水門と境界 ウリセス視点
ウリセスは境界にいた。
シュベールは現状を王宮へ報告するためすぐに引き返したため、戦力としての期待はできない。ならば、己がこの場をどうにかしなくては。
水の境界に来ると、水の世界に近い所為か一つの鼓動が静かに伝わってくる。
それは、ウリセスの中の鼓動と絡まるように静かに脈打ち、ウリセスを暖かい気持ちにさせる。
「リオ…」『誓い』の所為で、ウリセスにはリオの健康状態が手に取るようにわかった。猛特訓のおかげで、今もなお本調子ではないため静かに休んでいるだろう彼女の命の声がウリセスには嬉しかった。どこにいてもごく水に近い場所で、彼女を感じることができる。
過去がどうあれ、ウリセスは王宮に対し『めんどくさい』とは思ってはいても、『嫌悪』はしてないのである。正直に言えば今の状況はいきなり糸が切れた凧のようだった。
けれど、だからもう、リオしか居ないのである。
吹き荒れる心の嵐を、歓喜の声を彼女の前で抑えるのは大変なことだった。セラフィナに言われるまで、ウリセスは自分のこの気持が何なのかわからなかったのだ。
「兄様、そのように浮き足立ってはリオ様に嫌われてしまいますわ。ここは、慎重に事を運ぶべきです。」子供ほどに歳の離れた妹―わからないほど血のつながりは薄い―にそう諭され、どうしたらこれから彼女のために自分が生きられるのか、そして彼女の傍らが全て自分で埋めることができるのかを考えた。
聞けばリオはそれなりの歳だという。ならば、私が『誓い』をたてたとしても何ら問題は無い。彼女は驚いていたが、これで私と彼女を繋ぐものは何人たりとも侵せなくなった。喜ばしい事だ。
「よろしいですか、紳士にかつ情熱的に。あまり勢いをぶつけるのは得策ではありません。リオ様は何かと繊細な方ですから。ここは、外側から埋めていかれるのがよろしいですわ。そして、その協力は私も惜しみません。兄様、ちゃんと聞いてらして?」
妃候補ともなるとこうまで強くなるものか、いつの間にか大人になってしまった妹を見ると、少し寂しい気分になる。
「リオ様もきっと兄様をお嫌いではないはずですわ。本当にお嫌いなら、指を切ってでも指輪を外すでしょうし。」そう、指輪の件もある。切った指は白の術師に直してもらえばすぐにつく。ならばリオも少しは私のことを意識していてくれると思って良いだろうか。
「よろしいですか、兄様。決して急がず。そして誰にも邪魔をされず。隙あらば、リオ様をかっさらって―失礼致しました、これはアリッサの台詞ですわ―とにかく。私もリオ様がお姉さまになること、待ち遠しく思います。どのような場所であろうと、どのような手段を使っても、お手に入れくださいませ。何も…何も欲しいとおっしゃらなかった兄様が唯一欲しいものなのでしょう?」
そうだ。アリッサの影響を受けすぎるのはどうかと思うが、妹の言うことも最もだった。私はすべて生まれ出でた時より、何もかも諦めていたのかもしれない。
だから欲しがるということをしなかったし、何にも興味がなかった。人間も精霊も何故それほどまでに我が両親を憎むのか―それすら、私にはわからなかったのだ。
王宮に縛られ、傀儡のように操られていても、私にはどうでも良いことだった。幾千、幾万の人間が儚く消えて行っても、私は何も感じなかった。感じたように演じていただけだ。
だがどうだろう。リオと出会ってからの私ときたら、本当に情けなくなるくらいに人間のようで。
強い独占欲は精霊の性。
どちらの私もリオを奪いたいと思うのだから、どうしようもない。
警備兵舎で見たリオは泣きはらした目をしていた。
私は己を恥じた。抱きしめたリオは驚くほど華奢で、消えてしまいそうだった。そんなリオを一人にして、何が『守る』と誓ったのだ。
二度と離すものか。
アリッサに着替えさせる寸前までリオを抱いていた。
「強くあらねばな……」
リオに二度とあのような思いをさせぬために。元々、戦闘種族ではないので戦は支援がほとんどだったが、今は率先して動きたいと思うのだから、私の中の人間の血がそうさせるのだろうか?
「珍しいことだ。どのツラ下げてこんなトコにいやがる。」声はすぐ傍から聞こえた。
「ファネル。」水の上級精霊、ファネル。私の両親も知っていて、私がこの境界までしか来れないことも知っている。短い髪は薄い水色。透明度が高いほど精霊の階級は上だ。私のように混じりけの強い色の物はこんな場所には居ない。
「最近、この水門を使った者はいるか?」境界には水門があり、水門を経て精霊たちは人間の世界へと旅立つ。今回はどう考えても精霊が異常なほど騒いでいた。ならば、関係しているのは人だけではないかもしれない。
「何で俺がお前にそんなこと教えなくちゃいけねぇんだよ。アホか。さっさと帰れ。………お前、『誓い』を使ったな?」ファネルが目ざとく私を観察して言う。
そうか、わかるか。
「わからいでか。そのうっとおしいくらいの蜜月オーラは何だ。気持ちわりぃ。…相手は人間か?」
「ああ。」私にも喜びを分かち合える人間がいるのだ。生涯使うはずもない、『誓い』を唱えてしまうくらいに、心を動かされる人間が。
「人間はすぐ死ぬぞ。……俺には関係ないが。何だ、上が荒れてるな?」ファネルは境界の上を見た。目には見えないが、その先にはライル河がある。私より純粋に精霊であるファネルには彼らが荒れている―悲しんでいる―のが見て取れるのだろう。
「ああ。何者かが強制的に核を支配している。この上の河は一級河川だからな。それほどの者を支配するのなら、上級精霊が絡んでいてもおかしくは無い。」
精霊は何も無から有を生み出すわけではない。宿るべきものがあり、この河川にもその核というものがある。本来はそこに、この河川上で一番力の強い精霊が宿り、人間が荒らさない限り、河の水の調律をするのが普通だ。
調律がずれている、あるいはわざと狂わされているから、水が溢れている。ならば、その調律を乱した者がいるはずだ。
「キナ臭ぇな。おい。お前何とかしろ。俺らはこの付近の人間と争うつもりは無いんでな。門の件は調べてやる。とりあえず、お前はここから去れ。そろそろ感づく奴らもいるだろう。お前も、そんな状態で来るな。」ファネルはそう言うと水門を開けて水界へ帰って行く。
ここへ来たのは偶然だったが、見知った精霊がいて良かった。彼はひねくれてはいるが、仕事は真面目にする。私を嫌そうに見るが、彼は私を軽蔑したり侮蔑したりしているわけではない。他の精霊たちに比べればマシな精霊だ。
私は境界を出て、水の管理施設へ向かった。




