(36)釣れたのは被害者でした
しかしながら、釣果はからっきし上がらなかった。
「いい餌だと思ったんだけどなぁ……」
人気のない廊下で、窓に両肘を乗り上げて外をぼんやりと見ながら、カトリーヌはぼやいた。
見上げる空は秋晴れ。遠く聞こえる生徒たちの喧騒にはところどころ笑い声。学園は至って平和だ。
炙り出し作戦を始めて二週間。いまだ手応えはない。
周囲の注目を浴びるのには成功している。不快な視線もいくつか感じる。が、多くは好奇の類であり、見慣れてくれば異常事態も日常の一部となったようで、それらも徐々に散逸していった。
要は、それらしい気配がないのだ。何かもの言いたげな生徒もいるにはいるが、直接物申したり害意をあらわにしたり裏で嫌がらせをしてくるような気概のある者はなかなかいない。こうやってカトリーヌがわざわざ人気のないところで一人になって見せているのに……
「──ちょっと、カドレッドさん!?」
……突っかかってくるのは、なぜか加害者ではなく被害者のほうである。
制服に合わせるには滑稽なほど個性的な派手髪と、見掛け倒しの清楚そうな黒髪が居並んでいるのを一瞥し、カトリーヌは盛大なため息をついた。
「違う、あんたらじゃない……」
「なんですのその態度! 人がわざわざ忠告差し上げようと思って来たのに!」
「カドレッドさん、近頃の貴女とノトシュさんの言動には目に余るものがありますわ。身の程をわきまえないと身を滅ぼしますわよ」
サンドラ・アンハイムは傲然と直情的に、エイミ・シーニスは平坦に嫌味っぽく、カトリーヌに直接物申してきた。これ、実は今週に入って何度目かの所業である。
「……まだ半月しか経ってないのにどんだけ図太い神経してんのよあんたたち。もうちょっと怯えてヘコんでしおらしくしておきなさいよ」
「なっ、なんのことかしら! このわたくしが何に怯える必要がありましてっ!?」
サンドラはあからさまにうろたえ、声を裏返しつつも強気に返してくる。大声で誤魔化そうとしているのが明白だ。
まあ、多少の後遺症は残っているのだろう。その恐怖や屈辱から目を逸らすために、あえて以前と同じ攻撃的な態度で、彼女なりに日常を取り戻そうとしているのかもしれない。
難題を克服するつもりがあるのは結構なことだが、そのために周囲に迷惑をかけるのはいかんともしがたい。元々の行状が悪すぎて、取り戻す日常の方向性がしょっぱすぎる。
カトリーヌは半眼になって、おざなりに応じる。
「で、忠告ってなぁに?」
「とぼけないで頂戴。このところ生徒会の皆様で勉強会を開いていらっしゃるようですけれど! 貴女がたお二人はあまりに場違いです! 勉強にかこつけて殿方にベタベタと……破廉恥ですわ!」
「皆眉を顰めておりますわ。いくら殿下がたが寛容とはいえ、将来国を支える雲上人の方々に、貴女がたのような厚かましい以外に取り柄のない人種が纏わりついているのを見るのは不快ですもの。もっと慎まれてはいかが?」
「雲上人ねぇ……」
ずいぶんと見上げた評価をするものだ。確かに執行部の男性陣は有能で顔も頭もいいが、普段から接していれば彼らも年相応の悩みや短所を持っているとわかる。もう少し彼らを対等な人間として同じ目線で見て接することができれば、彼女たちにもお近づきになるチャンスはあるだろうに。例の『ヒロイン』のように。
……いや、そんな話ではないのか。二人を含む、多くの女子生徒の執行部への憧れというものは、対等な、等身大の人間の存在をそもそも必要としていない。いっそのこと、雲上人でない彼らには価値がないのだ。彼女らが欲しているのは想像の中にしかいない理想の男性で、そこに付随している富と権力で、あるはずもない夢のような未来だ。目の前に実在している人間を直視せず、都合の良い偶像を勝手に着せて、あわよくばその隣に立つことを夢見ている。
これもまた人間の悪性の一種だろう。そんな妄念から他者を害するような者が現れれば、立派な悪役令嬢だ。サンドラとエイミには素質がありそうだ。今のところヒルデガルトに指一本で粉砕される木っ端のような悪役だが。
一方で物語の『悪役令嬢』もカトリーヌ自身も、そうはできていない。
カトリーヌには執行部の男どもに何か思うところはなく、ただ同じ仕事を共有している仲間という感覚しかない。
『悪役令嬢』は要所要所で『攻略対象』を篭絡するような態度を取るが、その腹の底では『ヒロイン』を悲しませ破滅させることにのみ執念を燃やし、特定の男に恋情や執着を抱いているらしきそぶりが一切ない。
自分自身の本質とかけ離れた印象が悪評として広がるのは、それなりにストレスだ。ただの二週間程度で今のカトリーヌがうんざりしているというのに、これを在学中延々と繰り返し続けた『悪役令嬢』の心中はどれほど捻くれていたものか……
「ちょっと、カドレッドさん!? 聞いていまして!?」
「……うるさいわねぇ」
サンドラの大声に怯むことなく顔をしかめて、カトリーヌは二人に侮蔑の眼差しをやった。
「あんたたちが言った通り、あれはただの勉強会。頭のいい連中に教えを乞うて何が悪いってのよ」
「距離が問題です。あそこまで近づく必要はないでしょう?」
「一つの参考書を一緒に覗き込むこともあるし、図書室なんだから大きな声で話すわけにもいかないでしょ。声を潜めて相談すると自然と顔が近くなってしまうのよ。まともな勉強会をしたことない人にはわからないかもしれないけどね。……ああ……案外それが原因かも……?」
「ばっ、馬鹿にしていますの!?」
図星の二人はおかんむりだが、カトリーヌの思考はかまわず大いに逸れていく。
つまりこの二人は論外として、まともな勉強会のなんたるかを知っている層には、まだまだ「真面目な勉強会」の許容値に納まって見えているのかもしれない。直情的に正面からぶつかってくる二人とは対象的に、未だ表に姿を現してもいない真犯人はかなり慎重で思慮深い人間と見ていいだろう。もう少し決定的に男に媚びているところを見せつけなければ、炙り出すのは困難か……
「これ以上はさすがに精神的にキツイなぁ……リリア使ってどうにかするか……」
「無視しないでくださる!?」
「はいはい。まあとにかく、あんたたちに人様のやることに文句つける権利なんかないんだから、もう少し大人しくしときなさい」
「なっ……どうしてわたくしたちが貴女に指図されなければいけませんの!?」
「反抗する相手は選びなさいっつってんのよ。文化祭の件についてはこっちでもちゃんと調べてるから、カリカリしないで静かに結果を待ってなさい」
「……っ!」
サンドラが息を呑んだ。……まあつまり、男子にベタベタして破廉恥云々は半分建前で、本音のところではシャンデリア事件の調査進捗を探りたかったのだろう。下手くそにもほどがあるが。
「むしろあんまりうるさく横槍入れてノイズ撒き散らしてると、そのうちヒルデガルトがブチ切れるわよ。あれに目をつけられたらシャンデリア落とされる程度じゃ済まなくなることくらい、ちょっと考えればわかるでしょう?」
「……」
「き、肝に銘じますわ……サンドラ、行きましょう」
すっかり蒼白になって黙り込むサンドラを、エイミが促して二人そそくさと立ち去っていく。情けないその後ろ姿に、カトリーヌは窓枠に頬杖をつきながらため息を送った。
あの二人が『悪役令嬢』の取り巻きだと判明したからには、カトリーヌにとってはなんら脅威に値しない。
リリアの『ゲーム』の記憶を洗った限り、『悪役令嬢』と今のカトリーヌの状況は違えど、持っている手札はさほど変わりない。父との関係性は今より良好でそれなりに連携が取れていたようだが、そうは言っても名ばかり侯爵家、後ろ盾としては頼りないにもほどがある。各所のパーティで繋いだ人脈も、土壇場ではあっけなく離れていくか細い縁。生徒会に繋ぎができた現実のカトリーヌのほうがよっぽど恵まれているかもしれない。
そんな張りぼての『悪役令嬢』の取り巻きをやっていた程度の連中だ、今のカトリーヌがねじ伏せるのもわけがない。実際、現実のサンドラもエイミも、コツさえ掴めば扱いやすい人種と言える。ヒルデガルト曰くの「ちょろい」小悪党に過ぎない。
……だからこそ、違和感のようなものがある。漠然とした不安……いや、欠落感のようなものを感じずにはいられない。
「何かが足りてない……」
ぼんやりと呟いた瞬間、
「──……!」
背筋に走った正体不明の感覚に、カトリーヌは顔を跳ね上げた。
サンドラとエイミが去っていった廊下。当然ながら今は誰もいない。
だが一瞬だけ、確かに感じたのだ。気配……視線のようなものを。
令嬢集団に絡まれたあの時、中庭で感じたのと同質の……
「まさか……」
自分は、何か決定的に読み違えていたのではないか。
その予感が確信に変わったのは、翌日。
サンドラ・アンハイムの鞄が盗まれ、中身が中庭の噴水にぶちまけられているという一報が入った、その時だった。




