(37)その制裁は誰がために
教科書、ノート、筆記具、あとは大量の化粧道具に髪留めやリボン、整髪剤、香水、手鏡……などなど。多分に偏っており、校則に抵触するアイテムも多いが、それらは確かに女子学生らしい内容物だった。
そんな「学生らしさ」が無惨にも噴水にぶち撒けられている光景は、ある種の凄惨さを見る者に感じさせずにはいられない。
「古典的……」
「でも嫌がらせとしてはわかりやすくて効果てきめんだよねー」
「『ゲーム』の中でも?」
「あったあった」
遠巻きに噴水を眺めやっている野次馬の一角に混ざって、ぼそぼそと無駄口を交わすカトリーヌとリリア。
その声が聞こえたや否や。噴水の前で呆然と立ち尽くしていた派手な髪の女子生徒が身を震わせ、我慢ならないとばかりに感情を爆発させた。
「……もう、なんだっていうのよ……っ!!」
吐き捨てられた声に、苛立ちと悔しさと、ほんのわずかな怯え。
サンドラ・アンハイムは本来ならばいじめの被害者に甘んじるようなタイプではない。見た目も性格も普段の言動も、明らかに加害者側だ。
彼女がこれだけの仕打ちを受けるに足るほどの具体的な悪事を働いてきたかどうかはさておいて、こうしてサンドラが苦しんでいる姿を見せるということそのものが、いじめっこがいじめられっこに転落したような、ある種の滑稽さや爽快感のようなものを見る者に喚起する。過去サンドラに迷惑をかけられた者はもちろん、そうでない者、そもそもサンドラをよく知らない者でさえ、同情を寄せる人間は多くないだろう。
「なんだろ、そんなめちゃくちゃ酷いことやったわけじゃないのにざまぁ感すっごいな……」
リリアのぼやきは、おそらく大多数の野次馬の心情を代弁するものだった。
その傍らで、カトリーヌは深呼吸のように深い溜め息を零すと、野次馬の列から踏み出しサンドラの隣に立って、大きく手を打ち鳴らした。
パンパンッ、と乾いた軽妙な音が中庭に│弾け、浮ついた場の空気を引き締めるとともに野次馬の注目を引きつける。
カトリーヌは不機嫌を隠さないきつい眼差しで、噴水を取り囲む群衆を見回した。
「──さあ皆さん、淑女の窮地でしてよ。どなたか助けて差し上げようという賢明な殿方はいらっしゃらないのかしら。それとも、淑女の素足を見るのが目的なのかしら?」
野次馬の男子たちに戦慄が走った。
確かに噴水の広範囲にぶち撒けられた私物を拾い出すには水に足を浸ける必要がある。男子が助けなければ誰かしら女子が素足を晒して拾い作業をしなければならない。女性が素足を晒すのは貴族社会でははしたない行為とされ、平民であっても半ば上流階級である学園生にとっては推奨されない状況だ。
男子たるもの、女子の生足はもちろん見たい。だがそれを肯定するのは今後の学園生活の破滅を意味する……
「わぁ、手厳しいなぁ。はーい、ベルモー手伝いまーす」
男子一同が逡巡に囚われ硬直する中、苦笑交じりに率先して手を上げたのがソキウスだった。流れるように袖をまくり裾を上げ、冷たい水に小さな悲鳴を上げつつも、気負いなく作業に入っていく。それを呼び水にして、慌てて手伝う者が現れ始める。
この年頃の学生は善行に対して腰が重く、わずかな労力も惜しみがちだ。折しも寒風吹き付け始めた冬の口、そのうえ被害者が傍迷惑なトラブルメーカーであるサンドラ・アンハイムとあっては、重い腰がより重くなるのも致し方ないところ。
が、行動をしないことがそのまま自分のリスクになるぞと証明──この場合「リスクにしてやるぞ」という脅しだが──してやれば、たちまち手のひらを返すのも人間の習性である。
「生足を見たい」だけなら、後ろめたくとも男子として健全な欲望……だがしかし、「生足見たさに女性が困っているところを放置した」なんてことになれば変態そのものだし、そんな噂が広がれば思春期の少年にとっては死活問題だ。積極的に善行を積む良い口実になったことだろう。
もちろん、カトリーヌはサンドラのために労力を割くつもりなど毛頭ない。仏心は男どもをけしかけたところで打ち止めだ。
……が、有志たちがぎゃあぎゃあ騒ぎながら噴水の底を浚っているのを見るともなしに眺めて待っていると、前触れなく傍らから伸びた手に腕を掴まれた。
ぎょっとして見返れば、サンドラが噴水に向けて面を伏せたまま、カトリーヌを見ることなくぽつりと呟く。かすかに声を震わせながら。
「……貴女では、ないのね?」
何を言うかと思えば。カトリーヌは冷めた視線をサンドラから噴水へと戻した。
「私ならこういうやり方はしないわね。ま、仕掛けたい相手に因縁のある人間を煽った結果として、こういうことになる場合はあるかもしれないけど」
「……っ」
「やってないわよ」
ギリリと奥歯を噛みしめる気配とともに掴まれた腕に力を入れられて、カトリーヌは迷惑そうに顔をしかめた。
「なんで一回絡まれたくらいで、あんたなんかにそんな手間暇労力かけて嫌がらせしなきゃいけないのよ。たとえあの一件を恨みに思ってたとしても、そんな暇あったら副会長におべっか使ってもっと効果的で強烈な制裁を代行してもらうわよ」
腕を掴む力が弱まった。さすがの説得力、ヒルデガルト印籠。
とはいえ、完全に納得できたわけでもないのだろう。サンドラらしからぬ、途方に暮れたようなか細い声がカトリーヌの耳に届く。
「でも……だとしたら、誰が……」
本気で心当たりがないのだろう。
おそらくサンドラは、彼女自身が自覚しているよりずっと周囲から疎んじられている。加害者が忘れても被害者が忘れない類の遺恨など山ほど抱えているだろう。
だが、今回の件に限っては……
「……知らない間に自覚なく買ってる恨みってのが、たぶん一番厄介なのよね……」
断言できる。犯人は、サンドラ以上に捻じ曲がった人間だ。




