間に合わない言葉
雨だった。
朝からずっと降り続いている。
石畳は濡れ、空気は冷たく、街全体がどこか沈んで見えた。
「雨の日って嫌いです」
私はフードを被りながら呟く。
「髪まとまらないし」
「そこなんですね」
団長が苦笑する。
「もっとこう、“陰鬱な空気が不穏”とかあるでしょう」
「それもあります」
「ついでみたいに言わないでください」
市場も今日は人が少ない。
雨の日はトラブルが減る。
皆、さっさと家へ帰るからだ。
……普通なら。
「聖女様!」
兵士が駆け込んできた。
嫌な予感しかしない。
「南区画で騒ぎです!」
「内容は」
「炊き出し所で乱闘が……!」
私は団長と顔を見合わせた。
「最悪ですね」
「最悪ですね」
完全に同意だった。
炊き出し所は、リシェルが提案して増設された支援区域だ。
難民や貧民への食糧配布を行っている。
つまり。
不満も、飢えも、人も集まりやすい。
現場へ向かう。
雨の中、怒号が響いていた。
「ふざけんな!」
「割り込みだろうが!」
「こっちは昨日から食ってねぇんだ!」
列が崩壊している。
人々が押し合い、殴り合い寸前だった。
兵士たちも止めきれていない。
「下がってください!」
私は前へ出る。
でも興奮状態の群衆には届かない。
まずい。
この人数、暴発したら一気に広がる。
その時。
「皆さん!」
リシェルの声。
雨音の中でも、不思議と響いた。
「順番に配ります!」
「必ず全員に届きます!」
彼女は群衆の前へ出る。
危ない。
私は反射的に周囲を警戒した。
「落ち着いてください!」
「焦らなくても――」
「うるせぇ!」
一人の男が叫ぶ。
「昨日もそう言っただろうが!」
男の目は血走っていた。
「娘が熱出してんだよ!」
「もう待てねぇんだ!」
空気が揺れる。
後ろの人間も不満を叫び始める。
「こっちだって限界だ!」
「配給が足りねぇ!」
「言葉だけで腹は膨れない!」
雨のせいだ。
寒さと空腹で、皆余裕がない。
リシェルは必死に声をかけ続ける。
「大丈夫です!」
「必ず――」
その瞬間。
列の後方で誰かが倒れた。
悲鳴。
「子どもが!」
空気が変わる。
押し合い。
混乱。
一気にパニックになった。
「下がってください!」
兵士の声も届かない。
人波が崩れる。
私は舌打ちした。
もうダメだ。
「団長!」
「はい!」
「道を開けます!」
私は地面を蹴った。
群衆の中央へ飛び込む。
「動くなァ!!」
腹の底から怒鳴った。
空気が震える。
一瞬、全員が止まる。
そこへ私は拳を叩き込んだ。
近くに積まれていた木箱へ。
轟音。
木箱が粉砕される。
静寂。
雨音だけが響いた。
「……次に押した人から止めます」
低く言う。
完全に脅しだった。
でも。
群衆は止まった。
誰も動かない。
私は倒れた子どもの元へ走る。
小さい。
呼吸が浅い。
「医者を!」
兵士たちが動き出す。
リシェルも駆け寄ってきた。
「大丈夫です!」
治癒の光。
子どもの呼吸が少し安定する。
母親が泣き崩れた。
「ありがとうございます……!」
私は息を吐いた。
間に合った。
ギリギリで。
周囲の人々は静まり返っている。
さっきまで暴れかけていたのに。
皆、怯えた顔で私を見ていた。
……まあ、木箱粉砕したからな。
ちょっとやりすぎたかもしれない。
「聖女殿」
団長が小声で言う。
「威圧だけで群衆止めるのやめてください」
「止まったじゃないですか」
「兵士が半分震えてます」
「えっ」
後ろを見た。
兵士たちが微妙に目を逸らした。
傷つく。
その時。
「……ありがとうございました」
リシェルが言う。
でも。
声が少し硬い。
「被害が広がる前に止めてくれました」
「はい」
「ですが」
やっぱり続く。
「怖がらせることでしか止められない状況は、とても危ういです」
私は眉を寄せる。
「じゃあどうしろと」
「時間が必要でした」
「その間に潰されかけてた子がいました」
言葉が強くなる。
リシェルが黙る。
「間に合わない時があるんです」
私は拳を握る。
「話してる間に壊れるものがある」
「……はい」
「だから私は止めます」
雨が強くなる。
リシェルはしばらく何も言わなかった。
やがて。
「でも」
小さく呟く。
「今日は皆、貴女を見て怯えていました」
胸が少し痛んだ。
私は周囲を見る。
人々は静かだった。
感謝している人もいる。
でも。
確かに、怯えている人もいた。
私は守った。
間違ってはいない。
それでも。
この胸のざわつきは、なんなんだろう。
帰り道。
雨の中を並んで歩く。
「……私は」
リシェルがぽつりと言った。
「間に合わない人を減らしたいんです」
静かな声。
「だから、時間をかけたい」
私は前を見る。
「私は」
少しだけ考える。
「間に合わないなら、壊してでも止めます」
リシェルがこちらを見る。
悲しそうな目だった。
「それが必要な時もあると、頭ではわかっています」
「でも納得できない?」
「……はい」
雨が降り続いている。
同じ人を救いたいはずなのに。
どうしてこんなにも、歩幅が違うのだろう。




