第15話 三崎澪
電話越しの女の声は、落ち着いていた。
丁寧で、柔らかい。
だが、内容はまったく柔らかくなかった。
「本日、黒い入口付近で起きた事案について、お話を伺いたくご連絡しました」
天城蒼真は、数秒黙った。
目の前では、妹の陽翠が額を押さえている。
その顔には、ほら見たことか、と書いてあった。
蒼真は軽く息を吐く。
「どこで俺の番号を?」
「救助された方が、あなたの特徴を警察へ伝えています。その後、周辺防犯カメラの確認と、関連する通報情報から照会が行われました」
「早いですね」
「現在、黒い入口に関する事案は優先度が高く設定されていますので」
三崎澪。
空間異常関連の臨時対応窓口。
まだ正式な部署ではないのだろう。
だが、国側がすでに動いていることは分かった。
蒼真は椅子に座り直した。
「話を聞きたいって、今からですか?」
「可能であれば、明日以降に直接お時間をいただきたいと考えています。ただ、本日は確認だけでもと思いまして」
「確認?」
「黒い入口の内部に入ったことがあるかどうかです」
陽翠が無言で首を横に振る。
言うな。
そういう顔だった。
蒼真は少しだけ考えた。
完全に否定するのは無理がある。
救助した二人がいる。
動画もあるかもしれない。
自分が中に入ったことは、もう隠しきれない。
ただし、どこまで入ったか。
何を持っているか。
何ができるか。
そこは別だ。
「今日の場所には入りました」
「本日以外には?」
「それは、直接話す時に」
電話の向こうで、ほんの少し間が空いた。
「分かりました。では明日、可能なお時間はありますか?」
蒼真は陽翠を見た。
陽翠は小声で言う。
「一人で行かないで」
蒼真は少し笑いそうになった。
妹に付き添われる二十五歳。
だが、状況が状況だ。
「明日は仕事があります。夜なら少し」
「承知しました。場所はこちらで指定させていただいても?」
「人目がある場所なら」
「もちろんです。最寄りの臨時相談窓口をご案内します」
その後、三崎は時間と場所を伝えた。
声は終始丁寧だった。
威圧もない。
だが、蒼真はなんとなく分かった。
これはただの確認電話ではない。
国側は、黒い入口に入って戻ってきた人間を探している。
その中で、さらに他人を救助して戻った自分は、かなり目立つ。
通話を終えると、部屋の中に沈黙が落ちた。
陽翠が蒼真を見る。
「兄さん」
「はい」
「明日、私も行く」
「仕事は?」
「調整する」
「大丈夫なのか?」
「兄さんを一人で行かせるより大丈夫」
蒼真は反論しようとして、やめた。
たぶん、言っても無駄だ。
陽翠はそういう顔をしていた。
「分かった」
「あと、明日は余計なことを言わないで」
「どの辺が余計?」
「ほぼ全部」
「厳しいな」
「兄さんが緩すぎるの」
陽翠は疲れたようにため息をついた。
それから、クローゼットの奥にある白い入口を見る。
「本当に、こんなのが部屋にあるんだ」
「便利だぞ」
「便利で済ませていいものじゃない」
「魔法の練習できる」
「だから便利で済ませないで」
蒼真は笑った。
陽翠は笑わなかった。
しばらくして、陽翠は帰った。
帰り際に何度も念を押された。
明日まで変なことはしない。
新しい入口を見つけても入らない。
三崎澪に話しすぎない。
危ないと思ったら連絡する。
蒼真は全部に頷いた。
頷きはした。
守れるかどうかは、別だった。
翌日。
木曜の朝。
蒼真はいつも通り会社へ向かった。
退職手続きはほとんど進んでいる。
来週末で出社は最後。
そのせいか、会社にいる時間が妙に現実離れしていた。
同僚たちは黒い入口の話で持ちきりだった。
ニュースでは、政府が専門部署の設立を検討していると報じていた。
警察と消防だけでは対応しきれず、自衛隊の協力も視野に入っているらしい。
蒼真はそれを横目に、引き継ぎ資料を仕上げた。
午前中には後任への説明を終え、午後には細かい質問に答えた。
仕事としては、もうほとんど片づいている。
夕方。
退勤時間になると、蒼真は陽翠と駅前で合流した。
陽翠は仕事用のバッグを持ったまま、少し険しい顔をしていた。
「本当に何もしてない?」
「今日は会社にいただけ」
「帰り道で入口見つけたら?」
「まだ見つけてない」
「まだ?」
「言葉の綾」
陽翠は疑わしそうに見た。
二人で三崎が指定した臨時相談窓口へ向かう。
場所は、駅近くの公共施設の一室だった。
入口には警備員が立っていて、黒い入口に関する相談窓口という紙が貼られている。
中に入ると、数人の職員が慌ただしく動いていた。
壁には地図が貼られ、赤い印がいくつも付けられている。
ダンジョンの発生場所だろう。
蒼真はそれを一瞬で見た。
真鑑定。
【記録情報】
【複数のダンジョン入口推定地点】
【詳細不明】
地図越しでも、うっすら情報が拾える。
やはり真鑑定はおかしい。
「天城蒼真さんですね」
声をかけてきたのは、二十代半ばほどの女性だった。
肩口で揃えた髪。
落ち着いた目。
疲れは見えるが、表情は柔らかい。
「三崎澪です。お時間をいただきありがとうございます」
「天城です」
「こちらは?」
「妹です」
陽翠が軽く頭を下げる。
「天城陽翠です。兄の付き添いで来ました」
三崎は一瞬だけ陽翠を見る。
その目に、何かを確認するような色があった。
陽翠もそれに気づいたようだが、何も言わなかった。
案内された小部屋で、蒼真は話をした。
ただし、話したのは一部だけだった。
黒い入口に入ったこと。
中に魔物がいたこと。
ステータスのようなものが表示されたこと。
魔物を倒すとレベルが上がること。
スキルらしきものがあること。
救助した二人は、偶然見つけたから助けたこと。
プライベートダンジョンは言わない。
真鑑定の詳細も言わない。
ユニークスキルの数も言わない。
魔法についても、最低限しか言わない。
三崎は慎重にメモを取りながら聞いていた。
「魔物を倒すことで、身体能力が向上した感覚があるのですね」
「あります」
「魔法のような現象も確認したと」
「はい」
「それは、誰でも使えるものなのでしょうか」
「分かりません」
嘘ではない。
蒼真は魔本で覚えた。
だが、誰でも同じように覚えられるかは分からない。
三崎は深く頷いた。
「現時点で、黒い入口内部から生還された方の証言はかなり少ないです。その中でも、魔物の討伐経験がある方はさらに限られています」
「そうなんですか」
「はい。多くは入口付近で引き返すか、負傷して救助されています」
陽翠が横で蒼真を見る。
だから無茶するな。
顔だけでそう言っていた。
三崎は続ける。
「今後、国として探索者制度のようなものを整備する可能性があります。ただ、まだ何も決まっていません。現時点では、黒い入口には近づかないようお願いしています」
蒼真は曖昧に頷いた。
三崎の目が少しだけ細くなる。
「お願いしています」
「はい」
「天城さん」
「はい」
「入りますよね?」
陽翠が横で頭を抱えた。
蒼真は少しだけ笑った。
「見つけたら、まあ」
「兄さん」
「分かってる。なるべく無茶はしない」
三崎は困ったように笑った。
「正直に言っていただけるのは助かります。ただ、現状では法整備も救助体制もありません。ご自身の判断で入られる場合、命の保証はできません」
「それは分かってます」
「もし内部で得た物品や、魔石のようなものがあれば、今後こちらで分析協力をお願いする可能性があります」
「考えておきます」
「ありがとうございます」
会話は一時間ほどで終わった。
三崎は最後に、連絡先を渡した。
「何か分かったことがあれば、こちらへ。もちろん無理にとは言いません」
陽翠がすぐに言う。
「兄には私からも言っておきます」
「ありがとうございます」
三崎は少しほっとしたように笑った。
外へ出ると、空はもう暗かった。
陽翠は隣を歩きながら、ため息をついた。
「兄さん、やっぱり危なっかしい」
「ちゃんと隠しただろ」
「隠し方が下手」
「そうか?」
「真鑑定とかプライベートダンジョンを言わなかったのは偉い。でも、入る気満々なのは隠せてない」
「そこは隠しても仕方ない」
「仕方ある」
陽翠は呆れたように言った。
駅前で別れる前、陽翠は蒼真の腕を軽く掴んだ。
「本当に、何かあったら連絡して」
「分かった」
「あと、今日はもう帰って休むこと」
「分かった」
「本当に?」
「本当に」
陽翠はしばらく疑っていたが、やがて手を離した。
「じゃあね」
「おう」
陽翠と別れ、蒼真は家へ向かって歩き出した。
今日は帰る。
そう決めていた。
三崎との面談で疲れた。
陽翠にも釘を刺された。
体もまだ完全ではない。
今日は帰る。
プライベートダンジョンで軽く魔法の確認だけして、寝る。
そう思っていた。
思っていたのだが。
自宅近くの商店街を抜ける途中、蒼真は足を止めた。
シャッターの閉じたクリーニング店。
その横に、白っぽい光を帯びた小さな入口があった。
黒い入口ではない。
淡い乳白色。
今まで見たダンジョンの入口とは、雰囲気が違う。
危険な感じが薄い。
むしろ、妙に生活感がある。
蒼真は黙ってそれを見た。
真鑑定。
【ダンジョン名 暮らしの小部屋】
【ランク 特殊】
【階層 一階層】
【テーマ 生活魔法チュートリアル】
【状態 未踏破】
蒼真は数秒、動かなかった。
それから、口元が緩む。
「生活魔法」
昨日まで探していたものとは違う。
火力ではない。
武器でもない。
耐性でもない。
だが、これはかなり欲しい。
生活魔法。
点火や洗浄や乾燥のような、日常で使える魔法。
もし覚えられるなら、探索にも普段の生活にも使える。
クリーニング店の横に出ているのも、妙に納得感があった。
蒼真はスマホを見る。
陽翠からのメッセージが来ている。
「ちゃんと帰ってる?」
蒼真は入口を見た。
返信を打つ。
「帰ってる途中」
嘘ではない。
本当に帰っている途中だ。
その途中で、生活魔法のチュートリアルダンジョンを見つけただけだ。
「……チュートリアルなら、安全だよな」
かなり都合のいい判断だった。
真鑑定でさらに見る。
【推定危険度 低】
【戦闘要素 無】
【踏破条件 生活魔法課題の達成】
「ほら、安全」
誰に言い訳するでもなく言って、蒼真は入口へ足を踏み入れた。




