で駆け下りた。そしてそのまま川へと突入していく。驚きの表情を浮かべるライア、喜び叫んで飛び回るクレバー、そして水浸しになったヴァレル。
水飛沫を全身に浴びながら、ステラは満足そうに口元を歪めた。




