【第31話】壁の花という言葉が、嫌いです
初雪が降った朝、掲示板に、一枚の紙が貼られた。
『冬季舞踏会 開催の儀
於・学院大広間
参加は、男子生徒より女子生徒への申し込み、および承諾をもって成立するものとする』
ざわり、と廊下が沸いた。
学院最大の社交行事。二百年続く、冬の華。
そして——学院で、いちばん残酷な行事だ。
「参加は、男子生徒より女子生徒への申し込み……ですって」
私は、紙を三回読んだ。
三回読んでも、書いてあることは同じだった。
つまり、こういうことよ。
**女は、誘われなければ、舞踏会に出られない。**
「エミリア様! 大変です! 今朝、寮の受付に、エミリア様宛のお手紙が——」
ソフィアが、両手いっぱいの封筒を抱えて駆けてきた。
抱えきれずに、三通ほど床に落とした。
「……何通ですの、それ」
「二十七通です!」
「二十七」
「あ、まだあります! 受付に山が!」
ソフィアは、頬を上気させて、目を輝かせていた。
「すごいです、エミリア様! 一年生からも、三年生からも! しかも、テオドール様まで!」
「あら、あの一騎打ちの。お元気そうでなによりだわ」
私は、封筒の束を受け取って、その重さに、少しだけ、うんざりした。
——選び放題、というやつね。
前世なら、飛び上がって喜んだかもしれない。二十三年、モテたことなんて一度もなかったもの。
でも今は、ちっとも嬉しくない。
だってこれ、私が何かをしたから来た手紙じゃないもの。
顔よ。
全部、顔。
「ソフィア。あなたは?」
「え?」
「あなたのところには、何通、来ましたの?」
ソフィアの顔から、すっと、笑みが引いた。
そして、彼女は、いつもの、へらりとした笑顔を作った。
作ったのが、わかってしまった。
「わたしは、いいんです」
「いいって、何が」
「わたし、壁の花ですから」
***
壁の花。
舞踏会で、誰にも誘われず、壁際に立ったまま終わる娘のこと。
——ふざけた言葉だわ。
誰が考えたのかしら。花なら、せめて、飾られる場所くらい選ばせなさいよ。
「ソフィア。座って」
「え、あの」
「座りなさい」
私は、談話室の椅子を引いた。
ソフィアは、おずおずと腰を下ろした。膝の上で、両手をぎゅっと握って。
「あなた、出たくないの?」
「……出たいです」
小さな声だった。
「でも、無理です。わたし、下級貴族ですし、顔だって普通だし、話も面白くないし、それに、その」
彼女は、俯いた。
「去年も、一昨年も、姉が壁の花でした。うちは、そういう家なんです」
そういう家。
——ああ、そう。
前世でも、あったわね。
こういうの。
忘年会の余興は、必ず若手の女がやらされた。ビールを注いで回るのも、二次会の店を予約するのも、私たちだった。
私は、それを「そういうものだ」と思っていた。
先輩がそうだったから。その先輩も、その前の先輩がそうだったから。
誰も、決めていない。
誰も、命じていない。
なのに、二十年、誰も、そこから出られない。
——そういうのを、私は、いちばん、憎んでいたのよ。
「ソフィア」
「はい」
「壁の花って言葉、私、大嫌いですわ」
「……」
「花は、壁にくっついて生えたりしませんの。あれは、地面から生えて、自分で咲くものよ」
ソフィアが、顔を上げた。
その目が、少しだけ、揺れていた。
***
寮の部屋に戻って、私は、二十七通の手紙を、机に並べた。
そして、一通も開けずに、脇に寄せた。
代わりに、引き出しから、書きかけの紙を出した。
『冬の舞踏会・企画書(第一稿)』
後期中間試験の、あの謝罪の夜に、一行だけ書いて放り出してあった紙だ。
ヴィオラ・ハーグレイヴに、こう言われた夜に。
——冬の舞踏会には、お出になりませんように。
「出ますわよ」
私は、独りごちた。
「出るに決まっているでしょう」
前世で、私がいちばん燃えたのは、どういう時だったかしら。
「その企画は通らない」と言われた時よ。
——けれど。
私は、羽根ペンを持ったまま、しばらく、動けなかった。
企画書の二行目が、書けないのだ。
二十七通の手紙。
私は、この中から、誰か一人を選べばいい。
それで、私は舞踏会に出られる。ヴィオラの警告を蹴飛ばして、大広間の真ん中に立てる。
……それで?
それで、ソフィアは?
壁際に立ったまま、三年間、姉と同じように終わっていくの?
「……ちがうわ」
私は、羽根ペンを置いた。
そうじゃない。
そうじゃないのよ。
私が舞踏会に出て、いい気分になって、拍手を浴びて——それは、ただの「勝ち」だわ。
私一人の。
ミスコンの時、私は、輪の外から輪をひっくり返した。
十二人の令嬢に、自分の得意なことを喋らせた。二百年、誰も聞かなかったことを聞いた。
あの時、いちばん気持ちよかったのは、冠を取ったことじゃない。
刺繍の子が、壇上で、真っ赤な顔をして言った、あの一言だ。
——顔で選ばれたことなど、一度もありません。それが、こんなに、嬉しいと、思いませんでした。
私は、羽根ペンを持ち直した。
そして、二行目を書いた。
『目的:エミリア・フォックスが舞踏会に出ること——ではない。
目的:この学院から、「壁の花」という言葉を、消すこと』
***
「マリー。手伝ってちょうだい」
「またでございますか」
「またよ。今度は、大仕事ですわ」
私は、羊皮紙を広げた。
「まず、事実を確認します。この学院に、女子生徒は何人?」
「一年から三年まで、合わせて八十四名かと」
「そのうち、去年の舞踏会に出られたのは?」
マリーが、少し考えて、答えた。
「……三十一名です」
「五十三人が、出られなかったのね」
「はい」
「その五十三人は、その日、何をしていましたの?」
マリーは、答えなかった。
答えられないのだ。
誰も、その日の彼女たちを、見ていないのだから。
「……寮に、おられました」
やがて、マリーは言った。
「灯りを消して。舞踏会の音楽が、寮まで聞こえてまいりますので」
私は、羽根ペンを、ぎゅっと握った。
「聞こえるのね」
「はい。よく聞こえます」
——ああ、そう。
そういうことね。
わかりましたわ。
***
その日の夕方、私は、廊下でロブ王子とすれ違った。
彼は、私を見て、一瞬、足を止めた。
何か言おうとして、やめた。
そして、そのまま、行ってしまった。
「……なによ」
私は、彼の背中に向かって、小さく呟いた。
二十七通の手紙の中に、彼の名前は、なかった。
あるわけがないのは、わかっている。
あの人は、王太子に「近づくな」と命じられた人だ。私を誘えば、それだけで政争の火種になる。あの人は、私を守るために、私を誘わないのだ。
わかっている。
理屈は、全部わかっている。
——でも。
「……ちょっと、腹が立ちますわね」
自分でも、驚くくらい、腹が立っていた。
なぜかしら。
私、あの人と踊りたいわけでもないのに。
……たぶん。
私が腹を立てているのは、あの人が誘わないことじゃない。
あの人が、「誘わない」という選択を、自分の意思ではなく、他人の命令で、させられていることだわ。
目立つな。分をわきまえろ。望むな。
——十二年間、そう言われて生きてきた人。
「ふん」
私は、廊下の窓を開けた。
冷たい風が、まっすぐ入ってきた。
雪の匂いがした。
「……いいわ。上等よ」
私は、笑った。
「五十三人と、王子様と。ぜんぶまとめて、舞踏会に引きずり出して差し上げますわ」
企画書の、三行目を書く。
その前に。
ひとつ、確かめておかなければならないことがある。
『調査項目:
舞踏会の学則を、全文、読むこと。
——「男子より女子への申し込み」と書いてある。
では、その逆を禁じる条文は、どこに書いてあるのか?』




