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悪役令嬢カトゥラ・カドゥレは憂鬱げ  作者: ミナソコミナモ


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(74)悪役令嬢は嗤う

 生きるべきか、死ぬべきか。

 今カトリーヌの目前にある、きっとここが人生最大の分岐点。


 親の望むまま、家のため、父の見栄のために、心を殺して灰色の人生を歩み続ける道を、カトリーヌは絶対に選べない。その人生に価値を見出すことはできない。もしそれ以外を選べない状況へと追い込まれたなら、きっと最後の退()()を選択してしまうだろう。

 己の人生に価値がないと確定したその瞬間に、カトリーヌはあっけなくこの世界に見切りをつける。


 それこそがカトリーヌの芯にある、『悪役令嬢』の破滅的な本質だから。


「……可笑しなことを仰いますのね、お父様。花は愛でられるために咲くのではありませんわ。(しゅ)の生存確率を高めるために花開くのです。花の外観だけを愛でて花を利用することしか考えていない人間のために奉仕する義務など、花にあるはずがないではありませんか」


 サァ……と潮が引くように周囲の人間が引いていく気配が手に取るようにわかる。少なからず図星を指されて血の気が引いた者はそこそこ、大半は、父の詩的な比喩に対して無粋にも思える学術的知見に女の本音を混ぜ込んでなんの遠慮もなくぶっ放したカトリーヌの気の強さにドン引きしているのだろう。

 父の、造形だけは優れている(つら)の皮に青筋が走るも、一瞬で幻だったかのように消え失せ平静な表情は崩れない。まったく取り繕うのだけは一級品の腕前だ。……取り繕う羽目になる前に、いちいち表情に出さぬよう辛抱が利けば、社交界でももう少し通用しそうなものだが。


「お前こそ可笑しなことを。花は己の元に運び込まれた恵みを拒絶することなどせず、粛々と実を生らせ次代に命を繋ぐ義務を果たしているではないか」


「恵みというのが花粉のことなのでしたら、そうとも限りませんわよ? 植物の多くの(しゅ)が、他種の花粉を受け付けず、それでいて自家受粉を避ける習性を持っております。これは花が、雌しべに付着した花粉がどのような種類のものかを判別、かつ選定しているからこそなせるわざ。受粉が単純な先着順だとすれば、幾多もの花が無意味な交配によって実を残さぬまま枯れ果ててしまいますもの。現在我々が目にするような、たわわに美しく実る葡萄など存在しなくなってしまうかもしれませんわ」


「……いや、しかしそれは」


「──となれば、他家(たか)受粉の条件を満たした花粉であれば精査されることなく先着順で受け入れられている……という考えも幻想に過ぎないかもしれませんわ。だって、花粉にもいろいろあるでしょう? 状態の悪いもの、次世代のためにならないもの、諸々資質が足りていないもの……。全てを風任せ、虫任せ、人任せで無差別に受け入れていては、種の存続が危うくなってしまいますもの、ね?」


 たっぷりの毒を含んだ(あで)やかな笑み。

 カトリーヌは父から一瞬たりとも視線を外していないが、むしろ一瞥もされていない周囲の生徒、とりわけ男たちがさらに引いた音が聞こえるようである。


「花に世代を繋ぐための義務を課すのならば、それに値する適切な権利を与えなければ、種の繁栄は遥かに遠のくことでしょう」


 良い家に嫁ぎ、子を成すのは確かに貴族の女の義務。それが豊かな生活を享受する対価であるというのも間違いない。

 だが、だからと言って女をどこに嫁がせるのか、誰と(めあわ)せるのかといったあらゆる方針を、家長一人が強権的に決めることの是非は、また別の話だ。男であれ女であれ、当事者の意思の一切を無視して独善的に物事を推し進めることの軋轢は、将来にリスクとなりうる禍根を必ず残す。

 男が女子供より(まつりごと)の適正が高いことが、男が女子供を無下に扱い政の道具にしてよいという根拠にはならない。そもそも独裁(ワンマン)経営などというものは、多くの場合、大前提として独裁者が飛び抜けて有能か、そうと勘違いされうる程度の運に恵まれないと成り立たない。そして大概は、最初は良かったとしても時が経つにつれて綻びが生じ、本人ないしその周囲の人間、あるいは子々孫々に、なんらかの災禍をもたらすものだ。

 今は古い世代の負債を現役世代が清算する時勢。意識を刷新できず、未だに古いやり方を模倣しているような人間には、古い世代の因果がいっそう大きな負債として応報する可能性が高い。カドレッド家がなぜ侯爵という地位にありながら目立った功績も繁栄も得てこなかったのか、真剣に見直すべき時機なのである。


 ……なんてことを父に言っても、納得しないどころか理解すら拒むだろうけれど。


「……権利? 何を言う。主人の手によって最高級の庭と土を与えられ、一流の手入れをされてきた、その対価としての義務だ。権利などおこがましい。花は何も考えず、ただ人に与えられた恵みを受け入れ、人の気が済むまで愛でられておけば良いのだ」


 案の定の答えだ。貴族言葉のところどころが無粋な語彙に置き換わり、努めて柔らかに装っていた声音にも傲慢な響きが入り交じっている。


 ……周囲から浴びせられる視線が、好奇心では収まりきらない不審の色を帯びた。生徒たちがより神経を尖らせて聞き耳を立てているのがわかる。人の気配も心なしか厚くなった気がする。

 カドレッド侯爵が一線を越えようとしている、その気配を耳聡く読み取った者が少なくなかったのだろう。


 歴史的に、家の存続と繁栄を第一義と考えてきた貴族というくびきにおいて、親子関係は常に難しい問題として横たわっている。

 ただでさえ子供に対して絶大な権利を持つ親は、貴族ともなれば経済的困窮などと無縁であっても「家のため」という大義名分を堂々と悪用しがちだ。大きな権利を持たない貴族の子らの多くは、たとえ今まともに見える親であっても、いつ暴君に転身して「家のため」に自分の人生を潰しに来るのか、潜在的に警戒心を抱えている。だからこそそんな弱い立場から早々に抜け出したがり、自ら権利を手に入れて親になると、今度は「家のため」と御託を並べて自分の子供をいいように扱い始める……そんな負の連鎖も決して低くない確率で発生する。まさに歴史は繰り返すというやつだ。


 ともあれ今現在はれっきとした子供の側である生徒たちは、男女の別なく腹の底に抱えた警戒や反抗心を前提に大人を見つめている。早ければ明日にも大人の権利を手に入れるであろう彼らの視線の集束する先に、今まさに曝されている大人たるカドレッド侯爵は、そこに込められた不信感に気づかない。

 今日子供である彼らがこの場で侯爵にどんな印象を得て、それが明日大人になって以降にどのような影を落とすのか……わずかでも他者の存在を慮って状況を俯瞰することができれば、未来のリスクをわざわざ買うような言動も慎めるだろうに。


 カトリーヌは胸中では盛大なため息をつきつつ、口元の『悪役令嬢』の笑みを器用に深めてみせた。


「最高級の庭、土、手入れ……それらが本当に主人によって与えられたものであれば、その通りなのでしょうね」


「……何が言いたい」


 父は冷ややかな笑みのまま、言葉尻に隠しきれない苛立ちを滲ませる。……自覚はなくとも、無意識下には思うところがあるのかもしれない。

 やるせないカトリーヌの心を包み隠して、『悪役令嬢』はくすくすと嗤う。


「花を庭に植えたのは主人。ではその後の手入れをしたのは誰でしょう? 主人は花を植えた当初だけは少しばかり水やりに参加していたようですけれど、すぐに余所事にかかりきりになって、庭師任せになってしまわれましたわ。以来、花には指一本たりとも手をかけてやっていないではありませんか」


「何を……っ」


 父の顔からいよいよ余裕が抜け落ちた。さすがに周囲に聞かせるにはまずい話だと気づいたのだろう。

 これは、「花」という隠喩に託してカドレッド侯爵家の親子関係を赤裸々に語る暴露だ。

 しかしカトリーヌは父が反撃の体勢を立て直すのを許さず、言葉を畳み掛ける。


「庭師を雇ったのは主人、雇用のための賃金を支払っているのも主人……ならば主人は義務を果たしているとでも? ……ええ、その賃金の出処が、主人の努力によって得られた金銭であるのなら……ね?」


「────!」


 父はもはや取り繕うことなく色を失い、張り裂けんばかりに目を見開いた。──なぜ知っている、と。


 ……それこそが欲しかった反応なのだ。『悪役令嬢』の笑みが嘲弄に歪む。

 メアとの協力調査は無駄ではなかった。この男はやはり、他の誰かに領地の仕事を丸投げして、領主の義務をまともに果たしていないのだ。


「花の知る主人の姿は、いつだって花を一顧だにせず、ふらふらと庭の外で実りのない遊興に耽るばかり。時折花に目を向けることはあっても冷たい視線。利用価値があると見た時だけ、人目を気にしてそれらしく愛でてみせては、またすぐに去っていく……それは義務を果たしている人間の姿だと言えましょうか」


 咄嗟の反論も出来ない父を映すカトリーヌの両眼に、嗜虐的な光が妖しく閃く。


「花の生育は愚か、庭の維持も、そのための資金の調達も人任せ。己の庭にはろくに見向きもせぬくせ、よその花壇を行ったり来たりで、他者に稼がせた財を浪費して自分本位に遊び耽る……」


 カトリーヌは父に父らしいことをしてもらった記憶がない。父は子も家も領地も顧みず、家の管理は使用人に、領地の経営は代官に任せっきり。それらにかかる金さえ自力で稼いできたものではない。某公爵の目が光る社交界で飼い殺されている父が、家の利益となる社交などできた試しがない。社交場を積極的に飛び回る父の社交は、自己の存在意義に惑う無意味な徘徊であり、貴族の義務の皮を被った児戯にすぎない。


 これほど惨めな侯爵が、他にあろうか!?


 胸中の声が聞こえたわけでもあるまいが、ついには父が顔を真っ赤にして言葉もなく足を踏み出した姿を、カトリーヌは陶然と見つめる。胸に湧き上がるのは恐怖ではなく、限りのない愉悦。


 ……嗚呼、認めよう。

 カトリーヌは今、とても、すごく、愉しい。


 きっと、ずっとこうしてやりたかったのだ。後先など気にせず、大衆の前で父の罪を暴露して、父の自尊心を再起不能になるまでずたずたに切り裂いて。

 父も、母も、家も。何もかも巻き添えに、底なしの奈落へと。

 諸共派手に破滅してやりたかったのだ……!


「──主人が義務をきちんと果たしている姿を見たことのない花が、どうして己の義務を果たせましょうか!?」


 声を張り上げいっそ哄笑の端緒すら覗かせるカトリーヌへ、一気に距離を詰めてきた父の手が大きく振り上げられる。

 黄昏の廊下の光景が、色鮮やかに蘇る。振り上げられた手のひらは暴力的に握り込まれたこぶしに。怒りに我を忘れた父の顔は、表情を喪失したマクシム・テクスタに。かつて対峙した過去が、重なる。


 時間が間延びして感じる。傍らの気配が動くのも、群衆のざわめきが高まるのも、何もかもが遠い。

 カトリーヌは動かない。本能の警鐘も、理性の打算も、今はもう聞こえない。

 胸の底から湧き上がるどす黒い声だけが、全てを塗りつぶしていく。


 ──あの(こぶし)が振り下ろされたあとの、破滅を見てみたいじゃない──?



「──おやめ!」



 ホールの空気を鞭打つような鋭い声が、伸長していた時間の感覚を力づくで現実に引き戻した。


 本当に鞭にでも打たれたかのように、父がぎくりと動きを止める。すんでで割り込んだソキウスの背に庇われながら、カトリーヌは毒気を抜かれてぱちくりと目を瞬く。

 ……聞き覚えのある声、だったのだ。


 声のしたほうを見上げれば、中央階段の踊り場に、予期した通りの人物の姿が。


「……ミセス……」


「母上……!?」


 呆然と呟きかけた呼びかけを父の驚愕の声にかき消されて、カトリーヌは一瞬、本気で呼吸を止めた。


(母……って)


 幻聴か虚言か。そう父を見やれば、男前も形無しに唖然と口を開けて階段の上を見上げる横顔があった。……少なくとも、嘘では、なさそう。

 食い入るようなその視線の先にいるのは、やはり何度見直しても、カトリーヌのよく知る人物……


「よくもこのような祝いの場で愚かな真似をしてくれたものですね、ハリスン」


 教員らしく質素で厳粛なドレスを身に纏い、周囲の人々の背まで伸ばしてしまうような姿勢の良さで端然と佇む、まごうかたなきミセス・マトローネが、感情の読めない平坦な眼差しで父とカトリーヌを見下ろしていた。

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【完結済・コミカライズ】
身辺を清めてから出直してくださいませ

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