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第8話 憎き月曜日

月曜の朝。


天城蒼真は、目覚ましの音で目を覚ました。


最悪だ。


理由は単純だった。


会社に行きたくない。


それ自体は、珍しいことではない。平日の朝に会社へ行きたいと思ったことなど、ほとんどなかった。


だが今日のそれは、いつもの面倒くささとは少し違う。


仕事が嫌だとか、眠いとか、上司に会いたくないとか、そういう話ではない。


もっと根本的な問題だった。


「いや、会社行ってる場合じゃないんだよな」


ベッドの上で呟いて、蒼真は起き上がった。


部屋の奥にはプライベートダンジョンの入口がある。


腕にはアルカナ。


ステータスを開けば、レベルもスキルも昨日までの自分とはまるで違う。


水、火、風、土。


四つの魔法も覚えた。


そんな状態で、今から会社へ行って資料の確認をする。


あまりにも現実感がない。


それでも蒼真は、シャワーを浴び、スーツに着替えた。


スーツの袖を通した瞬間、少しだけ変な気分になった。


昨日まで魔物と戦っていた体に、会社員の服を着せている。


似合わない。


いや、似合ってはいるのだろう。


こっちの方が本来の生活だったのだから。


だが、もう自分の中では逆になっていた。


会社員の方が仮の姿に感じる。


「まあ、もうすぐ辞めるしな」


そう言い聞かせて、蒼真は家を出た。


通勤電車はいつも通り混んでいた。


誰も彼も眠そうな顔をしている。スマホを見ている者、目を閉じている者、つり革につかまりながら揺れている者。


蒼真はその中で、ぼんやりと人の流れを見ていた。


二日前までは、自分もこの中の一人だった。


今日も外から見ればそうだろう。


けれど、蒼真の意識はまるで違う場所にあった。


この駅の近くにもダンジョンはあるのか。


地下道は怪しい。


古いビルの階段も怪しい。


閉鎖された通路、使われていない倉庫、シャッター街。


色々と見て回れば見つけられるかもしれない。


そんなことばかり考えている。


ふと、隣のサラリーマン二人の会話が耳に入った。


「昨日、駅裏で変な穴があったって話、見た?」


「ネットのやつ? どうせ加工だろ」


「でも動画もあったぞ。中に入ったやつが戻ってこなかったとか」


「はいはい、都市伝説ね」


蒼真は視線だけを動かした。


もう出始めている。


自分だけが見つけているわけではない。


当然だった。


あれだけ街中にダンジョンの痕跡があるのだ。誰かが見つけない方がおかしい。


ただ、その誰かが生きて戻れるかどうかは別の話だ。


スライムですら酸を飛ばした。


アクアフィッシュは噛みついてきた。


火蜥蜴は火球を吐いた。


普通の人間が、何も知らずに入れば危ない。


蒼真は軽く眉を寄せた。


正義感で胸が熱くなるわけではない。


だが、見つけた人間が全員無事に帰れるとも思えない。


面倒なことになりそうだ。


そう思った。


会社に着くと、空気はいつも通りだった。


始業前のざわつき。


パソコンの起動音。


コーヒーの匂い。


誰かが週末の愚痴を話している。


いつもなら何も感じない光景が、今日は妙に遠い。


自分の席に座り、パソコンを起動する。


未読メールが並ぶ。


週明けの確認事項。


先週残した修正。


会議資料。


蒼真は画面を見つめた。


そして、思った。


やっぱり、もう無理だ。


嫌だというより、もう興味が持てない。


好きなことならいくらでも動ける。昨日だって、体が痛くてもダンジョンに入った。魔法訓練もやめられなかった。


でも、この資料には一ミリも心が動かない。


今までは、それでも生活のためにやっていた。


だが今は違う。


たぶん、もう別の道がある。


「天城、ちょっといいか」


上司に声をかけられた。


蒼真は立ち上がる。


「はい」


小さな会議室へ入ると、上司は資料を手にしていた。


四十代半ばの、真面目な人だ。悪い人ではない。むしろ部下への当たりは柔らかい方だと思う。


だからこそ、少しだけ言いにくかった。


「先週の資料なんだけどな。ここ、今日中に直せるか?」


「できます」


「助かる。あと、今朝話があるって言ってたけど、何かあったか?」


来た。


蒼真は一度だけ息を吸った。


言葉は決めていた。


「退職したいと思っています」


上司の動きが止まった。


「……え?」


「退職したいです」


「急だな。何かあったのか?」


「一身上の都合です」


便利な言葉だった。


何も説明していないのに、説明した雰囲気だけは出る。


上司は困ったように眉を下げた。


「いや、まあ、一身上の都合と言われるとそうなんだが……本当に急だな。転職先が決まったとかか?」


「いえ」


「決まってないのか?」


「はい」


「それで辞めるのか?」


「はい」


沈黙。


上司は、本気で心配している顔をした。


「天城、何かトラブルに巻き込まれてるわけじゃないよな?」


ある意味では巻き込まれている。


だが、本人はかなり前向きに巻き込まれているので説明が難しい。


「大丈夫です」


「大丈夫に見えないんだが」


「本当に大丈夫です。やりたいことができたというか」


「やりたいこと?」


蒼真は少し迷った。


ダンジョン探索です。


そう言えば、だいぶ頭のおかしい人間に見える。


いや、数日後には社会全体が知ることになるかもしれない。だが少なくとも今、会社の会議室で言うことではない。


「まあ、個人的なことです」


「……そうか」


上司はしばらく黙った。


それから、深く息を吐いた。


「正直、今すぐは困る。引き継ぎはしてもらう必要がある」


「はい。それはやります」


「退職日は人事とも相談だな。最短でも今週中に引き継ぎ資料を作って、来週扱いになると思う」


「分かりました」


蒼真は素直に頷いた。


蒼真としては、今日辞められるならそれでもよかった。


だが、さすがに最低限の筋は通すつもりだった。


会社に思い入れはない。


でも、迷惑をかけたいわけではない。


「有休も残ってるだろ。そこも含めて調整する。今日中に退職願を出せるか?」


「出します」


「分かった。無理に引き止める気はないが、考え直したくなったら言ってくれ」


「ありがとうございます」


会議室を出る。


席に戻る途中、蒼真は少しだけ肩の力が抜けた。


言った。


もう戻らない方向に進み始めた。


席に戻り、パソコンに向かう。


資料を修正する。


引き継ぎ項目を洗い出す。


メールを整理する。


やることはある。


ただ、気持ちは軽かった。


終わりが見えている仕事は、少しだけ楽だった。


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