救われた側の本音
雨が上がった翌日。
街は妙に静かだった。
いや、正確には。
皆、何かを考えている顔をしている。
「見られてますね」
団長が小声で言った。
「……ですね」
市場を歩く人々の視線がこちらへ向く。
以前と少し違う。
尊敬。
安心。
それに加えて。
“判断”。
そんな空気が混じり始めていた。
「昨日の件、広まってます?」
「ものすごく」
団長が遠い目をする。
「“木箱粉砕で群衆制圧”が」
「言い方」
「兵士の間で新しい訓練名になりそうです」
「やめさせてください」
頭が痛い。
でも実際、昨日は危なかった。
迷っていたら、あの子どもは踏み潰されていたかもしれない。
私は間違っていない。
……たぶん。
「聖女様!」
声をかけられる。
振り向くと、昨日の炊き出し所にいた母親だった。
子どもの手を引いている。
「昨日はありがとうございました!」
深々と頭を下げられる。
子どももぺこりと頭を下げた。
「助けてくれてありがとう!」
私は少しだけ肩の力を抜いた。
「無事でよかったです」
「聖女様がいなかったら、この子……!」
母親の目が潤む。
私は困った。
こういうの、慣れない。
「いや、その……」
「本当にありがとうございます!」
周囲の人々も頷いていた。
「昨日のあれ、必要だったよ」
「止めてくれなかったら大惨事だった」
「やっぱ拳の聖女様は頼りになる」
感謝の声。
安心の声。
私は少しだけ息を吐く。
ほら見ろ。
必要だったんだ。
そう思った。
でも。
「……怖かった」
小さな声。
私は視線を向ける。
路地の隅。
一人の少女がこちらを見ていた。
「え?」
「昨日……すごく怖かった」
少女は怯えた顔をしている。
「みんな止まったけど……」
「聖女様、怒ってるみたいで……」
空気が止まる。
周囲の人間も言葉を失った。
私は口を開きかける。
でも。
言葉が出ない。
少女の母親が慌てて頭を下げた。
「す、すみません!」
「この子、変な意味じゃなくて!」
「いえ……」
私は小さく答える。
少女は悪くない。
ただ、本音を言っただけだ。
守られて安心した人がいる。
でも同時に。
怖かった人もいる。
それだけの話。
「聖女殿」
団長が小声で呼ぶ。
私は小さく首を振った。
「大丈夫です」
そう言ったものの、胸の奥は少し重かった。
その日の午後。
私は一人で西区画を歩いていた。
考え事をしたい時は、人混みから離れた方がいい。
空は晴れている。
でも頭の中は晴れない。
「悩んでますね」
後ろから声。
振り向かなくてもわかった。
「気配消してくださいよ」
「何度か試したんですが、ガルドさんに“聖女向いてない”と言われました」
リシェルだった。
あの脳筋傭兵、何言ってるんだ。
最近なぜか彼女とも普通に会話しているらしい。
コミュ力どうなってるんだあの人。
「……私は向いてるんですか」
なんとなく聞く。
リシェルは少し考えた。
「難しいですね」
「即答しないでください」
「でも」
彼女は微笑む。
「あなたは、見過ごせない人です」
風が吹く。
「だから飛び込める」
「だから殴る?」
「はい」
否定しない。
そこは否定しないんだ。
「でも」
リシェルは続ける。
「見過ごせないからこそ、傷つけることに慣れないでほしいんです」
私は黙る。
「昨日、皆を止めてくれました」
「はい」
「でもあの時、皆は“納得”したわけじゃありません」
静かな声だった。
「“逆らえなかった”んです」
胸に刺さる。
私は思わず視線を逸らした。
「……結果は出ました」
「ええ」
「子どもも助かった」
「はい」
「だったら」
そこまで言って、止まる。
リシェルは待っていた。
急かさない。
逃がさない。
「……だったら、どうすればよかったんですか」
気づけば聞いていた。
少しだけ。
本当に少しだけ、答えを求めてしまった。
リシェルは困ったように笑う。
「正解はわかりません」
「は?」
「私も、まだ探してます」
予想外だった。
「完璧じゃないんですか」
「そんなふうに見えます?」
「かなり」
「困りましたね」
リシェルは苦笑する。
「私、昔はもっと失敗してました」
「想像できません」
「殴られたこともあります」
「えっ」
「石も投げられました」
「えぇ……」
ちょっと衝撃だった。
「それでも、対話をやめなかったんですか」
「怖かったですよ」
彼女は空を見る。
「でも、誰かを怖がらせて従わせるのは、もっと怖かった」
静かな本音だった。
私は何も言えない。
その時。
「リシェル様ー!」
向こうから女性が駆け寄ってくる。
「昨日はありがとうございました!」
深く頭を下げる女性。
「話を聞いてくれて、救われました!」
リシェルが微笑む。
「こちらこそ、話してくださってありがとうございます」
女性は泣きそうな顔で何度も礼を言って去っていった。
私はその背中を見ていた。
拳では救えないものがある。
たぶん本当に。
でも。
その答えを探しているうちに、間に合わなくなる命もある。
私は拳を握る。
リシェルはそんな私を見ながら、小さく言った。
「私たち、きっと同じ場所を見てるんです」
「……同じには思えませんけど」
「見てますよ」
彼女は静かに笑う。
「だから、こんなに苦しいんです」




