【第27話】二百年分の台本を、書き換える
翌朝、私は実行委員会の部屋の扉を叩いた。
「エミリア・フォックスですわ。お願いがあって参りました」
部屋の中の三年生たちが、いっせいに顔を上げた。そして、気まずそうに目を逸らした。
そうよね。昨日、私を選考から外したばかりですものね。抗議に来たと思っているんでしょう。
「あの、エミリア様。決定は、その、覆せませんの」
「ええ、存じております」
私は、にっこり笑った。
「ですから、出していただこうとは思っておりませんわ。——裏方を、やらせてくださいまし」
しん、とした。
「……裏方?」
「星の女王の、当日の進行ですわ。舞台の設え、灯りの入れ方、順番、幕の開け閉め。……私、出られませんもの。せめて、お手伝いくらいはさせてくださいませ」
三年生たちが、顔を見合わせた。
彼女たちの気持ちは、手に取るようにわかる。罪悪感が半分、警戒が半分。この女、何を企んでいるのかしら、という顔。
企んでいますわよ。当たり前でしょう。
「言っておきますけれど、選考には一切、口を出しません。票にも触りません。私が触るのは、舞台の上だけ。……それでもご不安でしたら、私の作った段取りを、全部あなた方が事前に検めてくださって結構ですわ」
主催の三年生が、長いこと私を見ていた。
そして、ぽつりと言った。
「……なぜ、そこまでして関わろうとなさるの」
いい質問だわ。
「悔しいからですわ」
私は、正直に答えた。
「外されたのが、悔しくてたまりませんの。だから、せめて一番いい舞台を作って、『あの女を外したのは学院の損だった』と思わせてやりたいんですのよ」
彼女は、目を丸くした。
それから——吹き出した。
「……あなた、噂とずいぶん違いますのね」
「よく言われますわ」
***
というわけで、私は「星の女王」の演出を手に入れた。
候補者は、十二人。
私が最初にやったのは、そのうちの一人ひとりに、話を聞きに行くことだった。
「え、あの、わたくしにですか?」
一人目は、二年生の令嬢だった。おどおどして、私と目を合わせない。
「ええ。当日の段取りを決めるのに、あなたのことを知らないと組めませんもの。——ひとつだけ伺います。あなた、何が得意ですの?」
「……得意?」
「なんでもよろしいのよ。刺繍でも、歌でも、算術でも、木登りでも」
「そんなことを、聞かれたことは、ありません」
彼女は、心底不思議そうな顔をした。
「星の女王は……美しさを、競うものですから」
——ああ。
そうか。
二百年、この行事はそういうものだったのね。
十二人の令嬢が、一列に並んで、上級生に品定めされる。ドレスの生地と、髪の結い方と、笑い方の角度を採点される。それだけ。
「もう一度、伺いますわ」
私は、身を乗り出した。
「あなたが、得意なことは、なんですの?」
長い沈黙のあと、彼女は、消え入りそうな声で言った。
「……星を、見るのが好きです。二百三十七個、名前と位置を、覚えています」
私は、その場で立ち上がった。
「決まりましたわ」
「え?」
「あなた、当日、講堂の天井を落としますわよ」
「!?」
言葉が乱暴だったわね。落とすのは天井じゃなくて、灯りの方よ。
***
それから五日間、私は寝ていない。
いえ、正確には寝たのだけれど、頭の中でずっと段取りを組み直していたから、寝た気がしないの。前世でも、特番の前はこうだった。夢の中でも香盤表をめくっているのよね。
十二人分の「得意なこと」を聞き出して、それを全部、舞台の上に載せる。
星の名前を諳んじる子。
早駆けで学院一の子。
古代語の詩を、暗記している子。
弟が五人いて、赤ん坊をあやすのが恐ろしく上手い子。
そして——刺繍しか取り柄がないと本人が言い張る、けれど、その刺繍が信じられないほど美しい子。
「エミリア様。ひとつ、伺ってもよろしいですか」
夜、寮の談話室で図面を引いていたら、マリーが茶を置きながら言った。
「なあに」
「これは……もう、ミスコンではありませんね」
「あら、失礼ね。ちゃんと女王は選びますわよ」
私は、羽根ペンの尻で図面を叩いた。
「ただ、見るものを変えるだけ。——顔を見るのをやめさせて、その人を見せるの」
「見るものを、変える」
「そう。昔いた場所で、私が三年かけて叩き込まれたことよ」
カメラをどこに向けるか。誰の、どの瞬間を抜くか。
一番きれいな子を映すのは、素人の仕事。
その子が、一番その子らしい顔をする三秒を待って、そこだけを抜く。それがプロの仕事。
……あら。
私、いま、ずいぶん偉そうなことを言ったわね。
***
順調にいっていたのは、四日目までだった。
五日目のリハーサル。集合の鐘が鳴っても、講堂に現れたのは、十二人のうち四人だけだった。
「……どういうこと?」
残り八人。誰も来ない。
嫌な予感がした。前世でも、この匂いは知っている。現場から人が消えるときは、必ず誰かが裏で何かを言っている。
私は、講堂を飛び出した。
見つけたのは、渡り廊下だった。
八人の令嬢が、身を寄せ合うようにして立っている。その真ん中に——
栗色の髪が、揺れていた。
「あら。エミリア様」
ヴィオラ・ハーグレイヴが、扇を開いて微笑んだ。
「ごきげんよう。ちょうど、あなたのお話をしておりましたの」
「……そうでしょうね」
「わたくし、この方々が心配で。だって、おかしいと思いませんこと?」
彼女は、令嬢たちを見回した。
「星の女王に出られない方が、星の女王の演出をなさっている。当日、いちばん褒められるのは、誰かしら。舞台に立った方々? それとも、それを作った方?」
令嬢たちの肩が、ぴくりと動いた。
「二百年、この行事は令嬢たちのものでしたわ。それが今年だけ、たった一人の演出家のものになる。……あなた方は、その方の作品として、飾られるのですわ」
うまい。
本当に、うまいわ。
嘘は、ひとつも言っていない。全部、そう解釈できる事実だけを並べている。
そして令嬢たちの顔には、もう、疑いが芽生えている。この五日間、私に「得意なこと」を打ち明けて、恥ずかしそうに笑っていた顔と、同じ顔とは思えない。
「エミリア様。ご自分でも、少しはお思いになるでしょう?」
ヴィオラが、私を見た。
「あなたは、何をしても、中心に立ってしまう。ご自分の意思とは関係なく。……お気の毒なこと」
——ぞっとした。
なぜかしら。
彼女は今、私を刺したつもりで言っている。でも今の一言だけは、悪意ではなく、本当のことを言っているように聞こえた。
「ヴィオラ様」
私は、ゆっくり息を吸った。
そして、令嬢たちの方を向いた。
「ヴィオラ様の仰る通りですわ」
八人が、ぎょっとした顔をした。
「私は、あなた方を利用します」
「……え」
「悔しかったんですのよ。土俵から降ろされて、腹が立って仕方がなかった。だから、私を外した委員会に、一番いい舞台を突きつけて、吠え面をかかせてやりたかった。——ええ、全部、私のためですわ」
私は、そこで言葉を切った。
「ですから、あなた方も、私を利用なさいまし」
「利用……?」
「星の位置を二百三十七個覚えている子が、それを一度も人前で言えないまま卒業していくのが、私は嫌なんですのよ。赤ん坊をあやすのが上手いことを、誰にも褒められないまま、どこかの家に嫁いでいくのが。……私を踏み台にして、舞台に上がりなさい。使えるものは、性悪だろうが何だろうが、使えばよろしいの」
前世で、私が誰かに言ってほしかった言葉を、私は言っていた。
企画書を突き返され続けた二十三歳が、いちばん喉から手が出るほど欲しかった言葉を。
「私は、あなた方の作品じゃない。あなた方が、私の作品でもない。——ただの、共犯者ですわ」
沈黙が、落ちた。
最初に動いたのは、星の子だった。
彼女は、一歩前に出て、それから、ぺこりと頭を下げた。
「……あの、リハーサル、遅れて申し訳ありません」
「!」
「わたくし、灯りの落とし方を、まだ覚えていないので」
八人のうち、六人が、彼女に続いた。
残った二人は、目を伏せたまま動かなかった。それでいいわ。全員は、連れて行けない。前世でも、そういうものだった。
私は、ヴィオラ様に向き直った。
彼女は、扇を下ろしていた。
そして——笑っていなかった。
「……つまらない方」
初めて聞く、平坦な声だった。
「あなた、なぜ、正直におっしゃるの。嘘をつけば、全員連れて行けましたのに」
「嘘は、バレますもの」
「バレなければ、よろしいでしょう」
「いいえ」
私は、首を振った。
「……昔いた場所で、私、嘘で人を動かす人を、何人も見ましたわ。あの人たちの現場は、最後に必ず、崩れましたの。——ヴィオラ様。あなたの現場も、崩れますわよ」
彼女は、何も言わなかった。
ただ、扇を閉じて、去っていった。
***
学院祭、最終日。
講堂は、満員だった。
私は、舞台袖の暗がりで、掌に汗をかいていた。
前世で、生放送のキューを出す前は、いつもこうだった。この汗だけは、何年やっても乾かないのよ。
幕が上がる。
——講堂の灯りが、すべて落ちた。
「……!」
客席がざわめく。真っ暗な講堂に、天井から、小さな光がひとつずつ灯りはじめた。
魔道具の灯りを、天井の梁に、二百三十七個。
「北の冠。うしかい座の、アルクトゥルス」
舞台の中央で、おどおどしていたはずの二年生が、まっすぐ天を指した。
その声は、震えていなかった。
「東に、こと座のヴェガ。……この星は、恋文を運ぶと言われております」
彼女が指を動かすたびに、天井の星が、順に瞬いた。
客席から、ため息が漏れた。
十人の令嬢が、順に舞台に立った。
早駆けの子は、講堂の端から端まで駆け抜けて、上級生の誰よりも速かった。古代語の子は、詩を諳んじた。弟が五人いる子は、赤ん坊の人形をあやしながら、子守唄を歌った。会場の後ろで、寮母が泣いていた。
そして最後に、刺繍の子が、幕を落とした。
——舞台の背景に張られていたのは、彼女が三年かけて縫った、学院の全景だった。
拍手が、鳴り止まなかった。
私は、舞台袖で、それを見ていた。
見ていたのだけれど。
……あら?
客席の、前から三列目。
上級生が二人、舞台ではなく、こちらを見ている。
暗がりのはずなのに。私は幕の陰にいるはずなのに。
その隣の男子生徒も、その後ろの令嬢も——舞台の上で三年分の刺繍が広げられているのに、なぜか、何人かが、じっと舞台袖の暗がりを見ていた。
……なによ。
こっちは何もしていないわよ。
私は、一歩、暗がりの奥に下がった。
視線が、ようやく舞台に戻っていった。
***
星の女王に選ばれたのは、刺繍の子だった。
冠を戴いた彼女は、壇上で、真っ赤な顔をして震えていた。そして、震える声で、こう言った。
「わたくし、顔で選ばれたことなど、一度もありません。今日も、たぶん、顔では選ばれておりません。……それが、こんなに、嬉しいと、思いませんでした」
講堂が、揺れた。
閉幕の舞踏。冠を戴いた娘が、最初のひと踊りを踊る。
その日、二百年ぶりに、講堂の全員が、踊り手の顔ではなく、踊り手の手元を見ていた。
三年分の針を刺した、その指を。
***
打ち上げは、寮の談話室で勝手にやった。
ソフィアが泣きながら私に抱きついてきて、鼻水をドレスにつけた。犯人はこの子よ。覚えておきましょう。
「エミリア様! 大成功です! みんな言ってました、今年の星の女王は、二百年でいちばんだったって!」
「あら。じゃあ、私を外した委員会は、さぞ悔しがっているでしょうね」
「主催の方、泣いてました!」
「あら」
……あら。
なんだか、思っていたより、ずっといい気分だわ。
冠を貰うより、ずっと。
寮の部屋に戻って、私は服も脱がずに寝台に倒れ込んだ。
天井が、ゆっくり回っている。
楽しかった。ものすごく、楽しかった。
五日間、寝ないで組み上げて、リハーサルを潰されかけて、それでも全部、上手くいったのよ。
……なのに、どうして。
腕が、上がらない。
指の先が、氷みたいに冷たい。
「……歳かしら」
十二歳の口から出る台詞ではないわね。
私は、笑おうとして、うまく笑えないまま、目を閉じた。
眠りに落ちる直前、頭の隅を、あの声がかすめた。
——あなたは、何をしても、中心に立ってしまう。ご自分の意思とは、関係なく。
うるさいわね。
私、ちゃんと、五日間働いたのよ。
あれは、私が作った舞台だわ。
……そうでしょう?




