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「また、後でお会いしましょう」


「生きて帰れたら、酒ぐらい奢ってやる」


スレイとマルス、そして他の生存者たちに見送られ、ケイは丘を下り始めた。手に握られたスレイの弟の騎士剣が、ずっしりと重い。


マルスが作ってくれた簡易な地図と、胸に秘めた決意だけが、ケイの頼りだ。夜明けの光が、津波に呑まれた遺跡を照らし出す。泥濘、瓦礫の山、崩れ落ちた建物の残骸。変わり果てた故郷の風景を思い起こさせる惨状だ。


『生成』


騎士剣に内蔵されている、魔法回路の力を借りて、刃を形成と少しの癖もなくすんなりと通って行った。恐らく、スレイの弟もケイと同じく見習い騎士だったのだろう。

一歩間違えれば、同じように死んでいたと思うと、背筋に冷たい汗が流れた。



丘を下り、泥濘の中を進む。足が泥に取られ、歩きにくい。周囲には、津波によって押し流されてきたであろう瓦礫や、朽ちた木材が散乱している。魔物の気配はほとんど感じられない。昨夜、スレイと二人で処理したようなゴブリンたちの姿もない。


ゴブリンは全滅しているようだった。津波に流されたのか、あるいは、より強力な魔物に処理されたのだろうか。いずれにしても、ゴブリンの脅威は一時的に去ったらしい。


狼煙が上がっている方向を目指して、瓦礫の間を縫うように進んでいく。地形は完全に変わってしまっている。マルスにもらった簡易地図も、どれほど役に立つか分からない。頼りになるのは、狼煙が見える方向と、自身の五感だけだ。


しばらく進んだ頃だった。崩れた壁の陰から、奇妙な音が聞こえてくる。そして、次の瞬間、瓦礫の中から、何かが飛び出してきた。


それは、魚の頭と人間の体をした、奇妙な生き物――サハギンだった。全身は湿っており、鱗のような皮膚を持つ。手に槍を持っており、警戒するような目をケイに向けた。一体だけではない。瓦礫の陰から、次々とサハギンが姿を現す。五体、六体……七体ほどいるだろうか。


「グボッ!」


サハギンが、言語とも魔物の咆哮ともつかない声を上げ、槍を構えてケイに飛びかかってきたりした。別のサハギンは、口元を膨らませ、ケイ目掛けて水鉄砲を飛ばしてきたりする。


ケイは、スレイから託された騎士剣を構え、応戦する。自身が使っていた騎士剣とは違う感触だが、使い慣れた重心や重さは、非常に戦いやすかった。


「サハギン……!」


迷宮都市の報告書でよく見る魔物だ。


彼らは、水辺を縄張りとしており、水の中で遭遇した際はかなりゴブリンソルジャーより強敵と聞いている。しかし、陸上での戦闘能力は、水中に比べて著しく低下し、ただのゴブリンより弱い。


彼らは肺呼吸だが、長時間水から離れると弱るという情報もあったはずだ。


サハギンの攻撃は、素早いが単調だ。槍による突き、そして水鉄砲。水鉄砲は魔力によるものか、水圧が強く、当たれば視界を奪われるがそれだけだ。


ケイは、サハギンの攻撃をいなし、槍を避ける。そして、隙を見て、サハギンの手足を狙って剣を振るった。


シュッ! シュッ!


剣が、サハギンの細い手足に食い込む。緑色の血が飛び散る。サハギンは苦悶の声を上げ、バランスを崩す。手足を剣で飛ばせば、動けなくなる。それは、ゴブリンの手足を切断して無力化した経験が活かせる戦術だ。


複数のサハギンに囲まれても、ケイは苦戦はしなかった。陸上での動きが鈍いサハギンは、ケイの剣技の敵ではなかった。飛びかかってくるサハギンを剣で弾き飛ばし、水鉄砲を避けながら、一体ずつ手足を切断し、無力化していく。


何体かのサハギンを仕留め、周囲の安全を確保した頃だった。ふと、遠くに見えていた狼煙の方を見た。


狼煙の煙が絶えている。


空には、もう煙は見えない。まるで、最初から何もなかったかのようだ。


(やはり……ただの火事だったのか……?)


一瞬、落胆と、無力感がケイを襲う。苦労してここまで来たのに。希望の光は、ただの幻だったのか。


しかし、すぐに頭を振った。


(いや……きっと……)


きっと、彼らが上げた狼煙だったのだ。そして、煙が絶えたのは、何らかの理由で火が消えただけだ。諦めるわけにはいかない。


ケイは、再び狼煙が見えていた方角へ向き直った。そして、狼煙の方向へひたすら走る。泥濘の中を、瓦礫を乗り越え、必死に走る。体力の消耗は激しい。しかし、足を止めるわけにはいかない。


走る途中で、再び魔物に遭遇する。津波から逃れてきた弱ったゴブリン。あるいは、陸に打ち上げられたサハギン。それらの何体もの魔物の首を、ケイは剣で刎ねた。容赦なく、次々と。時間を稼ぐためではない。道を切り開き、前に進むためだ。


泥と血にまみれながら、ケイは走り続けた。狼煙の煙はもう見えない。しかし、あの方向へ行けば、何かが見つかるかもしれない。


瓦礫の山を乗り越え、さらに奥地へと進んだその時だった。


ドォオオオオオオオオオオオオンッ!


大地を揺るがすような、凄まじい咆哮がした。それは、ゴブリンやサハギンの声ではない。


その咆哮は、ケイの行く手を阻むかのように響き渡った。


(アイツ(ボス級の魔物)か)



警戒しながら、咆哮が聞こえた方向、すなわち狼煙の場所へと慎重に近づいていく。


周囲は、津波によってさらに破壊され、瓦礫の山と化している。


崩れた壁や、ひっくり返った構造物が、隠れる場所を提供してくれる。ケイは、それらの瓦礫や崩れた建物の陰を利用して、ボスに見つからないように、瓦礫に隠れながら移動した。泥濘の中を、音を立てないように、ゆっくりと、しかし確実に距離を詰めていく。


心臓が高鳴る。隊長とパトリックは、あのボスのすぐ近くにいたのだろうか。彼らは無事なのか。それとも――。


ある程度距離を詰めた後、ケイは瓦礫の陰から、ボス級魔物の姿を遠くから観察する。




それは津波に洗われた広大な空間の、中心部に立っていた。


昨日遭遇したゴブリンソルジャーよりもさらに巨大な、ゴブリンの上位種__キングとで言うべきか。威圧感に満ちた巨体。歪んだ角。黒ずんだ皮膚。


(こんなのと、隊長は戦っていたのか。)




威圧こそあるものの、その姿には、明らかな異変があった。


巨体は傷つき、片腕と片目は失われていた。だが、その黒ずんだ皮膚に刻まれた無数の傷跡は、隊長とパトリックがつけたものだろう。


確かにダメージは大きい。しかし、足は失われておらず、歪んだ角の根元から、かすかに黒い魔力が滲み出ており、圧倒的な強者のオーラは健在だった。


時折、傷が痛むのか、失った腕の部分を抱え込むそぶりが見られた。


ゴブリンキングのいる場所周辺を注意深く観察する。ゴブリンキングのいるあたりの奥に、狼煙の跡があることを確認する。地面が黒く焼け焦げ、炭になった木材などが散乱している。確かに、ここで狼煙が上げられたのだ。


狼煙の跡の近くには、隊長のバックパックも捨て置かれている。見慣れた、隊長の使い古したバックパックだ。緊急時に、持ち物を捨てて逃げたのだろうか。


周囲の泥濘の地面を注意深く見る。ぬかるみの足跡は巧妙に消されているものの、狼煙の跡の近くには、二人分の足跡があった。それは、人間のものと思われる足跡だ。隊長とパトリックの二人組の足跡である可能性が高い。彼らは、ここにいたのだ。


これらの状況証拠から、ケイは一連の出来事を推測した。


(きっと……ここで狼煙を上げて、俺たちに知らせようとしていたんだ……)


しかし、その最中に――。


(コイツが来たから……!)


隊長とパトリックは、狼煙を上げたことでゴブリンキングを呼び寄せてしまい、そこから逃げ出したのだ。


2人は生きている。




瓦礫の陰に身を潜めたまま、傷ついたゴブリンキングから視線を外さずに、隊長とパトリックの足跡を追うように、さらに奥へと移動を開始する。泥濘の中を、音を立てないように、ゆっくりと。視線は常に、後ろの傷ついたゴブリンキングに向けながら。ヤツはまだ、狼煙の跡地からは離れていない。


地震と津波によって破壊された遺跡は、変わり果てた姿を晒している。崩れた壁、ひっくり返った構造物、散乱した瓦礫。それらが、隠れる場所を提供してくれる。ケイは、それらの瓦礫や崩れた建物の陰を利用して、ゴブリンキングに見つからないように、瓦礫に隠れながら移動を続ける。


時間が経過していく。夜明けの冷たさは消え失せ、太陽が空高く昇っているのだろう。ケイの脳天をジリジリと焼いており、額からは汗が滲み出ている。


すでに日は南中していた。


周囲の空気は、むわっとした湿気を含んでいる。津波によるものだろうか。そして、鼻を凄まじい腐敗臭が刺激する。泥と瓦礫に混じった、魔物や植物の腐敗した匂い。それは、生者の世界から切り離された、迷宮特有の不快な雰囲気だ。


足跡は、さらに奥へと続いている。建物の内部、地下へと続く階段。




ゴブリンキングは、時折、苦痛に呻き声を上げているが、周囲を警戒している様子だ。その失われた目と同じ側の耳が、かすかに動いたように見えた。


(……気づかれたか……?)


ケイの背筋に、冷たいものが走る。隠密が破られた危機。逃げるか。それとも――。


ゴブリンキングの巨大な頭部が、ゆっくりとこちらを向く。視線はこっちを向かなかった。


(……いや違う!!隊長とパトリックさんを見つけたのか!!)




「グアアアアアッ!」


ゴブリンキングが、低く、しかし威圧的な咆哮を上げた。


(行かせない!!)


ゴブリンキングが咆哮を上げ、隊長たちのいる方向へ歩き始めた時、ケイの心に迷いはなかった。傷ついているとはいえ、あの巨大な魔物をこのまま行かせれば、隊長たちの命はない。


「こっちだあああああああああ!」


ケイは、隠れていた瓦礫の陰から飛び出し、叫びながらゴブリンキングに向かって駆け出した。


「グアアアアアッ!」


ケイの動きに気づいたゴブリンキングが、再び咆哮し、その巨大な頭部をこちらに向けた。隊長たちへの追跡を中断し、注意がケイに集中する。狙い通りだ。これで、隊長たちは逃げる時間を稼げる。


ゴブリンキングが、傷ついた足を少し引きずりながら、ゆっくりとケイに向かって歩き始める。その動きは鈍いが、威圧感は健在だ。


ケイは、スレイから託された弟の騎士剣を構え、ゴブリンキングの傷ついた足――特に、すでに切り傷がある箇所――を狙って、一気に間合いを詰めた。不意をついたからこそ、足を落としたい。


「っ!」


短い唸り声を上げ、ケイは騎士剣をゴブリンキングの足に突き立てた。渾身の一撃。ゴブリンキングの硬い皮膚も、すでに傷があるところは守れない。緑色の体液が噴き出し、ゴブリンキングの巨体が大きくよろめいた。


「ヴァアアアアアアアッ!」


激痛に、ゴブリンキングは凄まじい咆哮を上げた。大地が揺れるほどの咆哮だ。怒りに満ちたその目に、ケイの姿が映る。


怒り狂ったゴブリンキングは、攻撃手段として、周囲を見回した。そして、近くに落ちていた、崩れた建物の残骸から、巨大な瓦礫の太い枝を拾い上げた。それは、木の幹ほどの太さがあり、先端は尖っている。


ゴブリンキングは、その瓦礫の枝を振りかざし、ケイ目掛けて振り下ろしてきた。その一撃は、傷ついているとは思えないほどの速さと重さを持っている。


「くっ……!」


ケイは、スレイから騎士剣でその一撃を受け止める。金属と木材がぶつかり合う、凄まじい音。


ドォンッ!


しかし、ゴブリンキングの圧倒的な力と、瓦礫の枝の重さにより、ケイは耐えきれない。足が地面にめり込み、体が後ろに押しやられる。


「フンッ」


ゴブリンキングは軽く息を吐くと、再度ケイへと武器を振りかぶった。


(吹き飛ぶっ!!)


ケイの防御は間に合わず、魔法で作られた防具に直接打撃を受けた。


その衝撃が、鎧越しに全身に突き抜けた。肺から空気が絞り出され、内臓が揺れるような、鈍い、重い衝撃。視界が一瞬ホワイトアウトし、体があっけなく宙に浮き上がった。



地面を転がり、瓦礫にぶつかる。全身に痛みが走る。息が詰まる。口の中に、鉄の味が広がる。


(くそっ……重い……!)


ゴブリンキングは容赦なく、周囲の瓦礫を拾い上げた。巨大な、岩のような瓦礫だ。それを、まるで手榴弾でも投げるかのように、ケイ目掛けて投げつけてくる。


ドォオンッ! ドォオンッ!


巨大な瓦礫が、砲弾のような速さと威力で飛んでくる。大地が揺れるほどの衝撃音が響く。一つ、二つ、三つ……。


ケイは、痛む体に鞭打ち、必死に瓦礫の攻撃を避ける。身を翻し、瓦礫の陰に隠れる。しかし、瓦礫の数は多い。そして、ゴブリンキングの投擲は正確だ。


一つは避けた。二つ目も、紙一重でかわした。しかし、三つ目が――。


ドッ!


巨大な瓦礫が、ケイの左脇腹に直撃する。鈍い、重い衝撃。骨が軋むような音が聞こえた気がした。激しい痛みが走り、息が止まる。


体中の空気が抜けたかのような衝撃を受け、ケイは地面に倒れ伏した。泥と血にまみれた騎士剣が、手から滑り落ちる。視界がぼやける。


(くっ……)


傷ついたとはいえ、ボス級魔物。単独での戦闘は、想像以上に厳しい。


ゴブリンキングはゆっくりと、しかし確実にケイに迫ってくる。その巨大な影が、ケイの視界を覆い隠そうとしていた。


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