第9話 ビジネスバッグから
昼休み。
蒼真は会社近くの公園でコンビニ弁当を食べていた。
ベンチに座り、スマホを見る。
ダンジョンらしきものの噂は増えていた。
黒い穴。
消えた人。
変な生き物を見たという話。
動画もいくつか上がっている。
ただし、ほとんどは嘘か加工扱いされていた。
当然だろう。
昨日までなかったものを、今日いきなり信じる方が難しい。
蒼真はスマホを閉じようとして、ふと手を止めた。
ニュースサイトの片隅に、小さな記事が出ていた。
都内複数箇所で不審な空間異常の通報。
警察が確認中。
「空間異常ね」
ずいぶん慎重な表現だった。
誰かがすでに通報している。
警察も動いている。
国が把握するのも時間の問題だ。
いや、もう把握しているかもしれない。
蒼真は弁当の唐揚げを口に入れながら考えた。
国に知られるのは、いずれ避けられない。
ダンジョンが社会全体に広がるなら、魔石やスキル玉や魔本の価値も出てくるだろう。
自分はそれをすでに持っている。
しかも【真鑑定】で中身を見られる。
「売れるようになったら、生活できるな」
まだ制度はない。
買い取ってくれる場所もない。
だが、これは時間の問題だと思った。
人間は価値があるものを放っておかない。
魔石がエネルギーになるなら、なおさらだ。
昼休みが終わり、蒼真は職場へ戻った。
午後は引き継ぎ資料を作った。
自分でも意外なほど淡々と進んだ。
普段なら後回しにしがちな作業も、今はさっさと片づけたい気持ちが強い。
余計な未練を残したくない。
定時を少し過ぎた頃、蒼真は一通りの資料をまとめ、上司に送った。
「早いな」
上司が驚いた顔をした。
「できるところまではやっておきました」
「本気なんだな」
「はい」
「分かった。人事には話しておく」
「お願いします」
会社を出る頃には、空はすっかり暗くなっていた。
平日の夜。
本来なら疲れて家へ帰るだけの時間。
だが、蒼真の足は自然と駅とは違う方向へ向いていた。
会社近くの古い地下通路。
昼休みに少し気になっていた場所だった。
人通りは少ない。
照明がいくつか切れている。
壁には古いポスターが貼られ、奥へ行くほど空気が重くなる。
「見るだけ」
蒼真は小さく呟いた。
見るだけ。
もう何度目か分からない言い訳だった。
地下通路の奥。
封鎖された旧出口の前。
そこに、黒い入口があった。
昨日まで見たものよりも、少し濃い。
《真鑑定》
【ダンジョン名 錆びた地下道】
【ランク F】
【階層 二階層】
【テーマ 金属】
【状態 未踏破】
「二階層」
蒼真の心臓が跳ねた。
これまでのダンジョンは、すべて一階層だった。
初めての二階層。
初めての金属テーマ。
時間は夜。
体は仕事終わり。
普通なら、絶対に入らない。
「……いや、さすがに今日は」
蒼真は入口の前で立ち止まった。
明日も引き継ぎがある。
会社を辞めるまでは最低限仕事をしなければならない。
疲労もある。
二階層ということは、これまでより長いかもしれない。
危険かもしれない。
蒼真は深く息を吐いた。
そして、スマホで時間を確認する。
午後七時過ぎ。
「一階層だけ見るか」
完全に駄目な言い訳だった。
それでも、足は入口へ向かった。
入口付近にバッグを置く。
ビジネスバッグから木製ハンマー。
抜かりはなかった。
錆びた地下道は、薄暗い金属の通路だった。
壁も床も鉄板のような材質でできており、ところどころ赤茶色に錆びている。
天井からは古い配管が伸び、水ではなく黒い油のようなものが滴っていた。
空気は重く、鉄の匂いがした。
蒼真はアルカナに触れ、警戒しながら進む。
最初に現れたのは、小さな歯車のような魔物だった。
床を転がる金属円盤。
側面には刃がついている。
「うわ、嫌なタイプ」
歯車の魔物が高速で転がってくる。
蒼真は横へ避け、土魔法で小さな壁を作った。
歯車が壁にぶつかり、金属音を響かせる。
「《ファイア》」
火球を撃つ。
当たる。
だが、あまり効いていない。
「《ウォーター》」
水球をぶつける。
これも微妙。
風で動きをずらし、土壁で止める。
最後は木製ハンマーで叩いた。
硬い。
手がしびれる。
「金属、面倒だな」
歯車が再び動き出す前に、蒼真は土魔法で上から押さえつけた。
さらに火球。
熱で金属が赤くなる。
そこへ水球。
急冷。
歯車の動きが鈍った。
もう一度ハンマーを振り下ろす。
【カッターギアを討伐しました】
「組み合わせ、やっぱ大事だな」
単体の魔法では弱い。
だが、火と水と土を合わせると効果が変わる。
蒼真はその感覚を覚えながら進んだ。
一階層だけ。
そう決めていた。
探索しているうちに、何匹ものカッターギアを倒し、魔石を拾っていた。
途中、小さな宝箱を見つけた。
中にはスキル玉。
《真鑑定》
【スキル玉】
【内容 斬撃耐性・小】
「これは……熱いな」
斬撃系の攻撃に対する耐性。
蒼真は迷わず習得した。
【スキル 斬撃耐性・小を習得しました】
階段があった。
下へ続く階段。
その先から、さらに濃い鉄の匂いがする。
蒼真は階段の前で立ち止まった。
二階層。
行きたい。
ものすごく行きたい。
だが、さすがにまずい。
一階層だけと決めた。
明日も会社がある。
まだ辞めていない。
「……今日はここまで」
その言葉を口にするのに、少し努力が必要だった。
蒼真は階段に背を向けた。
帰り道で、何度も振り返りそうになった。
それでも戻らなかった。
ダンジョンを出ると、地下通路は静かだった。
黒い入口はまだそこにある。
蒼真は《真鑑定》で状態を確認した。
【未踏破】
当然だ。
まだ二階層が残っている。
「明日以降だな」
そう言って、蒼真は地下通路を出た。
夜風が少し冷たい。
仕事帰りにダンジョンへ入る。
どう考えても普通ではない。
だが、これがこれからの生活になるのかもしれない。
会社へ行き、引き継ぎをして、夜はダンジョンへ潜る。
退職までの数日だけの二重生活。
蒼真は駅へ向かいながら、少しだけ笑った。
忙しい。
でも、悪くない。




