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第89話

背後で刃を突きつけていた者は、一瞬バランスを失った。


廊下が狭いせいで、その一度のぐらつきはかなり大きかった。


そいつがレオンの上へ斜めに傾き、同時にレオンは倒れるついでに水桶の台をつかんで一気に引いた。


がたん。


木の台と水桶が一緒に倒れた。


冷たい水が廊下の床へこぼれ、ランプの光がにじんだ。


布を押しつけようとしていた奴が悪態をついた。


「この野郎!」


【転倒判定】


【次行動成功率上昇】


レオンは床で滑ったまま、かかとで相手のすねを蹴り上げた。


相手の一人が悲鳴を飲み込み、膝をついた。


彼はその瞬間、濡れた床を利用して体をさらにねじった。


首を狙っていた刃先が、元の位置から一寸ずれた。


よし。


斬られていない。


ごくわずかだが斬られていない。


その隙にレオンは水汲み部屋の扉を足で蹴った。


どん。


扉が大きく開いた。


そして中に立ててあった桶が三つ、連鎖的に倒れた。


けたたましい音が廊下の端まで跳ねた。


階下からも誰かが「何だ!?」


と叫んだ。


よし。


これは警報だ。


マルセラの目つきが初めて少し鋭くなった。


「本当に騒がしい男ですね。」


「ありがとうございます。」


「それはよく言われます。」


だがそこで終わらなかった。


レオンが騒ぎを作った代償として、相手もさらに急ぎ始めた。


黒服二人が彼を両側からつかんで立たせた。


背後でマルセラが手を上げた。


手の甲に見知らぬ文様が広がった。


薄く暗い光だった。


呪術。


よくない。


本当によくない。


エリンがいたら、とても嫌な顔で悪態をついただろう。


「眠らせはしません。」


マルセラが低く言った。


「ただ、少し静かにするだけです。」


レオンは反射的に体をひねった。


しかし遅かった。


指先から弾けた暗い糸が、彼の首元に触れた。


冷たいというより重かった。


まるで濡れた布を魂にかぶせられるような感覚。


息が一気に詰まり、足元の床が一層下へ沈むようだった。


「あ、これは……」


彼はつぶやいた。


「かなり気分が悪いですね……」


視界が揺れた。


廊下のランプが長く伸び、窓の外の月明かりが水ににじんだ銀貨のように広がった。


階下の騒音も遠ざかった。


代わりに近づいてくる音があった。


速い足音。


複数。


よし。


誰かは聞いた。


あまり遅くはない。


そのときだった。


階段の下のほうからリナの声が弾けた。


「レオン!?」


その一言が、奇妙なほど遠く、そして近かった。


そしてその瞬間、マルセラが決断した。


「今。」


窓が割れた。


がしゃん。


廊下右側の狭い窓全体が、外から砕けて吹き飛んだ。


夜気とともに、黒い外套の一人が中へ滑り込んだ。


奴は待っていたかのようにレオンの腰をさらった。


そのまま三人が一つの体のように窓のほうへ体を向けた。


レオンは最後まで踏ん張ろうとした。


本気で。


扉枠をつかんだ。


滑った。


転んだ。


そしてよりによって、そんな瞬間にも文言が浮かんだ。


【高所落下可能性】


【使用者状態:めまい、拘束直前、それでもまだ終わっていない】


よし。


まったくよくない。


レオンは心の中で悪態をついた。


そして次の瞬間、彼は本当に窓の外へ引きずり出された。


都市の夜空は近くで見ると、思ったより汚い。


星明かりより煙突の煙が多く、月明かりより屋根の影のほうが広い。


人々は夜を浪漫と呼ぶこともあるが、都市の夜はたいていそういう言葉を嫌う。


秘密と逃走と手垢のついた取引に、より似合う顔をしている。


レオンはその夜の上を半ば引きずられていた。


宿の裏手の低い屋根。


その次につながる倉庫の屋根。


その次に、さらに高い馬車保管所の屋根。


奴らは準備ができていた。


縄も、足場も、逃走経路もすべて。


そしてレオンはとても正直に思った。


うわ。


これは拉致だ。


本当に拉致されている。


「気分はいかがです?」


横でマルセラが尋ねた。


彼女は笑っていなかった。


代わりに、とても冷たく平穏な顔だった。


仮面を脱いだ貴婦人というより、計算の末に隠していた刃を取り出した会計帳簿のようだった。


レオンは息を切らしながら答えた。


「正直……」


「最悪です。」


「よかったです。」


「私も楽ではありませんから。」


「それは少し慰めになりませんね。」


「もともと慰めるための会話ではありませんので。」


彼女はそう言って、レオンの新しい青銅プレートをちらりと見た。


「上がったその夜にすぐ連れて行かれるなんて。」


「見栄えのいい象徴ですね。」


【『取るに足らない』判定感知】


【補正上昇】


いや、ここまでくると本当に律儀すぎるだろ。


レオンは歯を食いしばった。


意識はぼんやりしていた。


だが完全に途切れてはいなかった。


マルセラがわざとそう調整したようだった。


完全に眠らせると動きが鈍り、質問もできず、誘い出しにもならないから。


誘い出し。


その考えが頭を刺した。


あ。


これは単なる拉致ではない。


自分一人で終わることではない。


セラが来る。


マヤが追跡する。


リナは壁を壊してでも追いつく。


エリンは悪態をつきながらも、結局位置を見つけ出すだろう。


ならこれは、自分を連れて行くと同時にパーティーを引きずり出す釣り糸だ。


よくない。


本当に一つもよくない。


レオンは無理やり目を上げた。


「目的は……」


「私ですね?」


マルセラは首をかしげた。


「半分は。」


「残りの半分は?」


彼女の口元が少し歪んだ。


「あなたを探しに来る人たち。」


よし。


予想的中。


まったく嬉しくない。

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