(6)カトゥラ・カドゥレの幻影
「では、お疲れのレディ・カトリーヌに、僕から労いの品を」
ベンチの傍らに座るソキウスが出し抜けに言って、カトリーヌは物思いから現実へと引き戻された。
高級感あふれるショッパーから取り出されたのは、色鮮やかな赤色の生地。カトリーヌの暗い紅色の赤毛とは風合いの異なる、燃え盛る炎の如き緋色だ。
手渡され、触ってみれば不思議な肌触り。レースよりずっと細緻な縫製でありながら、向こう側がほんのり透けて見える。
「きれい……」
目線に持ち上げた布地を木陰に透かして、カトリーヌの口から自然と感嘆の声が漏れた。
カトリーヌは立ち上がり、愛用のショールの上から布地を纏ってみた。
その布地は服ではなかった。大判の、四隅を軽くまつっただけの大きな布だ。ショールどころか、下半身まで覆うケープにできそうな幅と長さ。
「まだろくに縫製もしてないんだけど、うちの新作。いい色が出たし透け感抜群だし、一番にカドレッドに見せたくってさ」
ソキウスがいたずらに成功した子供のように笑った。そうすると、少女のような顔立ちに意外な男らしさがにじみ出る。
ベルモー商会三男坊のもっぱらの興味は、縫製業全般らしい。
商会は近年、没落しかけの貧乏貴族の領地で中規模の織物工場を買い叩き、商会独自の新商品創出に少しずつ力を注いでいる。各地で既に仕上がっている商品を見つけては買い付け、市場に流通させるやり方で大きくなってきた商会にとっては、新しい試みだ。
この事業に乗り気なのが三男坊、つまりソキウスだ。学園に通いながらにして工場に足しげく通っているようで、こうやって時々カトリーヌに試作品を見せてくれる。
カトリーヌは大きすぎる布地をまとったまま、身体を軽く左右に揺らして未完成の裾の動きを楽しみながら、くすくす笑った。
「素敵だけど、普段使いはできないわね。派手すぎるし、寒そう」
「前に言ってただろ、パーティーに着ていくのにちょうどいいショールが欲しいって。でもショールって僕らの世代からするとちょっと年寄りくさいからさ。表を派手めで軽い布にして裏地を工夫すれば、見た目と防寒機能を両立できるんじゃないかなって」
「……年寄りくさくて悪かったわね」
「そこ!? わかってて使ってるもんだと思ってたけど?」
「寒いんだからしょうがなく、よ。あと、わかってても改めて指摘されるのは気分が悪いわ」
「相変わらずめんどくさいですよお嬢様」
腐すような言葉とは裏腹に、ソキウスは屈託なく笑っている。
カトリーヌはふっと小さく微笑んで、身を包む布地を出し抜けに広げてみせた。透ける赤が鮮やかに広がり、さやかな風に揺らめく。
「ではお礼とお詫びに、一差し舞わせて頂くわ」
鮮やかな赤の向こう側で、少女の肢体が動き出す。
カトリーヌは舞う。身体をしならせ、ほっそりとした腕を上げ、長い足を伸ばし、指先まで美しく。
それは社交の場や舞踏会の儀礼的なダンスとは違う。遥か異国の仕草を取り入れた、見せるための創作舞踊。
浴びる光を、落ちる影を、纏う衣服の動きを意識しながら。すべての動きに感情を乗せて、意味を乗せて。
鳥が翼を広げるように風をはらんで大きくはためく赤に、想いを……日頃の鬱屈を託す。言葉にならない、胸の底のわだかまりを。
そして……静かにうつむき、翼を畳むように我が身を抱きしめる。
はためく赤がしぼむようにしてだらりと垂れる。
そこに宿るのは、深い諦観。
……パチパチパチ、と一拍を置いて耳に届いた拍手の音が、カトリーヌを孤独な世界から引き上げた。
カトリーヌは振り返り、眩しいものでも見上げるようなソキウスを、かすかに息を乱しながら見下ろす。
決して難しい動作はしていない。だがことさらゆっくりとした動きを維持するには意外と筋力を使う。普段あまり身体を動かさない貴族令嬢にとっては、ちょっとした運動だ。
ゆったりと締めの会釈をするカトリーヌに、ソキウスはいっそうの拍手を送り称賛する。
「すごく良かったよ。どこかのちゃんとしたステージで見たいぐらい」
「やめてよ、プロに怒られるわ。それに劇場で「カトリーヌ・カドレッドによる演目です」なんて聞いたらお客が腰を抜かすでしょ」
「そんなの、名前変えればいいじゃん」
「ステージネームってこと?」
「そ。カトリーヌ・カドレッドって名前も綺麗だけど、舞台の上だとちょっと重たいかな。うーん、たとえば……」
ソキウスは軽く頭を巡らせて、ほどなくにっこりと屈託のない笑顔をカトリーヌに向けた。
「正体不明の踊り子、『カトゥラ・カドゥレ』、とか」
──顔を神秘のヴェールの向こうに隠し、異国の衣装に身を包み、少し拙く物憂げに舞う、謎の、赤毛の……
頭の中に閃いた自分ではない自分の姿に、カトリーヌは苦笑する。自嘲に似た色を滲ませて。
「安直ねぇ」
「えー。よくない?」
「……そうね、悪くはないわ」
胸の奥に一滴、暖かな雫が落ちたような感覚を覚えながら、カトリーヌは飽きもせず赤い布地を日に透かした。




