第92話
次に、彼女は残っていた黒衣の襟首を掴み上げた。
男のつま先が屋根から浮いた。
「どこへ行った」
ところが男はその一言で顔を真っ白にした。
おかしなことではなかった。
セラは声を荒らげていなかった。
怒号もなく、脅しもなく、罵声もなかった。
だがその顔は、すでに『次の言葉次第でお前は死ぬかもしれない』をすべて語っていた。
男の唇が震えた。
「し、知らな…」
「俺はただ、ここで足止めしろって…」
セラの手に力が入った。
「誰の指示だ」
「マ、マルセラ…」
「いや、あの方と一緒にいる灰色の外套…」
「名前までは俺も…」
リナが横で荒い息を立てた。
「殺しちゃおうか?」
それはいつものように無邪気ではなかった。
本当に殺すつもりが半分ほど混じっていた。
マヤが歯ぎしりした。
「どこへ抜いたかだけ言いな」
「そうしたら半分だけ射って終わらせてあげる」
「それのどこが慈悲なの」
エリンが低くつぶやいたが、特に反論はしなかった。
男は震えた。
「東…」
「東の屋根伝いに…」
「古い染色倉庫のほうへ…」
「でもその先は知らない!」
「本当に知らない!」
セラはしばらく彼を見下ろしていた。
その沈黙があまりに長く、男は本当に子どものように泣きそうな表情を浮かべた。
そしてまさにその瞬間。
エリンが言った。
「セラ」
一語。
それだけで十分だった。
セラの視線が動いた。
エリンは手のひらを開いて見せた。
その上には小さな折り畳みナイフが置かれていた。
マヤが以前レオンに握らせたもの。
道で縄を切れと、余計なものを拾って触るなと、それでもたまには必要だと投げてやったあのナイフ。
屋根の隙間から下の路地へ落ちていたものを、エリンが拾ってきたのだ。
マヤの目が見開かれた。
リナも息を呑んだ。
セラは男を放り捨てた。
そいつは屋根の上にどさりと座り込んだ。
エリンが低く言った。
「目印よ」
マヤが一歩近づいた。
「確実?」
「確実」
「あの状況で落とす理由がない」
「わざと残したのよ」
エリンの声は普段よりずっと乾いていた。
「完全に途切れる直前まで考えていたってこと」
その言葉が妙に、全員の胸を一度ずつ押した。
リナが歯を食いしばった。
「バカ」
彼女がつぶやいた。
「本当にバカだよ」
「そんな状況でもそんなことするの?」
マヤは返事の代わりに手を伸ばし、ナイフを一度握ってからまた放した。
その短い接触だけで、自分の手に残った血とレオンの手についていたであろう血が重なる気がした。
エリンはすぐに付け加えた。
「それとこれも」
彼女は足先で屋根の隙間の近くを押した。
そこから青銅のプレートが、きい、と半分ほど姿を見せた。
レオンの新しいプレートだった。
昇級したばかりのあの夜、手のひらの上で小さな夕焼けのように輝いていたもの。
今は屋根の埃と薄い血痕がついていた。
マヤの唇が一気に歪んだ。
「は…」
彼女は一瞬、笑うような音を立てた。
だがまったく笑いではなかった。
「本当に最後まで人をおかしくさせるね」
リナはプレートを見るなり、そのまま崩れた煙突を足で蹴りつけた。
ドゴン。
煉瓦の欠片が下へばらばらと落ちた。
「これを置いていったって?」
「違う」
エリンがすぐに訂正した。
「置いていったんじゃなくて、残したの」
「そっちのほうが腹立つ!」
リナは本当に目元が赤くなっていた。
彼女は性格が単純だった。
おかしければ笑い、美味しければもっと食べ、腹が立てば殴る。
そして今は、本当にかなり腹を立てていた。
自分たちに助けてくれと悲鳴でも上げてよさそうな状況で、あのバカはむしろナイフとプレートを残して追跡しろと言った。
それは信頼だ。
とても重くて、とても腹立たしい信頼。
だから余計に腹が立った。
セラは青銅のプレートを拾い上げた。
彼女はしばらく無言だった。
青銅の縁に指がかかった。
そこにはとても薄い爪痕のようなものがあった。
最後の瞬間にレオンが握りしめた跡だろう。
セラはそれを少し見下ろしてから、とてもゆっくり手の中に握り込んだ。
そして言った。
「捕まえる」
その二文字は誓いのようだった。
マヤが笑わない顔で受けた。
「当然でしょ」
リナは鈍器を強く握った。
「引き裂いてやる」
エリンは冷たく整理した。
「生かしておく奴は生かしておいて」
「位置と術式構造を吐かせないといけないから」
リナがすぐに問い返した。
「じゃあ裂かずに半分だけ?」
「それはあなたの基準でしょ」
こんな状況でも出るその短い言葉が、むしろ少しだけ息をつかせた。
しかし誰も本当に笑いはしなかった。
ちょうどその時、後ろの屋根梯子を伝ってアデリアが上がってきた。
支部長らしく、彼女は少し息が上がっていたが、表情は崩れていなかった。
下のギルド要員にはすでに包囲の整理と路地封鎖を指示して上がってきた顔だった。
彼女は状況を一度見て、セラの手のプレートとエリンの手のナイフまで確認すると、短く息を吐いた。
「残したか」
エリンがうなずいた。
「うん」
アデリアはすぐに結論を出さなかった。
代わりに屋根の上に残る縄の跡、引き上げ滑車が掛かっていた軒先の角度、引かれていった荷重、そして東の染色倉庫へ続く足場の間隔を素早く計算した。
「よし」
「まだ遠くへは行っていない」
リナが即座に振り返った。
「本当?」
「本当だ」




