(71)待ち人来る
卒業パーティーは王城の大ホールにて、本物の舞踏会さながらの規模で開催される。学園通いが貴族の常識になって以降、社交デビューを卒業後に後ろ倒しする貴族が増えたため、この卒業パーティーをデビュー前の慣らし──すなわちプレデビューとして、若い貴族たちに機会を提供する意図もあるようだ。
と言っても主題は卒業祝いだ、肩ひじを張る必要はない。むしろ社交界というものに対してあまり構えず、素直に楽しむことが推奨される。社交が遊興になりすぎては困るが、苦手意識を持つのはもっとよくない。若き貴族たちが社交界に前向きに向き合い、やがて支える存在になってくれるように、という実に平和な国家事業である。
主催は学園を運営している王家なので、人員も備品も食材も一級品。生徒にとっては至れり尽くせりで、参加することに専念すればいい。まあ言うなれば学園の環境そのもの、学園の延長だ。
(居心地わっる……)
公爵家で用意された白いドレスに自作の白いショールを身に纏い、マナー通りの姿勢仕草を心がけながらホールを縦断するカトリーヌの心中は、いつも以上に憂鬱だった。ついつい背中を丸めて不審な眼差しを泳がせてしまいそうになるのを自制して、意地と根性で必死に無関心と平静を装うしかない。
他者の視線を浴びるのは好きではない。パーティーそのものもだ。そこは『ゲーム』の『悪役令嬢』と決定的に相容れない。
幼い頃、カドレッド家と付き合いのある貴族たちの内々のパーティーに参加させられていた頃は、まだきらびやかな社交の世界に憧れがあった。パーティーの時だけは、偽りであろうと両親の愛情が感じられたから。綺麗なドレスと化粧でめいっぱい着飾れば、人々が褒めてくれたから。
おそらくそれが『悪役令嬢』にとっての原初体験で、今のカトリーヌにとってはすっかり価値が失せてしまった世界。今は偽りだらけの両親の猿芝居にも虚飾に満ちた社交界の称賛にも、欠片の喜びも見いだせない。
……だというのになんなのだろうか、この状況。
卒業式が終わってすぐ、逃げる間もなく公爵家の手勢に馬車で王城まで連れ去られ、城の一角に用意された更衣室に押し込められ、絶対に着ないと拒絶してあったはずの例のドレスをあれよあれよと着せられ、念入りな整髪と化粧を施され、更衣室を出る寸前に自作のショールも羽織らされ、気づけばパーティー会場に放り込まれていた。もはや怒涛の展開で、有無を言わさぬ、というのはこの時のためにあった言葉なのかと呆然とするばかり。
それでこの珍獣扱いだ。あちこちから好奇の視線が途切れずちくちく痛い。復学後の学園内でだってこんなあからさまではなかった。
そんなに白いドレスが似合わないか。翼を模したショールなんてファンシーすぎてちゃんちゃらおかしいか。
(んなこた私が一番わかってるわよ。だから着たくないって言ったのに……!)
しかしながらお世話になっている家の意向に従うのが居候の本分というもの。殊勝な客とは言い難いカトリーヌだが、もちろん公爵家に逆らうつもりはない。あとヒルデガルトが本気になったら逆らうのはたぶん無理。というか今回の件も間違いなくヒルデガルトの仕業である。
それにしても、さてどうしたものか。とりあえずの見切り発車で歩き出してしまったが、卒業パーティーなど出るつもりなどなかったから完全にノープランだ。こんな場所で楽しめるような性格ではないし有意義に過ごす技術もない。犯人を探し出して文句を言ってやりたいところだが、藪蛇になる確率が高すぎる。となれば壁の花になって時間を潰すか、知り合いを探すか……
「ギャ!? うっそ、カトちゃんっ!?」
不意を打って横からぶん殴ってくる素っ頓狂な奇声。……誰か確かめるまでもないが、振り返らない選択肢はない。
足を止め、据わった目でカトリーヌが見やった先には、案の定の幼馴染。ふわふわのミルクティーブロンドを可愛らしいリボンやアクセサリーで飾り付け、ドレスはいかにもな淡いピンクのフリルたっぷりなやつだ。派手すぎず、人の目を惹きつけてやまない可憐さ。まさしくヒロインである。見た目だけなら。
残念ながら中身は相変わらずのリリアであり、ぱっかーんと大口を開けた間抜けヅラはヒロイン形無しである。
カトリーヌはやっと肩の力が抜けるのを感じつつ、いつもの仏頂面を返してやる。
「……他の誰に見えるわけ」
「う……うおぉぉぉ……化けたね、いや知ってたけどマジ化けたねっ!? や、でもこれ全然悪役令嬢と違すぎでしょ……ヒルデさますっげー」
カトリーヌの周りをちょこまか動き回りながら、白ドレス姿を上から下までためつすがめつしながら感心しきりのリリア。きわめてうざい。
『悪役令嬢』のイメージカラーは赤、ドレスも毒々しい赤が定番だそうだ。化粧もさぞやきついことだろう。
現在のカトリーヌは例の白ドレスの上に、公爵家侍女たち渾身のナチュラルメイクである。似合っているかはさておき、方向性は清楚系。これで『悪役令嬢』そのものだなどと言われたらさすがに萎える。
「いや女性というものは着飾れば変わるものだなぁ」
「デレク。素直なのは君の美点だが、女性が着飾ろうと着飾るまいと最大限に褒めるのが紳士の嗜みというものだよ」
騎士団長子息を護衛のように伴った第二王子まで寄ってきた。リリア含め、生徒会及び関係者メンバーで固まって談笑していたらしい。
ちらりと二人のやってきた後方を窺えば、公爵子息を囲む新人メンバーたちもこちらを窺っていて、にこやかな手振りや会釈を返してくれた。……当のジュルダンが凍りついたようにこちらを凝視してくるのがなんとも気まずい。
……ちなみにこの時、国を離れる前にとあちこちに顔を出して社交に精を出していた宰相子息は、ホール中央から伸びる階段を上がった先の中層階におり、吹き抜けの縁からカトリーヌの入場の一部始終を見下ろしていた。瞠目して手すりから身を乗り出さんばかりに見入っている姿に他の生徒たちが首を傾げつつ通り過ぎていくが本人は気づかないし、その熱心な視線は残念なことにカトリーヌに気づかれることもない。
閑話休題。下階の生徒会メンバーはカトリーヌのドレスの話で持ち切りだ。
「しかし見違えたのは事実だね。まるで美しい白鳥を思わせる立ち姿だ」
「でっすよね~。そのドレスどしたん?」
「ヒルデに着せられたのよ……」
「でもそのショールはあれだよね、なんかカトちゃんが作ってたやつに似てる気がすんだけど……そんな色だったっけ?」
「こ……れは、ミセス・マトローネがね……」
自分が作った、とは口が裂けても言えずに、ギリギリ嘘ではない言葉でごまかすカトリーヌ。ミセスの助言があってこそ形になったのは事実だ。
リリアはすとんと納得してくれたようで、感心と羨望の声を上げる。
「っはー! こんなきれーな一点ものくれるなんてミセス太っ腹じゃん! いいなぁ、わたしも特別講義受けときゃよかった~」
「ただ講義を受けていれば授かれるというものでもないだろう。カドレッドの手芸への情熱に対する褒美ではないかな」
「だな。ノトシュの根気と手先じゃ無理だろ」
「なんだとぉー!」
怒るリリア、笑うデレク。なんだかわからないがじゃれ合い始めた二人をさらりと放置してアウレリウスが話を続ける。
「しかしつくづく、素材も意匠もこれほどの逸品はなかなか珍しい……とりわけその赤薔薇が見事だ。あの惨状からここまで化けるとは」
「……生徒会長、それはどういう──」
独白に近いアウレリウスの呟きに、一瞬息を呑んで詰め寄ろうとしたカトリーヌの言葉は、楽団の演奏にかき消された。
豪壮な前奏で始まった曲は明るく賑やか、元気と希望に満ちた曲調だ。通常の夜会ではまず奏でられることのない、子供たちの前途を祝福するための楽曲。
パーティーの開幕だ。
「概ね全員揃ったといったところかな。プログラム通りなら次はダンスだが……お嬢さん、誰かと踊る約束はしていらっしゃる?」
楽団に視線を飛ばしていたアウレリウスが、胸に手を当て妙に真面目くさった顔で目を覗き込んでくるものだから、カトリーヌは愕然と見開いた人間不信の眼差しで相手を凝視してしまった。
「まさか誘ってるつもりだなんて言わないでしょうね……!?」
「いやぁハハハ、やっぱり流されてくれないか。いやなに、こうでもしないと動かない奴がいるからね、少し発破をかけてやろうかと。……ああでも、時間切れだな。いや、間に合った、と言うべきか?」
あっさり昼行灯に戻ったアウレリウスの謎掛けのような言葉の意味はわからなかったが、別々の方向からこちらに近づいてくる気配が複数あるのにはカトリーヌも気づいた。そしてアウレリウスの転じた視線の向こうから、その一人が走り込んでくるのも。
うそ、と、声なき声がカトリーヌの唇を震わせる。
「ま、にあっ、たぁぁぁぁ……っ」
息せき切らせて駆け込んで、カトリーヌの目前で大きな安堵のため息とともに身体を二つに折り曲げた少年。貴族とは明確に差別化しつつも決して遜色ない盛装姿で、つむじを見せて乱れた呼吸に合わせて上下する頭を覆っているのは、もはや懐かしくすら感じる黒髪……
「ソキウス……」
「っ、カドレッド! 誰かと踊る約束はしてるっ!?」
呼吸が整いきらぬままに勢い込んで顔を上げたのは、また少し痩せたように見える、けれどいつもと変わらぬ笑顔の、数ヶ月ぶりのソキウスだった。




