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悪役令嬢カトゥラ・カドゥレは憂鬱げ  作者: ミナソコミナモ


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(96)ソキウス:彼女の背中を暖めるために

 前カドレッド侯爵夫人(ミセス)が学園の特別講師に就任することに正式に決定したのは、エズモンド子爵家での緊急茶会から半年以上のち、ソキウスが二年生に進級する直前のことだった。


 この件に関してはソキウスが茶会でアイデアを提案したっきりで、以降ベルモーは一切ミセスに手を貸していない。今をときめく豪商といえど新参者である一商会が、王都伝統の学園という既得権益に首を突っ込むのは、方々(ほうぼう)から目をつけられるリスクが高すぎるのだ。目の前に明確な利益がぶら下がっていたとしても、そこの立ち回りを間違えてはいけないのである。

 すなわちミセスは自ら手を回し、本人が言っていたとおり十全な準備を整えた上で、見事自力での学園潜入を成し遂げたわけである。さすが侯爵家……というよりはミセス個人の手腕や人脈による賜物であろう。


 その間、ソキウスとて停滞する状況に手をこまねいていたわけではない。

 商人修行と学業を両立させ、なおかつ休み時間や放課後はカトリーヌ・カドレッドとの緩やかな交流を続けて健全な友情を温める、充実した日々。大きな進展こそなくともこつこつと積み上げていく小さな達成感は、ほんの半年前までやるべきこともやりたいことも見つけられなかったソキウスに、少しずつ確かな『自分』の形を与えてくれるようだった。


 中でも最も影響力が大きかったのは、やはりカトリーヌ・カドレッドの一挙手一投足だった。


「……くしゅんっ」


 と、いつもの池畔で彼女が可愛らしいくしゃみを零して身を震わせたのは、遡って一学年時、まだ冬の気配も遥か遠い、長期休暇明けて間もないある日のことであった。

 心配して声をかけると「風邪ではない」と即座に否定が返ってくる。ソキウスにとってはようやく夏の暑さが薄らぎ、ほどよく涼しい風を感じるようになった頃合い。しかしカドレッドにとってはその程度でも「寒い」と感じてしまうらしい。


「案外寒がりなんだ」


「……悪かったわね」


 意外に言われるのも慣れているらしく、冷めた顔でカドレッドはぼやいた。

 暗く燃える情念を思わせる赤毛にそぐわぬ代謝の低さ。だが言われてみれば確かに、貴族令嬢でも前腕までなら露出するのが当たり前、人によっては日中でも二の腕を見せることさえ躊躇しなくなってきた昨今において、未だに通年長袖の制服を着用しているのはかなり珍しい。なんとなく家柄のせいかと思っていたが、調査した限り例の現侯爵に伝統や格式を重んじる類の厳格さはなさそうだ。

 それに……なんとなく気づいてはいたのだが、制服にしっかりと隠されたカドレッドの体型は、貴族令嬢らしくかなりの細身である。いかにも寒さに弱そうだ。とりたてて食が細いようには見えないのだが、平均以上の長身を維持する方向に栄養が回ってしまっているのかもしれない。だってこんなにも細い。ロングスカートから長く伸びた足も、袖口に垣間見える手首も、抜けるように白いうなじも……


(う゛……)


 自分の中のよからぬ何かが反応しそうになって、ソキウスは油断するとカドレッドの素肌を探してしまいそうになる視線を必死に明後日の方角へと逃がした。カドレッドが寒がりで本当によかった、とか、いやいやむしろ隠されているほうが変な想像力を掻き立てられて余計になんというかげふんげふん、とか、思春期のスイッチが入ってしまった脳みそが浮ついて騒がしい。

 だいいち、貴族令嬢といえば昼間は奥ゆかしい(ことになっている)が、夜会などではわりと肌を露出するものなのだ。貴夫人向けのドレスときたら、これをカドレッドが着たらと思うといたたまれないような腹立たしいような(喜ばしいような)品も数多く……


「……ん?」


「なによ」


「いや……商会の仕事でドレスを扱うこともあるんだけど、最近の流行りって肩出して背中ざっくり開いてるやつが主流じゃん? カドレッド、そんなに寒がりだとさ、制服の時はいいけど、夜会とかで困らないのかなって」


「……。……ああ……」


 いかにも指摘されたくなかった、というか気づきたくなかったと言わんばかりのリアクションで、カドレッドが大いに凹んでしまった。慌てて慰めに回ろうとするソキウスを片手で制しつつ、眉間に暗く深いしわを寄せた不穏な目つきで池面を見るともなく睨んでいる。


「それね……今のところは大丈夫だけどね……今のところは」


 曰く、彼女は現在社交をほぼ免除されている状況らしい。昼間の茶会ばかりは完全回避とはいかないものの、デイドレスならば厚着できなくはないしショールもデザイン次第で着用可能。

 とはいえ今後いつまでも夜会を免除され続けられるとは思えない。となれば薄手のドレスを着なければならない状況も多いだろう。夜会の会場は基本的には快適な温度を保つよう努力されるものだろうが、屋外でのパーティとなるとそうもいかない。季節や気温によっては、寒がりなカドレッドにとっては拷問に等しい環境になるわけだ。


「ドレス用のショールはね、ないわけじゃないのよ……ただああいうのは基本お飾りだから機能性が低いのよ……っ。何が悲しくてあんな無意味な薄っぺらをわざわざ着なきゃいけないんだか。もっとモコモコぬくぬくしてこそショールでしょうがっ。防寒具の分際を忘れ果てたショールに価値なんてないわ……!」


「う、うーん……」


 珍しく激しめに苛ついている模様。出会った時から変わらず、着飾るよりも断然機能性重視の姿勢である。このままいくとドレスの存在意義にまでケチをつけ始めそうだ。


(ドレス……かぁ)


 視線を明後日に浮かせたまま、ソキウスは物思う。

 背中が開いていなくても野暮ったくならないドレスなどいくらでもあるが、正直防寒性能に関してはどれも似たりよったりだろう。

 どの時代でも異性に好まれる普遍的価値感がファッションの基礎に居座るもので、男というものは女性の曲線美を楽しむ生き物で、つまり女性の美しいボディラインがくっきりと出るデザインというのはなんだかんだで強いのである。貴族の衣装は貞淑と淫奔の狭間であらゆるデザインが施行され、そうした歴史の積み重ねの果てに、結局のところ布の少ないシンプルな方向へと収束しつつある現状がその証左。

 そういったシンプルなドレスは合わせる装飾品にも洗練されたデザインを要求するものだし、そもそもカドレッドが普段から好んで使っているような婆くさ……もとい古式ゆかしい防寒具としてのショールはフォーマルな場にはとても身につけていけるような代物ではない。彼女にとっては業腹な現実であろう。


 ……想像でしかないが、背中の開いた流行のドレスを着た彼女は、とても素敵だと思う。うん。間違いなく。

 けれど、それで彼女が不快な思いをして、あまつさえ体を壊すようでは本末転倒。

 ……あと、他の男が彼女の背中を見るというのはとても不愉快だ。なんかずるい。平民(ソキウス)がそれを見られる機会なんて何度あるかわからないのに……!


「………………。ショールかぁ」


 ベルモー三男坊が紡績業の門戸を叩くことになったのは、そんな思いつきのようなつぶやきがきっかけであった。




 この頃、ベルモー商会は新たな事業に着手しようとしていた。領地の維持の窮した貴族から買い上げた織物工場を本格稼働して、商会独自の商品を創作しようという試みだ。

 ソキウスはいつもの如く父や兄に同行する形で、工場の立ち上げに携わった。といっても最初は丁稚そのものの下働きである。


 工場には買収以前から勤めている雇い人も数多く働いている。雇い主が変わり、人員の再編もあって、不安や不満、気負いなどからくる浮ついた空気が払拭しきれていない時期だ。

 そんな場所で、すでに一端の商人である兄たちならまだしも、まだ学生の分際であり目立った実績もないソキウスが出張っていくのは悪手だ。「雇い主の子だからって偉ぶって幅を利かせている」とか、「仕事場に子供が遊びにきている」などと思われてはたまらない。こちらがそんなつもりはなくても些細な欠点に目をつけられて絡まれる、なんてことはとっくに経験済みである。とりわけ少女のめいたソキウスの容姿は侮られやすく、敵意のはけ口になりやすいのだ。

 だから、会頭の息子のくせに小間使いなんて、と馬鹿にする声があっても、ソキウスはとにかく体を動かし、仕事の邪魔をしないことを徹底しながら職人たちのサポートに徹することにした。

 父と工場長の会話に耳を済ませ、仕事の合間合間に職人の作業手順を盗み見、工場内の環境に目を配り、縫製業のいろはを少しずつ体に染み込ませる。

 徐々に職人たちとも打ち解け、簡単な世間話から始まって仕事の話題も交わせるようになった頃には、すっかり「ソキウス坊っちゃん」と呼ばれて可愛がられるようになっていた。このあたりは侮られやすいほどに愛らしい容姿の最大の恩恵であろう。

 職人たちに混じって簡単な作業をやらせてもらえるようになったり、動線や設備改善のアイデアを相談できるようになったり。ベルモー会頭のおまけだった少年は、順調に工場の一員として受け入れられていった。


 そうして工場の運転が無事軌道に乗り始めたところで、ベルモーから派遣された主任の指揮で、新商品の開発が始まった。必要とされているのは、今後立ち上げるブランドの象徴となるような目新しいもの。

 ソキウスはここぞとばかりに、私情()()りの提案をぶち込んだ。


 近年薄着化が進んでいるドレスで体を冷やして困っているであろう御婦人がたのため、防寒性とデザイン性を備えたショールを実現できるような布を作ってみるのはどうだろう、と。


 これが大当たり。ターゲットがはっきりとしていてなおかつそれなりに需要が見込める冴えたアイデアだと皆に好評で、トントン拍子で話が詰められていった。

 シンプルなドレスに合わせるショールならば、薄く軽くエレガントなものでなくてはならない。しかし防寒性を実現するのならば薄すぎるのも問題だ。ならばいっそ透けるほど薄い布にして、防寒性は裏地で補ってみてはどうだろう……

 古今東西の布地や素材を調達して、標本化して、ああでもないこうでもないと突き合わせて。糸の組み合わせ、染の塩梅、織り方、多種多様な薬液、気温や湿度の影響……ベルモーの総合力と職人たちの経験や技術を結集して、幾度とない試作と失敗を繰り返しながら、あらゆるパターンを記録と経験に蓄積しながら、猛然たる勢いで商品開発が進められていった。


 カトリーヌ・カドレッドに渡した真っ赤な布は、ようやく形になった試作の一部をいの一番に持ち出したものだった。「これ友達に見せていいー?」「おう持ってけー」という実に軽いノリでやらかしたわけだが、これにはのちのち身内からお説教を頂いていたりする。

 まだ試作の試作とはいえ、ブランド立ち上げの命運のかかった代物である。子供とはいえ部外者、それも貴族令嬢に見せるのは、本来ならばわりと危険な情報漏洩案件なのだ。カトリーヌ・カドレッド本人にその気はなくとも、社交などを通じて紡績業や縫製業になんらかの縁のある他の貴族に試作品のことが漏れていれば事である。……まあ現実には非常に小さな確率でしかないわけで、こればかりはカドレッド侯爵の影響力のなさに救われた感があった。


 ともあれ、そんなことにも頭が回らないほど浮ついていたソキウスは、前述の通り試作品を労いの名目でカトリーヌ・カドレッドに贈った。この布が物になれば、寒がりな彼女の背中を隠してやることができるのだと、すぐにでも自慢してしまいたかったのだ。


 炎の如き緋色を透かして見た時の彼女の驚きと感嘆の表情を、それを身に纏った時の微笑みを。

 いつもより笑顔の多い彼女が、お礼と言って踊ってくれた静謐な舞を。

 この時初めて触れた、『カトゥラ・カドゥレ』を。

 ソキウスはきっと、生涯忘れることはないだろう。

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【完結済・コミカライズ】
身辺を清めてから出直してくださいませ

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