第二十一話 激昂
今日のグレン雑貨店には、ストック商会から客人が訪れていた。商会の金庫番ことメイス・ストックだ。封筒を取り出すと、ステラに差し出してくる。
「私に手紙?」
「ええ。わざわざうちの事務所に使いが来ましてね。必ず、貴方に渡して欲しいと執拗に言い募るもので。相手が相手なだけに、私も悩んだのですが、筋は通してくれたのでこうして貴方に届けに来たのですよ」
「へぇ」
筋を通したというのは、ストック商会を経由して手紙を届けたということだ。勝手にやりとりをすれば、商会の面子が潰れてしまう。ステラは一応商会所属ということになっている。
「中は開けるなと釘を刺されましたので、この通り確認していません。一体何が書かれているのやら」
メイスが眉を顰めて困惑を表す。
「勝手に開けるのは止めたけど、中が気になるから確認してこいってことかしら?」
「簡単に言えばそういうことです。父はひどく心配症なものでして、わざわざ私を寄越したのです。いやはや、貴方は本当に話が早い。どうです? うちの商会の幹部になりませんか? 会長補佐などおすすめですが。もうすぐ席は空く予定ですので」
現在の会長補佐は武闘派のガルド・ストック。メイスが蹴落としてやりたい人間の筆頭だ。金庫番の悪い冗談である。
「先に言っておくけど、抗争に巻き込まれて死ぬのは嫌よ。馬鹿馬鹿しい」
「ははは。しかし、一応真剣に考えておいてくださいよ。私は貴方を買っているのです。……それでは、早速開けてみてくれませんか? お互いに忙しい身でしょうから」
「仕方ないわねぇ。マリー、とりあえず珈琲を入れてくれる?」
すでに用意していたらしく、ステラ、そして正面に座るメイスにカップを差し出す。メイスは珈琲を苦手としていないようで、普通に口を付け始める。どうやら、豆が古いのであまりお気に召さなかったようだ。
「これは、少し味が抜けているようですね」
「在庫を処分しているからねぇ。売れ残りだから」
「宜しければ、うちの取引先から手配させましょうか」
「それは助かるわ。もうすぐなくなりそうだったから。さて、珈琲についてはこれぐらいにして、開けてみましょう」
メイスがわざわざ手紙の配達を任された理由。それは、この手紙の差出人が東区筆頭のオーソン一家からだったからだ。正確には、後継者のアポール・オーソン。先日ステラに絡んできたので、報いを受けさせてやった若者である。
(もしかして脅迫状かしらね。それなら約束通りクレバーを放つだけだけど)
そこまで愚かなら救い様がない。迷いなくクレバーを派遣できる。特に期待もせず封筒から手紙を取り出し、目を通す。
「…………」
「……気になりますねぇ。よければ、声に出して読んでいただけませんか?」
メイスが穏やかな口調で語りかけてくる。目は笑っていない。
「……自分の目で見てみたら?」
「それでは、失礼しますよ」
『先日はとても世話になった。闘技場でのお礼を是非したいので、東区、オーソン一家の館へ招待したい。俺様の本当の力を分かってもらえると思う。日時は三日後の安息日の正午過ぎ。使いのものが誘いに行くので、絶対にでかけることのないように。危害を加えるつもりはないので、それは安心して構わない』
「……なんですか、この頭が悪そうな手紙は?」
メイスが眉を顰める。ステラも同じ表情を浮かべる。
「私に聞かれても困るわねぇ。全く意味が分からないもの」
「はてさて、それはおかしいですねぇ。小耳に挟んだところ、闘技場で何か貸しでもお作りになったのでは?」
「さぁ、ちょっとした余興をしただけよ。貸しを作った覚えはないわねぇ」
ステラは話していないが、噂になっていてもおかしくはない。情報を仕入れることぐらい、ストック商会ならば容易だろう。
「相手に失禁させるような真似をしておいてですか?」
「知っているなら言わせないでくれないかしら。時間の無駄よ」
「はは、相変わらず手厳しい。実はベック君からの又聞きでしてね。とても正気とは思えなかったので聞き流していたのです」
「あっそう」
ベックの馬鹿が喋ったのか。恐らく、例の治療薬を届けさせたときにだろう。得意気にステラの行動を自慢している姿が目に浮かぶ。面倒だが後で躾けなければなるまい。本人としてはステラを褒め称えているつもりなのだろうが、余計なことに他ならない。
「まさか事実だったとは驚きですよ。ちなみにその一件についてはオーソン一家が完全にもみ消し工作を行なったようで。いやはや、流石の手並みですよ。ベック君が喋らなければ、私も全く知らなかったのですからね」
嘲りを浮かべるメイス。対抗勢力の一つの跡取りが、相当の馬鹿者ということで機嫌が良いのだろう。何があったかは分からないだろうが、小娘相手に失禁するようでは器も見えたということか。メイスだったらどうだったかというと、あまり変わらないような気もする。こちらもあまり荒事が得意ではない。
むしろ、あれだけの出来事の後に、ステラに誘いをかけてくるだけアポールの方が色々な意味で器が大きいのかもしれない。あっさりと底が抜けそうではあるが。
「それで、私はどうすればいいのかしら。行かないと面倒なことになりそうだけれど」
迎えに来ると言っているからには、構成員を差し向けてくるつもりに違いない。大人しく同行すれば何も起こらないが、拒絶すれば確実に戦闘になる。恐れてはいないが、店に被害がでる事態はステラとしても避けたいところだ。
「ええ、間違いなく面倒なことになるでしょう。とはいえ、貴方については我がストック商会所属と伝えてあります。彼らが真正面から喧嘩を売ってくるとも考えにくい。友好関係はないですが、表だって敵対もしていませんから。それに、貴方はグレッグス卿とも面通しをしてあります」
「つまり?」
「何かが起こる心配はないということです。グレッグス卿が認めた相手を、問答無用で叩き潰せば不興を買う事になる。まぁ、念のために、我が商会一の武闘派を貴方の護衛につけさせていただきますがね。ですから、安心して遊びにいかれると宜しいかと」
拉致されたり、暴行されるようなことはないとメイスは言う。ステラも同意見だ。あの馬鹿そうなアポールならば、仕掛けてくるつもりならば直接襲撃にくることだろう。
それはともかくとして、商会一の武闘派とは一体誰を指しているのやら。
「ふふ、もったいつけた言い方ねぇ。その頼もしいお方というのは一体どなたなのかしら?」
「我がストック商会会長補佐。私の腹違いの兄、ガルド・ストックです。商会の荒事全般を仕切っていますので、万が一のときも安心ですよ。それは保証します」
「私のような小娘に、そんな大層な人間をねぇ。本人が良い気がしないのではなくて? 貴方だって、内心では嫌々私の相手をしているでしょうに」
メイスはステラの相手を命令によりさせられている。口では余裕ぶっているが、さぞかし誇りやら面子に傷がついていることだろう。ガルドをわざわざ護衛につけさせるのは、その意趣返しか。金を産み出すステラの護衛は、商会にとっても重要な任務。ルロイの命令ならば、ガルドも断ることはできまい。
「私はここに来るのは嫌ではありませんよ。貴方は頭が良いしそれだけの価値がある。ですから商会最強の護衛をつけるのは当然のことです。生憎、連中の頭は相当よろしくありませんがね」
「そうなの?」
「ええ。貴方風にいえば、ベック君同等といったところです。ただし、腕っ節は相当なもの。うちの父や若い連中からの信頼は厚いですよ。馬鹿は馬鹿同士、ウマが合うようですね」
心底嫌そうな顔をするメイス。ガルドとの仲は相当よろしくないらしい。今日にでも後継者争いを起こしそうなほどの敵意である。勿論、知ったことではない。
「ところで、副会長と会長補佐って、どちらが偉いのかしら?」
「さてね、実は私にも分かりません。いずれ、決着を着ける日がくることでしょうがね。その時がきたら、金の有り難味を嫌と言うほど思い知らせてやるつもりですよ。世の中を動かすのは、個の力ではなく金です。金さえあれば全てが手に入ります」
メイスが愉快そうに笑ったので、ステラもそれは「楽しみねぇ」と同調しておいた。金庫番と脳筋、どっちが勝とうが今の所はどうでもよい。迷惑をかけてきたら潰すだけだ。
「オ、オーソン一家から招待状!? ほ、本当かよっ!?」
「声が大きいわ、ライア」
近くで叫ばれたステラは嫌な顔をした。あまりの大きさに耳鳴りがする。ベックだったら即効で叩き潰して蹴り出している。
「なんでそんなヤバいところから! だって、この雑貨店はストック商会の縄張りじゃんか。も、もしかして、なんかやっちゃったの?」
ライアが恐る恐る聞いてくる。きっと何かやらかしたに違いないと思っているらしい。正解である。
「ふふ、私が何をするっていうのかしら」
「たとえば、喧嘩売って怒らせたとか」
大体当りの様な気もするが、売ってきたのはあちらである。ステラとしては穏便にことを収めたつもりだ。でなければあそこで始末している。刺客に付きまとわれるのが嫌だから脅し、余興としてうやむやに終わらすつもりだった。実に寛大な処置といえる。逆恨みされる謂れはない。
「ま、大体合っているかしらね。次の安息日に迎えにくるそうだから、ヴァレル、貴方は私に付き合ってね。最強の護衛が来るそうだけど、メイスの言葉はいまいち信用ならないから」
ステラの中でのメイスの評価は下降中である。それなりに話してきて大体傾向が分かった。彼の本質は、与えられた指示はこなすことができるが、それ以上のことはできないタイプ。人を引っ張ることもできなければ、自分で判断して行動することができない。ガルドと後継者を競うつもりらしいが、いざ事が起これば簡単に膝を屈することだろう。つまり、金庫番を任せているルロイの目は正しい。
その点、自分で考えて剣を振るう事ができるヴァレルは実に優秀だ。護衛としては文句のつけようがない。
「ああ、任せてくれ。何が起ころうと守ってやるさ」
「頼もしいわ。クレバー、貴方も宜しくね」
『ウケケ、あの糞餓鬼、何かしやがったらタマと喉元食いちぎってやるじゃん!』
クレバーが目をぐるぐるさせて威嚇を始める。既にやる気十分なようだ。こちらも頭と口さえ良ければ完璧な護衛である。
「本当に大丈夫かなぁ。あいつら執念深いから。嫌がらせとか平気でしてくる連中だよ?」
「してきた連中は全員つぶすから問題ないわ。虫が10匹出たら全部潰せば良いのよ。勿論巣も完全に潰す。それに、断ろうにも相手が強引にお誘いにくるからね。ライア、貴方はああいう連中が嫌いみたいだから、店の中で隠れているといいわ」
「言われなくてもそうするけど、ステラは本当に大丈夫なの?」
「全く問題ないわ。さぞかし自慢の家みたいだし、ゆっくりと見物してくるつもりよ。誰かの館に招待されるなんて初めてだから、ワクワクするじゃない?」
ステラは口元を歪めると、楽しそうに笑った。
――そして約束の三日後。ステラはいつもの紫の外套を身につけて待機する。雑貨店の前には、ストック商会から派遣されてきたガルド・ストック率いる30人程がたむろっている。ガルドは戦の経験があるらしく、軍隊方式の訓練を見所のある人間には施しているらしい。ガルド連隊と商会では呼ばれているとか。どれぐらいの強さかは測りかねるが、武装は整いそこそこに統率も取れている。
「ったく、なんで俺がこんな餓鬼のお守りをしなくちゃいけねぇんだ?」
「ガルド兄貴。餓鬼に聞こえますぜ」
「聞こえるように言ってんだよ、糞が! ったく、親父も親父だ。会長補佐である俺をこんな餓鬼につけるなんて、何考えてんだか。金庫番の言葉なんて流しときゃいいんだよ」
ガルドは剣を弄んだ後、イラついたように鞘へといれた。体格はヴァレルと同じくらいか。額はそうとう広い。まだ若いのに、髪の薄いルロイの血を忠実に受け継いでしまったのだろう。メイスはその点だけは恵まれている。
「――っておい、てめぇヴァレルじゃねぇか。俺の誘いを断ったくせに、こんなとこで何してやがんだ」
「ステラが俺を雇ってくれたのさ。あまり失礼なことを言わないようにして欲しい所だな」
「てめぇ、頭おかしいんじゃねぇか? オーソン一家ならまだしも、こんな餓鬼のお守りに就くなんてよ。どうかしてるぜ!」
「主への罵詈雑言は謹んでくれ。お前もステラを護衛するために派遣されてきたんだろう。ならば目的は同じはずだ」
ヴァレルが咎めると、ガルドの顔に一瞬怒りが浮かぶ。だが、すぐにわざとらしく笑うと愚痴りはじめる。
「ったく、どいつもこいつも。金の卵を産む鶏だかなんだかしらねぇがよ。こいつはあの間抜けなグレンの娘だぜ? 覚えてるか? あの間抜けでドジの腰抜け野郎だ!」
「へへっ、勿論ですぜ」
「ドミニクを使って嵌めてやったときは、本当に面白かったなぁ。あのときの顔ときたら傑作だぜ! 娘がもう少しマシな肉付きだったら、もっと面白い光景を見せてやれたんだがな。ったく、嫁もババァすぎて誰も手ださねぇしよ!」
下卑た笑いを浮かべるガルド。
「へへっ俺たちも好みってのがありますんで」
「言ってやがれ! この前豚みてぇな女で喜んでただろうが!」
「兄貴は好みが厳しすぎるんですよ。まだマシな方だったってのに」
「そういや、グレンの間抜けはどうやって死にがやったんだ? 詳しくは聞いてねぇんだがよ」
「へへ、てめぇの嫁と一緒に首つって死にやがったみたいで。本当に間抜けな連中ですぜ。そんで、この餓鬼だけは、なんでか生き残ってたみたいですよ。メイス副会長とどういう取引をしたかは知りませんがね」
「メイスの馬鹿、そういう趣味があったのかもなぁ。へへっ、まぁあの腰抜けにはお似合いだがな。しかし本当に目障りな店だぜ。グレンの死体ごと、この小汚ぇ店も燃やしてやりゃ良かったんだよ」
「兄貴、気持ちは分かりますが落ち着いてくだせぇ。会長の命令が――」
「一々うるせぇんだよ。へっ、気が変わったぜ。今、この場で綺麗にしてやるよ!! 叩き壊した後は盛大に燃やしてやるぜ!」
ガルドが雑貨店の壁をいきなり剣で叩きつける。壁には大きな穴があき、その衝撃で店内の棚が崩れ落ちる。さらに蹴りをいれてくる。年季の入った窓ガラスが割れてしまった。もう二度と元に戻せない。
最近気付いたことがある。思考は落ち着いているのに、感情が抑えられなくなるときがある。例えば今だ。ステラも父のことを軽蔑しているが、人から悪しく言われるとやけに腹が立つ。母を馬鹿にされると二倍腹が立つ。そして、この店に害を加えられると、腸が煮えくり返りそうになる。
「……ヴァレル、ちょっと離れていなさい。こんな不愉快なゴミどもは護衛にいらないわ。そうねぇ、ぐちゃぐちゃに腐らせてからドブ川に放り込むことにしましょう。さようなら、会長補佐さん。あっちの世界があるかは知らないけれど、間抜けな父によろしくね」
ステラは満面の笑みを浮かべる。怒りを押し隠す偽りの笑顔。そのまま魔水晶を掲げると、その効力を発動する。最近の鍛錬により、この屑どもを仕留める程度ならば、生命に影響する事態には陥らないという自信がついた。溢れ出る紫の光が屑共にむかって照射される。
「て、てめぇ、まさか魔術師か!! そうか、だからメイスの野郎、手の内に置いとこうって魂胆で!」
ガルドが胸元を押さえて、苦しみながら叫ぶ。いまいち威力が弱いことに、ステラは舌打ちする。やはりまだまだ訓練が足りない。一撃で臓器を腐食させるつもりだったのに。残念なことである。これでは致命傷を与えるまでに幾らか時間が必要だ。
「あ、兄貴、く、苦しい。か、身体から力が。そ、それに、腹がなんだか」
「ぐ、ぐぁあああああ! い、痛い痛い痛い!」
「こ、この糞餓鬼、これでも喰らえやっ!!」
ガルドが腰から奇妙な装飾が施された短剣を取り、こちらへと投擲してくる。察知したヴァレルが大剣で叩き落すよりも早く、クレバーが素早く飛び、嘴で横からくわえ込んでしまった。そのまま強引に刃を圧し折ってしまう。
『ウケケ! 遅すぎるじゃん! ノロマすぎるじゃん!』
恐らくこれが“魔術師殺し”が施された武器だろう。念のために持っていたらしい。肉体に掠りでもすれば、魔術師は魔術を行使出来ない。いわば致命傷といえる事態に追い込まれる。その凄まじい効力から、魔術師殺しという名前がつけられたそうだ。
「偉いわクレバー。まぁ、私に当てたところで意味があったかは怪しいけどねぇ」
『絶対に危害は加えさせないじゃん』
「この鳥も魔術の一種か! ク、クソがっ!!」
「早く何とかしないと、身体の内側から腐食して死ぬわよ? さぁ、もっと頑張って精一杯這い蹲りなさい。そして最後は虫みたいに無様に死ぬといいわ」
歯を剥きだして嘲笑する。青褪めたガルドが、地面の上でのた打ち回る。実に面白い光景である。
『ウケケ! ご主人、久々にマジ切れじゃん! ご主人、怒ってるときその笑顔になるから怖いじゃん!』
「感情がうまく制御できないの。でも、制御する必要性を全く感じないわ。ゴミ虫なんだから、何匹始末しても問題ないわよねぇ。なら、もうぶっ殺してもいいかしら?」
ステラは外套に忍ばせていたダガーナイフを取り出す。
『全然問題ないじゃん! ゴミは皆殺しじゃん! 大掃除じゃん!』
「待てステラ! クレバーもそれ以上煽るな! こいつはルロイの息子だ。気持ちは分かるが、殺せば本当に面倒なことになるぞ。それはお前が一番嫌うことだっただろう。だからあのアポールも見逃したんだろうが。いいか、まずは落ち着け!」
ヴァレルが大剣を横にして、ガルドを庇おうとする。ステラは腐食術の威力を弱める。所有物を殺すつもりはない。これはガルドを助けたいのではなく、ステラを思っての発言だろう。それぐらいは理解できる。
「ええ、情けを掛けたおかげで面倒なことになっているわ。この馬鹿、私を護衛する役目で来たのにねぇ。よりによって私の店を破壊したのよ。私の居場所を破壊した。信じられないほどの馬鹿さ加減。ベック以下の人間はこれ以上いらないのよ。一々調教するのも面倒くさいでしょう? だから除去するのよ」
「ステラ、いつものように冷静に考えろ。大きく息を吸って、怒りと一緒に吐き出すんだ。その水晶の魔力に惑わされるな。殺意に囚われず、自分を強く持つんだ!」
「ふふっ、なによそれ。この魔水晶は、私の力の源であり私自身でもある。私を惑わすようなものじゃない。……でも、貴方がそこまで言うなら一応その通りにしてあげようかしら?」
ヴァレルの言葉に従い一息つく。体の内から湧き上がる怒りはまだまだ収まりそうにない。目の前の男を殺せという感情ばかり沸きあがる。もしかすると、商会への復讐をしたいという欲求でもあるのか。ステラとしては父の自業自得だという思いが強い。だが、その感情を抱いているのもまたステラだ。どちらが正しいということではない。そう思ってしまうのだから仕方がない。
「……じゃあこうしましょうか。この馬鹿が心から謝罪したら許してあげる。頭を地面に擦りつけて惨めに命乞いしなさい」
「だ、誰がてめぇみたいな糞餓鬼に! 死んだほうがマシだ!」
「じゃあさっさと死ね。中から腐っていく絶望を味わいながらね。さて、この屑どもの生命力は後どれくらいもつのかしら。楽しみねぇ」
ステラが笑いながら魔水晶の力を強化しようとした時。
「ガルド! 早く侘びをいれないか! お前、本当に死にたいのか!」
「お、俺が、そんな情けない真似、できるわけがねぇだろうが! お、俺は、商会一の、ぶ、武闘派」
ガルドの顔が更に青褪めていく。身体が痙攣している。ステラが少し術を強めれば臓器の腐食が始まることだろう。そうなればもう助けることは誰にも出来ない。今が分水嶺だ。指を鳴らす用意をする。軽快な音がなった時が、死神の鎌が振り下ろされる時となる。
「あ、兄貴、こいつ、本気ですぜ。このままじゃ、俺たち殺されちまう!」
「てめぇ、ガ、ガルド連隊のくせに、弱気を吐くんじゃ――」
地面に平伏せたまた強がるガルドだが、本気で死が近づいていると気がついたようだ。汗をダラダラと流し、苦しみを堪える為に地面の土を握り締めている。
――そして。
「わ、悪かった。俺が言い過ぎた。店を壊した事も悪かった。だから、勘弁してくれ。こ、殺さないでくれ」
「誰か、この馬鹿が今なんて言ったか翻訳してくれないかしら。会長補佐ともあろう人間が、小娘、しかも間抜けなグレンの娘相手に侘びをいれるなんて、絶対にありえないわよねぇ。彼ならきっと死を選ぶと思うの」
「し、死者を冒涜する発言をして、本当に、すまなかった。店もちゃんと直させる! だ、だから、命だけはッ! この通り、何でもする!」
ガルドと部下たちが地面に頭を擦りつけ、命乞いをしてくる。まったく助けてやりたいという気持ちは湧き上がらない。だが、ヴァレルが目で制止してくる。頭では分かる。こいつを殺せば、商会との関係は悪化する。戦いになれば、ステラの店や所有物も被害を受けてしまうかもしれない。
ステラは少し考えた後、土下座するガルドの前にしゃがみ、髪を掴んで水晶を無理矢理覗き込ませる。そして、誓わせる。
(いらないけれど、囮や使い捨ての駒にはなるか。ああ、本当にいらないけれど、仕方がない)
「私の物になると、この魔水晶をしっかりと見て誓いなさい。目を逸らしてはいけないわ。ベック以下の人間はいらないのだけれど、その情けない泣き言に免じて使ってあげる。もしも裏切ったらどうなるかは、言わなくても分かるわよねぇ」
「わ、分かった。分かったから早く――」
「分かった? どうしてそんなに偉そうなのかしら?」
「わ、分かりました! 貴方の物になります! ぜ、絶対に裏切らないと誓います! だ、だから、じゅ、術を解いてください!」
「ゆ、許してください!」
慈悲の笑みを浮かべて問いかけると、ガルドたちは涙を流しながら頷いた。恐怖に耐え切れずに誓ってしまった。魔水晶から黒い靄のようなものが、ガルドたちの身体へと入り込んでいく。契約は完了。もし、裏切りを行なったら無残な死が訪れる事だろう。
「こ、これは? か、身体は、無事?」
「痛みが、取れた」
「まだ腐ってなくて良かったわねぇ。今の靄のおかげで身体は無事なままでいられるわ」
「ほ、本当に?」
ガルドの安堵した様子を見て、ステラは憎々しげに睨みつける。
「……役立たず共を見ていると苛々するわ。お前達の護衛任務は一旦解除、商会に戻って深く反省しているように。メイスには後で使いを寄越すように伝えなさい」
「は、はひいっ!!」
契約をしてしまったガルドと連隊の人間たちが脱兎の勢いで撤収していく。手駒は増えたが全く嬉しくない。ドブ川に自分から飛び込んで死んでくれないだろうか。
「メイスの馬鹿が。あんな使えない人間をよくも寄越してくれたわねぇ。謝るくらいではすまさないわよ」
「……おい。今、ガルドたちに何をしたんだ?」
「約束しただけよ。裏切ったら絶対に許さないとね。でも、そのお蔭で身体は治っていたでしょう? 等価交換よ」
「…………」
「さて、ライア、これでよかったのかしら?」
店の扉から、こっそりとこちらを眺めていたライアを横目で見る。そんな奴でも殺しては駄目だと、目で訴えてきていた。だから許したという訳ではないが、ベックと同じ扱いとした。何故かは分からない。怒りに身を任してしまったのも感情だったから、それを許したのもまた感情。理性では説明できないこともある。人間とはそういうものらしいが。もしかしたら、殺す瞬間を見られたくなかったのかもしれない。
(……見られたくない? 意味が分からないわ。危害を加えられたら報復をするだけのことよ。それに、許した訳ではないもの)
生きている方が苦しいということはある。それをガルドには味わってもらうとしよう。生涯を掛けて、あの男はステラに尽くさなければならない。そう誓ったのだから。もちろん、目障りなので側には絶対に置かない。
「う、うん。それより、身体は大丈夫なの?」
「日頃の鍛錬のおかげでね。こういうときの為に行なっているのだから」
「だからって、あんな凄い魔法使ったりして! ほら、身体が震えてるじゃないか」
ライアが近寄ってきて、背中を擦ってくる。そんなに顔色が悪いのだろうか。自分では分からない。が、確かに体温が少々低下しているような気もする。本当の死人になってしまっては笑い話にもならない。
「店の中は? さぞかしひどい有様でしょう」
「今マリーさんが片付けてるよ。壁もすぐに補修するし。商品は壊れてないから大丈夫。それより、ステラの方が」
さすがはマリーだ。ガルドの馬鹿にはあとで必ず修理させる。しかし、壊れてしまったことは確かだ。無残な店の外壁を眺める。気分が実に滅入る。別に大したことではないというのは頭では分かっている。金もあるのだから、新しい店を建てても良い。だが、ステラにとって、この店は思い入れがある場所なのだ。だから今もここに残っている。
寝込みたくなる衝動を抑え、ライアに呟く。
「今日はあと一人ベック以下の人間に会わなくちゃいけないから。帰ったら、美味しい珈琲を用意しておいてくれるかしら」
「……分かったよ。でも、絶対に無理をしちゃ駄目だよ。後、ヴァレルさん、ステラのことを」
「任せておけ。……しかし、ガルドの馬鹿が」
ヴァレルは吐き捨てた後、大剣を背中へと据えつける。ステラは冷たくなった汗を拭った後、強く水晶を握りすぎたため白くなった手を何度か開け閉めする。
(……感情が昂ぶって、後先考えずに行動する。これが、人間になった証拠か。果たして、良いのか悪いのか)
それから10分後、オーソン一家の使いの者達がやってきた。ステラは気だるげに頷くと、彼らとともに東区目指して歩き始めた。




