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悪役令嬢カトゥラ・カドゥレは憂鬱げ  作者: ミナソコミナモ


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(91)ソキウス:頼もしい共犯者

「……ダンス講師、ですか……」


 簡潔にまとめられた一束の書類に目を落として、つぶやかれたニッキーの声は硬く沈んでいた。


 変なプレッシャーをかけないためにも、あまりかしこまったところで打ち明けないほうがいい──そんな兄たちからの助言に従って、ソキウスは劇団の裏庭を交渉の場に選んでいた。

 ニッキーが無言で書類を読み進める間、荷物の搬入や稽古に忙しい団員たちの声が遠くに聞こえる。ぱらり、ぱらり。書類がめくられていく音が、そのたび空気をちりりと緊張させる。

 なんとも居心地の悪い沈黙をじっと辛抱し、ソキウスは待ちに徹した。


 ……無事、両親の許可とバックアップ、兄たちの全力サポートを得て、ソキウスはニッキーを説得するための情報集めに邁進した。それまでがなんだったのかと馬鹿馬鹿しくなる、目が回るほどに忙しくも充実した日々。

 劇団関係者の協力、医師の許可と助言、商人のネットワークや商会ならではの伝手(つて)、少しばかり後ろ暗い裏道……それらを駆使して集めに集めた情報は、大いにソキウスの心を動かした。


 『彼女』が今おかれている環境を、ただ、伝えたい。

 助けるとか、助けないとか、それ以前に。まず知ってもらいたい。


 衝動が筆を動かし、ままならない思いのこもった文章を量産させた。兄たちの添削を経て、言葉を変え文字数を大幅に削ってなんとかレポートの体裁を整えたものが、今ニッキーの手元にある書類だ。

 そわそわと、動悸が速くなるのを感じる。添削が入っているとはいえ、少しでも『彼女』の今を伝えることができるだろうか。ソキウスがいかに心を動かされたのか、理解してもらえるだろうか……


「……お貴族さまって」


 ぽつり、と、ニッキーのつぶやきが零れ、ソキウスは心臓を小さく跳ねさせた。


「もっと華やかであってほしかったものですね……」


 舞台上で華やかなりし貴族として生きることもある役者としての憂いを込めて、ため息を一つ。


「生まれた時から何もかも恵まれてて、あくせく働かなくても飢えることなんか絶対になくて、お茶会だのパーティーだので毎日優雅にあらあらうふふーって。そんなならちょっとぐらい自由じゃなかったりキツイめにあったりしても我慢しろよー!……って、思ってたんですけどねぇ」


「……うん。僕も思ってた」


 少し茶化すようなニッキーの言葉に、ソキウスの口許が緩み、小さな苦笑が零れ落ちる。


「王族や貴族は為政者としての義務の代わりに豊かな生活が保証されてるんだから、そのぶんいっぱい悩んだり苦労したりしててくれないと割に合わないなって」


「そうそう! 別に貴族になりたいなんて思いませんけどね、こちとら舞台用の厚塗りメイクでお肌ボロボロにしながら、裏側つぎはぎだらけなのを隠したドレスもどきでそれっぽく着飾って、汗なんか絶対にかきませんって顔して衣装の下汗だくにしながら踊ってるんですよ。それを、つま先からてっぺんまで本物の高級品で固めてぴかぴかに磨かれた真珠みたいなご婦人たちが客席でおほほほほーって優雅に観てるんだから、なんかやりきれないな、不公平だなって思うじゃないですか。その扇子に嵌ってる宝石のひとつでいいからよこせよー!ってなる日もあるじゃないですか。まあないものねだりの八つ当たりですけど」


 少しおどけた口調で立て板に水、ニッキー節が帰ってきた。ソキウスも思わず釣られて笑みを引っ張り出されながら、うんうんと頷き相槌を入れる。


 物質的に苦労したことのない大商会の三男坊でも、貴族と比較すれば格の違いを思い知らされることは少なくない。上には上がいるもの、やはり平民は平民、貴族は貴族なのだ。学園でも貴族生徒のさりげない所持品に息を呑むこともしばしば。それが欲しいというわけではないけれど、なんとなくもやっとした気分になるのは確かだ。

 相手と自分、どうしてこうも違うのか。残酷な落差を前に、自分自身を無性にみじめに感じてしまうのかもしれない。


「でもああいう、ぴっかぴかにキレイな、私よりずっと恵まれている人っていうのも、私の人生にはいなきゃ困るんですよ。舞台にお金を落としてくれるってのもありますけど、それ以上になんていうのか……それが絶対に叶わない夢であっても、夢を見させてくれるヒトっていうのはいてくれなきゃ絶対に駄目だって思うんです。ウソみたいにキレイな顔をして、ウソみたいに豪華なドレス着て、ウソみたいに優雅な生活してるお姫様が実在してくれないと、子供たちの夢が一つ減るじゃないですか。現実はドレスの下で必死こいてバタバタ泳いでる白鳥だったとしても、そんなことちっとも感じさせないで、なんの苦労も知りませんって顔でにこにこ笑っていてほしいんですよ。じゃなきゃ張り合いってもんがないでしょ」


 ……世界は、自分より優れていたり、恵まれている人々に溢れている。でなければ社会は成り立たない。

 それはきっと、大多数の人間にとって絶対に逃れようのない真理の一つで、けれどその残酷な現実を正面から認めて受け入れることができるのは、ニッキーの健全な強さあってこそ。


「だから、せっかく高貴なお生まれなのに、ご家庭の事情でピッカピカではいられないお嬢様がそこにいらっしゃるというのであれば、微力ながらお手伝いすることも、やぶさかではございませんのことでしてよ?」


 最後の最後におふざけたっぷり、茶目っ気たっぷりにニッキーは笑う。今も決して、他人のことに心を砕いていられるような余裕はないはずなのに。一度(ひとたび)教育者という後方業務に退いてしまえば、現役に戻るハードルがいっそう高くなるかもしれない……なんて不安とも無縁ではいられないだろうに。


 ソキウスの人選と、兄たちの判断は正しかった。

 今のカトリーヌ・カドレッドにとって、ニッキーの存在はきっと支えになってくれる。


 ……そう。この時すでにソキウスは、カドレッド家の情勢とその令嬢が置かれた環境について、かなりの精度で把握していたのだ。

 現カドレッド侯爵が学園在学中にしでかした婚約破棄騒動を発端に、侯爵とその夫人は社交界の爪弾(つまはじ)き者にされていること。侯爵夫妻の関係は事実上破綻しており、双方とも複数の愛人をとっかえひっかえ状態であること。侯爵は領地経営にもまともに関わっておらず、それでいて侯爵家が傾く気配も見せないのは、どうやら領地に引きこもりがちな前侯爵夫人が実は経営の全権を握り家を守り立てているおかげであること。その前侯爵夫人はすでに嫡孫を後継者と定め、国外に留学させる形で家から逃がしていること。

 ……この複雑なお家事情から、たった一人、忘れ去られたように取りこぼされてしまった少女が今、日々をどう過ごしているのか、ということも。

 調べればあっという間にわかってしまうことだったけれど、調べなければきっと一生知らずにいたことだろう。


 平民の目線から見て、カトリーヌ・カドレッドの置かれた環境は決して悲惨なものとは言えない。ろくでなしの親がいて、人との縁が薄くて、心が潤うことのない生活。それでも決して飢えることはないし、殴られるわけでもない。高級品に囲まれて、高度な教育を享受できる。ニッキーの言うように、苦労知らずで豊かな生活が送れているのだからその程度の不幸は対価として呑み込むべきだ、と考える人間も少なくないだろう。

 一般的な人間の共感と同情が届く限界範囲の一歩外側に、彼女は立っている。

 ──だからと言って、彼女自身がつらくないわけはないのに。


 そんな彼女を、ソキウスは見つけた。彼女のことを知って、彼女の孤独に触れて──彼女が今考えているだろうことを想像して。

 胸が苦しくなって、いてもたってもいられなくなった。生まれて初めて、誰かを助けたいと心の底から熱烈に欲した。

 ならばここから先は、どうするもソキウスの自由。誰が彼女を無視しようとも嘲笑おうとも、ソキウスはソキウスの自由を行使して、身勝手に彼女を助けるまでだ。


 できることは多くはない。平民が貴族に介入する機会などまずあるものではない。できたところで何かが大きく変わるとも思えない。

 それでも、ここから始めよう。少しずつでいいから。少しでも彼女が生きやすくなるように。


「ぜひ、お願いします……!」


 腰を直角に曲げてなお足りぬとばかりに頭を下げるソキウスの姿を、けらけら笑い飛ばすニッキーの笑顔は、女神や聖母……というよりは、下町のおっかさんのように頼もしかった。

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【完結済・コミカライズ】
身辺を清めてから出直してくださいませ

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