(31)最悪な遭遇
謎の助っ人ダンサーの活躍によってソロパートを凌いだ特別講習クラスの演目は、大成功に終わった。
助っ人ダンサーの思いもよらぬ演技に観客のほとんどが度肝を抜かれて呆然としている隙に、速やかに集団演技に突入。ステージめいっぱいを使って、ドレスと盛装で繰り広げられる極めて模範的かつ学生にしてはレベルの高い社交ダンス。城の舞踏会を切り取ってきたかのような華やかなステージだ。地道なレッスンを積み上げ磨かれてきた一糸乱れぬ演技は実に手堅く、安全で、ある種の予定調和を観客に提供する。
「ああちゃんとした演目もあるのね」という、あんまり見ない種類の安堵が客席にさざなみの如く広がっていくさまは、残念ながら謎の助っ人ダンサーにもしっかりと伝わっていた模様である。
公演後、彼女の姿を舞台裏に見つけて、特別講習クラスの代表メンバーが駆け寄った。
「えーっと、あー……カドレッド……さん?」
声をかけた代表者は最高学年男子。普段ならば後輩は男女問わず初対面でも家名呼び捨てが慣例だったが、この時ばかりは相手から漏れ伝わるどす黒いオーラに気圧されて、敬称をつけずにはいられなかった模様である。
件の謎の助っ人ダンサーは、すっかり着替え終えて舞台裏隅の簡易椅子に腰掛け、柱にこめかみを預ける形でもたれかかっていた。いつもはきっちり地味に編まれている三編みが、乱れほどけかかっているのが妙に色っぽい。が、あまりにも煤けたその後ろ姿にロマンスを感じるのはなかなか難易度が高い。
「あ、あの……本当に助かりました!」
意を決して一人の女子生徒が声をあげたのを皮切りに、次々に声が上がる。
「カドレッドが頑張ってくれたおかげで、担当時間を死守したまま公演を乗り切ることができた。感謝する」
「本当にありがとね!」
「客の反応も結構良かったぜ」
「ほぼ飛び込みであんなに立派に踊り切るなんて凄いですっ」
「ほんとほんと。来年も力を借りたいくらい──」
雨あられと降り注ぐ感謝と賛辞は、半ばで不意に途切れた。
ゆらり……と、助っ人ダンサーが振り返ったのだ。
翳りを帯びた幽鬼の如き白い顔が特別講習クラス一同を捉え、凶悪に見開かれた瞳の中心で、ギョンッ、と瞳孔が収縮した。ヒィッ!と場違いな悲鳴が上がるのも無理からぬ、悪魔を思わせる禍々しさである。
「……これ以上蒸し返すつもりなら……許さないわよ……」
本当に呪い殺されそうなその異様な迫力に、「わかりましたしません」の意味で縦に、「蒸し返すつもりはありません」の意味で横に、高速で首を振る以外に彼らの活路はなかったと言える。
ガクガク怯える一同の前で、助っ人ダンサーの中の人はすっくと立ち上がり、一瞬だけちょっとよろけたのち、気を取り直したらしき早足で颯爽とステージを後にした。一度として振り返ることなく。
かくしてダンス特別講習クラスの面々は秘密を抱えることとなった。
文化祭でソロを踊った謎の助っ人ダンサーは、人間嫌いのカトリーヌ・カドレッド侯爵令嬢である……という、小さいようでとても大きな秘密を。
***
野外ステージから出たカトリーヌは、ふらふらと蛇行しそうになる足を叱咤して、努めて平静を装い人波に紛れ込んだ。むしろそのことに全神経を集中させ、全身のありとあらゆるリソースをそこにつぎ込むことで努めて頭の中を空っぽにするのだ。考えてはならない、さっきまで自分が何をしていたのかとか、ヴェール越しに見た観客のぽかん顔とか、……あんな酷い踊りがニッキーのダンサー人生への餞になってしまったこと、とか……
「……ぁ」
(ああああああああああああああああああああ──ッッッッ!!)
口から出かかった衝動的な絶叫をなんとか喉の奥に押し戻して、周囲に悟られぬよう心も顔を伏せ、心の中で続きを叫ぶ。人混みの中で思い出したように奇声を上げるなんてリリアじみたこと、カトリーヌの理性と矜持が許さない。
……そんなプライドにこだわったのがいけなかったのかもしれない。せめてさっさと走り去っておけば。
「あら、カトリーヌじゃない?」
最悪な人間に声をかけられることもなかったのに。
聞き覚えのある声に瞠目し、カトリーヌは伏せていた顔を上げた。
目の前に、女がいた。学生ではない、一見年齢不詳の美女。顔隠しを兼ねたつばの広い帽子と派手なスカーフ。年甲斐もなく露出の多いドレス。どこか小馬鹿にしたような挑発的な表情。
……ほの暗い、紅色の赤毛。
「久々に見た気がするけど、あんたまたずいぶんと地味ねぇ。今日はお祭りでしょうに。もっとオシャレに気を使いなさいよ、若いんだから。人生楽しまなきゃ損よぉ〜」
「……なんで」
カトリーヌは呆然と、目の前の美女を凝視した。
「なんで、ここに……」
「なんでって、お祭りだからに決まってるじゃない。卒業生は招待状がなくても入れるの。ま、私が学生の頃と大して変わり映えしてないけど、たまにはこういうところでデートするのも乙なものよね。あっ、でも聞いてよ、さっき一緒に来たカレとちょっと喧嘩しちゃってね、頭きたからその場で別れてやったわよ。今はステキな若いのを引っ掛けてデートの仕切り直しってところ。学園祭の内容はともかく、男子の質は上がったわよねぇ〜。──あっ、ここよ! 今いくわ!」
畳み掛けるように一気に喋り倒した美女は、どこかに向けて大きく手を振ると、また忙しなくカトリーヌを振り返った。
「じゃ、そういうことだから、もう行くわね。あんたもせいぜい頑張って今のうちにイイ男捕まえておくのよ? じゃね」
言いたいだけまくし立て、嵐のように去っていく美女の、過剰に魅惑的でそれゆえに品性に欠ける足運び。その先には笑顔で彼女を待ち受ける長身の男子生徒。
カトリーヌと同じ学年の制服の腕に、美女が嬉しそうに絡みつく──
その光景を見た瞬間、心臓から溢れ出すように吹き荒れた黒々とした衝動に呑まれるに任せ、カトリーヌは地面を蹴った。
あの女を、ぐちゃぐちゃに叩きのめすために。
──どうしてここにいる。
──どうして男を連れてきた。
──どうしてカトリーヌの前に現れた。
──どうして恥ずかしげもなく恥を晒す。
──どうして、娘の同級生とデートなどできる……!?
「──カドレッド!?」
だが、勢い込んで歩き出した身体は、男の手に腕を掴まれる感覚に引き止められた。背中にかかったとてもよく知る声に、一瞬、息が止まる。
今、一番会ってはならない……会いたくなかった人物。
カトリーヌが振り返る事もできずに逡巡している間に、引き止めた人物が困惑の声を上げる。
「カドレッド、どうしたの、大丈夫? ……クルククが何かした?」
「え」
その言葉に、暗く狭まっていたカトリーヌの視界が一気に開けた。
あの女が腕を絡めた相手。二年生の制服を着た、白に近い銀髪に褐色の肌、艶っぽい美貌の男子生徒……
フェネロ・クルクク。すなわち、お忍びで留学してきた隣国の第五王子フェルディナン。
カトリーヌを塗り潰さんとしていた黒い衝動が、一気に霧散していく。
クルクク。その名前を、ほんの最近聞いたはずだ。
そう、彼はシャンデリア事件の犯人探しに駆り出されているはず。あの女帝があの優秀な弟に命じたのだ、隣国の王子と言えど否応もなく巻き込まれているだろう。ましてや年増女に現を抜かしている暇など……
「……カドレッド?」
心から案じられているとわかる声に、強張っていた身体と気持ちを解かれながらも、カトリーヌは思考を回し続ける。
クルククがあの女に接触した。ならば、真犯人の最有力候補は……
「大丈夫、少し考えなきゃいけないことができただけ。……ありがとう、ソキウス」
美女と若いツバメの姿が視界から消えても、カトリーヌはもう、二人を追いかけようとはしなかった。




