(7)父の見栄が呼んだダンスの縁
「お嬢様、今日はずいぶん気合が入ってらっしゃいますねぇ」
自宅でのダンスレッスンの最中にそう指摘されて、カトリーヌは目を瞬いた。
「そう……かしら?」
「ええ、いつもより身が入っているといいますか。ああでもちょっと力が入りすぎかな~。はい、そこ重心は右足で。力まないで」
ダンスの講師はニッキーという名の気さくな二十代の女性だった。貴族ではない。一流の大劇場で踊っていたプロの踊り子だ。
現在の侯爵家は貴族社会にあまり信用がない。父としては我が子に評判の良い家庭教師をつけて箔をつけたかったらしいが、なかなか人が集まらず苦労したようだ。
幼少期にリリアと縁を結ばされたのも、父の数少ない友人であるノトシュ伯爵──つまりリリアの父の信用を間借りするため。しょっちゅう一緒にいる仲の良い幼馴染同士、家庭教師も同じにしていっそ同時に見てもらえば合理的だ、という体裁を演出するためだ。伯爵がそれを是とし生徒二人分の給金が支払われれば、お抱えの一流教師たちも否とは言えない。
おかげでカトリーヌは質の良い教育を受けられたし、リリアの劣等生ぶりを横目にそこそこ優越感を味わわせてもらったりもした。
しかし学園に入学してしまえば、もう家庭教師の出番はない……はずだったのだが、そうもいかないのが社交ダンスだった。
学園でもレッスンの時間は多少設けられているが、教師少数につき生徒多人数の授業では、なかなか隅から隅まで行き届かない。学園にできるのはせいぜい基礎を叩き込むまで。どうしたって劣等生のフォローにリソースが割かれるし、貴族だけでなく平民も交じっての授業となれば余計にだ。おかげで劣等生というほどではないが得意ともいえない、平均値の底辺をうろうろしているカトリーヌなどはあぶれ気味だ。
一から十まで専門的に学園で学ぶなら、一般課程とは別枠に設けられた特別講習を受けることになる。ただこれを受講するのは、ものすごく才能があったり技量の高い生徒か、もしくは家庭内でのレッスンになんらかの支障を抱えた生徒という、両極端なケースのどちらかであることが多い。
カトリーヌは明らかに後者に当てはまるものの、父は侯爵家に問題ありと自ら示すような真似を嫌って、カトリーヌに受講を禁じた。
そもそもダンスなんてものは、貴族が各々の家庭で家族の交流として伝承していく部類の技術の一つだ。いざとなれば親が教えればいい。
だがそれをしないのが父であり、しないしできもしないのが平民出身の母である。もうどうしようもない。
社交に備えてダンスレッスンが必要なのに、講師が捕まらない。幼少期のようにノトシュ伯爵家に頼るのもさすがに憚られる。
学園入学直後にこの問題に直面したカトリーヌがリリアに愚痴っていたところを聞きつけたのが、まだお互いほとんど会話もしたことのなかったソキウスだった。
大商家の三男坊。その肩書きにそぐわぬ人脈をもってして、ソキウスが紹介してくれたのがニッキーである。
ニッキーは有名劇団の看板ダンサーとして数々の大舞台で踊っていたが、数年前に利き足を故障して以来、舞台復帰を絶望視されていた。どうにか元のポテンシャルを取り戻そうと苦しいリハビリに励み、そして行き詰まっていたところに、ソキウスが商会を通じてカトリーヌのダンス講師に誘ったのだ。
一度教える側に回れば現役には戻れないのではないか、という葛藤もあったようだが、劇団が世話になっているベルモー商会の斡旋ということもあって、最終的には引き受けてくれた。
最大の問題は、体裁を気にするカドレッド侯爵が平民であるニッキーの雇用に納得するかどうかだったが、そこはベルモー三男、ぬかりなし。彼女が現役時代にどれほど貴族のファンを獲得していたかを書類にまとめ、その最後には隣国のやんごとなき家柄のご夫人からのファンレターを添えてカトリーヌに持たせたのである。
上流社会に評判の良かった元踊り子を雇えるならば、体裁はなんとか整う。
呆れるほどあっさりと話は通り、ようやくカトリーヌはまともなレッスンにありつけるようになったのだ。
「……うんうん。姿勢が格段によくなりましたね! お嬢様は背があって手足も長いから、仕草が映えるんですよね~」
「背の高さを褒めるのなんて、貴女くらいのものだわ」
カトリーヌは平均より背が高い。現在の貴族社会においては理想の男女の身長差は頭一つぶんぐらいだとされているが、カトリーヌが同年代男子に対してその理想値を割り込まなかったことは皆無に近い。男子の平均に微妙に足りていないソキウスなど、ほとんど目線が変わらない。
結果、たいがいの男子に初対面で若干引かれる。それなりに慣れたクラスメイトであっても、出し抜けに近づくとビクッとされることも多々ある。令息たちがカトリーヌとの縁談に尻込みする理由の一つに、この背丈が入っているのは間違いないだろう。
「ダンサーにとっては素晴らしい武器ですよ! まあ、可愛いプリマやお姫様の役なんかは回ってこないかもですけどねぇ」
ニッキーは嬉しそうに褒めてくれるけども、踊り子になる予定もない侯爵家令嬢には宝の持ち腐れだ。
「そう、そのまま足を伸ばして……そこから少し走って前へ跳んでみましょうか。はい!」
パン、と手を叩く音に突き飛ばされるように、カトリーヌの身体が駆け出した。わずかな助走から軽やかに跳躍し、綺麗に着地。慣性に引っ張られるように床に跪き、翼を畳む仕草で静かに腕を重ねる──
(あ、今の)
ふいに、脳裏に透ける赤がひらめいた。
カトリーヌのお気に入り、ソキウスからもらった新作の布地。あれを纏って今の部分を踊りたかった。
けれどあの大判を常に持ち歩くわけにもいかないし、レッスンに使うのも憚られる……
「──何をしている」
底冷えする男の声が投げかけられ、カトリーヌは小さな悪事を見咎められた多少のやましさなど簡単に塗りつぶしていくような根深い諦観を、大きなため息に変えて吐き出して視線を上げた。
……そう。屋敷の中では、家族の目がどこにあるかわからないから、あの布は使えないのだ。
レッスン室の入り口には、カドレッド侯爵──カトリーヌの父が、険しい顔をして佇んでいた。




