(21)海運王の見本市
晴天の下、活気に満ちた賑わいが歴史ある古風な公館の前庭を満たしていた。
舗装された石畳の道の左右には、多種多様、高級品と思しき商品を美しく陳列したブースが立ち並んでいる。店々を行き交う人々は皆貴族や富豪といった上流階級の人間と、その上流階級を相手に商売する身元の確かな商人たちばかり。
庶民のために開かれるバザールとは似て非なる、上流階級向けのお上品な見本市だ。
お抱えの商人を各々の邸宅に招いて商品を購入するのが貴族の伝統的なやり方だが、多数の大商人が台頭してきた昨今ではこうした市が開かれる機会も増えている。新たな刺激に飢えている貴族、金持ちとの繋がりを作っておきたい商人、公館を貸し出して使用料で儲けたい国。誰にとっても益のある催しである。
伝統にうるさい貴族などには顔をしかめる者もいるようだが、多くはすでに現役を退いた老人世代だ。彼らの愚痴で若者の遊興が止まるはずもなく、時代の流れも変えられはしない。
こうした市は、茶会や夜会、舞踏会に次ぐ、パーティーの一種に位置づけられる。とはいえ貴族主催の夜会などに比べればかなり気安い雰囲気で、ドレスコードも緩い。大体の貴族は街中を散策する際に動きやすいデイドレスやシンプルなコート姿だ。もちろん、こういうところでも素材やデザインに手を抜かないのが貴族というものだが。
そこへきてカトリーヌはと言えば、いつも通りの制服姿である。
学園の制服は礼服を兼ねる。夜会で着ていくのは問題だが、こういった貴族向けの昼間の催しには必要十分の服装だ。デビュタント前の学生ならばなおのこと。
(あんまり気乗りしなかったけど……案外悪くないわね)
新鮮な気分で、カトリーヌは見本市をそぞろ歩く。こういった場であっても社交に熱心な貴族をちらほら見かけて辟易するが、多くの人々は商品に夢中で、お祭りめいた雰囲気を純粋に楽しんでいる。そんな空気に乗っかって、いろいろと見て回るのも存外悪くはない。
このあと待っている、気の重い「義務」に立ち向かうためにも、少しでも英気を養っておくに越したことはないだろう。
──そもそもパーティーの類を苦手としているカトリーヌが見本市を訪れることになったのは、例の如く父が原因である。
どうなることかと思った生徒会の業務は、意外に好調だ。
ヒルデガルトは積極的に仕事を請け負い、自身の出動の頻度を増やしてカトリーヌとリリアを方々に連れ回すようになった。カトリーヌはその隣でメモを取るフリをしながら、生徒の顔と名簿を突き合わせてひたすらチェックしていくのがお役目である。
なるほど確かに、傍から見れば実に勤勉なヒルデガルトの金魚のフンであろう。最大の目的である『髪引き男』の発見には未だ至っていないものの、牽制はうまくいっている手応えがあった。
ヒルデガルトの出動に帯同するようになったことで、当初の目的だった刺繍をする時間が減るのも致し方ないと思っていたのだが、蓋を開けてみればさほど長時間拘束される形ではなかった。折しも日が延びてきた時期ということもあって、刺繍をする時間は十分に確保できている。ヒルデガルトもお茶の時間と称してたっぷりの休憩時間を意識的に取ってくれている。これで文句を言ったらバチが当たるというものだ。……お膳立てが整いすぎていて別の意図を疑いたくもなるが、まあそれには気づかないフリをしておこう。
そんなわけで特に負担も感じず生徒会業務に勤しむ傍ら、刺繍も順調に数をこなしてきた。
さらに朗報として、短期限定だったミセス・マトローネの講義が、好評につき第二弾が開催されることが決定したのだ。生徒の賛否は分かれるが、概ね良い内容だったと判断した保護者たちの強い後押しがあったようだ。
当然ながらカトリーヌも講義に参加するつもりだった。が、こちらも当然ながら、再度保護者の許可が必要となる。
気が進まないながらも腹を括って受講の許可をもらいにいったカトリーヌに、父が出した条件がこの見本市への参加だったのだ。
例のリリア=ギャクハーエンドショックからこちら、カトリーヌは社交の類を極力避け続けていた。家のために本当に必要な茶会や会合にだけ出席し、必要最低限の挨拶と失礼にならない程度の社交をこなしたのち直帰が基本だ。
実際厳選してしまえば、デビュタント前の娘が絶対にこなさなければならない社交などカドレッド家にはほとんど存在しない。カトリーヌが社交界デビューしていないのは父の都合。カドレッド家の社交がうまく行っていないのは父と母が昔のやらかしを挽回できていないせい。どう考えても、カトリーヌの知ったことではない。
だから時折カトリーヌが父になんらかの希望を出すと、叶えてやる代わりとばかりにこうして社交に出るよう厳命されることがあるのだ。
面倒この上ないが、そこはカトリーヌも素直に従うようにしている。適度に条件を呑んで譲歩しているように見せることで、本来なら大いにこなして家を支えるべきであろう令嬢としての義務を、最低限に抑えることを父に納得させているのである。わりと悪質な詐術なのだが、娘にうまいこと化かされていることに、父が気づいている気配はない。
そんなわけで今回もさして実りのなさそうな社交に駆り出されたカトリーヌである。
海運王エベ・サレッセン主催の見本市。平民出身の大商人による、商人たちのための催しであり、社交場としてのランクは低い。
侯爵家の未来のために、商人という新たな勢力に対して人脈を広げようとしているのならば悪くない判断なのかもしれないが……あの父が、そんな建設的な考えで動くかどうか。
物思いに耽りながらも、カトリーヌは珍しい異国の布地に漫然と惹かれてブースの前で立ち止まった。
太くはっきりとした輪郭で描かれた動物や山河図など、大胆で物珍しい図案が多い。だがやはり、どれもピンとこない。
気になるとすれば大きな鳥のモチーフだが、少し力強すぎ、実在感がありすぎる。あの透ける布に相応しい、繊細さや優美さをどう実現していけばいいものか……
「……あれ? カドレッド?」
あまりにもタイムリーに飛び込んできた聞き覚えのある声に、カトリーヌは軽く息を呑んだ。振り返れば、やはり見慣れた笑顔と見慣れた制服姿。
「ソキウス」
「よっす。カドレッドも来てたんだ」
「……来たくて来たわけじゃないけどね。あんたは?」
「まあ勉強の一環かな。あと、よさそうな商材があれば今後の御用聞きの参考になるかな、って」
「相変わらず盛況そうねぇ」
「まあね。最近じゃ女子からの相談も多くてさ、そっちは専門外の分野も多いからまだまだ勉強しないと」
「あらやだ、とうとういたいけな女性まで餌食に?」
「言い方ぁ」
軽口を叩き合って、くすくす笑い合う。
ソキウスは学園で、生徒たちの要望や悩みを積極的に拾っては商人的解決に尽力するという、御用聞きまがいのことをちょくちょくやっている。
要は、困っていたカトリーヌにダンサーのニッキーを講師として斡旋したのと同じだ。人材に限らず物品や情報を融通することで、生徒たちの悩みを解決すると共にベルモー商会の名前を売り込んでおくのである。なるほどこうした人脈の形成こそ、商人の子が貴族の子と机を並べる最大のメリットだろう。
生徒の中にはソキウスのこうした商魂たくましさに侮蔑の視線を送る者もいる。が、事実としてカトリーヌ同様にソキウスに助けられている生徒も貴賎を問わず多いのだ。やらぬ偽善よりやる偽善とはよく言ったもので、たとえそこに金銭や打算が絡んでいようとも、鼻持ちならない貴族の坊ちゃん嬢ちゃんにはできないことをソキウスは確かに成し遂げている。むしろ他者の欲望と欲望が噛み合って両者がきちんと得をできるのならば、それは人が生きていくことの幸いの一つの形ではないだろうか。
「で、カドレッドがここに来た理由って──」
「──カトリーヌ!」
鋭く、攻撃的な声が外野からソキウスの言葉を遮った。
カトリーヌは眉間にぎゅっと皺を寄せて声の主を振り返った。会いたくもないが会わずにはいられない相手。
カドレッド侯爵──すなわち父が、人波を割ってどこからか早足で現れたのだ。そして素早くカトリーヌの隣に立ち、肩を抱いて引き寄せた。
公の社交場に親子揃って参加する機会がほとんどないだけに、ここぞとばかりに周囲に溺愛猿芝居を見せつけるつもりだろう。当然その行為に喜びや親愛を感じるはずもなく、カトリーヌはさらに険悪に顔を歪めた。
父は娘の不興に気づきもせず、呆気にとられて目を瞬いているソキウスを胡散臭い笑顔で見ている。……目が、完全に威嚇している。
「カトリーヌ、彼は?」
ソキウスに視線を固定したまま、父が訊ねてきた。まるで娘に悪い虫を寄らせまいとする空気を発しながら。
事実その通りの行動ではあるのだが、そこには娘への愛情が行き過ぎてとか、娘の将来のためになどという微笑ましい動機など微塵も存在しない。侯爵家に相応しくない男を手駒に近づけたくないというだけである。
こんな表面的な態度だけを見て「侯爵は娘を溺愛している」という噂が絶えないのだから業腹である。社交界の腹の探り合いとやらも他愛ない。
溜息の一つも吐きたいところだが、あとが面倒だ。カトリーヌはギリギリ笑顔に見えなくもない虚無顔で淡々と答える。
「彼は同級生のソキウス。ベルモー商会会頭のご子息です」
「ほう……例のベルモーの三男が君か」
父は値踏みするようにソキウスを見る。ニッキーを斡旋してくれた時は書類上だけのやり取りだったから、直接顔を合わせたのはこれが初めてだった。
「お初にお目にかかります、ソキウス・ベルモーです。カドレッド侯爵様、その節は我が商会をご利用いただき誠にありがとうございます」
ソキウスは商談用の笑顔で応対してくれる。親しい友人である、というのをここで押し出すのはのちのちカトリーヌが面倒になると察してくれたのだろう。……まあ察するも何も、「ベルモー」と「三男」という単語に明確な侮蔑が含められていたのだから、父の威嚇の意図はダダ漏れだ。人の機微に敏いソキウスがカトリーヌの立場を慮らないはずがないのだ。
父の思考は単純だ。大商会の子とはいえ、平民というだけでも論外、さらに三男ともなればみそっかすもいいところ。変な勘違いを起こして娘に懸想されないうちに牽制して危うい芽は摘んでおこう、といったところか。貴族にとっての三男と平民の三男ではかなり感覚が違うはずなのだが、その辺りの事情は父の中では考慮に値しないらしい。
……そんな心配は不要だというのに。カトリーヌは自嘲気味に目を伏せる。
現実は父が思っているのとは逆だ。貴族であることの優位性など、カトリーヌには存在しない。平民だからと言ってソキウスが劣等であるはずがない。
学生のうちからすでに志を持ち、将来を見据えて行動しているソキウスに、カトリーヌのような半端者が相応しいわけがないのだ。
カトリーヌの憂いには気づかずに、父は胡散臭い笑顔のままソキウスとの会話を続けている。
「ああ、例の件では世話になったな。しかしまさかこんなところで顔を合わせることになるとは……私の娘に何か用かな?」
「いえ、ご挨拶を。その後ニッキーはうまくやっていますか?」
「ああ……そうだな。悪くないのではないか」
言いつつも、父の眉間に皺が寄る。弁が立つニッキーにちょくちょくやり込められているのが気に入らないのだろうが、それを表明するのは父のプライドに反するし、現実として人材を選り好みできる状況でもない。
さらにもっと言えば、ニッキーが良い講師かどうか見る目もなければ、そもそもしっかり見てもいない。カトリーヌが外でダンスを披露する機会もとんとないので、はっきりとした結果も出ていない。なにもかもちぐはぐで中途半端だ。
父は娘にダンスを教えているという体裁が欲しいだけ。ニッキーとの練習が日常の息抜きになっているカトリーヌにとっても、現状維持が好ましい。この点、父娘の利害はすれ違いながらも一致している。どちらも建設的な理由でないのがこの親子の親子たる所以なのかもしれないが。
「講師のことはいい。それより君、もしや学園でもこの調子で私の娘に……」
(まずい)
父にこれ以上を言わせてはいけない。カトリーヌは咄嗟に頭を回転させて割り込む言い訳を絞り出そうとした──その時。
「──おっ、そこにいたか三男坊!」
唐突に第三者の大音声が割り込んだ。冗談でなく声が大きい。間近でいきなり砲撃でも始まったかのように、周囲の人々がぎょっと声の主を振り返り道を開けていく。
見れば、堂々たる足取りでこちらにやってくる男が一人。彫り深く厳つい顔立ち、戦士と言って通じそうな体躯をした、筋肉質な存在感の壮年男性だ。頭には斜めがけにした三角帽子、袖を通さず肩に羽織っているのは海軍の軍服に似せたコート。いかにもな海賊めいたいでたちが、絶妙に仮装感を醸し出している。
この貫禄にこの格好。初めて見る顔だが、男の正体にカトリーヌも見当がついた。案の定、父が呆然と驚きの声を上げる。
「エベ・サレッセン……」
そう、この見本市の主催者。三国に名だたる海運王である。
エベ・サレッセンはそこに侯爵がいることに気づいた様子も見せず、素早くソキウスの前に立つとその肩をがっしりと掴んだ。
「よく来たなぁソキウス。ちったぁデカくなったかぁ?」
「いやそれがね、ほんと微々たる進捗しかなくてね……」
「はっはっは! お前はお袋さん似だからなぁ。でも心配すんな、お袋さんの兄貴もガキの頃はちっさかったが、今じゃ立派なウドの大木だからな!」
「それ悪口になってない?」
商人仲間ゆえ……にしてもずいぶんと親しげな軽口の応酬。貴族の縁も傍から見ているだけでは読めないものだが、それは商人も同じだったようだ。意外なところに友誼は存在するがゆえに、人は見た目や年齢、肩書きだけで侮ってはいけないのである。
さて、困ったことになったのはカドレッド侯爵だ。
「ベルモー三男坊」だけなら、確かに軽く扱ってもそう大事にはなるまい。ベルモー家の家族仲によっては商会そのものに悪印象を抱かせる愚行だが、腐っても侯爵の肩書きと「娘を思うがあまり」という言い訳が効くだろう。
が、周辺国に顔が利き、王家の覚えもめでたいとまでされる海運王が関わってくれば話は変わってくる。
時代の寵児の不興を買うのは高位貴族にとっても得策ではない。相手は海運王本人だけでなく、その動向に注目している周囲の商人、貴族、果ては近隣諸国の王族にまで拡大するのだ。
見るからに海運王の親しい友人であるらしき少年に高圧的な態度を取る鼻持ちならない侯爵を、周囲がどう思うか、という問題である。海運王の味方全てにそっぽを向かれでもしたら、社交界に侯爵家の身の置所はますますなくなってしまう。
むしろエベ・サレッセンの介入タイミングは、当の父が致命的なところに踏み込む直前だったように思う。ここで子供相手に大人気ない牽制をかました後になって海運王が現れでもしていたら、父が恥をかくだけでは済まない損害が、毒のようにじわじわと侯爵家を蝕んでいたかもしれない。
もっともサレッセンがそこまで考えて、こちらに気を使って介入したとも考えにくいが……
……目が合った。
ソキウスとの親睦をひとしきり深めたのち、顔を上げたエベ・サレッセンの鋭くも意味深な視線と、カトリーヌの視線が確かに一瞬交わった。心臓がひゅっと嫌な縮み方をしたのがわかる。
……なるほど。完全に理解した上で介入してくれたらしい。
これが純粋な善意であると思えるほど、カトリーヌは他者を侮っていない。
なにせ相手は大商人だ。頭の中で常に算盤を弾いていてなんぼの海運王。腹の底に何か思惑があるのだと身構えておく必要があるだろう。
さっさとカトリーヌから視線を移したエベ・サレッセンは、野性味と迫力のある笑顔でカドレッド侯爵を見た。
「で、ソキウス、こちらさんは?」
「カドレッド侯爵とそのご令嬢。ご令嬢とは同級生で、その縁でニッキーを紹介したんだ」
「ああそんな話聞いたっけな。いや無作法で申し訳ない、侯爵。こいつは友人夫妻の末っ子でね、久しぶりに顔を見たものだから少し興奮して周りが見えなくなってしまった。失敬失敬」
サレッセンは謝罪とも思えぬ調子で堂々と笑い飛ばすと、力強く手を差し出した。
「エベ・サレッセンだ。見本市へようこそ」
「あ、ああ、気にしないでくれたまえ。君の名はよく聞き及んでいる。その勇名に恥じぬ、素晴らしい催しだな」
エベ・サレッセンの大きな手に形ばかりの握手で応えながら、父は威嚇を引っ込めた愛想笑いを返す。心持ち早口気味に。
「せっかく会えたところですまないが、これから人と会う予定があってね。私は失礼するよ。……カトリーヌ、時間前には館に来なさい」
そう言い置くと、カトリーヌの「わかりました」という返事も聞いているのかいないのか、素晴らしく素早い身のこなしで人波の向こうへと消えていった。……娘に対応をなすりつけての敵前逃亡か。
「はっや」
「おいおい、ここで逃げんのかい」
ソキウスとエベ・サレッセンの、感心まじりの呆れの声に耳が痛い。カトリーヌは頭を下げるわけにもいかず、会釈未満の曖昧な仕草で謝罪の意を表した。
「……ごめんなさい、あんな父で」
「いやいや謝るこっちゃないし、お嬢さんが気負うことでもないだろう。……だがまあ、ありゃ社交ってもんの本質をわかってないな。貴族のぼんぼんにゃままいる手合だが、侯爵ねぇ……。苦労するね」
……初対面の海運王に憐れまれてしまった。
生き馬の目を抜く社交界、なんて言い方をすることもあるが、足の引っ張り合いよりまず自分の足元を固めるのが先決。つまるところ、人と交流して人脈を広げることが本来の主題だ。
それには当然、相手の立場や気持ちを慮り、誠実に言葉を交わす能力が求められる。相手に対して何か失敗や失言をしでかしたら、即座に挽回する努力をしなければならない。それが相手を尊重するということだ。決まりが悪いからといって逃げ出すのは最悪の悪手である。
商人だってそんなことは知っている。むしろ、生まれや爵位に頼れない商人のほうがその辺りはよほどシビアだろう。
そもそもこの見本市最大の目玉とも言える海運王エベ・サレッセン本人と言葉を交わす機会を得ておいて、交流を図ろうともせず逃げ出す姿はヘタレそのもの。このぶんでは、普段の社交の惨敗ぶりも推して知るべしといったところだ。
「……なんか変な感じになっちゃったね」
ソキウスが眉を八の字にして苦笑している。それだけでカトリーヌの胸は痛む。
「ほんと、ごめんなさい」
「ああ、だからカドレッドが謝ることじゃないってば。まあちょっと、いろいろ驚いただけで……なんか困ってることがあったらいつでも言って。商品でも人材でもなんでも、僕ができることならなんでもするから」
「なんでもなんて、貴族にそんな軽々しく約束するもんじゃないわよ」
「いいんだよ、何がなんでも力になるって決めたんだから。それくらいやってのけなきゃベルモーの名折れだしね」
パチリとウィンクをする仕草がいかにも慣れていなくて、カトリーヌは笑ってしまう。
……ソキウスに気を使わせてしまった。逆説的に、あの父のありさまが商人たちの目から見てどれほど酷いのか、証明されてしまったことになる。
「ふむ……それでお嬢さん、独り立ちの予定はいつだね」
エベ・サレッセンが唐突にそんなことを言い始めた。
カトリーヌは言葉の意味を消化できずに、ゆっくりと目を瞬いた。
「ええ……?」
「ちょっとエベ?」
ソキウスが非難の眼差しでエベ・サレッセンを見上げた。しかしサレッセンは肩をすくめて視線を受け流し、カトリーヌの答えを待っている。
困惑の抜けきれぬまま、カトリーヌはなんとか言葉を絞り出す。
「……貴族の子女……いえ、貴族の女に、そういった概念は存在しません」
「ふむ?」
エベ・サレッセンはカトリーヌの回答を吟味するように、指の背で自分の唇を触って考え込んだ。
「まあ確かに、男と女じゃ違うか。なかなか難儀だねぇ」
「はぁ……」
「だが、お嬢さんにはベルモーの三男坊とこのエベ・サレッセンと知り合えるだけの幸運がある。あとはほんの少しの勇気や思い切り次第で、道を拓くのも不可能ではないはずだと思わないか?」
「それは、どういう……」
謎かけのような言葉の意味がわからない。貴族なら言葉の裏を探ってみろとでも言うのかもしれないが、両親がともに貴族としてまともに機能していないカトリーヌに、海千山千の商人の意図を探るまでの技術はまだ身についていない。
「つまりだ、いよいよその気になったらサレッセン海運でもベルモー商会でもいいから頼りに来なさいよってことだ。今は、商人の時代だからな」
さらに意味がわからない。商人に頼る? 特に発注して欲しい商品などは思いつかないが……いや、そういう話ではないのか?
「いよいよその気に」……「独り立ちの予定」……?
「お、もうこんな時間か。俺行くわ。じゃあな三男坊」
「はぁ? いや、ちょ、エベ!?」
混乱するカトリーヌを差し置いて、エベ・サレッセンは陽気に別れを告げるとさっさと人波に紛れて消えていった。
「……どういうことだったのかしら」
「うん……」
エベ・サレッセンを呼び止めそこねたソキウスは、何か考え込むように視線を下げた後、意を決したようにサレッセンの去った方向に目を上げた。
「ごめん、カドレッド。僕も用ができたから行くよ」
「え、あ、そう……?」
「また学園で!」
「う、うん。また……」
結局エベ・サレッセンの言葉をろくに咀嚼できないまま、カトリーヌは早足で去るソキウスの背を呆然と見送った。




