(5)無愛想物憂げ令嬢ができるまで
※百合ではありません。
前世だのオトメゲーだのといったリリアの与太話を、カトリーヌは信じているわけではない。むしろ八割がた妄想だと思っている。
リリアの前世の記憶とやらが、現状を言い当てている部分は少なからずある。だがリリアがイケメンにモッテモテ☆という肝心の大筋は今や完全に食い違っているし、カトリーヌを取り巻く環境も変わってきている。
前世だろうが予知能力であろうが、リリアの抱えているものが本当に本物の未来の情報だったのだとしても、それはやっぱり口に出した時点で無価値に帰したのだろう。
事実として、リリアの話を聞いて、カトリーヌは変わった。
リリアにとって都合の良い、物語を牽引する悪役令嬢とやらを演じる気はさらさらない。
前世とやらを信じたわけではないし、未来の破滅を回避しようと躍起になったわけでもない。
ただ……なにもかもどうでもよくなったのだ。
カトリーヌがリリアをいじめるという話を聞いた時、「ありうる」と思ってしまった。たぶんそれが致命傷だった。
と言っても、「諸々自分に劣るリリアが男にモテて面白くない」などという水たまりより浅い動機はありえない。
それでもたぶん、何も知らないままのカトリーヌならば、男に囲われるリリアを攻撃する可能性は高いだろう。
……リリアを、引き留めておくために。
カトリーヌの両親は、カトリーヌが物心つく頃にはすでに不仲だった。
貴族ならば政略結婚あたりまえ、仮面夫婦なんてよくあること……と言えればまだよかったのだが。
極めて遺憾なことに、この二人は恋愛結婚である。それも、周囲の反対を押し切り、身分の差を乗り越えての熱愛だったという。
だがそうして我を押し通した代償は大きく、ままならぬ現実にすれ違いが増え、口論が増え……気づけば夫婦関係は修復不可能なところまで冷え切ってしまっていた。
だが侯爵家という立場があり、なおかつ結婚を強引に押し通した経緯があるだけに、簡単に離縁とはいかない。
体面もあるし、多分に意地もあるのだろう。二人とも表面的には仲睦まじい姿を演じて取り繕い、お手本のような仮面夫婦を何年も続けている。
パートナーに対する愛情が冷えると同時に、その相手との間に成した子への愛情も冷めるらしい。少なくとも両親はそうだった。
カトリーヌは、まともな愛情を注がれずに育った。
貴族だから、生活基盤がしっかりしていて経済力もあるから、円満な家庭を取り繕う必要があるから。カトリーヌはそれなりの生活を送れてはいる。幼い頃には乳母がいたし、使用人や教育係の助けにも事欠かなかった。物質的には十分に恵まれている。
それでも寂しさは募る。親からの愛情という、当たり前に与えられるはずのものが与えられない現実に、幼い心は静かに傷つき、そんな自分の弱さを誤魔化すように、プライドの高いお嬢様然として振る舞うようになっていった。
リリアから前世の話を聞いたのは、折しも父母双方に愛人の存在がちらつき始めた頃だ。
愛情に飢えて両親の歓心を買おうと頑張っていた時期。そして、どんなに頑張っても与えられないことに傷つき、仮面夫婦の猿芝居に付き合わされることに疲れ果てていた時期でもあった。
公の場にカトリーヌを連れて出ることのない両親も、限られた交友範囲における内々の茶会や夜会では、円満な家庭を取り繕うために娘を連れてきて利用した。
幼いカトリーヌはそこに一縷の望みをいだき、会の間は思いっきり両親に甘えてみたり一生懸命愛らしい令嬢を演じてみたりしたものだ。両親もその時ばかりは笑顔と優しい言葉をくれる。
ルペルト・ガルバスら婚約打診取り下げ要求者たちが信じていた「カドレッド侯爵は娘を溺愛している」という事実無根の噂は、この頃の一家の振る舞いに端を発しており、今現在をもってなお両親が方々で噂を補強する嘘をばら撒いている証左でもある。
……リリアが言うには、悪役令嬢はパーティ好きの見栄っ張りの派手好きだったそうだ。その原因はきっとここにある。
パーティにしか、良い思い出がなかったのだ。
見栄を張って、派手に自分を着飾るのは、親に倣った行為でしかない。パーティではそう振る舞うのが当たり前。そうしていれば、ひとときであっても、両親は優しくしてくれる。ベルの音で餌の時間を知らされていた犬が、ベルの音を聞いただけでよだれを垂らすの同じように。
でも、どんなに気取っておしどり夫婦を演じてみても、他人の目がなくなればあっという間に冷え切った関係に逆戻り。もしかしたら今度こそちゃんとした家族になれるのかもしれないと、いちいち期待しては何度でも裏切られる。
そんなことを繰り返し続けて滅入っていたところに、両親の不貞の気配。十歳のカトリーヌの心はボロボロだった。
嘘は嫌いだ。両親は嘘ばかり。見栄という名の嘘に癒やされている自分も嫌い。嫌いでも嘘にすがりつかなければ心を保てない自分の弱さも嫌い。
嘘は人の心を蔑ろにする。人を傷つける。
愛想笑いもおべっかもお追従も。全部消えてなくなればいい。
そんな荒んだカトリーヌの日常の中で唯一、嘘のない存在が幼馴染のリリアだった。
……と言っても、リリアが嘘をつかない綺麗な心根の持ち主である、というわけでは決してない。しょーもない嘘は何度もつかれたし、どうでもいいような隠し事も何度もされた。
ただリリアの場合、嘘も隠し事も態度でまるわかりなのである。
嘘をつかないのではなく「つけない」、隠し事をしないのではなく「できない」のだ。それらをやろうとすると声は震えるわ目は泳ぐわそわそわしだすわ。そこをついて問い詰めれば、あっという間に耐えられなくなって泣きながら事実をゲロするのである。前世だなんだという重要事項をペロリと自分から明かしてしまったのも、この気質に由来しているのは疑う余地もない。
これは決して罵倒などではなく、正真正銘、事実として、おばか、なのである。
けれどその、おばかなリリアが傍にいるということが、ギリギリのところで壊れそうなカトリーヌの心を繋ぎ留めていたのもまた事実だった。
リリアはおばかだしおばかだしおばかだけれども。正直友人にしておくには面倒くさすぎるけれども、それでも。
リリアには嘘がない。いや厳密には結構あるが、あっても意味がない。
それは嘘に疲れていたカトリーヌにとっての一縷の救いだった。
そんなリリアが男に恋してカトリーヌの傍から離れていってしまったなら。
何も知らないカトリーヌなら、心をどす黒い闇に染めて、自分を捨てて男のもとに行こうとするリリアに当たり散らしただろうことは想像に難くない。なんとしてもリリアを繋ぎ留めておくために躍起になって、取り返しのつかないところまでエスカレートしていく自分の姿が見えるようだった。
だが現実は違う。
それもこれも、訊きもしないのにリリアが未来のことなどゲロったせいだ。ご丁寧に、知りたくなかった本心までしっかりと。
リリアの語る未来に、カトリーヌの居場所はない。
リリアは男どもに囲われて、カトリーヌは疎んじられる。
最終的にはカトリーヌは牢屋行きか修道院行きか国外追放か、あるいはそれ以上に酷い末路をたどる。
……それはすなわち、未来において誰もカトリーヌを庇っても助けてもくれないことを意味する。侯爵たる父も、侯爵夫人である母も。その肩書きの力を使って駆けずり回れば、多少は娘に下された沙汰を緩和させることぐらいはできるはずなのに、彼らはそれをしないのだ。
そしてリリアは、たとえカトリーヌが最悪の結末を迎えようとも、荒唐無稽な自分の幸福を追求すると宣言した。
繰り返すが、リリアは妄想はしても嘘はつけない。
四面楚歌もここまで来ると、もはやあっぱれだ。
この話を聞いたカトリーヌの心を支配したのは、絶望ではなく虚脱だった。
内容が荒唐無稽だったのがよかったのかもしれない。冷静に自分を取り巻く状況を俯瞰することができた。できてしまった。
だから、カトリーヌの人生はこの時、車輪一幅ぶんだけ、静かに脱線したのだ。
両親はカトリーヌを愛さない。
リリアはいつまでも傍にはいないし、わりと簡単に裏切る。
待っているのはままならない未来。カトリーヌの望み通りになることなど一つとしてない。たとえリリアの言う破滅が来なかったとしても、他人の価値観で良いものと定められた高級品をお仕着せられ、高尚であることになっている教育を押し付けられ、やがては望まぬ相手のもとへと嫁がされるのだ。
そもそも……カトリーヌの望みとは、なんだっただろうか?
両親に愛されること? リリアとの腐れ縁を永遠に続けること? 未だ見ぬ誰かと恋をして一生添い遂げること? ……本当に?
年頃の少年少女の例に漏れず、カトリーヌは自己同一性の壁にぶち当たったのだ。自分が本当は何をやりたいのかわからない。いっときの感情の解消ではない、自分の本当の望みがどこにあるのか……わからない。
そして、望みが見つかったとしても、カトリーヌがそれを叶えることは、きっとないのだろう。
倦怠感と厭世観が全身にのしかかってくる感じがした。
望みもない、あっても叶わない、誰もカトリーヌのことなど慮らない。
たとえこの先誰か好い人と巡り合って、いっとき愛し合ったとしても、その愛もいつかは枯れる。両親のように。
ならばなんの意味がある? 生きることに。頑張ることに。
一度その思考の溝に脱輪したっきり、カトリーヌはずっと帰ってこれていないのだ。
結果、今ここにいるのは高飛車で派手好きな悪役令嬢などではない。
鮮やかな赤毛を地味な三つ編みのおさげにして、年寄りくさいショールを羽織り、化粧もせず、笑いもしない。
無愛想で物憂げな、つまらない小娘だ。




