第171話
彼女は書類綴じの内側に入っていた灰色の羽根を指先で一度押さえた。
冷たい。
薄くて静かなのに、妙に神経を引っかく。
まるで誰かが「見ている」と言葉の代わりに残した爪痕のようだった。
アデリアはごく低くつぶやいた。
「よし。」
そして独り言のように付け加えた。
「なら、こっちも黙ってはいない。」
ブリクセンの夕暮れは、まだ来ていなかった。
灰黒の丘陵では最初の血が流れ、ブリクセンの内側では灰色の羽根が静かに口を開いていた。
遠征は始まり、都市も黙ってはいなかった。
そのどちらが先に、より大きく揺れるのかは、まだ誰にも分からなかった。
ブリクセンの夕暮れはゆっくりと降りてきた。
日が沈む速度は遅いのに、影が広がる速度は妙に早かった。
市場のひさしは一つまた一つと畳まれ、店先に積もっていた昼の埃は人の足に踏まれて、さらに薄く、さらに広く広がった。
魚の生臭さと酒の匂い、馬糞の匂い、濡れた縄の匂いが路地ごとに幾層にも敷き詰められていた。
昼ならそのすべての匂いが、生きている都市の証のように感じられるが、夕方になると少し変わる。
都市が息をつくのではなく、それぞれが自分の匂いを握りしめ、互いを探る時間のように変わる。
ブリクセンはもともと、そういう都市だった。
知っていることも多く。
見なかったことも多く。
その二つをわざと混ぜておくのが、とりわけ得意な都市。
ブラムはその都市をとても長く見てきた。
普段の彼は、鈍い人間のように見えた。
眼鏡の向こうの目はいつも半分眠っているようで、返事も一拍遅れがちだった。
だが一度捜査の匂いがつくと、話は変わる。
目つきが先に細くなり、曲がっていた肩がごくわずかに伸び、立っている姿勢そのものが「記録を見る老人」から「かつて前列に立った冒険者」のほうへ変わった。
ブリクセンに残っている老いた冒険者たちの中でも、彼の名はかつてかなり大きく呼ばれていた。
今ではギルドの実務と警備のほうでよく見かけるが、昔は一人でも血の匂いがする依頼に最後まで食らいつく男だった。
だから今のように気分が悪い時ほど、いっそうためらわなかった。
「もう一度だ。」
彼が言った。
ギルド裏門の警備所の中は狭く暗かった。
油灯一つがかろうじて卓の上を照らしており、壁には勤務交代表と出入りの記録板が掛かっていた。
その前に立つ若い警備二人は、すでに背中に冷や汗を一枚敷いていた。
ブラムは椅子に座らなかった。
座れば尋問のようで、立っていれば追及のようだ。
そして今必要なのは、追及のほうだった。
眼鏡はそのまま鼻先に掛かっていたが、その下の目つきはまったく緩くなかった。
普段なら埃の積もった帳簿の匂いのほうが似合う顔なのに、こういう瞬間には、妙なほど皺の間に刃が立った。
「遠征隊の出発時刻の前後三十分。」
彼がもう一度言った。
「ギルド前を見た者、裏門を出入りした者、屋根の上を見た者、鳥の鳴き声でも聞いた者。全部もう一度思い出せ。」
若い警備の一人が乾いた唾を飲み込んだ。
「本当に、変なことはありませんでした。」
ブラムの片眉がごくわずかに動いた。
「その言葉が一番おかしいとは思わんのか。」
警備二人は同時に口をつぐんだ。
ブラムは記録板へ手を伸ばした。
出入りの時刻。
荷車二台。
薬草商一人。
見習いギルド員三人。
外部依頼人四人。
そして遠征隊出発直後、記録にない十二分の空白。
ブラムは指の節でその空欄をこつんと叩いた。
「これは何だ。」
右側の警備が顔をこわばらせた。
「交代の直前で……」
「少しの間、前のほうに視線が集まりました。」
「なぜだ。」
「アンブレイカブル・ローズの出陣でしたから。」
ああ。
そうだ。
都市で一番名のある金等級二人と、今回、銀等級二人が金等級の入口に足をかける遠征。
人々が見ないはずがない。
問題は、それをほかの誰かも知っていた可能性だ。
ブラムは低くつぶやいた。
「皆、よく見過ぎたな。」
今度は笑う者はいなかった。
同じ時刻。
アデリアはギルド本館の屋上の縁にしゃがみ込んでいた。
支部長という肩書きにはまったく似合わない姿勢だった。
だがブリクセンギルドで長く生き残った人間で、屋根の渡り方を知らない者のほうが珍しい。
特にアデリアのように、記録と人と金の流れを一度に見る人間ならなおさらだ。
夕方の風は涼しく、屋根瓦には昼に吸った熱がまだごくわずかに残っていた。
手のひら一つで感じ取れる温度差。
その隙間で、アデリアは灰色の羽根が落ちていた角度を頭の中に描き直した。
正門。
掲示板。
出陣の列。
視線が集まる中心。
そしてその上。
屋根から屋根へ続く、ブリクセン特有の低い傾斜。
馬小屋の屋根。
干物倉庫の切妻屋根。
向かいの宿屋の裏手の排水路。
ギルド前に目印を落とした者がいるなら、ただ通りかかって落としたわけではない。
見ていた。
狙っていた。
わざわざそこに残した。
アデリアは瓦の隙間に詰まった埃を、手袋をした指先でこすった。
黒い埃。
乾いた苔。
そしてごくわずかな灰色の粉。
「見つけたな。」
彼女の言葉は低く短かった。
風が吹くと、粉がごく微かに散った。
灰のように軽く、鉄粉のように光を吸わない粉。
彼女はすぐ小さなガラス瓶を取り出し、削り取って入れた。
それから体を回し、後ろの影のほうを見た。
「そこ。」
闇の中で誰かがびくりとした。
ギルドの見習い追跡員が一人、瓦の陰から顔を出した。




