(90)ソキウス:兄たちのあこぎでまっとうな商売講座
「兄ちゃん。商売のやり方、教えて」
ベルモー三男坊、奮起す。
当時のソキウス自身には知る余地もないことだが、それはベルモー一家にとってなかなかに衝撃的な事件だったらしい。
中庭でいつものように喧々囂々やりあっていた兄たちは、そう末っ子に請われると賑やかなじゃれあいをぴたりとやめ、いつものダブル無言なでなでをいつもよりちょっぴり強く長めに弟の頭頂部に与えたのち、気前よく相談に乗ってくれた。
「ほーん、なるほど例のカドレッド侯爵なー。こいつぁ難敵」
「んにゃ、侯爵やり込めるのは案外簡単だと思うけどな。遠目でも気の毒になるほど孤立して空回ってるし、頼れる人間もほとんどいいなさそうだから付け込みどころありまくり」
「まぁな。でもめんどくせぇ相手なのは間違いない。だから手間は惜しむなよ。データ揃えてバカでもわかるレポート作ってしっかりプレゼンして、てめぇに逃げ道なんてねぇってことをわからせて徹底的に追い詰めて落とせ……ッ」
「兄ちゃん物騒」
「バカ相手に商売するのはリスクだらけなんだから、こっちも周到に理論武装しとけって話だよ。あと、直接対面する場合はなるべく発言力のある公平な第三者を立ち会わせることな」
「バカを相手にする場合はバカ本人からの信用や心証は二の次、外野の大多数から見てどっちが真っ当でどっちがバカなのかはっきりわかるようにアリバイ作りしとくほうが大事。後出しで権力振りかざされてもひっくり返せない契約書の作り方は後で教えてやるから」
「それよかそもそも講師の確保が最優先だろ。ソキウスが想定してるのはニッキーのことなんだろうけど、まだ話通してないんだろ?」
ソキウスは素直に頷いた。さすが、兄たちにはお見通しだったらしい。
昨年、怪我で舞台を降板せざるを得なかった大劇団のトップスター、ニッキー。
彼女が所属しているのは、ベルモー家とは商会立ち上げ当初から付き合いのある劇団で、ソキウスも幼少期に見学と称して父の商談に引っ付いて行って以来、客席から楽屋裏まで実質フリーパスである。団長団員はいたくソキウスのことを可愛がってくれていて、最近では学園を卒業してからでいい、と前置きしながら入団のお誘いをもらうこともある。適性がないのは明らかだし、芝居を観るのは好きでも演じる側、構築する側に立つほどの情熱もないので、もちろん丁寧にお断りしているが。
ニッキーもソキウスのことを「坊っちゃん」と呼んで、弟のように可愛がってくれた一人だ。
その姉のような彼女が、今まさに苦しんでいることを、ソキウスは知っている。
ニッキーが利き足を故障したその瞬間を、ソキウスも目撃している。有名な古典演劇の、初日公演の真っ最中だった。
当時トップスターとして名を馳せながらも、隠していたスランプの兆候を団長に見破られ、半年ほど脇に徹したのちの久々の主演舞台。
ずっと矢面に立って運動量の多い華のあるパフォーマンスを売りにしてきたニッキーにとって、脇役の踊りにはずっと不完全燃焼感がつきまとっていたようだ。秀でた身体能力が大前提であるダンサーの賞味期限は短い。その貴重な時間を半年も浪費したと感じるのも道理で、当然焦りがあったはず。
スランプ明け、久方ぶりの主演、それも多くの役者が演じてきた著名な演目。焦りは、絶対に成功させなければならない気負いへと繋がり、無意識の力みを生み……そうして悲劇は演目終盤に起こった。
ニッキーが明らかに姿勢を崩したのを、ソキウスははっきりと目撃した。彼女はすぐに体勢を立て直し、残る演技を最後までやりきって舞台袖に捌けていった。
観客は降りていく緞帳へと万雷の拍手を送っていたが、ソキウスは嫌な予感に駆られて舞台裏へと急いだ。合間合間に聞こえてくる、カーテンコールがないことへの違和感をつぶやく観客の声にいっそう不安を掻き立てられながらたどり着いた舞台裏は、壮絶な状態だった。
怒号飛び交う中、ニッキーは楽屋に整えられた急場の寝床に横たえられ、激しく悶絶していた。絶叫をこらえるために口に咥えこんだ布切れを歯ぎしりの音が聞こえてきそうなほどに必死に噛み締め、全身を小刻みに震わせながら足を抱えて身を捩る痛々しい姿は、当時のソキウスにとってあまりに衝撃的な光景だった……
直後駆けつけた医者の適切な処置と辛抱強い治療と訓練のおかげで、ニッキーは順調に回復していった。それでも日常生活に支障がなく歩けるようになるまで半年以上を要したし、ダンスは当面禁じられている。
……どうも診断結果は相当に芳しくなかったようで、演者復帰がかなり難しそうだということだけは、あくまでも部外者であるソキウスにも否応なく伝わってきていた。
スランプ明け一発目、試金石となる舞台で、よりにもよって初日での怪我。当然降板するほかなく、主演は最近めきめきと実力をつけ始めた若手に取って代わられ、自分は舞台に上がるどころか踊ることすらできない有り様。団員からは腫れ物扱い、ファンからは落胆の声、無責任な野次馬から聞こえてくる意地の悪い噂話……。
今、ニッキーを取り巻く状況は、到底良いとは言えない。
「……だから、少し舞台から離れてみるのもいいんじゃないかなって。今のまま劇団にいても、心がどんどん追い詰められて……きっと、舞台のことが大嫌いになっちゃうと思うから。貴族の女の子にダンスを教えるくらいなら、そんなに激しい運動にはならないと思うし、リハビリにもいいかもしれないし……って」
「あー……」
「うーん……」
兄たちは難しげに首をそらしたり腕を組んだりして唸り出してしまった。
そうして、何が悪いのかわからず不安になっているソキウスの肩を、上の兄が諭すようにぽんと叩いた。
「キューの言ってることはだいたい間違ってない。ただ、それでニッキーが納得するかどうかは別問題だ」
「そう、かな」
「人間ってのは往々にして正論だけじゃ納得できない生き物だからな。特に、精神的に余裕がなかったり思考力が落ちてる時には、正論は毒にしかならないことも多い」
「ニッキーはあくまで舞台に立つことにこだわってるだろ。今のニッキーにとって、舞台から遠ざけようとしてくる人間は全員敵だ。それも、「ニッキーのために」なんて親切ごかしなお題目ですり寄るのは最悪の悪手だな。「そんなの自分のためなんかじゃない!」つって、いっそう頑なになっちまう可能性が高い」
「そっか……」
「──だからな」
ぐっ、と、掴まれた肩にさらなる力が加えられた。下がってしまっていた視線を上げれば、顔立ちは違うのに双子にしか見えない、あこぎな商人の笑顔が二つそこに並んでいた。
「ニッキーのため、じゃなく」
「ニッキーの親切心に付け込んじまえ!」
「……は?」
ぱちくり目を瞬くソキウスに、兄たちの力説することには。
「人間の心理として、商売人が「あなたのために」なんて言い出したら、よっぽどの世間知らずでもない限り、まず警戒する。商人なんて生き物は商売の利益追求第一が普通だからな」
「この利益ってもんがゼニだけだと勘違いしてるヤツは貴族にも平民にも、あまつさえ商人にも少なくねぇが、まあそれが一番わかりやすい落とし所なのは間違いねーし」
「そのうえニッキーは女だてらにずっと自分の実力でトップ張ってきたろ。弱ってる時に「助けてあげる」なんて手を差し伸べられても、そうそう素直に応じるようなタマじゃない」
「まあよっぽど追い詰められてたらまた違うだろうけどさ。最初はまず拒否してくるもんだと思っとけ。まして舞台から引き離そうってんなら、余計に頑なになるのは目に見えてるしな」
「「自分のため」なのは何か、自分が何をすべきか、そういうことは全部自分で決める。それで悪い結果を引き寄せたとしても、自分の行動のツケは自分で払う。そういうタイプだ」
「だが……「自分のため」じゃなかったら、話は変わってくる」
「ニッキーの利益にもなるってのは建前、むしろ本音はニッキーの手を煩わせてでも頼りたい、頼るしかない……そう思わせたほうが彼女には効く。そりゃもうてきめんに」
「困ってる人がいるんだ、自分のことばっかり考えてワガママ言ってる場合じゃない!ぐらいの反応が返ってきたらこっちの勝ち」
「強い女は……少なくとも本気で強くあろうとしている人間なら、自分だけの世界に閉じこもるよりも頼ってくる他人のために動きたい!ってなるもんだ」
「それが高じて駄目男や詐欺に引っかかるのはまずいが、今回のはキューの持ってきた案件だからな。むしろキューの依頼で今のニッキーのリソースを奪ってやれば、クソどもに利用される確率も下げられるだろうし、ちょっと余所のことに思考を持ってかせたほうがニッキーの気晴らしにもなるだろ。一石三鳥じゃね?」
「うーん……じゃあ、思いっきり「僕困ってます、助けてください!」って拝み倒せってこと……?」
「まあな。でも間違えんなよ。困ってんのはおまえじゃないだろ」
「あ」
そう、商人はあくまでも仲介人にすぎない。
気になる彼女を助けたいという気持ちの発散をニッキーに手伝ってほしいのは山々だけれど。今本当に、切実に助けを必要としているのは、カトリーヌ・カドレッド本人のはずだ。
だとすれば、ソキウスが第一に為すべきことは。
「カドレッド侯爵家の、調査……」
カトリーヌ・カドレッドがいかなる環境で育ち、今具体的に何に悩んでいて、どれほど切実にダンス講師を必要としているのか。本人に直接問いただしてもきっと教えてはもらえないだろうそれらを正しく知り、整理したうえで、ニッキーに真摯に伝えること──
真理に触れたようなつぶやきが、ぽつりとソキウスの口から零れ落ち、兄たちは視線を交わしてニッと笑いあう。
「──ぃよっし、ここから先は父さんと母さんも巻き込むぞ!」
「え、えっ!?」
「腐っても上流貴族の内情を探るんだから、おれらの独断だけで動くのはちとまずい」
「オッケー出たとしても、方針だけでも共有しておかないとあとあと混乱のもとだしな」
「そ、そっか」
「父さん今日王都で商談だったよな?」
「おう。母さんは新店舗の内見」
「よしよし、ふたりとも晩飯までには帰ってきそうだな。それまで三人で計画詰めるぞっ」
「今日の夕飯は家族会議だぜぇ!」
同時に踵を返して大股で家の中へと急ぎながら、二人の兄は互いのこぶしを力強く打ち付け合う。
……嫉妬する必要はない。自分を卑下する意味もない。
やりたいこととやるべきことをはっきりと見つけているソキウスの兄たちは、誰がなんと言おうと最高にカッコイイ、自慢の兄なのである。




