第163話
「それは余計に困りますね」
「名前がないものは、だいたい気味が悪いです」
新しい文言が付け加えられた。
【使用者の便宜を優先】
「いいでしょう」
「ならなおさら適当に呼ぶことになるじゃないですか」
レオンは少し真面目に悩んだ。
システム。
声。
言い分だけは立派な小言係。
どれも気に入らなかった。
彼は結局、ため息をついた。
「ひとまず……ノアくらいにしましょう」
レオンはその名前を口の中で一度転がしてみた。
短く、呼びやすく、あまり冷たくはなかった。
少しの沈黙。
そしてごく短く、新しい文言が浮かんだ。
【許容】
レオンはふっと笑った。
「許可までしてくださるんですね。意外と従順です」
レオンは少し目を瞬かせた。
名前を付けたからといって、急に人になったわけではない。
だが名前ができると、返事が少し近くなる。
「いいでしょう。これで私の頭の中にも仲間ができたわけですね」
【仲間判定は保留します】
「今、少し傷つきました」
【正確な表現です】
「はい、やはり私の味方ではありませんね」
彼はペン先で紙を一度叩き、その下に小さく書いた。
常に話しかけてくる存在の仮呼称:ノア。
そして今度こそ本題に入った。
「いいでしょう、ノア」
「では聞きます」
「どうして私は、必ず危険なときだけこんなに意識が澄むんですか?」
一拍遅れて、見慣れた形式の文字がまた浮かんだ。
【危機対応偏向】
【使用者の生存行動が特定刺激において過剰に整列します】
【推奨:過信しないでください】
レオンは紙の上にそのまま書き写しながら、顔をしかめた。
「何ひとつすっきりしませんね」
彼はまた聞いた。
「では、どうしてよりによって私なんですか?」
少しの沈黙。
今度の答えは少し短かった。
【回答保留】
【個別条件非公開】
レオンは呆れたような顔で笑った。
「そんな答えしかしないなら、いっそ出てこないでください」
すると、まるでからかうように新しい文言が一つ追加された。
【追加推奨】
【あまり怪我をしないでください】
レオンはその文をしばらく見た。
そしてとてもゆっくり呟いた。
「この最後の一行、どうしてこんなにセラさんの口調みたいなんですか?」
【表現類似性は偶然である可能性があります】
今度は本当に笑いが出た。
「偶然なものですか」
彼はペン先で紙をとんとん叩きながら、また聞いた。
「では、これだけ」
「今、一番信じるべきものは何ですか?」
「力ですか、耐え方ですか?」
少し長めの沈黙。
レオンは今度、妙に答えが返ってくることがわかっていた。
【後者を推奨します】
【使用者は長く生き残るほど選択肢が増えます】
その短い二行が、不思議と長く残った。
レオンはしばらく何も言わなかった。
結局、彼は紙の上に一行だけ書き足した。
ノアは耐えるほうをより信じろと言っている。
そしてとても小さく付け足した。
「気に入りはしませんが……納得はできます」
けれど同時に。
彼は否定もできなかった。
その癖のおかげで生き残ったことが、一度や二度ではなかった。
廃城でも。
北部でも。
ギルド地下でも。
マルセラと灰色手袋の前でも。
その感覚はいつも、最も見たくない形で現れたが、それでも自分の味方を生かした。
だからこそ、なおさら複雑だった。
嫌だからといって捨てられない。
ありがたいからといって好きにもなれない。
レオンは頭を掻いてから、急に別の紙を取り出した。
そこには大きくこう書いた。
では荷物持ちとは何か。
そして自分で答えた。
外側。
少し止まり、その下にまた書いた。
耐えるほうは内側。
その瞬間、レオンはペンを止めた。
外から見えるのは荷物持ちだ。
人の物を持ってやり、耐え、運び、最後まで残る。
それは間違いなく今の自分だ。
そして内側で本当に動いているのは、何度も終わりかけたあとでも、まだ耐えるほうだ。
それも間違いなく自分だ。
二つは矛盾のように見えるのに、妙によく重なる。
荷物持ちだから最後まで残る。
耐えるものがあるから、最後まで戻ってくる。
レオンはその二つの文を、長い間見下ろしていた。
そしてふっと笑った。
「いいでしょう」
「思ったよりもさらに気に入らない結論ですね」
彼は紙を裏返し、今度は少し実用的な題を書いた。
今後の運用法
そして一つずつ書き始めた。
むやみに殴られないこと。
わざと転がる必要はないこと。
ただし、すでに転がったあとは慌てないこと。
相手が見下す瞬間を読むこと。
守るべき対象ができたら迷わないこと。
荷物持ち側の体力と均衡感覚をさらに伸ばすこと。
奇妙な覚醒感をむやみに信じないこと。
最後の行で、彼はほんの少し止まった。
そしてゆっくり付け足した。
この癖に呑まれないこと。
レオンはその文を書いたあと、長い間消さなかった。
それが一番大事だと感じたからだ。
苦痛を資源として使う癖は便利だ。
便利なぶん危険だ。
慣れてしまえば、人は知らず知らずのうちに、もっと傷つく理由を探すようになるかもしれない。
どうせ殴られて耐えればいいと。
どうせ転がれば次がうまくいくと。
そんなふうに体を雑に使ってもいいと勘違いしかねない。
それは嫌だった。
本当に嫌だった。
セラが怒るだろう。
エリンは本当に凍らせてくるだろう。
マヤは笑い飛ばしながらも最後には真顔になり、リナは泣きながら胸ぐらをつかむかもしれない。
何より、自分自身が嫌になりそうだった。
レオンは紙を折った。
一枚は左。
一枚は右。
仮説の整理版は真ん中。
見た目には頼りないメモだった。




