第55話
そんな者がついたのなら、この城はすでに表よりはるか深く腐り込んでいるということだ。
エリンが低くつぶやいた。
「それなら寝室、書斎、侍女控え室、伝達文書、全部漏れていると見るべきね」
ブリダがうなずいた。
「はい」
「今朝からは、食事の動線まで一部監視されています」
「だから使用人たちも、誰がどちら側か互いに信じられず……」
彼女の声が、ほんの一瞬震えた。
リナはそれを見て、少し顔をしかめた。
怒った顔だった。
自分より弱い者が怯えているのを見ると、かえって荒くなる側。
レオンは貯蔵庫の壁に背をつけながら、周囲を見渡した。
大丈夫ではなかった。
使用人二人は確かに怯えている。
ブリダは信じられそうに見える。
匂いもそうだ。
あまりにも長く耐えてきた人の匂いだ。
だが、この貯蔵庫に隠れている時間が長くなるほど、上階の敵はさらに整理を進める。
そのときだった。
貯蔵庫の向かい側、ワイン箱の山の後ろから、ごくかすかな音がした。
かさ。
小さすぎて聞き逃しやすい音。
だがマヤとセラの眼差しが同時にそちらへ動いた。
レオンも見た。
箱のひとつが、ほんの少し、本当にほんの少し動いた。
彼はほとんど反射的に叫んだ。
「そこ!」
次の瞬間、ワイン箱の後ろから短剣が一本きらめいた。
狙いはリリアだった。
こちら全員がブリダと辺境伯に視線を奪われた、その隙。
本当に教科書どおりの汚い突きだった。
しかしレオンの体が先に飛び出した。
飛び出そうとして、小麦粉が散った床を踏み、また滑った。
「いや、本当に」
彼はほとんど横へ飛ぶように、リリアと短剣の間へ割り込んだ。
刃先が彼の袖を裂いた。
肌も浅く切った。
だが深くはなかった。
【転倒判定】
【奇襲軌道への干渉成功】
レオンは歯を食いしばり、相手の手首をつかんだ。
その間に、セラの剣はすでに届いていた。
短い光。
短剣が手から落ちた。
マヤの矢が男の太腿に刺さった。
リナはためらいなく、ワイン箱ごとそいつに体当たりした。
どん!
瓶が割れ、酒の匂いが弾けた。
男は床に叩きつけられた。
ブリダが愕然とした顔で叫んだ。
「倉庫番……!」
ヘレナがすぐに察した。
「灰色眼球会側だな」
男は歯をむき出し、小さく笑った。
捕まったのに笑った。
「遅すぎたな」
「マルセラ様はもう……」
セラの足が彼の手の甲を踏んだ。
ごき。
男の言葉が途切れた。
セラは一寸の揺らぎもなく尋ねた。
「もう、何だ」
男は冷や汗を流しながらも、笑みを消せなかった。
「お嬢様の部屋と内側の廊下は、もう押さえた」
「それに……」
「もうすぐ貴賓室も開く」
辺境伯の目が細くなった。
「貴賓室?」
ヘレナが先に表情を固めた。
「西の応接室の裏にある秘密金庫」
ブリダが息を呑んだ。
「まさか……」
「家門の印章と系譜文書?」
男は血のついた口元で笑った。
「そうだ」
「首を取るより、名前を盗むほうが安くつくからな」
その言葉は、かなり悪い意味で正確だった。
リリアの顔が真っ白になった。
辺境伯は、むしろさらに沈んだ。
怒りがあまりにも深いと、表では静かになる。
レオンは床に片手をついたまま、その表情を見た。
ああ。
もうこれは、ただ生き残る話ではないのだ。
名前を守る戦いだ。
家門、文書、印章、誰が本当の主なのか。
貴族社会の血なまぐさいやり方で言えば、人ひとりの息より名前ひとつのほうが長く残る。
だから奴らは今、その長く残るほうを盗みに行くのだ。
それでレオンはゆっくり立ち上がりながら笑った。
「いいですね」
リリアが震える声で尋ねた。
「今度は……」
「また何がですか」
レオンは袖口の浅い血を拭い、倒れた裏切り者と震えている使用人たち、歯を食いしばる辺境伯、固い顔のセラを順に見た。
そして言った。
「これでどこへ行くべきか、とてもはっきりしましたから」
セラはすぐにうなずいた。
「貴賓室」
ヘレナが短く付け加えた。
「西の応接室を通って迂回すれば、まだ間に合うかもしれません」
ブリダが慌てて言った。
「厨房の上に多用途通路があります。使用人だけが使う狭い道なので、正面警備はいないはずです」
エリンは運搬台を見た。
「箱は?」
その問いに、全員が少し止まった。
一番重い問題だった。
辺境伯の声が低く沈んだ。
「これを持って戦闘の中心へは行けない」
リリアが即座に反応した。
「でも、ひとりにして置いていくこともできません」
その瞬間、ブリダが一歩進み出た。
「貯蔵庫の奥の塩倉の下に二重床があります」
「もともとは戦時用の食糧と葡萄酒を隠しておく場所です」
「厨房側でも知っている者はごくわずかです」
「私が守ります」
ヘレナがすぐに彼女を見た。
「ひとりで?」
ブリダは歯を食いしばり、うなずいた。
「ここでずっと隠れているくらいなら、いっそ守ります」
その表情には恐怖があった。
当然あった。
それでも退かない恐怖だった。
レオンはその顔を見て思った。
今日、この城の中にはそんな顔が多すぎる。
崩れそうなのに、あと一歩だけ耐える顔。
だからこの戦いは、まだ終わらない。
セラは短く結論を出した。
「いい」
「隠す」
「ヘレナ、ブリダと二人で」
ヘレナが少し迷ったあと、うなずいた。
「承知しました」
「ですが、長くは離れていられません」




