【第39話】伯爵令嬢、メイド服で参上
「白い制服を、貸してくださいまし」
寮母は、洗濯物の山から顔も上げずに言った。
「昨日はお菓子、今日はメイド服かい。……次は、何をやらかすんだい」
「舞踏会に、出ますの」
「その恰好で?」
「ええ」
寮母は、ようやく顔を上げて、私を、まじまじと見た。
それから、笑った。
「面白いこと考えるね、お前さん」
そう言って、いちばん上等な予備の制服を、選んで渡してくれた。
***
夜、私は、鏡の前に立っていた。
白い、糊のきいた制服。エプロン。頭には、レースの飾り布。
——このままじゃ、ただの、メイド服。
私は、巾着から、あの切れ端を取り出した。
昨夜、切り裂かれたドレスの、唯一、綺麗な形のまま残った部分——胸元の刺繍のついたリボンだった。刃が、そこだけ、届かなかったのだろう。
私は、それを、腰に結んだ。
そして、髪を高く結い上げ、亜空間スーツケースの奥から、母の形見だという、小さな真珠の髪飾りを取り出して、留めた。
鏡の中に、メイド服を着た、けれど、どこにも、卑屈さのない令嬢が立っていた。
「……いいわ。行きましょう」
***
舞踏会の会場に近づくにつれ、廊下を歩く令嬢たちの囁きが、耳に届いた。
「聞きました? フォックス家のご令嬢、ドレスをご用意できなかったとか」
「まあ。伯爵家の被服費、止められているという噂は本当でしたのね」
「アッシュ様と組んだ罰でしょうか。それとも——」
くすくす、と、扇の陰で笑う声。
……ずいぶん、噂の回るのが早いこと。
誰かが、意図的に流している。そう思うくらい、話の広がり方に、無駄がなかった。
***
会場の入り口で、私は、足を止めた。
侍従が、名を読み上げる。一人ずつ、扉が開いて、光の中へ迎えられていく。
「エミリア・フォックス伯爵令嬢。……ならびに、アッシュ・ドスラキ様」
扉が、開いた。
シャンデリアの光が、まっすぐ、私に当たった。
会場の空気が、一瞬で、凍りついた。
***
ざわめきが、波のように広がった。
「メイド服……?」
「本当に、ドレスを、用意できなかったのか」
「なんて、みっともない……」
嘲笑と、憐憫の入り混じった視線。予想通りの反応。
台本通りよ。
私は、顔を上げたまま、一歩、前に出た。
隣で、アッシュ様が、静かに腕を差し出してくれた。
「怖くないのか」
小さな声で、彼が聞いた。
「怖いですわよ、こんなの」
私は、微笑んだ。
「でも、台本があれば、どんな現場も乗り切れますの」
***
会場の中央まで進んだところで、私は、足を止めた。
そして、声を張った。
日頃、令嬢らしく抑えている声を、あえて、隅々まで届くように。
「皆様、驚かせてしまい、申し訳ございません」
ざわめきが、少し、静まった。
「本来、私も、美しいドレスで、この場に立ちたく思っておりました。……ですが、昨晩、そのドレスは、何者かの手によって、ずたずたに切り裂かれました」
会場が、水を打ったように、静かになった。
***
「そして、そのドレスは、伯爵家からの援助が一切なく、私自身が、自分の手で用意したものでしたの」
私は、腰のリボンに、指を添えた。
「なぜ、自分で用意しなければならなかったのか。……理由は、皆様のご想像にお任せいたしますわ」
低いざわめきが、また広がった。今度は、さっきとは違う色をしていた。
——伯爵家、被服費を止めていたのか。
——それは、あんまりじゃないか、実の姪に。
風向きが、変わり始めていた。
***
「ですから、私、今宵は、この恰好で参りました」
私は、スカートの裾を、軽くつまんで、礼をした。
「フォックス家において、私が実際に扱われている立場は——伯爵令嬢ではなく、これですもの。飾るより、正直でいるほうが、よほど、格好がつくと思いましたの」
会場の隅で、誰かが、小さく拍手をした。
一つ。また一つ。
やがて、拍手は、さざなみのように、会場全体へ広がっていった。
***
「言ってやりましたね」
ブライアン様が、いつの間にか近くにいて、片眼鏡を押し上げた。
「台本、あったんじゃないか」
ディーン様が、にやりと笑う。
「ありませんでしたわよ、こんなの!! 今、その場で考えましたの!!」
「それを台本があるというんだよ、お嬢様」
寮母の声が、遠くから聞こえた気がした。……いつの間に、彼女まで来ていたのかしら。
***
会場の隅、柱の陰で、私は、視線を感じた。
扇で顔の下半分を隠した、栗色の髪の女性が、こちらを、冷たい目で見ていた。
——ヴィオラ様。
私と、目が合うと、彼女は、何事もなかったかのように、視線を逸らした。表情一つ、変えずに。
計画が、裏目に出た。それだけの反応。まるで、天気の話でもしていたみたいに。
……本当に、この人は、駒を見る目でしか、人を見ないのね。
私は、そう思いながら、静かに息を吐いた。今夜は、この人の話をする夜じゃない。
***
音楽が、鳴り始めた。
アッシュ様が、私の手を取った。
「約束、覚えているか」
「もちろんですわ。雪の中で、あれだけ練習しましたもの」
「壊すなよ」
「壊しませんわよ!!」
私たちは、少しぎこちなく、けれど、確かに、踊り始めた。
一、二、三。一、二、三。
会場の視線が、少しずつ、驚きから、何か別のものに変わっていくのを、私は、感じていた。
***
一曲目が終わって、私が、息を整えていると。
人だかりの向こうから、誰かが、まっすぐ、こちらへ歩いてくるのが見えた。
銀髪。金色の瞳。
——ロブ様。
昨日から、一度も姿を見せなかった人が、今、私の前で、足を止めた。
その顔に、いつもの、あの、目立たないようにする表情は、なかった。
「エミリア」
彼は、まっすぐ、私を見て、言った。
「次の曲は、俺と踊ってもらえるか」




