【第23話】演出、承ります
秋。学院に、一年でいちばん浮かれた季節が来た。
学院祭である。
各学年が催しを出し、王都から貴族の親族が招かれ、最終日には全校の前で一年生の演劇が上演される。これが伝統らしい。
「一年生の劇は、毎年、王国建国譚と決まっている」
食堂で、ブライアン様が退屈そうに説明してくれた。
「始祖の銀狼フェンリルが、北の氷の谷から怪物を追い払い、人と契約を交わして王国を建てる。その一連を、四十分の劇にする。……毎年同じだ。台詞も、衣装も、二百年変わっていない」
「二百年」
「私の父も、その父も、同じ台詞を暗記させられたそうだ」
……つまり、視聴者が何百回も見た再放送、ということね。
「配役はどうやって決めますの?」
「例年、フェンリル役は成績上位の男子だ。今年はロブだろうな。銀髪だし、王族だし、絵になる。異論のある者はいない」
当のロブ王子は、隣で無言でパンをちぎっている。表情がない。
——ああ、この顔。
「殿下。おやりになりたくないんですのね」
彼の手が止まった。
「……なぜ、そう思う」
「だって、殿下がその役をお受けになったら、この学院で一番目立つ人になりますもの」
沈黙が落ちた。
ディーン様が「え、なに、なんの話?」ときょとんとしている。この人の鈍さは、時々ありがたい。
やがてロブ王子は、パンを皿に置いて、小さく言った。
「兄上が、観に来る」
それだけで、私には十分だった。
そして数日後、私は職員室に呼び出された。
「エミリア・フォックス。話というのは、今年の一年生の演劇のことだが」
「まあ、配役の件ですのね」
私は、身を乗り出した。
「先生、姫役は? 私、やってみたいのですけれど」
教官が、目を逸らした。
「……フォックス嬢は、舞台に上がらんでよろしい」
「まあ。私の演技が、そんなに下手そうに見えます?」
「そうではない」
彼は、書類の束を意味もなく揃え直しながら、言った。
「……君が舞台に立つと、劇が、劇でなくなる」
「はい?」
「——それより、本題だ。今年の一年生の演劇だが、君に演出を任せたい」
「……は?」
「先の演習における作戦の立案、および審問会での証明。……君の、その、なんだ。人と物を配置して結果を出す才能は、教官の間でも評判でな」
言葉を選んでくださってありがとう、先生。「詐術の才能」と言いたいのを堪えたのがわかりますわ。
「ただし条件がある。台本は二百年変えていない。台詞も、筋も、変えることは許さん」
「演出だけは、自由に?」
教官はしばらく迷ってから、渋々頷いた。
「……常識の範囲でだ」
いただきましたわ。
前世で、私が何度この台詞を聞いたか、この人は知らない。
『企画は通す。ただし予算は増やせない。尺も変えられない。出演者も変えられない』
そう言われた現場から、私は何本も番組を作ってきたのよ。
制約は、演出家にとって敵じゃないの。制約こそが、演出そのものなんだから。
——舞台に上がらんでよろしい、の意味は、結局わからずじまいだったけれど。
まあ、いいわ。姫役より、演出のほうが百倍おいしいもの。
私は、喜んで頷いた。
その夜、寮の談話室に一年生を集めた。
「エミリア・フォックス、演出を承りました。まず、皆さんに質問しますわ」
私は黒板の前に立った。
「この劇、面白いと思う方は?」
誰も手を挙げない。
「では、去年の劇を見た方。眠かった方は?」
二年生のマリーが、隅で勢いよく手を挙げた。他の一年生が、ぶわっと笑った。
「正直でよろしい。ではもうひとつ。この劇の主役は、誰でしょう?」
「そりゃあ、フェンリル様だろ!」
ディーン様が即答する。
「そうですわね。台本上は。……では聞きますけれど、皆さん、この劇の『怪物』の名前を言えます?」
しん、とした。
誰も、答えられなかった。
「名前がないんですのよ。台本には『怪物』としか書かれていない。二百年間、この劇に出てくる怪物は、名もなく、台詞もなく、ただフェンリルに追い払われるためだけに舞台に立ってきましたの」
私は、黒板に大きく書いた。
『怪物』
「私、この役をやりたい人を探しています」
一年生たちが、顔を見合わせた。
「顔は見えません。着ぐるみですもの。台詞もありません。喋りませんもの。四十分の劇のうち、舞台にいるのは八分。そして最後は必ず負けます」
誰も、手を挙げなかった。
当然よね。
そして私は、談話室のいちばん後ろ、天井に頭がつきそうな場所に立っている大男を見た。
「アッシュ様」
彼が、ゆっくりと私を見下ろした。
「……俺は、いい」
「まだ何も申しておりませんわ」
「怪物だろう」
彼の声は、静かだった。
「みんな、そう思っている」
談話室が、水を打ったように静まり返った。
何人かの一年生が、気まずそうに目を逸らした。逸らしたことが、答えだった。
私は、ゆっくりと彼のところまで歩いていった。
そして、見上げた。首が痛くなるくらい、見上げた。
「ええ、怪物役ですわ。ですけれど、アッシュ様。ひとつ訂正させてくださいませ」
「……」
「私、あなたに『怪物を演じてほしい』と申し上げているのではありません」
私は、談話室の全員に聞こえる声で言った。
「二百年間、誰も名前を呼ばなかった怪物に、名前をつけて差し上げたいんですの」
その夜、寮の裏の中庭で、アッシュ様は私の前に座った。
大きな身体を折り曲げて、石段に。私が隣に座っても、まだ彼の肩のほうが高い。
長い沈黙のあと、彼は言った。
「……エミリア。俺は、六つの時に、弟を壊した」
風が、落ち葉を鳴らした。
私は、口を挟まなかった。
「ドスラキの血は、魔力が濁っている。北の魔獣を狩り続けた一族だからだと言われている。……普通の魔術師は、詠唱をして、望む分だけ魔力を出す。俺は、逆だ。感情が昂ぶると、勝手に溢れる。止め方が、わからない」
彼は、自分の手を見下ろした。この手で、三日間、私たちの食料と水を運んだ手を。
「六つの時、弟と喧嘩をした。腹が立った。……次に気づいた時、部屋が半分、吹き飛んでいた。俺は無傷で、弟は、瓦礫の下だった」
淡々とした声だった。淡々と話さなければ、話せないのだ。
「弟は、生きている。だが、右腕が動かない。俺の魔力を、あの日、まともに浴びたから」
彼は、拳を握った。その拳の隙間から、ほんの一瞬、火花のような灰色の光が漏れて、すぐに消えた。
「……見ただろう。これだ。俺が気を昂ぶらせると、こうなる。だから俺は、何も感じないようにした。喋らず、笑わず、怒らず。……凪いでいれば、溢れない」
私は、ようやく腑に落ちた。
この人が無口なのは、無愛想だからじゃない。
感情に蓋をしていないと、人を傷つけてしまうからだ。
三日間、私たちの唐揚げを食べて親指を立て、菓子に目を輝かせ、口角をわずかに上げた——あの小さな反応のひとつひとつが、この人にとっては、必死に抑えている蓋の、ぎりぎりの隙間だったのだ。
「アッシュ様」
「母は、俺を見なくなった。父は、俺を北の砦に送った。……騎士になれ、と。人を守る力に使え、と。だが誰も、俺と手合わせをしたがらない。誰も、俺に近づかない」
彼は、そこで初めて、ほんの少しだけ声を震わせた。
「学院に来て、初めてだった。あの森で、お前たちは俺を怖がらなかった」
「……」
「だから、俺は、怪物でいい。怪物のままでいい。誰も傷つけずに、隅にいられるなら」
私は、しばらく黙って空を見ていた。
秋の星が、痛いほど綺麗だった。
前世で、私はこういう人を知っている。
自分の一番強いものを、罪だと思い込んでいる人。だから使わない。だから隠す。そして、いつか使い方を忘れてしまう。
「アッシュ様。ひとつだけ、伺ってもよろしいですか」
「なんだ」
「弟様は、あなたを恨んでいらして?」
彼の肩が、びくりと跳ねた。
「…………わからない」
「訊いたことは?」
「ない」
「なぜ」
「……訊けるものか」
私は、うなずいた。
そうよね。訊けないわよね。
訊けば、答えが返ってきてしまう。そして、その答えが怖いから、訊かないまま六年経つ。
——訊かなかったことで、人生が変わってしまった子を、私は先月見たばかりよ。
「アッシュ様。演出家として、ひとつだけ申し上げますわ」
私は、立ち上がって、彼の目の前に立った。ようやく、少しだけ、目線が近くなった。
「舞台の上でだけは、あなたは何を壊してもいいんです」
彼が、目を見開いた。
「大道具は、壊れるために作りますわ。悪役は、暴れるために立ちますの。……あなたが今まで、必死に押さえ込んできたもの。溢れたら人を傷つけると信じて、蓋をしてきたもの。それを、四十分だけ、思い切り解き放っていいんです」
「……魔力を、使えというのか」
「ええ。ただし、誰も傷つかない場所で。舞台の上の怪物は、いくら暴れても、客席の誰ひとり傷つけませんもの」
私は、彼の目を見た。
「あなたは、六年間ずっと、自分の力を『人を壊すもの』だと思ってきたのでしょう。……なら、一度でいい。その力で、人を沸かせてごらんなさいな」
秋の風が、彼の灰色の髪を揺らした。
アッシュ・ドスラキは、長いこと、何も言わなかった。
そして、たった一言。
「……名前は」
「はい?」
「怪物の名は、何にする」
私は、にっこりと笑った。
やった。
「それは、あなたが決めるんですのよ」




