1-21
ドッ!
巨大な瓦礫の直撃を受け、ケイは地面に倒れ伏した。左脇腹に走る激痛が、全身を駆け巡る。
息が詰まり、肺が燃えるように熱い。視界はぼやけ、砂嵐のように霞んでいる。体中の空気が抜けたかのような衝撃だ。
泥と血にまみれたスレイの弟の騎士剣が、手から滑り落ちそうになる。指先に力が入らない。
意識が遠のきかける。
「ヴァアアアアアッ!」
傷ついたゴブリンキングが、勝利を確信したかのような咆哮を上げながら、ゆっくりとケイに迫ってくる。
その巨大な影が、ケイの視界を覆い隠そうとしていた。ずっしりとした足音が、地面を揺らす。死の気配が、すぐそこまで迫っている。
(終わるのか……? こんなところで……?)
隊長とパトリックは、この先のどこかで、助けを待っている。彼らを助けに来たのに、ここで倒れるわけにはいかない。
痛みに耐えながら、ケイは震える指先を動かす。手から滑り落ちかけたスレイの弟の騎士剣に、泥まみれの指を這わせる。
全身の筋肉が悲鳴を上げているが、剣を離すわけにはいかない。これは、スレイが弟の形見として託してくれた、大切な剣だ。
ギリッ、と歯を食いしばり、震える手で剣の柄を握り直して、泥の中から引き抜いた。
脇腹の激痛が走り、全身に痛みが走るが、それに構わず、重い剣を、泥の中で体勢を立て直し、ボスの巨大な姿を見上げて構える。
ボスが、瓦礫の枝を振りかざし、ケイ目掛けて振り下ろしてきた。
ケイは、痛む体に鞭打ち、間一髪でボスの攻撃を避ける。
泥濘の中を転がり、ボスの足元から離れる。鈍重なボスの動きと、ケイの素早さ。それが、唯一の有利な点だ。この広い空間を使い、ボスの攻撃範囲外へ逃れる。
ボスの攻撃をかわしながら、失われた目と腕がある方向へと回り込む。ボスの死角。そこから、スレイから託された騎士剣で、ボスの体、特に傷ついた箇所、すなわち、切れた腕の根元に向けて剣を振るった。
(かさぶたになっている部分なら、少しはダメージになるだろう)
「はああっ」
剣が、ゴブリンキングの硬い皮膚に食い込む。しかし、その体は硬い。しっかりと踏ん張って構えられた訳ではないことも相まって、浅い傷しか与えられない。
緑色の体液がわずかに噴き出すが、ゴブリンキングの巨体に比べれば取るに足らない傷だ。
「浅いっ!」
「ヴァアアアアッ!」
ゴブリンキング自身も弱点となっている部分は認識しているのだろう。叫びながら、回し蹴りでケイの横腹を打ち据えようとしてくる。
ケイは蹴りを受け止めずに、大きく下がることで回避する。
ゴブリンキングは、ケイが下がることで間合いを確保し、手に持つ巨大な枝で追撃を仕掛けてきた。
(強いっ)
ゴブリンキングは、圧倒的な膂力と種族による体力の差でケイを追い詰めていく。戦い始めて数分。
ケイはゴブリンキングを単なる魔物ではなく、武人ないしは、策を弄してくる相手であると脳内で修正を行なっていた。
振り下ろし。
刺突。
そして、突進。
シンプルだがその巨体から出される「技」は想像を遥かに超えた圧力をケイに与えていた。ケイは重くなりつつある体を無理やり動かし、ゴブリンキングからの致命傷を回避する。
すれ違うタイミングで、ケイは傷を負わせようとするが、失われた腕の方に近づくことは、できなかった。
反撃しているとはいえ、ゴブリンキングに有効なダメージを与えられていないにも関わらず、ケイはゴブリンキングからの攻撃は、全て致命的であり、受け止めることさえできない現実に焦りを感じていた。
(もう少し……もう少し、傷を……!)
ケイは騎士剣の魔法回路に、少なくなりつつある魔力を流し込む。
(「宿木」はまだ見せていない……)
少ないとは言え、見せていない手札を持っていることは、ケイの心の支えになっていた。追い詰められながらも、反抗の目をゴブリンキングに見せていた。
『生成』
三度、ゴブリンキングの攻撃をかわし、隙を見て接近する。騎士剣でゴブリンキングの脇腹を切りつけると同時に、新たに刃を生やす。
剣閃が走った。
(これでどうだ)
リザードマンと戦った時のように、傷を負わせることができただろう。そう思って振り返ったケイの眼前にはゴブリンキングの巨木が迫っていた。
「なっ」
ドカッ
頭への強い衝撃と共に、ぐらりと世界が歪む。世界は白く染まり、何も考えることができない。
地面の方向がわからなくなり、視界が急に大きく傾く。
(あれ)
足に力を入れようとしても力が入らない。
◇◇◇
思考が戻ってきた時に、目の前は土と泥が広がり、大きな砂利が口の中に入っている感触を最初に感じた。
頭はズキズキと痛み、全身に激しい痛みが走っている。
(ここ は どこ だ。)
(いま なに を している?)
(右手に 剣のつかが ある。)
思考の空白に情報が滝のように流れるのをケイは瞼の奥に感じた。加速する思考の奥で、戦闘中だったことを思い出す。1秒が1分にも感じられた。
(っ追撃が来る!!)
ケイはまだ、起動しきっていない体を強引に動かし、うつ伏せから仰向けに変わるように、手で地面を強く押した。
筋肉痛とは異なる強い痛みがケイの全身を襲った。しかし、それだけで済んだことを喜ぶべきだっただろう。その横に頭を破壊すべく、太い枝が振り下ろされていたのだから。
脳震盪から回復したケイは、左手で頭を抱えつつ、起き上がった。ゴブリンキングの顔に油断の色はない。直前の記憶を少しずつ取り戻してきた。
(「宿木」は)
剣を見ると、「宿木」で生成した刃は簡単に折れており、ゴブリンキングの表皮に対して全く歯が立っていないことがわかった。
確かに予想外の追加ダメージはあったのだろう。静かにゴブリンキングの様子を観察すると、先ほどの記憶にはない二筋の傷跡から、ダラダラと緑色の血が流れているのが見える。
ゴブリンキングは周囲に目を配らせながら、ケイと対峙している。
(隊長やパトリックを警戒しているのか)
今更ながら、ゴブリンキングは周囲を警戒しながら、片手間にケイの相手をしていたことに気づかされた。
「ふんっ」
ゴブリンキングは面白くなさそうに鼻をならし、ケイを捻り潰すために、武器を構えた。巨大な枝が唸りを上げて空を切り裂く。雑な大ぶりの攻撃。しかし、その範囲と威力は脅威だ。
「ッ!」
ケイは、身を低くし、瓦礫の枝の薙ぎ払いを避ける。ゴブリンキングの足はすぐに動き出せるように、踵が挙げられている。
(潜り込んでも、足技が来る。)
ケイは倒れ込んだ勢いで、懐に入るのを諦めて、距離の維持に努める。開きすぎると今度は、投擲がくる。八方塞がりであった。
(どうする。)
当たれば必殺の一撃を避けながら、ひたすらケイは考え続ける。相手の枝はギリギリ避けられるが、踏み込むためには、足を警戒しなければならない。
(どうする。)
距離をとってもケイには攻撃手段がない。伸びる剣閃も、投擲する短剣も、射出する魔法もない。何かを準備するためには時間が必要で、その時間を取ろうとすれば、ゴブリンキングの投擲でやられる。
(どうする。)
距離を詰めても、その巨体からくる体術や突進を受け止める膂力はケイにはない。視覚となっている部分から攻撃した際も回し蹴りで迎撃されてしまった。
(どうする。)
巨木の振り下ろし。
ケイはステップを踏み、ゴブリンキングの目が失われている側に移動しようとするが、切り返しのように横薙ぎの一撃がケイの顔を撫でる。
風圧だけで、顔が引き攣る。
(隊長は?)
ケイよりも、ゴブリンキングの方が、それを警戒している。
(パトリックさんは?)
一撃を決める前に、反応されるだろう。
死神の鎌がゆっくりとケイの首を撫でているのがわかる。
地面が抉れ、瓦礫が跳ね上がる。ケイは、跳ね上がった瓦礫を避けながら、再びゴブリンキングの攻撃範囲外へ飛び退く。
ゴブリンキングは、傷ついた腕を庇うように体勢を立て直す。失われた腕と目の方向から、ケイが回り込もうとするのを警戒している。
ほんの少しの間を作ったケイは騎士剣の魔力回路に、魔力を流し込む。
(『生成』__いくぞ「宿木」)
ケイの魔力に警戒していた、ゴブリンキングだったが、一度見た技だと嘲笑っている。見た上で、騎士剣と異なり、宿木で生やした刃の脆さに気づいている。
「ああ、そうさ」
ケイは、途中から刃の生えた騎士剣を中段に構え、間合いを詰めた。何度やっても同じことだと、ゴブリンキングは容易くケイの剣を受けようとする。
ケイはあえて。巨大な枝に刃をぶっ刺した。
脆い刃が壊れる寸前、わずかに枝に「宿木」が食い込んだ。1点よりも2点、複数箇所にケイの魔力が枝に接したことで、よりケイの魔力を通しやすくなる。
『浸透』
”ぶるりっ”
ほんの一瞬だけだが、確かに巨木の枝は、ケイの魔力を通し、「浸透」の効果による振動を引き起こした。
微かな違和感だったが、枝を握りしめていたゴブリンキングにとっては、見過ごせない違和感だった。
ゴブリンキングから、ほんの一瞬力がゆるむ。欠けた宿木の刃が宙を舞う。ケイはゴブリンキングの武器を掻い潜り、その懐に入り込む。
狙うは、小さな胸の傷。
既に、ゴブリンキングは反応している。だが、その反応は間に合わない。
剣が肉を斬り裂き、緑色の体液が飛び散る。
「ヴァアアアアッ!」
ゴブリンキングは、苛立ちと苦痛に咆哮を上げ、再び瓦礫の枝を振り回す。今度は、体当たりも織り交ぜてくる。巨大な体が、地響きを立てて突進してくる。
「くっ!」
(浅かったか!!)
ケイは、体当たりを避けるため、地面を転がる。泥まみれになりながら、ゴブリンキングの突進をかわす。ゴブリンキングは、体当たりが外れると、バランスを崩しかけるが、その巨体で無理やり体勢を立て直す。
(やっと一撃……)
すでにケイの疲労はピークだった。
ケイは決定打を与えられなかったものの、ゴブリンキングはケイに対して警戒レベルを1段階上げたのか、先程までよりも慎重な姿勢を見せていた。膠着状態。しかし、このままでは、体力が尽きたケイが先に倒れるのは明らかだ。
行う攻撃も、大振りではなく小さく、鋭い攻撃を行なってくる。
「はあっはあっ」
それまでの豪快な戦い方と異なり、油断のない、いやらしい戦い方だ。明確にケイの体力を削る意図が透けて見える。
振り下ろし、横凪、踏み込みのフェイントからの、瓦礫の投擲。
袈裟斬り、足での泥の跳ね上げ、視覚を奪ってからの刺突。
泥濘の地面。津波によってできた、ぬかるんだ場所が多い。無論、戦場となっている空間にも、大きくぬかるんだ場所があった。
ゴブリンキングの攻撃をかわそうと、ケイが泥濘の上を移動したその時だった。
ずるっ――!
足が、泥に深く沈み込み、バランスを崩す。ケイがぬかるみに足を滑らせる。体勢が崩れ、無防備な姿を晒してしまう。
その瞬間、ゴブリンキングの歪んだ顔に、悪意に満ちた笑みが浮かんだ。裂けた口角が釣り上がり、濁った目が細められる。ゴブリンキングがニヤリと笑う。
(しまった……!)
ケイは、ゴブリンキングの笑みを見て、気づいた。このぬかるみ。ゴブリンキングは、最初からこの場所へケイを誘導しようとしていたのかもしれない。
足を滑らせ、体勢を崩したケイに、ゴブリンキングが巨大な瓦礫の枝を振りかざし、追撃を仕掛けてくる。
(避けられない――!)
しかし、訓練が、実戦経験が、そして生き残ろうとする本能が、ケイの体を動かした。
咄嗟の判断で地面を転がり、泥濘の中を滑るように移動する。ゴブリンキングの瓦礫の枝による一撃を、紙一重で回避する。
巨大な枝が、ケイの頭上を通過し、地面に突き刺さる。
ドォンッ!
地面が抉れ、泥と瓦礫が跳ね上がる。
回避したが、完全に危険を脱したわけではない。泥濘の中で体勢を崩したまま、立ち上がる時間はない。しかし、ケイが立ち上がる前に、ゴブリンキングは再び瓦礫の枝を引き抜き、ケイに向かって振り下ろす。地面に倒れたケイを、潰そうとするかのように。
逃げ場はない。ケイは、寝転がりながら、騎士剣を頭上に掲げ、受け止める体勢をとった。瓦礫の枝と剣がぶつかり合う。ガンッ! 凄まじい衝撃が、剣を通じて腕全体に伝わる。骨が軋むような音。
「くっ……!」
衝撃で手が痺れる。剣を握る力が弱まる。騎士剣が、手から滑り落ちそうになる。歯を食いしばり、必死に剣を押し返す。ボスの力が、ケイを押し潰そうとしてくる。
だが受け止めたことで、瓦礫の枝の勢いがわずかに殺され、それがケイの目の前で止まる。ゴブリンキングも、傷ついた体で無理な体勢から攻撃したためか、完璧な一撃ではなかった。
早鐘を撃つ心臓。荒い呼吸。痺れる手。目の前に迫る巨大な瓦礫の枝。ここで諦めるのか?
(まだだ……!)
痺れる手で騎士剣を手放して、ケイは、目の前に止まっているボスの瓦礫の枝を、両手で握りしめる。硬く、ごつごつとした枝の感触。
そして、体中の魔力を、両手に集中させる。
『浸透』
叫びと共に、魔力が枝へと流れ込んでいく。
硬質な樹皮が、まるで生き物のように、ドクリと脈打つ。
『浸透』
残りの全ての魔力をここに注ぎ込むべく、ケイは全力で枝を握りしめた。
どこかで、枝がしなるような音がする。
ゴブリンキングと目があった。その眼は今ケイだけを見ている。これから死ぬものに対する哀れみの目だろう。今ケイの手に騎士剣はない。
もうゴブリンキングとケイの間に、攻撃を阻むことができるものはない。
ほんの一瞬の視線の交差の後に、瓦礫の枝から、「ミシリ」という音がした。
ヴァキィンッ!
魔力を流し込まれた瓦礫の枝は、ついに耐えきれなくなり、内側から光を放ち、そして――途端に爆散した。
破裂すると共に、木の破片が四方八方に飛び散る。ゴブリンキングは、手の中で武器が爆散した衝撃に、バランスを崩す。
「ヴァアッ!?」
予想外の出来事に、ゴブリンキングは混乱の声を上げる。武器を失い、体制を大きく崩したその巨体が、泥濘の中に倒れる。驚きの中でも、ゴブリンキングはケイから目を離さない。
まるで、すぐにでも起き上がってケイを殺せると。
ああそうだ。
お前は俺を見すぎたんだ。
この一瞬を逃す人じゃない。
空を見上げた。そして、叫んだ。
「パトリックさん!」
その声に呼応するように、天空から一つの影が、矢のような速さで落下してきた。「ナイス!」という声が、空中で響く。
パトリックは、手にした騎士剣に全身の体重を乗せるかのように、倒れたゴブリンキングの首に、渾身の一撃を突き立てた。
グシャッ
肉の繊維を断つ鈍い音。パトリックの騎士剣が、ゴブリンキングの首を、気道を貫通する。
「こはっ」
貫かれた剣の先からダラダラと、緑の血が流れ落ちていく。ゴブリンキングは、剣を引き抜こうと、腕を動かしたが、その手は空をきりだらんと垂れ下がった。
体の傷を塞ぐための魔力も尽きたのだろうか、失った目や腕から絶え間なく血液が流れ始める。無論、ケイが傷つけた二筋の傷からも。
静かに時間だけが過ぎる。
ゴブリンキングは倒れずに、ケイを睨み続けている。
ケイもゴブリンキングを睨みつけている。
首を貫かれたにも関わらず、倒れずケイを見下ろしているのは、魔物として格下を見る事への意地だろうか。
仰向けに倒れたケイは、後ろに手をつき、倒れないように体を支えていた。
一人と一体は、最期の最後まで睨み合っていた。ゴブリンキングは事切れる寸前まで、ケイを見下した目で、睨みつけていた。
「ヴァァァァ」
地獄で覚えてろよ。
ゴブリンキングは、苦痛に満ちた短い声を最期に、ぴくりとも動かなくなった。完全に、息の根を止められたのだ。最期の言葉は、ケイに向けた呪詛だったに違いない。
ケイは死にゆく魔物の目を見続けた。
パトリックがゴブリンキングの首に突き立てた騎士剣を引き抜くと、ゴブリンキングの体はすぐに崩れて、地面に倒れ伏した。パトリックはそれを一瞥して、ケイの方に歩み寄った。
パトリックの顔には、いつもの軽薄な笑みではなく、真剣な光が宿っている。
泥まみれになり、倒れているケイに声をかけた。
「大丈夫か、ケイ!」
パトリックの声が、朦朧とした意識の中に響く。痛む体を横たえたまま、ケイはかすむ視界でパトリックの姿を捉えた。その姿はケイ以上にボロボロではあるが、見慣れた、少し癖のある茶色の髪。泥と血に汚れた、しかし見覚えのある騎士団の制服。間違いなく、パトリックだ。
(パトリックさん……生きて……いたのか……)
安堵が、痛みと共に全身を駆け巡る。そして、彼の隣に、隊長の姿を探す。しかし、パトリック一人しか見えない。
「……たい……ちょ……」
ケイは、かすれた声で呟いた。隊長は、無事なのだろうか。
パトリックは、ケイの状態を確認した。脇腹の瓦礫による打撲、全身の傷と泥。呼吸は浅いが、意識はあるようだ。
「ああ、俺は無事だ。隊長も……すぐそこだ」
パトリックの言葉に、ケイの胸に希望が灯る。隊長も無事だった。
「後で詳しい状況は話す。まずは、ここから離れるぞ」
パトリックはそう言うと、素早く周囲を警戒した。ゴブリンキングは倒れたが、あの爆発音や戦闘音を聞きつけて、他の魔物が寄ってくる可能性がある。
パトリックは、泥まみれのケイを抱き上げた。その力強い腕に、ケイは安堵を感じる。体中の痛みが、少しだけ和らいだように感じられた。
「少し、揺れるぞ」
パトリックはそう言って、丘の上の方向に歩き始めた。しかし、その足取りは、わずかに速い。彼もまた、満身創痍なのだろう。
パトリックが、倒れてきたゴブリンキングの巨体を一瞥し、呟いた。
「ゴブリンキングを……倒したのか……」
薄れゆく意識の中で、大量の魔力がケイの中に流れ込んでくるのを感じた。それは、自身のものではない。温かく、しかし力強い魔力。それが全身を駆け巡り、痛みを和らげ、失われた体力を補填してくれるかのようだ。
そして、ケイは意識を失った。
◇◇◇
次に意識が浮上したのは、日が傾き始めて少し時間が経ってからだった。体中の痛みはまだあるが、先ほどよりはましになっている。視界もクリアになっている。
ケイは、自分が瓦礫の山の一角に運び込まれていることに気づいた。崩れた壁の陰で、比較的安全な場所だ。そして、その運び込まれた瓦礫の中に、もう一人の人影があることに気づく。
隊長だ。
しかし、その姿を見た瞬間、ケイは息を呑んだ。
隊長は、壁にもたれかかるように座り込んでいた。
右腕はがなく、切り口からは痛々しい血が流れ出している。赤黒い血は、隊服の至る所にこびりつき、見るも無残な姿だ。顔色は蒼白で、呼吸は浅い。意識があるのかどうかも分からない。
(隊長……!)
強い衝撃が走る。ゴブリンキングとの激戦で、ここまで深刻な傷を負っていたのか。
少し休んだことで、そして、あの意識が薄れる中で感じた魔力のおかげか、体力が元気になったケイは、隊長に声をかける。
「隊長! 大丈夫ですか!?」
ケイは、隊長の傍らに駆け寄った。しかし、隊長からの返答はない。瞳は閉じられ、静かに息を繰り返しているだけだ。
「隊長……!」
再び呼びかけるが、やはり反応はない。絶望が、ケイの心を締め付けそうになる。
その時、そばにいたパトリックが、静かに言った。
「……ちゃんと生きてるぜ。」
パトリックは、ケイの傷口に布を当てながら、低い声で言う。その顔は、真剣そのものだ。
「止血はした。だが、深刻な状態だ。一刻も早く都市へ戻って治療を受けさせねぇと……」
パトリックの言葉に、ケイは安堵しつつも、現実の厳しさを改めて突きつけられる。隊長は生きている。しかし、命の危機に瀕しているのだ。
パトリックは、ケイの手当を続けながら、隊長に視線を向けた。その目には、今後の困難な道のりに対する覚悟が宿っている。
「ひとまず、お互いの状況を把握しようぜ」
パトリックは言って、情報交換を促した。
「まず……ケイも知っていると思うが、加速薬を使って戦ったんだが、いよいよヤベェとなった時に、地面が激しく揺れて、その混乱に乗じて、ゴブリンキングから逃れたんだ」
パトリックは、自身のこれまでの経緯を話し始めた。地震発生時の状況、ボス級魔物との死闘。隊長が片腕を失った経緯。そして、津波から逃れるために、この瓦礫の中に隠れていたこと。
「隊長が、あの怪我を負ったのは……俺を庇ってくれた時だ」
パトリックの声に、苦痛の色が滲む。隊長の右腕は、パトリックを庇った結果、失われたのだ。
「俺たちは、ここに隠れて、お前たちに知らせるために狼煙を上げたんだ」
パトリックは、狼煙を上げた理由を説明した。信号弾が上がったから、ケイ以外にも騎士が生きていることを認識しており、戦闘可能な状態であることに賭けて、救出を待っていた。
大波にゴブリンキングが巻き込まれているのを視認していたので、襲われる心配もないと思い狼煙を上げたが、ゴブリンキングも生きており、何とか隠れたものの、見つかったこと。
「正直、ヤツとここで目が合った時、死んだと思ったよ。ケイ。マジで助かった。」
次に、ケイが、パトリックに、自身のこれまでの経緯を話す番だった。地震発生時の状況、津波からの避難、丘の上での生存者。狼煙を発見し一人で助けに戻ってきたこと、道中遭遇した魔物との戦闘、そしてゴブリンキングとの単独での戦闘までを、簡潔に、しかし要点を押さえて話す。
ケイの話を聞いたパトリックは、目を見開き、驚き、そして安堵の表情を見せた。撤退を始めているものの、ケイを含め生存者が七名もいること。ケイが、一人で、ここまでの道のりを突破し、ゴブリンキングと戦ったこと。
「無謀すぎるだろう、ケイ!」
パトリックはそう言ったが、その声には非難ではなく心配と、そしてケイの勇気に対する感嘆が込められていた。
互いの状況を把握した二人。隊長は重傷。自分たちも満身創痍。しかも、変遷までの時間はほとんどない状況だ。
「ケイ、もう少しだけ頼むぞ。魔力はまだあるか?」
「大丈夫です」
「すまんが、俺は今魔力が切れてる。悪いが露払いを頼みたい。俺は隊長を背負っていく」
「了解です。スレイさんが使っているとは別の、麓ルートを使います。」
負傷した隊長を見守りながら、ケイとパトリックは、今後の困難な道のりに思いを馳せた。隊長を連れて、あの高台まで戻り、そして、都市へ帰還する。それは、決して容易な道のりではない。
しかし、希望はある。




