第34話 第二階層決定
その日の帰り道、蒼真はあまり喋らなかった。隣を歩く白瀬結依も、無理に話しかけてはこない。第三管理ダンジョンの外は、もうすっかり夕方だった。管理施設の明かり。警備員の声。探索者たちのざわめき。それらはいつも通りのようで、どこか落ち着かなかった。
ダンジョン内で探索者が探索者を襲う。その事実が、蒼真の中に妙に残っていた。魔物に襲われるなら分かる。罠にかかるなら分かる。ダンジョンの環境にやられるなら分かる。だが、人間は違う。狙ってくる。考えてくる。こちらの隙を見る。守るものがあれば、そこを突いてくる。
「蒼真」
結依に呼ばれて、蒼真は顔を上げた。
「ん?」
「顔、怖いよ」
「ああ、悪い」
「今日のこと?」
「まあな」
蒼真は短く答えた。結依は少しだけ視線を落とす。
「ああいうこと、増えるのかな」
「増えるだろうな」
蒼真は即答した。言ってから、少し苦い気分になる。けれど、綺麗ごとは言えなかった。
魔石は金になる。ダンジョン産の武器や防具は、ものによっては億単位で動く。スキル玉が出れば人生が変わる。そんな場所で、外から中の様子は見えない。帰ってこなければ、事故死として処理されることもある。悪意を持つ人間にとって、都合が良すぎた。
「気をつけろよ、結依も」
「うん。蒼真もね」
「ああ」
結依は少し迷ってから言った。
「一人で潜るの、危ないよ」
蒼真は返事に詰まった。それは今日、自分でも思ったことだった。深緑の獣道。戦えたし、勝てた。多分、時間をかければ踏破もできたけれど、もどかしかった。
森の中で、視界も足場も悪く、敵は隠れ、毒花は花粉を吐き、獣は横から飛びかかってくる。一人では手が足りない。そして、もしあの森で探索者に襲われたら。蒼真は、今の自分がどれだけ動けるのか分からなかった。
「考えとく」
蒼真がそう言うと、結依は少しだけ笑った。
「それ、ちゃんと考える時の返事?」
「たぶん」
「たぶんかあ」
結依は呆れたように笑う。そこで二人は別れた。蒼真は家に戻ると、すぐにクローゼットの前に立った。プライベートダンジョン。今までは、魔力無限の部屋が中心だった。魔法を撃って魔力を動かして、属性を切り替える。その訓練には、これ以上ないほど便利な場所だった。だが、今必要なのはそれだけではない。人間相手や複数敵。足場の悪い地形、視界の悪い環境。蒼真は、第二階層の扉の前に立った。
まだ、何の部屋にするか決めきれずに保留していた。一度設定すると変えられない。だから慎重に考えていた。けれど、今はもう迷わなかった。
「武術の部屋だな」
そう口にした瞬間、扉が淡く光った。視界に文字が浮かぶ。
【第二階層の設定を行います】
【設定候補を選択してください】
候補はいくつもあった。
鍛冶。
治療。
研究。
保管。
訓練。
その中で蒼真は、ひとつを選ぶ。
【武練の間】
【武術、近接戦闘、戦闘判断の訓練に特化した空間】
【基本訓練影の再現が可能】
【実戦的な地形、敵数、敵強度、特殊状況の再現には魔石を消費します】
蒼真は少しだけ笑った。
「今の俺に必要なやつだ」
確定する。第二階層の扉が開いた。中は、広い灰色の空間だった。第一階層の魔力無限部屋とは空気が違う。床は硬く、壁は遠く、天井は高い。中央に立つと、空間全体が静かに反応した。
【武練の間が設定されました】
【基本訓練影を生成できます】
蒼真は剣を抜いた。
「まずは、人型」
目の前に、人の形をした影が現れる。顔はない。装備も簡素。木剣のようなものを持っている。蒼真は息を吐く。
「開始」
影が踏み込んだ。速くはない。だが、まっすぐ来る。蒼真は剣で受ける。受けた瞬間、腕に衝撃が走った。痛い。だが、傷は残らない。そういう設定なのだろう。
「なるほど、甘くないな」
蒼真は笑った。そこから数日、蒼真の生活はさらに単純になった。ダンジョンに潜る。魔石を売る。必要な分を残す。武練の間で訓練する。また潜る。
低級ダンジョンにもかなり入った。目的は魔石だけではない。使えるスキルを拾うためだった。戦闘補助。耐性。探索補助。投擲。跳躍。弱点看破。低級ダンジョンでも、テーマが合えば役に立つものは出る。もちろん、スキル玉は滅多に出ない。一般探索者なら、一つ拾うだけで大騒ぎになる。だが、蒼真は違う。
報酬増加。
幸運招来。
巡りの利。
そして、そもそもの踏破数。
異常な数のダンジョンを回ることで、普通なら出会わないものに出会っていく。特に武練の間ができてからは、低ランク魔石の使い道が増えた。森の地形、暗い通路、ぬかるみ、段差、複数の訓練影、逃げる敵。そういう状況を再現するたびに、魔石が消える。最初はもったいないと思ったが、すぐに考えを改めた。
命より安い。
魔石を使って、失敗できるなら安い。武練の間で、蒼真は何度も負けた。
【強制終了します】
「くっそ……勝てない……」
負けが続くと魔力無限部屋に行く。八つ当たりのように魔法を撃ち続けた。
「《火弾》《火弾》《火弾》《火弾》《火弾》《火弾》《火弾》《火弾》」
蒼真は火属性の修練度が上がった。
数日後。
蒼真は、いつものようにダンジョン課の買取所へ魔石を持ち込んだ。窓口の職員は、最近もう驚かなくなってきた。いや、驚いてはいる。ただ、表情に出さない訓練をしているだけだ。
「天城さん、本日も低ランク魔石ですか?」
「はい。FとEをまとめて」
「承知しました」
ケースが一つ。
二つ。
三つ。
魔石が積み上がる。隣の探索者が見ている。蒼真は見ないふりをする。査定が終わるまでの間、奥から三崎澪が出てきた。
「天城さん」
「こんにちは」
「こんにちは。今日はこの後、探索ですか?」
「はい」
「どちらへ?」
蒼真は少しだけ迷った。言うべきか。言わないべきか。陽翠の声が頭の中で蘇る。言いすぎない。でも、これは管理情報にも関わる。
「未踏破のD級を見つけました」
三崎の表情が、ぴたりと止まった。
「未踏破のD級」
「はい」
「管理下ですか?」
「いえ。野良です」
三崎は額に手を当てた。
「天城さん」
「危なそうなら戻ります」
「先に言うということは、言われる自覚があるんですね」
「あります」
「なら、言わせてください。単独でのD級未踏破探索は推奨できません」
「ですよね」
「ですよね、ではなく」
三崎は言葉を切り、少しだけ声を落とした。
「最近、探索者同士のトラブルが増えています。管理外ダンジョンでは、救助も監視も間に合いません」
「分かってます」
「本当に?」
「前よりは」
三崎はしばらく蒼真を見た。その目には、困惑と心配が混じっていた。蒼真は肩をすくめる。
「準備はしてます。無理はしません。危険なら戻ります」
「その言葉、記録しておきたいくらいです」
「守りますよ」
「では、戻ったら報告してください」
「分かりました」
三崎は小さく息を吐いた。
「それと、天城さん」
「はい」
「人を相手にする可能性も、考えてください」
蒼真は一瞬黙った。
「はい」
その返事だけは、軽くならなかった。買取所を出た蒼真は、装備を確認した。体には茶色のEランク皮鎧セット。
胸部、篭手、脛、腰。
現環境では最高峰の装備だ。
腰にはDランク剣。盾、短剣、戦槌、消耗品はアイテムボックスの中。必要なものは揃っている。問題は、心の方だった。人を相手にする可能性。その言葉が、妙に重い。それでも蒼真は歩いた。
未踏破D級ダンジョンは、廃ビルの地下にあった。人気の少ない区域。工事が止まったまま放置された建物。その地下階段の奥に、黒い入口が揺れている。
《真鑑定》
【ダンジョン名 崩れた石門の廃砦】
【ランク D】
【階層 三階層】
【テーマ 廃砦】
【状態 未踏破】
「D級、三階層、廃砦」
蒼真は小さく息を吐いた。いけるか分からない。D級ダンジョンは初めてじゃない。それでも、前回の森のように、自分の力が通用しない可能性はある。
「無理なら戻る」
そう自分に言い聞かせ、蒼真は黒い入口をくぐった。中は、崩れかけた石造りの砦だった。天井は高く、壁にはひびが入り、床には瓦礫が散らばっている。空気は乾いているのに、どこか鉄臭い。
一階層で出た魔物は、鎧を着た骸骨だった。錆びた剣を持ち、ぎこちない動きで近づいてくる。
《真鑑定》
【ラスティスケルトン】
【ランク D】
【斬撃耐性 小】
「やっぱり、初手はDランクか」
剣を抜く。骸骨が踏み込む。蒼真は初撃を剣で受ける。続く横薙ぎに合わせ、アイテムボックスから盾を取り出した。何度か切り合う。
「《スラッシュ》」
剣術の基本武技。振るった斬撃の威力が増す。蒼真の剣が骨の身体に当たる。硬い。FやEとは明らかに違う。骸骨の攻撃は、一撃が重い。
だが、対応できないほどではない。
斬撃耐性があるなら、打撃。蒼真は一度距離を取り、アイテムボックスから戦槌を取り出す。骸骨の剣を盾で流し、戦槌を肋骨へ叩き込む。
鈍い音。
骨が砕け、魔物が崩れた。霧散し、魔石が残る。
「よし」
一階層は慎重に進んだ。瓦礫の陰から弓を撃つスケルトン。崩れた壁の裏に潜む盾持ち。足元に仕込まれた落とし穴。魔物も罠も、低ランクとは一段違う。だが、武練の間で地形込みの訓練をしていたおかげで、焦らずに処理できた。二階層への階段を見つける頃には、軽く汗をかいていた。
「D級、ちゃんとしてるな」
蒼真はそんな感想を漏らしながら、階段を下りた。




