(83)某公爵のたくらみ
……役者は、おそらくこれで全員揃ったのだろう。
舞台上には三名。祖母、カリエーラ・カドレッド。兄、ブライアン・カドレッド。そして前ツィザーレ公爵閣下。
たかが三人、なれどこのあからさまに用意周到な面子よ。
エズモンド子爵は、前ツィザーレ公爵の孫である。
前ツィザーレ公爵の次男が、公爵家が所有していた子爵領を拝領して子爵として独立した。つまりこれが現エズモンド子爵の父親である。このあたりは貴族名鑑を開いて真っ先に覚えておくべき事項の一つであろう。
確かエズモンド子爵の子がカトリーヌの同学年にいたはずだ。父親同様、公爵家の縁故などおくびにも出さず、生徒会に絡むようなトラブルに巻き込まれることもなく、実に健全な学園生活を謳歌して、このたび卒業となる。
つまり前ツィザーレ公爵は、曾孫の卒業祝いのためにパーティに参加していたのだろう。エズモンド子爵の傍らにいる老婦人は子爵の祖母であり、前ツィザーレ公爵が自ら同伴してきた愛妻である、という、紐解いてみれば単純なカラクリである。
兄(とついでに父)は同じく卒業生であるカトリーヌの父兄として、祖母ことミセス・マトローネは講師枠での参加だろう。
三人とも、この場に顔を出すのは不自然な面々ではない。たまさか顔を合わせることになれば、寄り集まって話に花を咲かせるのも蓋然の範疇だ。
しかしその三人が、一丸となって侯爵断罪に乗り出した、となれば、それはもう絶対に偶然や即興ではありえない。
この見世物は、誰かが脚本を書いている。……おそらくは祖母を起点として前公爵の意向を大いに受けた、三人の合作だろう。厳格で知られる前公爵が、他者任せの筋書きの上で唯々諾々と踊りはすまい。
この見世物は、社交界から一侯爵を爪弾きにさせ爵位を退いた今なおその影響を残し続ける、前ツィザーレ公爵の企図したものである──
つまり、詰みだ。
侯爵の権利が厚遇されるべきものであるのなら、前公爵の御心はそれ以上に優先されるべきもの。このまま父が、審議の余地もないほどに誰の目にも明らかな祖母の非を指摘できなければ、この私的な断罪は祖母の勝訴で確定である。
カトリーヌはちらと父の様子を窺う。面会を切望しながら決して叶わなかった某公爵の登場が痛恨の一撃となったか、一気に十は老け込んだかの如き驚愕と憔悴が混在する横顔。
……これほどの周到な仕掛けを祖母が用意した、その意味が見えてきた。
正すべき子供は、ここにも一人いたということだ。
カドレッド家とツィザーレ公爵家とを結びつけた縁は、ジョナサンとカリエーラの契約に最初の改定が入れられたその瞬間に遡る。
すなわち、白い結婚の約束をジョナサンが破り、その責任をカリエーラが追求したまさにその時。
契約改定の話し合いの場に立ち会った第三者こそ、公証人として城勤めをしていた、当時現役だった前ツィザーレ公爵の、甥であったのだ。
公証人の守秘義務は絶対だ。甥御は決して契約の内容を家族にも漏らさなかった。
が、それはそれとして、以前から目端の利く者の間では密かな注目株であった才女が予想以上に親族好みの気骨を示したために、契約の件とは別個の案件として伯父である前公爵との橋渡しを買って出たのである。
この申し出は、これから領地を守り立てていこうというカリエーラにとっても渡りに船だった。ありがたく縁を繋いでもらって以後、軽い助言に始まり、取引先の融通や協力も頻繁にあり、ほどなく業務提携をするまでになったという。甥御の見込みどおり、前公爵が才女カリエーラの気骨と辣腕を気に入ったのと同時に、前公爵夫人がカリエーラの刺繍と、どうしたことか人柄をいたく気に入ったことが大きかったそうな。
「……生来わたくしは高位の方々には眉をひそめられる性質であったはずなのですが……前公爵夫人は何を思われたか、たびたびの会食のお誘い、手芸サロンでの人脈づくりの提案、わたくしが体を壊して王都に上京した折にはサロンを開くための家屋を融通して……いえ、仔細は不要ですね。失礼いたしました」
珍しくごまかすような咳払いをする祖母。話題が前公爵夫人の話に及んでから、例の老婦人がキラキラ輝く笑顔で舞台上に手を振ってくるのがものすごくやりづらそうに見えるのは、たぶん気のせいではないだろう。
ふ、と口元を緩ませて、前ツィザーレ公爵閣下が深く低く響く声音で話者を引き継いだ。
「カドレッドの刀自殿には常々僥倖であったと感謝されるが、儂がカドレッド領に滞在していた折に亡夫殿が最終契約を持ちかけてきたのは、むしろ天の配剤と言うべき運命の一種であろうさ。あの男はあの男で、自身の不始末を最後の最期に片付けたのだ。いささか回りくどくはあれど、誰もが器用に立ち回れるわけでもなく、器用に立ち回ることが万人の救いになるとも限らんということだな」
最終契約には、領地に常駐している公証人と、当時業務提携の件で偶然にも居合わせていた前ツィザーレ公爵とが立ち会った。公証人の正式な手続きにもケチをつけるような古狸のお歴々も、公爵立ち会いの契約に対して否やは唱えられまい。
「儂に立ち会いを願ったのはそもそも亡夫殿──つまりそなたの父君の強い意向だ」
「ち、父上が……?」
「うむ。そなたのような雛が碌な誼みもなく社交界に現れたとて儂が一顧だにすることはないが、爵位継承に関する契約締結の場に立ち会ったとなれば、どうあっても縁は生まれる。事実上の後見という扱いになるわけだな。この企みが、亡夫殿が絞り出した智慧なのか、刀自殿の入れ知恵なのかは、儂の預かり知るところではないが」
ちらりと水を向けられても、祖母は済まし顔でだんまり。
「当家としては亡夫殿の願いを聞き届ける義理もなかったが、刀自殿──延いてはカドレッド領とは末永く付き合っていく腹積もりでいたものでな。袖にしては妻も煩かろうし……それに、あの梲の上がらぬ男が一世一代の大勝負に出るというのだから、見届けてやらぬのも無粋というものであろう」
前公爵の述懐に失笑するような反応を零したのは、同じ舞台に立つ兄だった。
「大勝負、ですか」
「適性がないと重々承知しておきながら我が子に爵位を譲るということは、それ自体が賭けであることに相違あるまい。己の子が侯爵として大成するに賭けたか、派手に転ぶに賭けたかは何者にも……当人にすら計り知れぬことではあったようだが……おそらくは前者であろうよ。でなくば隠居を目前としていたこの偏屈爺をわざわざ引きずり出すほどに必死にはなるまいて」
回りくどくとも、それは確かに父親としての愛情だったのだろう、と第三者たる「某公爵」は推察する。
そう思うだろう、とばかりに前公爵から視線を飛ばされ、父は居心地悪そうに目を泳がせている。祖父への複雑な感情の中に、どこか恨めしげな色も拭いきれない。
おおかた「後見とまで言うのならばもっと表立って助力してくれたっていいだろう」とでも思っているのだろう。……どこまで人を舐めているのやら。
実際のところ、父は間違いなく前公爵の庇護下にあった。本人に自覚がないだけだ。
最終契約締結後、祖父が某公爵こと前ツィザーレ公爵名義のサロンに出入りできたのは、前公爵本人からの善意の紹介だったそうだ。それでありながら当のサロンで酒に呑まれてぽっくりなのだから、恩知らずにもほどがある。
なんとも言えない侯爵の死の始末をどうしたものか。前公爵は冷静に思案し、一目散に謝罪に訪れた祖母とともに幾度となく打ち合わせを重ねた。そのうちに父が学園の卒業パーティで婚約破棄騒動をやらかし、祖母は夫と子双方の不始末を重ねて尻拭いする必要に迫られてしまった。
ならば重ね合わせになっている二つの問題を一度に処理してしまおう、と前公爵が提案したのが、父を飼い殺しにする計画だった。
父の暴走は目に余る。なんら手を打たずに野放しにすれば社交界が荒れるだろう。しかし祖父の望みに応じてツィザーレ公爵自ら契約を容認してしまった以上、早々に侯爵の座から引きずり下ろすのは難しく、なにより粋ではない。
そこで、死んだ男の一世一代の賭けの行方を滞りなく見届けるために前公爵が用意したのが、
『カドレッド家の醜聞を吹聴する一切の行為や、カドレッド家を陥れ新たな醜聞の種を撒く行為は、サロンでの前侯爵変死の件を掘り返されたくない某公爵の逆鱗に触れる』
……というカバーストーリーによる社交界への牽制だったのだ。
おかげで父は腫れ物扱いを受けることを代償に、悪意の接近からも守られることとなった。地獄の底へのベクトルを突き進んでいたマイナスを、プラスにまでは転換できずとも、限りなくゼロの付近まで引き上げることはできたわけだ。
その先、ゼロをプラスに変えられるかどうかは本人次第。前公爵の助力が過度に干渉しては、賭けの意味がないのだ。
「懲罰の含みがなかったわけではないぞ。他者の犠牲となった被害者には、まず第一に加害者が適切に裁かれることを以て報いねば、全体の秩序は保てぬからな。それに……孫はちぃとも爺を頼ってはくれんが、爺としては孫の愛した女性に降りかかった不幸を少しでも晴らしてやりたいと思うのが人情であろう?」
……その感覚は、揃いも揃って家族愛不感症のカドレッド家一同からはノーコメントとさせて頂きたい。
にわかに周囲の注目を浴びて照れくさそうに会釈するエズモンド子爵と、そこで初めて彼が会場にいることに気づいたらしく目を剥いて射殺さんばかりに子爵を凝視している父とを乾いた眼差しで遠目に見やりながら、カトリーヌは胸中に嘆息する。
この様子では、「某公爵」がカドレッド家を目の敵にしているという話がつじつま合わせの虚偽であることを知っていた貴族は、決して少なくはなかったのだろう。
というか、このパーティーで前カドレッド侯爵夫人と前ツィザーレ公爵共作の見世物が繰り広げられることは、ある程度大人たちに周知されていたと見るべきだろう。すでに話が通っていたからこそ祖母が名を偽って学園の講師に紛れ込んでいたことへの批判がまるで上がらなかったのだ。たとえ不満があろうとも前公爵のお墨付きに噛みつける気骨のある貴族は、そういまい。
カトリーヌがカバーストーリーをまんまと信じてしまったのは、渦中の一人であるエズモンド子爵とのやり取りで思考を誘導されていたせいだ。印象どおり抜け目ない、油断ならない人物である。
貴族たちは真実を知ろうと知るまいと某公爵に忖度してカトリーヌと深く関わろうとはしてこなかったし、カトリーヌ自身も社交界から積極的に遠ざかっていたから、真実を見抜くことができなかったのだ。……社交界に慣れ親しんだ『悪役令嬢』であったならば、あるいは気づけたのかもしれないが。
(……いいえ。『彼女』こそ、父の窮状が父のために用意された茶番だなんて、絶対に信じないでしょうね……)
父と、母と、その付属品である自分は、世間から悪役として排除される運命にあるのだと、『悪役令嬢』であるカトリーヌ・カドレッドはきっと勝手に信じている。まさしく『ゲーム』での役割そのままに。
他者の善性を、自身に向けられる善意を、決して信じられない。絶対に信じようとしない。
だから、大嫌いな家族まるごと巻き込むことさえ狙って、己を派手に破滅させようとする。
だから、幼馴染の恋愛模様の黒幕が女帝であり、それが友達欲しさの無邪気(?)な遊びだと気づけない。
だから、こうやってわかりにくい、回りくどいやり方で、誰かが父を救済しようとしてくれているだなんて、夢にも思わなかったに違いない。
けれど現実は……否、おそらく『ゲーム』の世界であっても、カトリーヌは破滅なんてしないし、きっと目には見えにくい人々の様々な助けがあって、カトリーヌは今ここに立っていられている。




