【第9話】入学式は主演女優のつもりで
入学式の朝、私は伯爵家の一番ボロい馬車で学院に到着した。
クリスは最新型のピカピカの馬車、私はガタゴトうるさい荷物用みたいな馬車。夫人の嫌がらせ人事なんだろうけど、あいにく私は前世、機材車の助手席で仮眠する生活を三年やってたのよね。むしろ落ち着くくらいだわ。
「お嬢様、本当にその……堂々と顔を出して行かれるのですか?変装用のカツラもありますが」
「マリー、今日は世紀の記者会見……じゃなくて、お披露目よ。悪評まみれの令嬢が初めて公の場に出る日。全員が私を見に来るの。この注目を捨てるなんてありえないわ」
伯爵には目立つなと言われている。でも考えてみて?「目立つな」って言われて目立たなくできる顔じゃないのよ、これ。物理的に無理なの。だったら目立ち方をこちらで演出プロデュースするしかないじゃない。
学院の正門をくぐった瞬間、予想通り、周囲がざわっとした。
「あれが……フォックス家の」「性悪女狐……」「うわ、噂より綺麗、っていうか綺麗すぎて怖い」「見ちゃだめよ、暴れるらしいわ」
聞こえてるわよー。でもいいの、悪評は今日の演出の前フリだから。悪役だと思われてる人間ほど、ちょっとした善行が三倍増しで輝く。名付けてヤンキー猫理論。今日の私の台本は「噂と違って儚げで健気な天使」よ。
仕込みは、三日前から始まっている。
マリーに学院の見取り図を描かせ、寮の配置、講堂、食堂、医務室、井戸、掲示板、厩舎、洗濯場の位置を全部叩き込んだ。入学初日の時間割、受付の場所、寮の鍵の受け取り手順、荷物の預け先。二年生である彼女が去年経験したことを、一晩かけて残らず吐き出させたのよ。
前世のロケハンと同じ。現場を知らない人間から順に、当日おろおろするの。
そして今日、私は正門をくぐる前に、いったん立ち止まった。
「マリー。予定通りね?」
「はい。正門から講堂までの道が一本しかないので、迷った新入生は必ず、あの噴水の前で立ち往生します」
「よろしい。では、行きましょうか」
——ここからは、私の現場よ。
噴水の前には、案の定、途方に暮れた新入生が固まっていた。地方から出てきた下級貴族の子たち。制服の着方すら怪しい。誰も彼らに教えてやらないのだ。名家の子は入学前に家庭教師から全部教わってくるから、迷子になるのは、いつだって教えてくれる人がいなかった子たちだ。
私は、その真ん中に歩いていった。
「そこの方。もしかして、受付を探していらっしゃる?」
赤茶の髪の女の子が、びくりと顔を上げた。腕には荷物を抱えすぎていて、今にも落としそう。
「あ、あの、わたし、受付が……」
「講堂の裏手の、東の入り口ですわ。正面の大扉ではありませんの。あそこは教官の方々がお通りになるので、新入生が入ると叱られますのよ」
「そ、そうなんですか!?」
「ええ。それと、寮の鍵は受付では渡されません。荷物を先に寮監のところへ預けて、荷札の半券をもらってから受付へ行くと、二度並ばずに済みますわ」
女の子が、目を丸くした。
「……そんなこと、どこにも書いてありませんでした」
「書いてありませんもの」
私は、彼女の腕から荷物を半分抱え上げた。
「重いでしょう。寮監のところまで、ご一緒しますわ」
ざわ、と周囲が揺れた。
私は、噴水の周りの子たちを見回して、声を張った。
「他に、寮の場所がわからない方はいらっしゃいます? ……あら、そんなにたくさん。では、まとめてご案内しますわね。ついていらして。医務室の場所も途中で教えます。倒れる子が毎年出ますから、覚えておいたほうがいいですわよ」
十数人の新入生が、金髪の令嬢の後ろをぞろぞろとついて歩いた。
道すがら、私は彼らに話しかけた。名前を聞き、出身地を聞き、緊張していないかと尋ねた。誰かが荷物を落とせば拾い、誰かが泣きそうになれば、荷物の紐の結び直し方を教えた。
そして寮の前で、赤茶の髪の女の子が、おずおずと聞いた。
「あ、あの……先輩は、二年生ですか? 三年生ですか?」
——きた。
私は、はい来ました、と心の中でガッツポーズをした。
「あら、どうして?」
「だって、こんなに学院のことをご存じで……お綺麗で、大人っぽくて……わたし、上級生の方に助けていただいたんだとばかり」
周囲の子たちも、うんうんと頷いている。
私は、できるだけ控えめに、少しだけ困ったように微笑んだ。
「わたくし、今日入学しましたの。あなたと同じ、一年生ですわ」
「……えっ」
「エミリア・フォックスと申します。以後、よろしくお願いしますわね」
十数人が、その場で固まった。
三秒後、誰かが小さく息を呑んで言った。
「エミリア・フォックス……って、あの?」
「ええ。『性悪女狐』と言われている、あの、ですわ」
私は、にっこりと笑ってみせた。それから、少しだけ寂しそうに目を伏せる。
「噂は、ご存じですわよね。……お知り合いになると、あなた方にご迷惑がかかるかもしれません。ですから、今日のことは、どうか気になさらないで」
そう言って背を向けた瞬間、後ろから声がした。
「ま、待ってください!」
赤茶の髪の女の子だった。
「わたし、ソフィアと申します! あの、噂なんて、わたし、信じません! だって、こんなに親切な方が」
「ソフィア様」
私は振り返って、彼女の手を取った。
「ありがとう。……その言葉、一生忘れませんわ」
これは、演技じゃなかった。
前世で、私の企画書を誰も読んでくれなかった時。たった一人、先輩のADが「面白いじゃん、これ」と言ってくれた。あの一言で、私は三年間戦えたのだ。
だから知っている。
たった一人が味方についてくれることが、どれだけ人を強くするかを。
——さて、結果を申し上げましょう。
昼までに、学院中がこの話でもちきりになった。
「性悪女狐が、迷子の新入生を全員案内していた」
「上級生と間違われたらしい」
「自分から『迷惑がかかるから離れて』と言ったんですって」
噂は、噂でしか上書きできない。
そして人は、聞かされた話より、自分が目撃した話を信じる。
だから私は、目撃者を十数人つくったのよ。
——ちなみに、講堂に入る直前。
花壇の脇で、子猫が一匹震えていた。
これは本当に、ただの偶然だった。
私は周りを見回して、誰も見ていないことを確認してから、その子猫をそっと日なたに移してやった。
……見ていないところでやる善行に、価値なんてないと思う? ええ、私もそう思っていましたわ。
でも、この身体の前の持ち主は、八年間、誰にも見られない場所で、たった一人で泣いていたのよ。
だったら、誰にも見られない親切くらい、あってもいいでしょう。
講堂の入り口で、お約束通りの横槍が入った。
「皆さん、騙されてはだめよ!」
クリスが取り巻きを連れて、よく通る声で叫んだ。周りには、さっき私が案内した新入生たちがいる。彼女は、それを見た上で叫んだのだ。
「その女は、家では使用人に暴力を振るう、恐ろしい人なのよ! 道案内なんて、どうせ人に見せるための演技よ! 田舎から出てきた方々、優しくされたからって騙されないことね!」
はい、いただきました。
敵が公衆の面前で先に攻撃してくれるの、本当に助かるわ。カメラが回ってる前で先に手を出した方が負けるって、ワイドショー千本見てきた私が保証する。
しかも、この人。今、私を攻撃するついでに、案内された子たちのことを「田舎から出てきた方々」って言ったわね。
——馬鹿ね。
この場で一番敵に回してはいけない十数人を、あなたは一言で敵に回したのよ。
私は精一杯悲しそうに、でも気丈に微笑んでみせた。目は少し潤ませる。声は震えを二割だけ混ぜる。
「クリス様……私、学院では従姉妹のあなたと仲良くやり直せると信じて、今日を楽しみにしてきましたのに……」
効果は抜群だった。周囲の視線が一斉にクリスへ「うわあ……」という色を帯びる。身内を公開の場で攻撃する令嬢と、健気に耐える天使。どちらが悪役に見えるかなんて、演出台本のイロハのイよ。
そして、私が何も言わないうちに。
「……ちがいます」
小さな声がした。
ソフィアだった。膝が笑っているのが、離れていてもわかる。それでも彼女は、伯爵令嬢の前に一歩出た。
「エミリア様は、わたしたちが誰にも道を聞けずに困っていた時、たった一人で来てくださいました。人に見せるためなら、あんな……荷物まで持ってくださったりしません」
「あなた、どこの家の」
「名乗るほどの家ではありません! でも、わたし、見たものしか信じませんから!」
新入生たちが、ひとり、またひとりと、ソフィアの隣に並んだ。
クリスは顔を真っ赤にして何か言いかけて、取り巻きに袖を引かれ、逃げるように講堂へ入っていった。
……あら。
台本には、なかったわね、今の。
私は、震えているソフィアの背中をそっと支えて、耳元でささやいた。
「ありがとう。でも、無茶をなさらないで。あの方に目をつけられますわよ」
「い、いいんです。だって、わたし」
彼女は、真っ赤な顔で私を見上げた。
「エミリア様が、わたしのこと、ソフィア様って呼んでくださったから」
——参ったわね。
私は演出のつもりで、この子たちを「目撃者」として配置した。
でもこの子は、私を庇うために、たった今、自分の学院生活を賭けたのだ。
計算で人を動かすのは得意よ。二十三年、そうやって生きてきた。
でも、計算していない人間に守られるのは、生まれて初めてだった。
——ねえ、ソフィア。
講堂へ向かう道すがら、私は聞いてみた。あなた、どうしてあそこまでしてくださったの、と。
彼女は少し困ったような顔をして、首をかしげた。
「わかりません。気がついたら、足が前に出ていて」
「……足が」
「はい。自分でも、びっくりしました」
……そう。
まあ、いい子なのよ、この子は。それだけの話だわ。
講堂に入ると、入学式が始まった。
新入生代表の挨拶で壇上に上がったのは、銀色の髪の男子生徒だった。
会場の女子から、ほうっとため息が漏れる。近くの席の子が二人、本当に気絶しかけて連れ出された。なるほど、あれが例の第二王子、気絶級美男子のロブ王子ね。
うん、確かにすごい顔。銀髪に金色の目って、照明さん泣かせの……じゃなくて、画面映えの塊だわ。前世なら事務所が絶対に手放さない主演級。月9三本は張れる。
でも、それだけ。
私、前世で美形は浴びるほど見てきたし、美形の楽屋での顔も浴びるほど見てきたのよね。顔がいいことと中身がいいことは、まったくの別問題。
だから私は王子の挨拶をBGMに、膝の上でこっそり演習の段取りを指折り確認していた。食料の準備、罠の資材、マリーの情報の裏取り……。
「——以上、新入生代表、ロブ・フェンリール」
拍手で顔を上げたら、壇上の王子と、ばっちり目が合った。
会場中の女子が王子を見つめる中、明らかに演習の献立を考えていた不届き者は私だけだったから、目立ったのかもしれない。
王子は一瞬、金色の目を細めた。獲物を見つけた狼、みたいに。
……なんか、まずいものに見つかった気がするわ。
私はすっと目をそらして、胸の中で自分に言い聞かせた。
狼王子には近づかない。王族案件は、揉めた時に必ず下の人間が飛ぶんだから。
式の最後、教師からサバイバル演習の説明があった。五日後から王家の森で三日間、チーム登録の締め切りは明後日。
翌日、私が「エミリア・フォックス、ディーン・ダッシュ、ブライアン・シリル、アッシュ・ドスラキ」の四人でチーム登録を出すと、学院中がひっくり返った。演習は新入生だけのものだから、二年生のマリーは参加できないけど、その代わり彼女は「学院一の情報網を持つ後方支援」として、すでに大活躍済みよ。
F4のうち三人が、よりによって「性悪女狐」と組んだ——。
登録所の前で、クリスの悲鳴が聞こえた気がした。あら、ブライアン様はあなたの想い人だったわね。ごめんあそばせ。




