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1-18

津波が去り、静寂を取り戻した丘の上で、生き残った七名は、変わり果てた遺跡の惨状を言葉もなく見つめていた。極限の疲労と恐怖、そして失った仲間への悲しみ。それらが入り混じり、ただ呼吸を整えることしかできなかった。


全身の震えが止まらない。


肺は焼け付くように痛み、心臓はけたたましい音を立てて鼓動している。その全てが落ち着くまで、ずいぶんと時間がかかった。




荒かった呼吸が落ち着きを取り戻し、心臓の鼓動も穏やかになってくる。ゆっくりと、全身から力が抜けていくのを感じる。


それは、極限の緊張から解放されたことによる安堵感だった。皆、徐々に体を起こし始める。互いの顔を見て、無事であることを確認する。顔は土埃と汗で汚れ、服は破れている者もいるが、生きている。


生き残った七名は、スレイ、マルス、ケイ、そして負傷者を担いでいた戦闘員三名、そして生き残った負傷者一人だ。


スレイは、弟を失った悲しみを胸にしまい込み、騎士としての意志の光を目に宿している。


「皆……無事だ。まずはそれを喜びたい」


スレイが、かすれた声で言った。そして、周囲を見回す。津波に洗われた遺跡は、見るも無残な姿だ。瓦礫の山、崩れ落ちた構造物。どこを見ても破壊の跡しかない。


「そして、今後のことだが……」


スレイの視線が、地図士のマルスに向けられる。


「マルス殿。ここから都市への帰還ルートについて、相談したい」


マルスは、土埃に塗れたの黒板を拭きながら、スレイに向き直った。その顔に、疲労の色は濃いものの、地図士としての冷静な判断力は失われていない。


「まず、通常の帰還ルートである、海岸エリアと渓谷エリアの間の安全地帯に向かえるだろうか?」


スレイが尋ねた。それが、迷宮都市への最短ルートであり、最も確立された安全なルートのはずだ。


マルスは、少し考え込んだ。そして、ゆっくりと首を横に振った。


「……正直に申し上げますと、分かりません」


マルスの言葉に、スレイだけでなく、他の隊員たちもざわめいた。地図士がルートが分からないという状況は、極めて異常だ。


「仮に、あの大波によって、海岸の低地が全て波に襲われていた場合、地形がどうなっているか全く分かりません」


マルスが付け加えた。地図は、津波が発生する前の地形に基づいている。大規模な地形変化が起こった今、その地図がどれほど役に立つか分からないのだ。


マルスは、視線をケイに向けた。


「ケイさんは、この大波について何か知っているようでしたが……この状況について、何か推測できることはありませんか?」


マルスに話を振られ、ケイは戸惑った。自分が知っているのは、地球の地震と津波に関する知識だけだ。迷宮の地震が、地球の地震と全く同じ原理で起こるのか、津波の性質が同じなのか。それは分からない。しかし、先ほどの地震の規模、そして津波の破壊力を考えれば、この後も同じような現象が起こる可能性は十分にある。


「正直、お役に立てることは……」


ケイはそう言って、俯いた。記憶のおかげで、津波を予知できた。しかし、地形変化について、この世界の役に立つような専門的な知識を持っているわけではない。


「ただ……推測ですが……」


ケイは顔を上げ、不安を口にした。


「あの地震の規模と、今回の津波……ええっと、大波ですが……この後も、同じような地面の揺れと、大きな波が来る可能性があると思います。何度か……来るかもしれません」


ケイの言葉に、生存者たちの顔色が変わる。再び、あの恐怖を味わう可能性がある。


マルスは、ケイの推測を聞き、険しい表情になった。彼の地図士としての知識にはない現象だが、ケイが津波の危険を予知したことを考えれば、その推測を無視するわけにはいかない。


「この高台は、大波からは身を守ってくれましたが……結果的に帰路から大きく離れています。」


マルスが、この場所の欠点を指摘した。他にも地震によって不安定になった斜面。土砂崩れや魔物の分布変化等も考えられる。


スレイは、マルスの説明を聞き厳しい状況であることを理解した。この様子では通常のルートは使えない可能性が高い。


「他のエリア境界を経由して帰ることは不可能か?」


スレイが尋ねた。別のエリアを経由して都市へ戻るルートはどうか。


現状の海岸エリアは、渓谷エリアを挟み、都市へと通じている。ダンジョン化した世界では、直進ルート以外にも、上下の階層を経由することで海岸エリアと渓谷エリアの間の、エリア境界を回避することができる場合がある。


マルスは、その可能性についても検討していたのだろう。しかし、その顔は依然として厳しい。


「理論上は可能ですが……推奨できません。他のエリア境界へ向かうルートは、探索班がいくらかチョークで分岐に対して目印を残してくれているはずですが……」


マルスは言葉を濁した。


「しかし、その目印も100%確実ではありません。地図士として、マーキング状況が不明な未探索エリアを踏破して帰ることは……リスクが高すぎます」


未知のエリア、不確実な目印。道に迷うリスク。魔物との遭遇リスク。


「加えて……変遷まで残り3日です」


マルスが、最も重要な要素を付け加えた。迷宮の地形は、一定期間で変化する「変遷」を迎える。変遷が起きれば、現在のマップは無効となり、地形は全く変わってしまう。都市へ戻る道が閉ざされる可能性が非常に高い。


「仮に、食料が足りたとしても……未探索エリアを踏破して、都市への帰路を探し当てるには……時間の余裕がありません」


マルスの言葉に、皆の顔に絶望の色が浮かぶ。残された時間は少ない。その間に、不確実なルートで広大な迷宮を踏破し、都市へ戻らなければならないのだ。


スレイは、マルスの言葉を静かに聞いていた。リスクは高い。情報も少ない。しかし、ここに留まっていても状況は好転しない。都市へ帰還する。その目的を達成するためには、道を選ぶしかない。


「……一応、存在はします。しかし、ルートや情報はほとんど」


マルスは、諦めきれない様子で、別の可能性を示唆した。


「複雑なエリアなのか?」


スレイが尋ねる。


「洞窟エリアとなっています」


マルスは、上を見上げて、記憶の糸を辿るように続けた。


「……厳しいな」


マルスが、洞窟エリアを経由して渓谷エリアに出るルートについて説明し終え、スレイは苦渋に満ちた表情で呟いた。


情報が少なく、不確実な目印しかない未探索エリア。変遷まで残り三日という時間的制約。そのリスクは計り知れない。しかし、他に確実なルートもない。


ケイは、マルスに尋ねた。


「高台だけを使って境界の安全地帯に戻る方法はありませんか?」


マルスは、ケイの問いに、再び考え込んだ。頭の中の膨大な地形情報を検索しているのだろう。やがて、ゆっくりと口を開いた。


「地形変化の可能性はありますが……大波の影響を受けないような高台を経由して、海岸エリアを戻るルートとして、二つ……遠征で使われなかったルートがあったはずです。」


マルスの言葉に、かすかな希望が灯る。二つ。それは、完全に道がないわけではないということだ。


「一つ目は……」


マルスが説明を始めた。


「昔の人が作ったと思われる、山の中にあるいくつかの村を経由するルートです」


古の時代に迷宮に呑み込まれた村。その跡地が、高台を縫うように連なっているのだろうか。


「このルートは、海岸の低地を通らずに、山側の高台を進むため、大波の直接的な被害は避けられる可能性があります」


それは大きな利点だ。しかし、マルスはすぐにリスクを付け加えた。


「ただし、地面の揺れによる影響で、土砂崩れなどが発生している可能性が高いです。ルートが寸断されていることも十分に予想されます。加えてかなり大回りになるはずです。」


山の中を通るため、地震による土砂崩れのリスクが高いというのだ。村の跡地も、地震でさらに崩壊しているかもしれない。


「二つ目は……」


マルスが、もう一つのルートについて語った。


「山と海岸の平地のヘリを移動するルートです」


山と低地の境界線。そこを縫うように進むルートだろうか。


「こちらも、比較的標高の高い場所を選んで進むため、今回の津波の直接的な被害を避けられた可能性があります」


同様に津波のリスクを回避できる可能性のあるルートだ。しかし、こちらもリスクがある。


「ただし……正直この高さまで波が来ていることを考えると、大波による地形の破壊が予想されます。ルートが波によって削られたり、瓦礫で埋まったりしている可能性があります」


山と平地のヘリとはいえ、完全に津波の範囲外ではないだろう。波の勢いが弱まった場所でも、地形が大きく変わっている可能性がある。


スレイは、生存者たちの顔を見た。疲労困憊の戦闘員たち。負傷者。そして、頼りになるマルスと、未知の可能性を秘めた見習い騎士、ケイ。この七名で、この困難な状況を乗り越えなければならない。


最も生存可能性が高いのは、どのルートか。土砂崩れか、津波による破壊か、あるいは未知のエリアか。


スレイは、数秒間、沈黙した。そして、ゆっくりと口を開いた。


「……夜が開けたら……高台ルートにて帰る」


スレイは、決断を下した。二つ提示された高台経由ルートのうち、どちらかを選択し、夜明けに出発するという意味だろう。


夜間移動のリスクを避ける為の判断だ。どちらのルートを選ぶかは、夜明けになってから、地形を詳しく観察して判断するのかもしれない。未知のエリアを探索し、時間に追われながら帰るよりはマシと言う結論だったのだろう。


「マルス殿。夜明けになったら、あの二つの高台ルート、便宜上、山脈ルートと麓ルートと呼ぶが、それぞれの状況を確認し、どちらのルートがより安全か判断してもらいたい」


スレイが、マルスに指示を出した。マルスは真剣な表情で頷いた。


「ケイ殿は、私と共に魔物への牽制を。他の者たちは、野営の準備を」


スレイが、それぞれの役割を改めて指示した。夜間の野営、そして明朝からの厳しい道のりに備えるためだ。


夜が迫る。丘の上に、七名の生存者がいた。隊長とパトリックの姿は、この中にない。彼らが無事なのか、どこにいるのか。


助けに戻るべきか。彼らの安否を気遣う思いが胸を締め付ける。しかし、捜索に戻る時間も余裕もない。この七名で、生き残ることを最優先しなければならない。


それが、隊長やパトリックも望むことだろう。




◇◇◇




夜が訪れるにつれて、気温が下がり、冷たい風が吹き始める。焚き火の炎が、夜闇の中で暖かく揺れている。


他の隊員たちは、焚き火のそばで天幕を張ったり、物資を確認したりと、野営の準備を進めている。彼らに、これ以上の不安や動揺を与えたくない。


スレイは、静かに周囲の気配を探っている。その視線は鋭く、少しの異変も見逃さない。ケイも、五感を研ぎ澄ませ、周囲の音や匂いに注意を払う。


その時、スレイが、丘の斜面の下の方を指差した。


「……来たか」


スレイの低い声が響く。


見ると、丘の斜面を、複数の緑色の影がゆっくりと登ってきている。


「ゴブリン……」


ケイが小さく呟く。七体ほどいるだろうか。


しかし、そのゴブリンたちの動きは、これまでのゴブリンとは明らかに違っていた。彼らは、よろめきながら、あるいは地面に手をつきながら進んでいる。顔色も悪く、全身に傷を負っている者もいる。


「どれも……死にかけですね」


ケイが言うと、スレイが頷いた。津波か、あるいは地震の混乱で、魔物同士の争いに巻き込まれたか。いずれにしても、彼らは重傷を負っており、弱っている。


「野営準備中の仲間に悟られないよう、すぐに片付けるぞ」


スレイが、低い声で、しかし明確な指示を出した。ここで戦闘になれば、他の隊員たちに無用な心配をかけてしまう。迅速かつ静かに処理する必要がある。


スレイは、自身の騎士剣を抜き、構えた。夜闇に紛れるように、静かに斜面を下りていく。


ケイは、スレイに続こうとしたが、武器がないことに気づいた。混乱の中、騎士剣は失われた。奪った剣も手元にない。


周囲を見渡し、手頃なものを探す。近くに、津波で流れ着いたのか、折れた木の枝が落ちていた。ケイはそれを拾い上げた。長さはそれほどないが、なんとか牽制には使えるかもしれない。


スレイはすでにゴブリンたちに接近し、戦闘を開始している。自身の剣技で素早くゴブリンを仕留めている。


ケイは、木の棒を構え、弱ったゴブリンの一体に向き合った。ゴブリンは、ケイの接近に気づき、石器のナイフを構えてきた。その動きは鈍い。


ケイは、木の棒でゴブリンのナイフを牽制しようとする。しかし、ゴブリンは弱っていても魔物だ。予想外の動きで、木の棒をかわし、ナイフで切りかかってくる。


「くっ!」


ケイはそれを避ける。このままではまずい。木の棒では、決定打を与えられないし、相手の攻撃を防ぐことも難しい。


(何か……何か武器を……!)


ゴブリンが再びナイフで切りかかってきた。その腕を狙い、木の棒で叩こうとする。しかし、ゴブリンはそれを避け、さらに距離を詰めてくる。


(ナイフを……奪うか?)


ゴブリンがナイフを振り上げた隙を狙って、その腕を掴み、ナイフを奪おうとする。しかし、ゴブリンの皮膚は硬く、掴みきれない。失敗した。


「グギャッ!」


ゴブリンが、そのままナイフでケイに切りかかってくる。咄嗟に身を捻って避けるが、危ない。


このままでは、スレイの負担が増えるだけだ。


(魔法……いけるか?)


夜間の練習で、「生成」で細い刃を作り出す練習をしたことを思い出す。


ケイは、木の棒を捨て、素手でゴブリンに向き合った。


『生成』


心の中で短い詠唱を唱え、右手に魔力を集中させる。手のひらから、淡い光が湧き上がり、凝縮されていく。それは、かつて騎士剣の刃先から出したブレードのような形になろうとするが、まだ不安定だ。


(短くていい)


鋭利な刃として使えれば、それで十分なのだ。


キュルルル……


細く、鋭利な魔力の刃が、ケイの右手の指先から生み出された。それは、見た目には弱々しく細いが、魔力の輝きを帯び、恐るべき切れ味を持っているように感じられた。


(これなら……!)


ケイは、その細い魔力の刃を使い、弱ったゴブリンたちに接近した。スレイは、自身の剣で素早くゴブリンたちを仕留めている。ケイは、スレイの動きを妨げないように、別のゴブリンに狙いを定める。


弱ったゴブリンは、ケイの接近に気づくのが遅れた。うずくまっているゴブリンの首元に、ケイは音もなく細い魔力の刃を突き立てた。


スッ……


抵抗なく刃は皮膚を貫通し、ゴブリンは呻き声を上げることもなく、その場に倒れ伏した。出血もほとんどない。静かに処理できた。


別のゴブリンが、ケイの接近に気づき、石器のナイフを構えてきた。その動きは鈍い。ケイは、素早くそのゴブリンの脇腹に魔力の刃を突き立てる。


スッ、スッ……


音もなく、次々とゴブリンたちを仕留めていく。スレイもまた、自身の剣で迅速にゴブリンを処理している。


七体ほどのゴブリンは、あっという間に片付いた。どれも弱っており、抵抗らしい抵抗もできなかった。


スレイは短く息をついた。土埃にまみれた手で額の汗を拭う。痕跡を残さないように、ゴブリンたちの死骸を瓦礫の陰に隠す。血痕も、土をかけて目立たなくする。


「……助かった」


スレイは、ケイに視線を向け、短く言った。その声に疲労が滲む。彼はケイの戦い方について、何かを言おうと、口を少し開いたが、そこから言葉が紡がれることはなかった。

目の前の現実と、迫りくる夜、そして失った仲間への思いが、彼の心を占めていたのかもしれない。


「いえ……弱っていたので……」


「謙遜しなくてよい。少しでも受け持ってくれるだけで助かっている」


ゴブリンの処理を終え、二人は再び丘の上、野営地へと戻った。他の隊員たちは、魔物の接近に気づくこともなく、野営の準備を進めている。


スレイとケイは、焚き火から少し離れた場所で、見張りについた。静寂が、再び二人を包み込む。


遠くで、津波の音が微かに聞こえるような気がした。そして、安否不明のままの隊長とパトリック。彼らが無事であることを願いながら、ケイは、迷宮の長い夜を見据えた。

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