第162話
窓は半分ほど開いていて、カーテンの端が風に軽く揺れていた。
日は中天を少し越え、窓枠と床の間に長く四角い光を敷いていた。
その内側だけ、埃が柔らかく漂っていた。
木の匂い、乾かした薬草の匂い、そしてリリアが置いていったハーブ茶の香りが、まだほんの少し残っていた。
平和だった。
平和すぎて、レオンのような人間には、むしろ頭の中が余計に騒がしくなる種類の午後だった。
彼は紙の一番上に書かれた「荷物持ち」をしばらく見つめてから、呟いた。
「これは理解できます」
「たくさん持って、長く耐えて、妙に最後まで残るほう」
「あまり派手ではありませんが、実用的ではあります」
彼は自分の腕を一度持ち上げてみせた。
まだ完全に無事とは言えなかった。
包帯が引きつり、肩は最後まで上げると熱を持った。
「実際に力がものすごく強いのかと聞かれると曖昧ですが、長持ちするほうではあります」
「荷重の分散、均衡、持続力……」
「そういう方向なら納得はできます」
彼は一枚目の紙の下のほうに、さらに数行を書き足した。
荷物持ち仮説
耐えるのに向いている。
重さの配分に強い。
長く動くのに有利。
体が壊れるまではかなり実用的。
そして、とても小さく付け足した。
見た目は格好よくない。
レオンは自分で書いた最後の行を見て、ふっと笑った。
「はい」
「率直な評価ですね」
問題はその次だった。
彼は下のほうの落書きを見た。
転ぶほど、次の動きがうまく合う感じ。
相手が見下すと、かえって意識がはっきりする癖。
誰かを守ろうとするとき、痛みより先に体が動いてしまう瞬間。
普通の剣術なら、練習すれば伸びる理由が見える。
普通の腕力型クラスなら、筋肉がつき、体力が増える。
普通の魔法なら、魔力の流れや術式構造がある。
けれど、自分のものは違う。
自分のものはいつも、先に殴られ。
先に転がり。
先に見下され。
そのあとになって、遅れてさらに鋭くなる。
レオンはペンを転がしながら呟いた。
「よくありませんね」
「成長期というより、壊れたあとにようやく噛み合う歯車みたいです」
彼はベッド脇の小さな卓の上に置いていた林檎を取った。
本来は間食だった。
けれど今のこの退屈な男にとっては、立派な実験道具にもなり得た。
レオンは林檎を一度投げて受け取った。
もう一度。
今度は少し高く。
受け取った。
何も起きなかった。
彼は目を細めた。
「当然ですね」
「普通に投げれば普通に終わります」
今度はわざと体をひねり、不器用に投げた。
林檎は窓枠のほうへ逸れた。
レオンはつかもうとして遅れた。
こつん。
林檎がベッドの下へ転がり落ちた。
彼はそれをしばらく見つめてから、小さく呟いた。
「これは実験ですか、それともただ下手なだけですか」
少し悲しくなった。
だがじっくり考えてみれば、これもかなり重要な情報だった。
自分の体は、いつでも妙に反応するわけではない。
ただ日常的に物を投げたからといって、うまく合うわけではない。
転んだからといって、無条件に強くなるわけでもない。
そこには条件がある。
レオンはまた紙を引き寄せた。
条件?
実際の危険。
実際の危機。
実際の味方の保護。
実際の屈辱と怒り。
そして長く考えてから、さらに一行を書き足した。
本気であること。
彼はその言葉を見ながら、静かに息を吐いた。
そうだ。
おそらくこれで合っている。
適当に演じてできるものではない。
ただ笑いを取ろうとしてわざと転んでも、おそらく大きな差はないだろう。
本当に危なく、本当に痛く、本気で誰かを守らなければならず、本当に自分が見下されたのだと体が受け止めたとき。
そのとき、自分の体は奇妙なほどよく動く。
だとすれば、これは単なる技術ではなく、体のどこかに刻まれた反射に近い。
いや。
反射よりもっと悪い。
傷に近い。
レオンは目を閉じ、また開けた。
「よくありませんね」
これは便利かもしれない。
だが健全な方法ではない。
人を傷つけた経験を、次の戦いで耐える材料としてまた取り出して使う癖。
世界に叩かれてできた歪みを、次の危機で武器のように振るう癖。
彼は卓の上で指をゆっくり叩いた。
「これは……」
「少し、いや、かなり気分が悪いです」
そしてふと、ごく当たり前の事実を思い出した。
自分一人で紙に書きつけながら頭を抱える必要はないかもしれない、という事実。
なぜなら決定的な瞬間ごとにいつも不意に割り込んできて、必要なときには説明もして、必要ないときには人の神経を逆撫でするだけの存在がいたからだ。
レオンは少しの間、天井を見上げた。
「いいでしょう」
彼はとても真面目な顔で言った。
「では、当事者に直接聞いてみましょう」
窓の外の風音だけが薄く揺れた。
レオンは咳払いをした。
「おい」
「いますか?」
何も起きなかった。
レオンは目を細めた。
「いつも勝手に割り込んでくるくせに、いざ呼ぶといないふりですか」
その瞬間だった。
頭の中のどこかが、ごく小さく鳴った。
【応答確認】
【質問を入力してください】
レオンは一瞬、力の抜けた表情になった。
「いいでしょう」
「本当に出ましたね」
レオンは少し頬杖をついて考えてから、まずは一番人間らしい質問を投げた。
「ところであなた、何と呼べばいいんですか?」
一拍遅れて浮かんだ文字は、今回もやる気がないように見えるほど簡単だった。
【呼称不要】
【便宜上、任意指定可】
レオンはその二行を見るなり顔をしかめた。




