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悪役令嬢カトゥラ・カドゥレは憂鬱げ  作者: ミナソコミナモ


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(76)カリエーラとジョナサンの契約結婚

 ……どうしてこうなったのだろう。

 本来なら、この場で断罪されるのは『悪役令嬢』だったはずなのに。

 ぼんやりとカトリーヌの脳裏に浮かんだそんな疑問は、『悪役令嬢』としての本能からくるものか。


 最終学年の卒業パーティー。そこで起こる『ゲーム』最後にして最大の最重要『イベント』は、『悪役令嬢』の『断罪』だ。

 『攻略対象』が虐げられていた『ヒロイン』を庇い、これまでの『悪役令嬢』の罪を高らかに暴き、罰を下す。リリア(の証言を翻訳したヒルデガルト)曰く、『乙女ゲーム』の佳境だそうだ。

 暴かれる内容はこれまでのイベント進行内容によって様々に変化するが、パーティーで提供される飲み物に毒を盛り、無差別テロをしでかすのは全『ルート』共通。この企みは『ルート』ごとに様々な形で『攻略対象』に見破られ、事が起こる寸前で防がれるものの、すでにパーティーの進行は大いに妨げられており目撃者も多数。内々に処理できる段階を軽々と踏み越えてしまったために、公衆の面前での断罪となり、与えられる罰も容赦のない内容になっていたわけだ。……惚れた弱みの職権乱用ということでもなかったらしい。

 状況の改善──欲望の解消に繋がるとも思えない、状況の悪化のみをひたすら目指すような、悪徳そのものの所業。そこに昏い喜びを見出し躊躇いなく実行してしまう『悪役令嬢』は、どれほど心の澱みを煮詰めてしまったのだろうか。

 そんな「悪者」を特権階級から引きずり降ろし、厳罰を与えるのが『断罪イベント』の醍醐味。かくして異分子は正しく表社会から追いやられ、『ヒロイン』と『攻略対象』は比較的価値観を共有しやすい隣人たちの称賛と羨望を浴びながら幸せな未来へと向かう。不特定多数の人々の支持を得やすい、古来より連綿と存在するストーリーラインの、美しい結末。

 リリア曰くの『ざまぁ』である。


 ……にもかかわらず。


「当カドレッド家は、建国十余年の(みぎり)より続く由緒正しき家筋。ですが家を興した初代ののちには侯爵の名に相応しい俊英が排出されることなく、豊かな領地頼みの無難かつ消極的な経営で長期に渡ってじりじりと資産を目減りさせながらも、地位をなんとか維持し続けておりました。凡才ながらに長き歴史を繋ぎ続けてきたことには相応の評価をすべきでしょうが、いずれどこかで手を打ち凋落を食い止めなければならない時が来るのは必然でした。──それこそが我が使命と気を吐き行動を起こしたのが、旦那様……そこなハリスンの父である先代侯爵ジョナサン・カドレッドでございます」


 ……現実では、パーティーの中心にいるのは祖母。そしてその祖母に高みから見下ろされ、蛇に睨まれた蛙のように立ちすくんでいる父は、明らかに断罪される側だ。



 祖母は言う。カトリーヌの祖父、すなわち先代侯爵ジョナサン・カドレッドは俊英でこそなかったが、その最大の長所は己の非才を自覚していたことだった。

 侯爵家の嫡子ともなれば自尊心が肥大化していてもおかしくはない立場だが、すでに落ちぶれていく未来が己の将来にうっすらと見え始めていたカドレッド家においては現実を見つめざるを得なかったのだろう。ジョナサンは己の不器量を認めながらも、ゆるやかに没落へと向かう侯爵家を立て直すための方策を求め、日夜奔走した。

 その末に見出したのが、当時まだ十代の貴族令嬢だったカリエーラだ。


 カリエーラは中流貴族の家庭でしっかりと淑女教育を受けて育ったものの、他の貴族令嬢の間では密かに冷血女と囁かれ、社交界には馴染めていなかった。生来から情緒方面に欠落が多く、笑ったところを誰も見たことがない、そもそも真顔以外の表情のバリエーションが皆無となっては、社会においては異端扱いされてしまうのも致し方ないところではあろう。笑顔の下に本音を隠す社交界においてはなおさらだ。

 しかし幸いにして、カリエーラには才能があった。領地経営の才覚だ。

 貴族令嬢とは無縁の分野に思えるが、領地を持つ貴族の家に嫁げば決して無駄にはならない能力である。領地の手入れに熱心だった家族の後押しもあって、カリエーラは実際に祖父や父、兄たちの仕事を手伝い、彼らの手腕を学び、女だてらにいっぱしの経営者として通用する実力を身につけていった。

 カリエーラ自身も、己の才能を実務に活かしたいと思っていた。領地の管理もそこそこに社交界の人脈頼みで家を繋ぐより、しかと領地を向き、堅実な富を築くことによって家も領地も自立させるほうがやり甲斐もある。恋だ愛だといった情緒は逆さに振っても出てこないので政略結婚望むところではあるが、嫁ぐならば領地経営に大いに携わらせてくれる婚家が理想だ。


 が、当時は何事も男性が主体、女性はその陰で貞淑にあれという時代。実際は嫁が嫁いできたおかげで傾いていた家が密かに持ち直した例など枚挙に暇がないのだが、とにかく女は男を立てなければ認められないという時世だった。夫は手柄を譲られ褒めそやされてやる気を出し、しかし実態は妻の(たなごころ)の上で転がされていたりする。花は夫に持たせ、妻は実りを。そうした内助の功が貴族社会を回していた一面は、確かにあったのだ。

 その点を踏まえれば、すでに才媛として名の知れ始めていたカリエーラは、当時の婚姻市場において需要が低かったのは想像に難くない。才女と知れている女を娶れば、それだけ家が窮していると世間に表明するに等しいからだ。それでなくとも「目に見えて優秀な女性」と「優秀には見えない女性」ならば、後者のほうが市場価値が高くなりがちなのが男の(さが)というものである。

 結果、持ち前の無愛想と情緒の欠如も手伝って、カリエーラに求婚者はおらず、行き遅れることが深刻に心配されていた。


 そこに目をつけ、男の沽券を棚に上げても有能な女性(カリエーラ)に求婚したジョナサンは、案外先進的な感覚の持ち主だったのかもしれない。あるいはそれだけ侯爵家を盛り返し、一旗揚げたいという欲望が強かっただけかもしれないが。

 事実、家族にも秘密裏に、カリエーラへ提示された「契約結婚」は、その時代としてはありえないほどに女性側に譲歩し、本人の希望を汲んだ内容だった。

 曰く、婚姻はあくまで契約であり、子を成すための行為は一切しない。

 曰く、領地の管理経営の大部分はカリエーラに任せる。

 曰く、社交はジョナサンが頑張るので、カリエーラは必要最低限をこなすのみで良い……などなど。

 カリエーラにとって極めて都合が良く、それでいて勘ぐるような裏もない、またとない縁談だ。カリエーラは結婚を即決し、契約の詳細をしっかり書面に起こし署名したのちに、正式な手続きを経てカドレッド家に嫁いだ。


 ……契約相手が裏もなければ芯もない男だったと思い知ったのは、結婚式を終えての初夜のこと。

 「子を成すための行為は一切しない」──すなわち白い結婚の約束だったはずなのに、カリエーラを無理やり手籠めにしたのである。


「わたくしにとって旦那様の外見的素養はとりたてて魅力を感じるものではありませんでしたが、世間一般には比較的異性受けの良い見目であるとされていた方でしたし、ご自身もそれなりに自負がおありのようでした。「見目の良い侯爵に抱かれて喜ばない女はいない」「結婚したのだからなあなあで済ませられる」といった短絡的な自惚れが透けて見えていたものです」


 冷めた声音で言い放ちながら、祖母は父から視線を外してさっと会場に視線を走らせた。……顔を逸らす者、視線を泳がせる者、咳払いをする者……心当たりのある大人(おなじあなのむじな)も少なくない模様。

 それらに対する言及は控え、ただ明らかに個々の顔を記憶したのであろう空白を挟んで、祖母は話を続ける。


 恋も愛も欠如したカリエーラにとって、他者との粘膜接触は病の確率を上げるばかりで百害あって一利なしの忌避すべき行為ではあったが、やってしまったものは仕方がない。使う予定のなかった純潔を奪われたことに、さほどの損失は感じていなかった。

 が、それはそれとしてジョナサンには失望した。個人間の約束事とはいえ、契約は契約だ。何もかもはこれからだというのに、もうすでに事は決したかのように気の緩みを見せ、肉欲に負けてあっさりと約束を破り、契約相手に無体を働く自惚れ人間が、ビジネスパートナーとして信頼できるはずもない。


 カリエーラは即時行動を起こした。契約書に則って、第三者立ち会いのもと、契約違反の落とし前をきっちり支払わせたのである。


 ここで対応を間違えば、ジョナサンはどんどん調子に乗って約束違反を繰り返し、堕落していくのが目に見えていた。一度許せばカリエーラ以外の者との約束も軽んじるようになる。最終的にはカリエーラに全ての負担を押し付けて気楽な身分にあぐらをかき、侯爵家を立て直すというご立派な目標さえ忘れ果てることだろう。

 その程度の中身のない男であると、早々に見抜いたのである。無自覚な承認欲求と自己顕示欲が侯爵家再興の原動力。今は若さと夢に酔って、志を持つ自分はさも立派な人物であるかのように誤認しているだけだ。本当に大人物になれるかどうかは、ここからいかに生きていくかが正念場だというのに。


 糾弾されたジョナサンは案の定、契約もカリエーラ自身のことも甘く見ていた。初夜のことは全て同意の上だった、むしろカリエーラが誘ったのだ、どうせもう夫婦になったのだからかまわないではないか、などとお決まりの文句で逃げようとしたのだ。閨でのことは証明できまいとたかをくくって。

 が、それは最悪に近い悪手である。

 司法に基づいて契約違反の是非を問うならば、事に及ぶに至ってどちらが主導したのかは明確に証明しなければならない。しかし今回の件はそうではない。表には出せない秘密裏の契約を、今後も続けていけるかどうかの分岐点だ。ジョナサンが為すべきはカリエーラをやり込めて優位に立つことではなく、己の過ちを認めて誠実に謝罪し、カリエーラからの信頼を取り戻す努力をすることだった。

 なんといっても契約の主導権(イニシアチブ)は最初からカリエーラが握っているのだ。ジョナサンの計画はカリエーラの能力に大きく依存しているのだから。

 カリエーラがジョナサンへのなけなしの信頼を失えば、契約の続行は困難となる。契約したのだから守れとジョナサンが迫っても、先に契約を破ったのはそちらだとカリエーラがそっぽを向いてしまえば、領地再興はままならなくなる。ならば出るところに出て白黒つけよう……とはいかない。表に出すには不都合にすぎる契約だからだ。


 裏を返せば、契約内容漏洩の可能性は、カリエーラにとってこれ以上ない手札でもある。

 没落しかけの家の再興のため、領地経営を丸投げするつもりで仮初めの嫁を娶り、いよいよこれから計画を推進するという大事な端緒において、白い結婚の約束を破って嫁の純潔を奪った侯爵がいるらしい──この醜聞が社交界に知れ渡った際のダメージは、夫婦双方ともに大きい。特に女性の純潔が何より重んじられていた当時において、離婚成立後も女性は疵物として後ろ指さされることは必然、次の縁談に苦労することになっただろう。こういった契約結婚は、結んでしまった時点で女性に逃げ場がなくなっているケースが多いのだ。

 が、それは普通の貴族令嬢の常識に過ぎず、社交界から追い出されたとしても明日からでも身一つで生きていける能力と気骨のあるカリエーラにとっては、たとえ内部事情が白日のもとに曝されたとしても、契約破棄は(ジョナサン)切りという名の有益な選択肢の一つである。実家に多少迷惑がかかるかもしれないが、その時は表向きだけでも縁を切ってもらえばいいだけの話。むしろ侯爵家が人生の全てであり、社交界の評判をひどく気にしているジョナサンにとってこそ、事実の露呈は命取りだ。


 カリエーラの不服を真摯に受け止め、契約違反を心から謝罪し、契約内容の見直し及び自惚れた態度の是正をしなければ、この契約はご破産。ここで揉めるつもりならば事実が醜聞として世間に漏洩する可能性が高まり、その場合甚大なダメージを被るのはカリエーラではなくジョナサンになるであろう──という事実を、カリエーラは話し合いの席で滔々と証明してみせた。どちらが誘ったどちらが押し倒したなどと論じるのは無駄の極み、ジョナサンが負ける以外の選択肢はないのである。

 この時同席願ったのは当然ながら守秘義務を帯びた信頼のおける専門家だったが、第三者の存在をそこに置くことで、情報漏洩が決して机上の空論ではないということが視覚的にも十分伝わったことだろう。

 最初は自信満々でしらを切り続けようとしていたジョナサンも、自分の旗色が相当に悪いことを徐々に自覚し、ついには完全に白旗を上げざるをえなかった。

 この一件をもって契約書はカリエーラにとってより有利なものへと書き換えられた。当初より多くの権限を手に入れたカリエーラは、憂いなく意気揚々と領地に引っ込み、改革に邁進したのである。


「……数ヶ月後、妊娠が判明したのは全くの想定外でした」


 たった一夜、一回こっきりでの予期せぬ大的中。

 これは実際ジョナサンにとっても不慮の「事故」だったらしい。しかし出来たのならしめたものとばかりに、契約になかったこの出産を全面歓迎。カリエーラとしても予定外だからと言って堕ろすという選択は取りづらく、きちんと侯爵家の嫡子として育てるという条項を契約に追記したうえで、領地経営の傍ら子を産み落とすこととなった。

 当初ジョナサンは愛人との間に子を作ってしれっと嫡子に据えるつもりでいたようだが、思った以上に跡継ぎを望む親類縁者一同からの圧がきつかったらしく、愛人との逢引もままならずに不埒な計画は頓挫の憂き目にあっていたようだ。(こういった旧態依然の無茶振りは通常嫁に負担がいきがちだが、口うるさい親族に限って王都好きかつ腰が重いので領地まで足を運ぶまめさはなく、領地に根を張るカリエーラの被害はほぼ皆無だったのは不幸中の幸いと言えよう)

 そこにきて正妻が子を孕んだとなれば、親族に対する目眩ましになって都合が良い。愛人の子を嫡子にはできないだろうが、親族に反抗するという面倒事を乗り越えてまで成し遂げたいほどの熱意はなかった模様。まったく底が浅い男である。


 カリエーラは重い腹を抱えての激務の末、壮絶な出産を経て、我が子の産声を聞きながら糸が切れたように失神。その隙にとばかりに、ジョナサンは自身の実母にしてカリエーラにとっての姑である先代侯爵夫人と、乳母要員の女性を連れて領地の屋敷に押しかけ、昏倒したままのカリエーラを横目に生まれたての我が子を王都へと連れ去っていった。カリエーラが目を覚ました頃には赤ん坊は跡形もなく姿を消し、凹んだ腹と消耗した身体だけが残されていた。

 妊娠も出産も、何もかも幻だったのではないかと思えた、と吐息混じりにカリエーラは……祖母は言う。


「母親失格の誹りを承知で申せば、子を産み落としてなお現実味が薄く、母親となった実感などまるでありませんでした。出産直後に顔を見て抱き上げていればまた違ったのかもしれませんが……それが出来なかったのが現実であり、もし出来ていたとしても母性に目覚めた確証などないのが、所詮わたくしという人間なのです」


 ……望まぬ男に手籠めにされて、想定外の妊娠、仕方なしの出産。大変な思いをして産んで、腕に我が子を抱く暇もなく、赤ん坊の性別さえ知らされぬまま引き離された。一から十まで男側の身勝手に付き合ってやって、果てに産み落とす羽目になった自惚れ男の子供を、我が子として愛せるか否か……想像するだに難しい。

 が、世間というやつは母親という生き物に対して、幻想に近い理想像を押し付けがちだ。母親であるからには無条件で子を愛するべきだ、子を産めば女は誰しも母性に目覚めるものだ、と。

 それが雌性の本能の一部であるのは確かだが、野生的本能が強く出るか、知性や合理性のほうに寄るかは個体差だ。カリエーラは明確に後者であり、ここまでの事情を加味すれば、母親の自覚を持てないことを責めるのも筋違いに思えてくる。

 唯一彼女を責める権利があるのは、きっと世界でただ一人。


 けれどちらりと転じたカトリーヌの視線の先で、当の父は沈黙を保っている。その様子は感情的には決して見えず、現状をどのように乗り越えるべきか必死に思考を巡らせているばかりだ。

 母子仲は冷めているというより、最初から切り離されていて、ただ「母」という肩書き、「子」という立場だけがある。古めかしくもありふれた貴族の親子の形を、カドレッド家は体現していた。

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【完結済・コミカライズ】
身辺を清めてから出直してくださいませ

― 新着の感想 ―
[良い点] カリエーラの断罪がつよすぎて/(^o^)\ 聞かされる側もややいたたまれないレベルの暴露話では。 [気になる点] ダメ父の嘘が暴かれて面目丸つぶれになるのはよしとしても、 カドレッド家の貴…
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