(44)メアのはらわた
……カタン……と小さな音がして、見ればメア・キルナーの姿が消えていた。
いや、視線を少し下げればメア・キルナーはそこにいた。床に両膝をつき、呆然と虚空を見つめながら。
「あたし……あたしは……」
絞り出すようなか細い声。ふわふわと視線が下がる。その目元に、透明な水分が盛り上がる。
「あたしは、ずっと……カトリーヌ様が憧れで……」
……これはメア・キルナーの告解。暴きたいと願っていた、彼女のはらわただ。
即座に察したカトリーヌは、首に巻き付いているリリアの腕をパシリと叩いてほどかせながら、食い入るようにメア・キルナーを見つめる。
「カトリーヌ様は孤高の人で、誰におもねることもなく、美しく背を伸ばして、憂いの眼差しで世界を見つめていて……」
「なにそれポエミー……あたっ」
リリアの茶々は軽い裏拳で黙らせる。
「カトリーヌ様はとても公平で、とても理想が高くていらっしゃるの。値段の高い低い、血筋の良し悪しで物を見ない。誰が作ったかも知れない既存の価値観に振り回されない」
メア・キルナーの告白は続く。カトリーヌへの賛美はまるで独り言のように、それでいて湧き水のようにとどまることがない。
「……貴族も平民も、多くの恵まれた人間は、家から与えられたもの、たまたま手に入れたものから出来ている人生を、まるで己の手柄のように厚顔無恥に胸を張ってのうのうと生きている……でも、カトリーヌ様は違う。ご自分には何もないと思っていらっしゃる。今ある立場も、厚遇も、豊かな生活も、手に入れるための努力などまるで足りていないのに享受してしまっていると、自分自身を恥じていらっしゃる。けれど、努力をしたくともそのための道筋はどこにも用意されていなくて、そもそも努力をして維持するほどご自身の人生に……この世界で生きていくことに意味を見いだせなくて。ただせめて、あたしたちにとって生きづらいこの場所でも人道にははずれずに生きていこうと「努力」されて……」
痛いような仕草で胸を抑えるメア・キルナー。目に溜まった涙がいよいよポロポロと零れ落ちていく。
「世界と自分に失望して、憂えて……それでもカトリーヌ様は前を向いていらっしゃる。あたし、驚いたのです。カトリーヌ様がミセス・マトローネの講義に参加されて、刺繍をするために積極的に動いてらっしゃるのを見かけて。これまで何にも興味を抱いていらっしゃらなかったのに。それだけじゃなくて、生徒会にまで加入されて、本当にびっくりしたのです。あっいえカトリーヌ様が役員として招聘されるのは当然です、それだけのお方です! でも、役員になることをカトリーヌ様ご自身が承知されるなんて思ってもみなかったのです。……おそらくノトシュ絡みの何かが原因で、副会長からなんらかの交渉を持ちかけられたのだろうとは思うのですが……それでも、カトリーヌ様御自ら決断されて生徒会に所属されるなんて、本当に本当に思ってもみなかったことで。憂いながらも、カトリーヌ様は前を向いてらっしゃる、前に進み始めてる。今、自分にできる範囲で、自分自身を作り出そうと足掻いていらっしゃる。この世界が無価値であることに気づいているのに、もうとっくに世界を諦めているのに……あたしは、何もできていないのに」
「……」
「だから。……だから。何もできていないあたしにとって、カトリーヌ様は、唯一の憧れの人なのです……」
顔を上げたメア・キルナーは泣きぬれたまま、痛いような笑みで笑っていた。
……年頃の子供が罹る特有の病のように、メア・キルナーは過剰に感情的で、夢見がちで、それでいて無駄に厭世的だ。
彼女の語るカトリーヌは、決して彼女の言うように褒められた人物像ではない。確かに事実だと感じる部分もあれば、頷けない部分もいくつかある。
だが……
「……そう。……ありがとう」
勝手にカトリーヌの人格を決めつけて、勝手に期待して。
それでも、少なからず自分を見てくれたこと。弱さを見抜いてくれたこと。芯をわずかに外してかすめていくようなズレを抱えながらも、それでも共感を寄せてくれたこと。
それは、『悪役』の資質を与えられて生まれたカトリーヌにとって、限りなく得難いもの。
『悪役令嬢』がなぜ、何を考えて、彼女を傍に置いていたのか、手にとるようにわかる。
メア・キルナーは、カトリーヌの「同類」なのだ。
半ば冷めた気持ちで、それでも半分はどこか暖かな……生ぬるい心地を覚えながら、カトリーヌはメア・キルナーに感謝の言葉を呟いた。
が、メア・キルナーの目が歓喜に輝いたのを制する強い眼差しで、きっぱりと感傷を拒絶する。
「けど、わかっているはずよ。私、生徒会役員なの。貴女のやっていることは迷惑でしかないわ」
「……! それ、は……」
メア・キルナーの目が泳ぐ。多少ネジが外れていようとも、道理のわからぬ知能ではないのだ。
「学園内で事件が起きれば、生徒会は解決のために労力を割かなければならないわ。生徒同士の小競り合い程度ならまだしも、外部の人間を雇って故意にシャンデリアを落とすなんて大事もいいところ。生徒会の責任の負うところも大きいのよ。犯人探しをするのは当然のことよね。……貴女、それはわかっていたでしょう?」
「……」
「それでも貴女は突き進んだのよ。私に対する罪悪感のひとつも感じずに。むしろ生徒会が犯人探しをするのを見越していたからこそ、そんな大それたことに踏み込めたのかもしれないわね。……結局、私に見つけてほしかったのでしょう? 自分のこと。私を慕って、私を見つめていること。気づいてほしかったのでしょう? ただ自己顕示欲に勝てなかったのでしょう?」
「そんな……こと……っ」
メア・キルナーの反論も歯切れが悪い。
カトリーヌは容赦せず畳み掛ける。
「メア、貴女は私を言い訳にして自分の他害衝動を発散したの。自分自身を私に見つけてほしくて、欲望のままに犯罪に手を染めたの。どこまでも自分のことだけ、どこまでも自分のため。──違うとは言わせないわよ」
声を上げかけたメア・キルナーを、鋭く見据え、断じる。
「貴女は私への憧れや尊敬を言い訳にして、私の存在を責任逃れに使って、自分を取り巻く世界に対して為すべき手続きを怠って、最低の手段で自分自身の欲望を叶えただけよ」
あの人のためだから、あの人への殉教だから。
そんな言葉を盾にすることで、許されざる領域へたやすく踏み込んでしまう。そういう人種だ。
だからこそ、彼女こそは『悪役令嬢』の片腕たりうるのだ。
けれど、今のカトリーヌは『悪役』ではない。
「……私、嘘は嫌いなのよ」
両親の歓心を買うために偽りを演じ、『ヒロイン』を歪んだ妄執に囲い込むために嘘にまみれて嘘に耽溺した、『ゲーム』の『悪役令嬢』とは違う。
「貴女が愛しているのは、本当は自分だけ。そういう人間からの好意や尊敬は、悪いけれど受け取れないわ」
現実のカトリーヌは、『悪役』から降りたのだ。
それは裏を返せば、正しいやり方で生きていくという決意表明にも等しい行為だったのだと、カトリーヌは今、自覚した。




