【第8話】狼王子は面白くない
フェンリール王国の第二王子、ロブ・フェンリールは面白くなかった。
俺の母は寵姫だ。つまり俺は、王妃の産んだ兄上——王太子殿下より目立ってはいけない王子として育てられた。剣術の試合はほどほどのところで負け、夜会では兄上より早く退出し、成績は常に「優秀だが一番ではない」あたりに調整する。
目立つな。分をわきまえろ。生まれてこの方、耳にタコができるほど言われてきた。
王家の始祖は銀狼フェンリルだという。その血が濃く出たのか、俺は母譲りの銀髪と、金色の目を持って生まれた。社交界の令嬢たちは俺を「狼王子」と呼んで、目が合っただけで気絶する。大げさだと思うだろう。俺も思う。だが実際に三人倒れたのを見た。
顔だけ褒められる人生というのは、退屈だ。
——だから俺は、幼い頃に、城下の魔道具屋で妙な品を買った。
かけると、雰囲気が平凡になる。ただそれだけの、安物のメガネだ。
銀髪は帽子で隠せる。だが目の色は隠せない。金色の目をした子供が城下を歩けば、それだけで人垣ができる。
これをかけると、誰も俺を二度見しない。
すれ違った娘が振り返らない。パン屋の親父が値を吹っかけてこない。兄上の息のかかった従者と肩がぶつかっても、気づかれない。
初めてかけた日、俺は広場の隅に、一刻ほど、ただ突っ立っていた。
誰も、俺を見なかった。
——ああ、これが、普通か。
以来、手放したことがない。目立つな、分をわきまえろ。言われるまでもない。俺は自分の意思で、目立たないための道具を懐に入れて歩いている。
我ながら、笑える話だ。王子が、王子に見えないための金を払っているのだから。
その退屈な人生の数少ない楽しみが、悪友三人だった。ダッシュ家のディーン、シリル家のブライアン、ドスラキ家のアッシュ。世間は俺たち四人をまとめてF4などと呼ぶが、あいつらは俺を王子ではなく「ロブ」として扱う、貴重な連中だ。
その三人が、入学を目前にして、揃っておかしくなった。
まずディーンが、毎週恒例の手合わせを断ってきた。あの戦闘狂が、だ。理由を聞いたら「わりぃ!俺、テオドールと戦うために準備があるんだわ!」と鼻歌まじりに走っていった。真正面から手合わせを申し込んでは、何度断られ続けてきたか。ずっとうずうずしていたくせに、急にどうしたんだ、あいつは。
次にブライアンの部屋を訪ねたら、机の上に去年の演習の負傷者記録やら、王家の森の地図やらが、几帳面な書き込みごと山積みになっていた。あいつは元々用意周到な男だが、今回はどう見ても度を超えている。
極めつけはアッシュだ。あの無口が、すれ違いざまに嗅いだこともない甘い匂いをさせて、ほんのわずかに口角を上げていた。あいつが笑うのは年に二回だぞ。
問い詰めても三人とも口を割らない。だから従者に調べさせた。
——三人のもとに、フォックス家のご令嬢から手紙が届いた。
——三人は同じ日の午後、揃ってフォックス伯爵家の別館を訪れた。
エミリア・フォックス。傾国の美女を三人も輩出した家系の末娘にして、社交界では「美しいが精神を病んで暴れる、性悪の女狐」と言われている令嬢だ。
そして、俺だけが知っていることがもうひとつある。
数日前、あの令嬢は呪いを受けるために登城した。フォックス家と王家の古い契約——俺は叔父上の補佐という名目で、その儀式の末席にいた。
十二歳の少女が、王宮の魔術師たちに囲まれて呪いを受ける。
俺は、あの術がおおよそ何をするものかは知っている。立ち会う王族には、事前に説明があるからだ。
もっとも、叔父上の説明は短かった。フォックス家の娘に生まれつき備わる力を、封じ込める術だ、と。それだけ言って、最後にひとこと、付け足した。
——心の弱い娘は、ここで死ぬ。
どういう意味かと問うたら、返ってきたのは沈黙だった。
だから儀式の間、俺はずっと目を伏せていた。泣き叫ぶ子供の顔を見たくなかった。
だが、あの娘は泣かなかった。震えも、気絶もしなかった。
儀式の直前、魔法陣の中央に立たされた少女は、魔術師長に向かって、にっこりと笑ってこう言ったのだ。
「痛いのは一瞬にしてくださいね。私、痛いのだけは長引くと嫌なんです」
しん、と広間が静まり返った。
囲んでいた魔術師たちの顔から、表情という表情が消えていた。誰も、あの言葉に返す言葉を持っていなかった。
——いや。表情が消えていた、という言い方も、たぶん正確ではない。
魔術師長の手が、震えていた。あの男が詠唱の前に手を震わせるところなど、俺は生まれてこの方、一度も見たことがない。
広間の大人たちは、揃って、あの娘の顔を見ていた。見まいとしていた者まで含めて、結局、全員が見ていた。
社交界の令嬢たちは俺の顔を見て倒れるが、あれは半分、そう振る舞うのが作法だからにすぎない。
あの日、あの広間にあった目のほうが、よほど恐ろしかった。
あれは、緊張ではなかったと思う。
——痛いのだけは、長引くと嫌。
俺は、柱の陰で、動けなくなった。
長引く痛みを知っている人間の言い方だった。
あの子は、あの日より前に、もっと長い何かに耐えてきたのだ。そして今日この場で受ける痛みを、それに比べればどうということはないと、たった一人で結論づけて、微笑んでみせた。
十二歳が。
俺は、生まれて初めて、目立たないように生きてきた自分を、恥じた。
あの令嬢が、学院入学を前に、俺の悪友三人へ手紙を寄越した。悪評通り、F4などと呼ばれる美男子連中に目をつけて近づいたのか。だとしたら、狙いは何だ。——気になる。
……で、だ。
なぜ、俺には手紙が来ない?
要件はおそらく、サバイバル演習だろう。入学直後に控えている、あの三日間の演習だ。
別に組みたいわけではない。王子の俺が一年生の演習で本気を出すなど、それこそ「目立つな」に反する。誘われたところで断るしかない。断るしかないのだが。
四人のうち、三人にだけ声をかけるか?普通。
王子だから遠慮したのか。政治的に面倒だから外したのか。それとも——眼中にない、のか。
「……面白くない」
気がつけば俺は、従者に王家の森の地図を持ってこさせていた。
王族は演習に参加せずともよい。それが慣例だ。目立つな、と言われて育った俺は、当然のように不参加のつもりでいた。
だが、気が変わった。
以前から俺を隊に誘っていた、騎士団長の息子テオドールに、参加の返事を書く。あいつの隊なら文句なしに上位を争うし、なにより——森の中で、あの令嬢と悪友三人の隊と嫌でも顔を合わせることになる。
いいだろう、エミリア・フォックス。お前が俺を仲間に入れないと言うなら、それでいい。俺が、お前の相手になってやる。——このサバイバル演習で、首席を取れると思うなよ。
机の引き出しから例のメガネを取り出して、外套の内側に仕舞う。
森の中で、王子の顔を晒すつもりはない。これをかければ、俺はただの、どこにでもいる少年だ。
……十二年、そうやって生きてきた。今さら、なんの造作もない。
入学式まで、あと三日。




