同じ救済
その日の夕方、私は城の訓練場にいた。
無心で木人を殴る。
鈍い音が響く。
兵士たちは最初こそ見ていたが、途中から誰も近寄らなくなった。
ありがたい。
今は少し、一人で考えたかった。
拳を振るうたびに、昼間の光景が頭をよぎる。
『止めた後も見たいんです』
リシェルの言葉。
私は木人を殴り飛ばした。
地面を転がる。
「……壊しすぎです」
後ろから団長の声。
「予算のこと考えてください」
「今ちょっと繊細なんですよ」
「拳で木人粉砕してる人の台詞じゃないですね」
私は近くの椅子へ座り込んだ。
団長が水を差し出してくる。
「悩んでます?」
「……別に」
「その顔で?」
「どんな顔ですか」
「『自分の拳は本当に必要なのか』って顔」
ぎくっとした。
「エスパーですか?」
「長い付き合いなので」
団長は隣へ座る。
少しだけ沈黙。
訓練場に風が吹く。
「聖女殿」
「はい」
「俺は、貴女に助けられた人間を何人も見てきました」
真面目な声だった。
「だから、貴女のやり方が全部間違ってるとは思いません」
「……全部、ですか」
「ええ。全部ではない」
含みのある言い方だった。
私は眉を寄せる。
「つまり一部は間違ってると」
「拳で解決しすぎです」
「早いんですよ」
「それが怖いんです」
団長は真っ直ぐ言った。
「早すぎる力は、考える前に振るえてしまう」
私は黙る。
否定できなかった。
その時。
遠くで鐘が鳴った。
警鐘だ。
私は反射的に立ち上がる。
団長も顔色を変えた。
「西区画です!」
走る。
城下町へ飛び出す。
騒ぎはすぐ見つかった。
路地裏。
男がナイフを振り回している。
「近づくな!」
周囲には人だかり。
女の子が一人、男に腕を掴まれていた。
泣いている。
「……っ」
私は息を呑む。
まずい。
完全に興奮状態だ。
「娘を返せ!」
母親らしい女性が泣き叫ぶ。
兵士たちも動けない。
下手に近づけば、人質が危ない。
私は前へ出た。
拳を握る。
距離、角度、タイミング。
一撃で沈める。
それしかない。
そう判断した瞬間。
「待ってください」
まただ。
リシェルだった。
彼女は静かに前へ出る。
「危険です!」
兵士が止める。
でも彼女は止まらない。
「大丈夫です」
どこから来るんだその自信。
男がナイフを向ける。
「来るな!」
「はい」
リシェルは素直に立ち止まった。
「行きません」
「……え?」
男が戸惑う。
「怖かったですね」
優しい声。
「誰も、あなたの話を聞いてくれなかったんですね」
「うるさい!」
ナイフが揺れる。
危ない。
私は全身に力を込める。
いつでも飛び込めるように。
「娘さんですか?」
リシェルが静かに聞いた。
男の肩が震える。
「……違う」
「そうですか」
「俺の娘は……死んだ」
空気が止まる。
男の目は真っ赤だった。
「薬が買えなかった……!」
叫び声。
「誰も助けてくれなかった!」
泣いていた。
怒りじゃない。
絶望だった。
リシェルは静かに聞いている。
否定もしない。
遮りもしない。
ただ、受け止めていた。
「苦しかったですね」
「……っ」
「でも、その子は関係ありません」
男の手が震える。
「返してあげましょう」
ゆっくり。
本当にゆっくり。
男の腕から力が抜けていく。
今だ。
私は地面を蹴った。
一瞬で距離を詰める。
男の手首を掴み、ナイフを叩き落とした。
そのまま肩を押さえつける。
男は抵抗しなかった。
ただ泣いていた。
周囲がざわつく。
「すごい……」
「二人で……」
女の子が母親の元へ駆け戻る。
抱き合って泣いていた。
私は男を拘束したまま、息を吐く。
「……殴らなかったですね」
リシェルが少しだけ笑う。
「必要なかったので」
「ええ」
彼女は頷いた。
「でも、最後に飛び込んでくれて助かりました」
「……」
「私だけでは間に合いませんでした」
私は顔を上げる。
リシェルは真っ直ぐこちらを見ていた。
否定する目じゃない。
責める目でもない。
ただ、認めている。
「あなたの力は必要です」
静かな声。
「ですが」
彼女は続ける。
「その拳を振るう前に、少しだけ立ち止まれたら、もっと救えるものが増えるかもしれません」
私は答えられなかった。
男は泣き続けている。
兵士たちが周囲を整理し始めた。
空はもう暗い。
私は自分の拳を見る。
今日、この拳は殴らなかった。
でも。
必要なかったから、なのか。
それとも。
リシェルがいたから、なのか。
その答えが、まだわからなかった。




