第14話 もっと秘密にしな?
大通りに出て、蒼真はスマホを見る。
七時十五分。
思ったより早かった。ただ、服は少し汚れた。汗もかいた。
陽翠が来るまでに帰って、風呂に入って、部屋を片づける。
ギリギリだ。
「今日は休むって言ったのにな」
自分で呆れながらも、後悔はなかった。
家に帰る途中、蒼真は考えていた。
誰かが入る。
誰かが死にかける。
今後、こういうことは増える。
自分が全部助ける義理はない。
そんな力もない。
だが、目の前で起きたら動いてしまう。
自分はそういう人間らしい。
正義の味方ではない。
世界を救いたいわけでもない。
でも、見つけたら入る。
人がいたら助ける。
そのくらいの道徳心はある。
家に着くと、陽翠からメッセージが来ていた。
「あと十五分くらいで着く」
「了解」
蒼真は急いで風呂に入り、部屋を片づけた。
床に散らばっていた魔石を箱に詰める。
素材はクローゼットの奥へ。戦槌はベッドの下へ。アルカナは袖で隠す。
プライベートダンジョンの入口は、服で隠した。
隠せているかは怪しい。
片づけ終わった直後、インターホンが鳴った。
蒼真は息を整え、玄関へ向かう。
ドアを開けると、妹の天城陽翠が立っていた。薄いベージュのコートに、肩にかけたバッグ。
仕事帰りなのか、少し疲れた顔をしている。だが、目は鋭い。
「兄さん」
「おう」
陽翠は蒼真を上から下まで見た。そして、眉を寄せる。
「なんでお風呂上がりみたいな顔してるの」
「風呂入ったから」
「なんでこの時間に」
「汗かいた」
「何で?」
「人生」
「ふざけないで」
蒼真は少し笑った。陽翠はため息をつき、部屋へ上がる。玄関で靴を揃えながら、低い声で言った。
「今日、仕事で黒い入口の話が回ってきた」
蒼真は黙っていた。
「まだ正式な名称も決まってない。空間異常とか、未知領域とか、色々言われてる。でも中に入った人がいて、戻ってきた人もいる」
陽翠は部屋の中央で振り返った。
「兄さん、入ったでしょ」
蒼真は答えなかった。
答えないことが答えだった。
陽翠は額に手を当てた。
「最悪」
「まだ何も言ってない」
「言わなくても分かる。仕事辞める。帰りが遅い。何か隠してる。黒い入口が全国で問題になってる。兄さんはそういうの見つけたら絶対入る」
かなり正確だった。
蒼真は少しだけ感心した。
「よく分かってるな」
「兄妹だからね」
陽翠はそう言ってから、表情を引き締めた。
「何があったのか、話して」
蒼真はクローゼットの方をちらりと見た。
全部話すか。
一部だけ話すか。
迷った。
だが、陽翠の目を見て、すぐに諦めた。
中途半端に誤魔化しても、どうせ追及される。
それに、陽翠は国側の人間だ。
いずれ関わる。
なら、早い方がいい。
「分かった」
蒼真は椅子に座り、陽翠にも座るよう促した。
そして話し始めた。
金曜の夜、残業帰りに商店街で黒い入口を見つけたこと。
覗き込んで落ちたこと。
ステータスを得たこと。
スライムを倒したこと。
称号とユニークスキル。
ダンジョン踏破。
真鑑定。
プライベートダンジョン。
土日で複数のダンジョンを見つけ、魔法を覚えたこと。
陽翠は途中で何度も口を挟みかけた。
だが、最後まで聞いた。
聞き終えた時、彼女の顔はかなり険しかった。
「兄さん」
「はい」
「もっと秘密にしな?」
蒼真は一瞬、黙った。
それから、思わず笑った。
「第一声それか」
「当たり前でしょ。何でそんな話を一気にするの。私が妹じゃなかったらどうするの」
「妹だから話した」
「そういう問題じゃない」
陽翠は頭を抱えた。
「ステータス、称号、ユニークスキル、真鑑定、魔法、プライベートダンジョン。どれか一つでも大問題なのに、全部持ってるって何」
「俺もおかしいとは思ってる」
「思ってるだけじゃ足りない」
陽翠は深く息を吐いた。
その顔は、妹というより仕事中の顔だった。
「兄さん。この話、絶対に外でしないで。特にプライベートダンジョンと真鑑定は駄目。国に知られたら、たぶん普通の協力要請じゃ済まない」
「やっぱり?」
「やっぱりじゃない。分かってるなら言わないで」
「陽翠には話した」
「私は家族だから」
「信じてるし」
陽翠は言葉に詰まった。
怒っている顔のまま、少しだけ目を逸らす。
「……そういうの、ずるい」
蒼真は笑った。
陽翠はすぐに睨み返してきた。
「笑い事じゃないから」
「分かってる」
「分かってない顔してる」
「たぶん半分くらいは」
「半分じゃ駄目」
陽翠は立ち上がり、部屋の中を見回した。
そして、クローゼットで視線が止まる。
「そこ?」
鋭すぎる。
蒼真は諦めて、クローゼットを開けた。
服の奥。
白い入口。
陽翠が息を呑む。
仕事で情報を見ていても、自分の兄の部屋にそれがあるのは別の話なのだろう。
「これが、プライベートダンジョン」
「そう」
「本当に兄さん専用?」
「真鑑定ではそう出てる。許可しないと入れないらしい」
陽翠はしばらく入口を見つめていた。
それから、小さく呟く。
「こんなの、国に知られたら絶対面倒になる」
「だよな」
「だよなじゃない」
陽翠は振り返った。
「私も黙ってる。でも、条件がある」
「条件?」
「危ないことをする前に、最低限連絡して。全部じゃなくていい。でも、何日も連絡が取れないとかはやめて」
「分かった」
「あと、無茶しすぎない」
「それは内容による」
「そこは分かったって言うところ」
蒼真は少し考えた。
「努力する」
陽翠は長い息を吐いた。
「駄目だ、この兄」
それでも、彼女は帰ろうとはしなかった。
蒼真の部屋の奥にある白い入口を見つめ、何かを考えている。
その横顔を見て、蒼真は少しだけ申し訳なくなった。
自分は楽しいから潜っている。
だが、その結果、陽翠を巻き込んでいる。
「悪いな」
蒼真が言うと、陽翠は目を瞬かせた。
「何が?」
「面倒なこと話して」
陽翠は少しだけ表情を緩めた。
「兄さんが黙って危ないことする方が嫌」
それから、すぐに真面目な顔に戻る。
「ただし、私に話したからって他の人にもすぐ話していいわけじゃないからね」
「分かってる」
「本当に?」
「たぶん」
「本当に?」
「分かってる」
陽翠はようやく少しだけ頷いた。
その時、蒼真のスマホが震えた。
画面には、知らない番号。
陽翠の表情が変わる。
「出ないで」
「なんで」
「このタイミングの知らない番号、嫌な予感しかしない」
蒼真はスマホを見た。
確かに、嫌な予感はする。
だが、同時に気になる。
知らない番号。
ダンジョンが全国的に騒がれ始めた日。
自分は今日、動画撮影目的で入った二人を助けた。
警察に連絡しろと言った。
そのどこかから繋がった可能性もある。
蒼真は通話ボタンに指を置いた。
陽翠が睨む。
「兄さん」
「出るだけ」
「その言葉、絶対信用できない」
蒼真は苦笑しながら、電話に出た。
「はい」
数秒の沈黙。
それから、落ち着いた女性の声が聞こえた。
「天城蒼真さんのお電話で間違いありませんか」
蒼真は陽翠を見た。
陽翠の顔が、明らかに嫌そうになる。
「そうです」
電話の向こうの声は、丁寧に続けた。
「突然のご連絡失礼いたします。私は三崎澪と申します。現在、空間異常関連の臨時対応窓口で受付を担当しております」
蒼真は黙った。
陽翠が額を押さえる。
三崎澪。
その名前を、蒼真はまだ知らない。
けれど、これがただの間違い電話ではないことだけは分かった。
「本日、黒い入口付近で起きた事案について、お話を伺いたくご連絡しました」
部屋の中が静かになる。
蒼真はクローゼットの白い入口を見た。
それから、腕の魔環アルカナを袖越しに押さえた。
普通の生活から外れる音が、また一つ聞こえた気がした。




