第70話
初めて見た時にも感じたが、あの建物は妙に人を安心させる。
とても温かいとか美しいとかではないのに、少なくとも「ここはまだ仕事をしている」という表情がある。
掲示板には新しい紙が貼り足され、クエスト窓口の前には人の列があり、訓練場のほうからは木剣がぶつかる音が聞こえた。
世界は北部で誰かが名前を奪われようが、誰かが夜通し剣を受けようが、自分のやるべきことを回し続ける。
だからいい。
よくて、少し憎らしくもあるけれど。
扉を開けて入った瞬間、ギルド内の空気が一度だけ止まった。
視線が集まった。
セラのパーティー。
土まみれのマント。
血の染み。
傷のついた鎧。
半分魂が抜けたレオン。
そしてエリンの手にある封印痕整理用の包みまで。
誰が見ても、とてもきれいに行って帰ってきた顔ではなかった。
受付台のほうで書類をめくっていたアデリアが顔を上げた。
彼女は少しの間、何も言わなかった。
本当に少しだけ。
その短い静寂が妙に長く感じられた。
レオンは内心思った。
よし。
これは叱られる側の静寂だ。
アデリアが書類を静かに置いた。
そしてとてもはっきり言った。
「生きては戻ったか。」
リナがすぐに手を勢いよく上げた。
「うん!」
アデリアはリナを見ることもなく付け加えた。
「私が聞きたいのは感想文ではなく報告書だ。」
「厳しい。」
リナがつぶやいた。
マヤがふっと笑った。
「でも安心したのは合ってるな。」
アデリアの眉がほんの少し動いた。
それが否定なのか肯定なのかは曖昧だったが、レオンにはなんとなくわかる気がした。
アデリアはすぐに窓口の扉を開け、奥を指した。
「中へ来い。」
「それから立っている奴から座らせろ。」
「特に、あそこで今にも倒れそうに見える一人。」
彼女の指先は正確にレオンを指していた。
レオンは不服そうな表情をした。
「私はまだ大丈夫です。」
アデリアがすぐに切った。
「その言葉、血の臭いがする人間が言うと信頼度が底を打つ。」
正確だった。
とても。
ギルド奥の会議室は、以前見たままだった。
厚い卓。
地図。
ティーカップ。
記録用の紙。
窓の隙間から差し込む午後の光。
ただ今回は、その光が北部で見てきた夜明けの光とは違っていた。
ここは生き残った人間を調べる光ではなく、戻ってきた人間に次の仕事を問う光だった。
レオンは椅子に座った途端、本気で安堵した。
また椅子だ。
いい。
本当にいい。
彼の目の前に文言が浮かんだ。
【椅子着席成功】
【個人的感想:はい、今日も立派な偉業です】
レオンはつぶやいた。
「その通りです。」
アデリアがペンを手に取りながら言った。
「独り言はあとにしろ。」
「はい。」
セラが短く整理した。
「リリアの生存確認。」
「エドモンド辺境伯の救出。」
「マルセラの生け捕り。」
「灰色眼球会側の実行者ひとりを生け捕り。」
「金庫汚染は一部遮断。」
「印章と系譜原本は保全。」
アデリアのペン先が少し止まった。
彼女は目を上げないまま言った。
「予想よりずっと深かったな。」
エリンが椅子の背にもたれながらぼやいた。
「深いどころか、ほとんど腐っていたわよ。」
マヤが付け加えた。
「それでも奪われなかった。」
リナは堂々と言った。
「それに、ものすごく殴った。」
アデリアがようやく顔を上げた。
「その部分は報告書の順序上、最後に回せ。」
「大事なのに。」
「違う。」
短く冷たい問答だった。
なのに妙におかしかった。
アデリアはすぐにまた書き始めた。
「捕虜ふたりは北部に残してきた?」
セラがうなずいた。
「エドモンドとヘレナが管理する。」
「よし。」
「そちらに任せるほうがいいだろう。」
レオンはその言葉に顔を上げた。
「こちらへ連れてこないほうがいいのですか?」
アデリアはペン先で机を一度叩いた。
「街は口が多すぎる。」
「マルセラがここに入った瞬間、半日もせず噂が広がる。」
「灰色眼球会の残党がまだ街の中に残っていれば、さらに面倒になるしな。」
いい。
やはりこういう判断は早い。
レオンは内心思った。
この人は剣は振るわなくても、盤面を整理する速度がセラのほうと質が似ている。
種類は違うが速い。
だから楽だ。
アデリアが静かにレオンのほうを見た。
「お前。」
「はい。」
「なぜそこまで転がった?」
マヤが口元を上げ、リナはもう笑う準備ができており、エリンは腕を組んだまま露骨に見物モードだった。
レオンは少し考えた。
そして最大限品位を保って言った。
「すべての状況が私を愛しているからではないでしょうか。」
アデリアはまばたきひとつしなかった。
「戯言だ。」
「正確です。」
結局リナが吹き出した。
「あはは、君って本当に独特な叱られ方するね!」
セラが静かに付け加えた。
「それでも有効だった。」
アデリアのペンがまた止まった。
今度はほんの少し、本当に少しだけレオンを見た。
「そうだ。」
「それは聞いた。」
彼女が言った。
「無謀で、ひどくて、見ていても不安だっただろう。
だが有効だったという話も一緒に聞いた。」
レオンは思わず姿勢を少し正した。
肋骨がすぐに抗議したが、無視した。
アデリアはペンを置き、とても乾いた声で言った。
「ご苦労だった。」
なのに妙に強く残った。
レオンは少し目を瞬かせた。
そして笑った。
「ありがとうございます。」
リナはすぐに口を尖らせた。
「なんで私にはそう言ってくれないの?」
「お前は今も元気すぎるほどうるさいから、わざわざ確認する必要がない。」




