(97)ソキウス:嬉しい変化
それからは池畔での逢瀬に『カトゥラ・カドゥレ』の舞が披露されることが多くなった。ニッキーのレッスンは順調なようで、日々カトリーヌ・カドレッドの所作は研ぎ澄まされていく。
試作品についての話題を交わすことも多い。実際に使用してみた感想を聞いたり、どうやって活用してみたいか意見をもらったり。……まあ機密漏洩継続中ということになるが、そこはカドレッドの口の堅さ(と人脈の浅さ)を信用して見なかったことにしている。
なんてことをポロリと、いつの間にか定期的な習慣になってしまった二人お茶会で零せば、前カドレッド侯爵夫人には呆れられてしまった。
「あの子に目をかけて融通して頂けるのは大変ありがたいことですが、公私を混同してはいけません。商品開発は何がきっかけで頓挫するかわかりませんので。今後、新たな試作品は不用意に他者に見せぬよう、徹底すべきでしょう」
……実はすでに追加で端切れをプレゼントしている、なんておかわりはさすがに言えなかった。
そんなミセスだが、講師としての着任が決定して一段落した頃から、外部顧問として正式にベルモー紡績部門の商品開発に協力してもらっている。
手芸全般に定評のあるミセスのセンスは確かなものだった。伝統や定番といったものを尊重したうえで、細部のアレンジや絶妙なバランス変更などを組み合わせてより洗練されたデザインを次々に生み出していく。その手腕には、この分野に一家言ある母が歯ぎしりしながら感涙しつつ心酔していたものである。
ミセスの特別講義の公示は進級から一月過ぎた頃。講師がこの腕前ならば、近年手芸離れの進む生徒たちの全体的なレベルも少しは引き上げられそうだ。
「……『ミセス・マトローネ』、ですか」
「ええ。その名で登録することにいたしました。学園長の許可は頂いております」
現在の学園は徹底した王室の管轄下にある。偽名での着任はいろいろと物議を醸しそうだが、学園長が是と言うならば国王が是としたということになるのだろう。……果たしてミセスの裏にはどれほどの大物との人脈が潜んでいるのやら。
(まあそれはそれとして……『マトローネ』かぁ)
戯曲の登場人物の名前だ。貴族子女として生を受け、情の通じぬ夫の元に嫁ぎ、ほどなく夫を戦争に取られ、婚家をその細腕一本で支えることを迫られ、やがて貴族社会で成り上がっていく──「強い女」、「未亡人」の代名詞。
『ミセス・マトローネ』とはつまり、『未亡人夫人』という珍妙なニュアンスになってしまう。
(それだけ亡くなった旦那さんのことが好………………きなわけではないんだよね?)
調査内容とこれまでの交流を思い返し、ソキウスは自然と湧き上がってくる一般論を脳内で否定する。愛はなくとも、未亡人たるところにミセスのアイデンティティは存在するらしい。
まあだからと言って、偽名からミセスの正体にたどり着けるような人間はまずいないだろう。世間から見れば、前カドレッド侯爵夫人は男性優位社会の気の毒な犠牲者のように見えているはずだから。本人がそこに誇りを抱いているなんて、なかなか想像できるものではない。
さておき、いよいよ期限が迫ってきたことで、ソキウスは己の課題を思い出す。
ミセスを学園に誘ったはいいが、肝心のカトリーヌ・カドレッドとの間に接点を持たせてやらなければ意味がないのだ。
さすがに現役の教員をいきなり押しのけて必修授業を占拠するわけにはいかなかったようで、ミセスの肩書は『特別講師』である。必修とは別枠に設けられた特別講義は任意参加。カドレッドが自主的にミセスの講義に参加しなければ、二人が顔を合わせる機会は極端に絞られてしまうのだ。
ミセスがそれとわからぬよう侯爵家に働きかけて誘導する手も使えないことはないが、最終手段だ。侯爵を操るのは簡単だろうが、勘の良いカトリーヌ・カドレッドに怪しまれぬ名分を作るのは骨が折れる。
となれば、うまいことカドレッドをその気にさせて特別講義を受講するように誘導するのがソキウスの役目だろう。
さてどうしたものか。……血筋なのか、カトリーヌ・カドレッドにはミセス同様のセンスの片鱗を感じることがある。そのへんをおだてて乗せられるだろうか。あるいは手芸を極めることで父侯爵に対抗する武器にできるかもしれないと唆してみるか。
(……むっず! カドレッドって良く言えば無欲だけど、それって何事にも意味を感じない、意欲もないってことだからなぁ……)
虚無主義とでもいうのか、とかくこの世は万事無価値であると切り捨てがちなカドレッドである。
自分が欲しいものを理解していない人間ははっきり言って商人のカモだが、自分が欲していないことを理解している人間は強敵である。対象に真に価値があることが証明されないと、彼らの財布の紐はやすやすとは緩まない。
結局公示の日を迎えても冴えたアイデアは思い浮かばず、穏やかな笑顔の下で悶々と思考をこねくり回していたソキウスの悩みはしかし、奇跡的に杞憂に終わった。
公示翌日、なんとカドレッド自らミセス・マトローネの特別講義を受講する意向を表明したのである。
あまりにも素の驚きを露わにしてしまったためか、カドレッドからはじっとりと恨めしげな目を向けられてしまった。
「何。私が刺繍をしてたらそんなにおかしいかしら?」
「いやいや全然! そっかぁ……うん、すごくいいと思う!」
おかしくはない。ただ、とても意外で……とても、素敵なことだと思う。
どうして突然やる気になったのかはわからないし、あまり突っ込んだ理由を掘ろうとすると拗ねて取りやめにしかねないので訊かないけれども。
あらゆる事物に価値を見いだせなかったはずの彼女が、たったひとつでもやりたいことを見つけられたのだから。それも、彼女がまともに顔も合わせたこともないであろう祖母との縁に、無意識に引かれるようにして。
胸がじんわりと暖かくなって、自然とソキウスから笑顔がこぼれ落ちれば、やっぱりカドレッドの顔はなぜかちょっと不細工に歪むのだった。
ちなみに、特別講義における初対面を済ませたのち、ミセスはちょっぴりへこんでいる様子だったりした。
「……直接対面というものは、どんなに準備していても難しいものですね……わたくしの不審な態度で、カトリーヌには少々警戒されたかもしれません……」
平坦なはずの表情にいつになく深刻なものをそこはかとなく漏らして悩むミセスの姿に、カドレッドのかわいいところはお祖母さん似だなぁ、なんてほっこりするソキウスであった。




