止めるための拳
最近、街の空気が妙だった。
表面上は平和。
人通りも増えた。
市場も賑わっている。
なのに。
どこか、ざわついている。
「聖女様はどっち派?」
そんな言葉を、子どもですら口にするようになっていた。
私は市場の通りを歩きながら、頭を抱えたくなる。
「派閥みたいに言うのやめてもらえます?」
「えー?」
果物屋の娘が笑う。
「でも最近みんな話してるよ!」
「拳の聖女様か!」
「優しい聖女様か!」
「なんで私は拳側で固定なんです?」
「だって殴るし」
「否定できないのが悔しいですね……」
周囲から笑い声が起きる。
以前なら怖がられていた拳が、今では半分ネタ扱いされていた。
平和になった証拠かもしれない。
でも、その笑いの奥にある“比較”は、少しだけ胸に引っかかった。
「お疲れですね」
隣から声。
振り向くと、リシェルが立っていた。
今日も相変わらず柔らかい。
この人、本当に常時この空気感なのだろうか。
「……そちらこそ」
「私はよく眠れました」
「なんか腹立ちますね」
リシェルが小さく笑う。
「褒め言葉として受け取ります」
「受け取らないでください」
市場の人々がざわついていた。
聖女が二人並んで歩いているのだから当然だ。
子どもたちが目を輝かせている。
「ねえねえ!」
「今日はどっちが強いか勝負するの!?」
「しません」
「しませんよ」
声が綺麗に揃った。
一瞬沈黙。
その後、周囲から笑いが起きる。
……なんか悔しい。
「息ぴったりですね!」
「嫌ですね」
「嫌ですね」
また揃った。
リシェルが吹き出す。
周囲も笑う。
なんだこれ。
調子が狂う。
その時だった。
遠くで怒鳴り声が上がる。
「離せっ!」
騒ぎ。
人混みが割れる。
私は反射的に走った。
リシェルも続く。
通りの中央。
男たちが揉み合っていた。
片方はこの街の商人。
もう片方は流民らしい若者。
「盗んだんじゃない!」
「嘘つけ!」
若者が商人を突き飛ばす。
周囲が悲鳴を上げた。
私は前へ出る。
「そこまでです」
低く言った。
男たちがこちらを見る。
「聖女様……!」
商人が安心した顔になる。
対して若者は睨みつけてきた。
「どうせ俺たちを追い出すんだろ!」
「話を聞きます」
「嘘だ!」
若者が懐から短剣を抜いた。
空気が変わる。
周囲が下がる。
私は静かに構えた。
距離は近い。
一歩で届く。
「落ち着いてください」
リシェルが前へ出ようとする。
でも。
「来るな!」
若者が短剣を振る。
危ない。
私は即座に動いた。
一瞬で距離を詰める。
若者の手首を掴み、そのまま地面へ叩き伏せた。
鈍い音。
「がっ……!」
短剣が転がる。
私はそのまま若者の腕を押さえ込んだ。
「終わりです」
周囲から安堵の声が漏れる。
数秒。
本当に、一瞬だった。
若者は悔しそうに呻く。
「……なんで」
震える声。
「なんで俺ばっかり……」
私は少しだけ眉を寄せる。
その時。
「大丈夫です」
リシェルがしゃがみ込んだ。
押さえつけられている若者の前へ。
「怖かったですね」
「……っ」
「でも、誰かを傷つけたら、もっと苦しくなります」
若者が目を逸らす。
私は手を離さないまま、二人を見ていた。
「仕事を探していたんですよね」
リシェルが聞く。
若者が小さく頷いた。
「三日、食べてないんですか」
また頷く。
私は息を吐いた。
……そういうことか。
商人が慌てて言う。
「で、でもこいつ、俺の商品を!」
「盗んでません」
若者が叫ぶ。
「倒れた荷物を拾っただけだ!」
沈黙。
商人が固まる。
「……え?」
周囲もざわついた。
私は若者を見る。
目は真っ赤だった。
怒っていたんじゃない。
追い詰められていた。
「……確認不足ですね」
私は商人を見る。
「うっ……」
商人が気まずそうに俯く。
リシェルが小さく息を吐いた。
「誤解でよかったです」
優しい声。
若者は泣きそうな顔をしていた。
私はゆっくり立ち上がる。
すると。
「でも」
リシェルが私を見る。
「少し乱暴でしたね」
「……最優先は被害防止です」
「ええ。わかっています」
リシェルは否定しない。
「でも、あの子はかなり痛そうでした」
若者が地面で呻いていた。
……ちょっと強くいきすぎたかもしれない。
「聖女様の制圧、毎回重いんだよな……」
後ろで団長がぼそっと言った。
「聞こえてますよ」
「事実です」
「味方してくださいよ」
「無理です」
即答だった。
ひどい。
周囲の空気が少し和らぐ。
若者も落ち着きを取り戻し始めていた。
リシェルが立ち上がる。
「助けてくださってありがとうございました」
「……どういたしまして」
「あなたが止めてくれなければ、誰かが怪我をしていました」
真っ直ぐな言葉。
でも。
「ですが」
やっぱり続きがある。
「止め方は、選べると思うんです」
私は黙る。
彼女は間違っていない。
でも。
「選んでる時間がない時もあります」
「はい」
「その時、私は迷いません」
少しだけ空気が張る。
リシェルは静かに私を見る。
「迷わない強さは、時々怖いです」
市場の喧騒が遠く感じた。
私は拳を見る。
守るための拳。
迷わないための拳。
でも。
その強さは、本当に正しいのだろうか。
答えはまだ出ないまま、街には夕暮れが落ち始めていた。




