【第12話】表彰式で狼と目が合う
表彰式は学院の大講堂で行われた。
「優勝、エミリア・フォックス隊!旗十二本、負傷者ゼロ、失格者ゼロ!学院創立以来の最多記録である!」
拍手の音が、入学式の時とはまるで違った。
あの日、私に向けられていたのは「性悪女狐」へのひそひそ声。今日向けられているのは、荷物を拾ってもらった女の子の懸命な拍手と、一騎打ちを見届けた男子たちの歓声と、「噂って本当にあてにならないのね」という声。
ヤンキー猫理論、完全勝利よ。評判の谷が深いほど、そこから這い上がった時の逆転劇は、うんと鮮やかに見えるものなの。
ちなみにクリスのチームは二日目の夜、うちの旗を狙って野営地に忍び込もうとして、十三個の罠のうち五個を踏み抜いた。粘着液まみれで木に吊られたクリスが教師に回収される場面は、けっこうな人数に目撃されたらしい。私は何もしてないわよ?勝手に罠にかかっただけよ。
でも、私が一番気持ちよかったのは、優勝そのものじゃない。
そのあとに読み上げられた、個人表彰のほうだった。
「殊勲賞、ディーン・ダッシュ。最終日の一騎打ちにおける剣技、および三日間を通じての戦闘不敗を評す」
壇上のディーン様は、真っ赤な顔で騎士団長から直々に握手を求められていた。あの人が欲しかったのは旗でも記章でもなく、「自分のライバルのテオドールを正面から倒した」という事実そのもの。約束したでしょう、壇上で表彰されるのはあなただって。しかも観客の中には、彼が憧れてやまない現役騎士団長がいたわけで。彼は今日、一生語り継ぐ思い出を手に入れたのよ。
「戦術賞、ブライアン・シリル。演習期間中の全チームの動向を記録・分析した書は、その精度と着眼において学院創立以来のものと認められ、以後、演習の教材として保存されることが決定した」
ブライアン様は、拍手の中でも表情ひとつ変えなかった。ただ席に戻ってから、私にだけ聞こえる声で「……教材として保存、だそうだ」と二回繰り返していた。二回よ。この人、嬉しい時に同じことを二回言うのね。
そして、それが何を意味するか、彼はきっと私より正確にわかっている。
学院の教材に名前が残るということは、これから毎年、新入生がこの演習の前に「ブライアン・シリルの記録」を読むということ。
首席の座は、毎年誰かに明け渡さなければならない。
でも、教材に刻まれた名前は、誰にも奪えないのよ。
そして、思いがけない名前が呼ばれた。
「補助功労賞、マリー・ハート。二年生ながら、演習前の情報収集と資材調達により、優勝隊の勝利に決定的な貢献をなした」
呼ばれたマリーは、その場で固まってしまった。
「わ、私……ですか? 私、演習には出ていませんし、ただのメイドで……」
「マリー。ステージに立ちなさい」
私は彼女の背中を押した。
伯爵家に送り込まれてからの数年間、誰にも褒められることなく、たったひとりで私を——本物のエミリアを気にかけ続けてきた女の子。彼女の集めた情報がなければ、水場も、罠も、偽の指令書も、何ひとつ成立しなかった。
壇上で名前を呼ばれたマリーは、拍手の中で、ぼろぼろ泣きながら頭を下げていた。
——そして。
「以上、個人表彰を終わる」
……え?
私は思わず、隣を見た。
魔道具のカメラも、放送も、罠も——それを動かしていたのは、全部アッシュの魔力だった。三日間、全員分の水と食料と資材を一人で運び、野営地の見張りを三晩とも代わり、包囲網の夜には壊されかけた天幕を素手で押さえ続けた、身長百八十近い男。アッシュだって、個人表彰をもらってもおかしくないのに。
アッシュ・ドスラキの名は、最後まで呼ばれなかった。
私は壇上の教官たちを見上げた。
誰も、彼の方を見ていなかった。
見ていない、というより——目を合わせないようにしている。
騎士団長ですら、ディーン様の肩を叩いたあの手を、アッシュ様には差し出さなかった。
……どういうことなの。
アッシュの魔力は昔から、加減の利かない、災いめいた力だと言われている。ひとつ制御を誤れば、何が起きるかわからない、と。
その力を三日間、寸分の狂いもなく操り続けて、道具を動かし続けたことがどれほどの離れ業か。壇上の教官たちは、たぶん誰も、本当にはわかっていない。
……なんだか、他人事とは思えなかった。
見た目と噂だけで判断されて、その裏にある努力も、加減も、誰にも見てもらえない。「性悪女狐」と呼ばれ続けてきた私と、この人は、どこか似ている。
「アッシュ様」
私は小声で呼びかけた。
「怒っていらして?」
彼は、少し不思議そうに私を見下ろした。
「……何を」
「賞ですわ。あなたがいなければ、この作戦は成り立たなかったのに」
アッシュ様は、しばらく黙っていた。
それから、いつもの調子で、感情のこもらない声で言った。
「昔からだ。慣れている」
その一言に、私の腹の底で、何かがぐらりと煮えた。
慣れている、ですって。
十二歳が、自分が透明人間として扱われることに、慣れているですって?
——ちなみに、私も呼ばれなかったわ。
隊の優勝記章は、隊長として受け取った。でも個人表彰はひとつもない。
理由は、自分でもわかっている。
偽の指令書。偽の放送。仕込んだ罠。わざと仲間割れさせての同士討ち。——教官の立場になって考えれば、当然のことだわ。壇上で「フォックス隊の作戦は見事であった」なんて讃えてしまえば、来年から新入生全員が同じ手を真似るじゃないの。学院は騎士を育てる場所であって、詐欺師を育てる場所じゃない。
わかっている。わかっているから、悔しくもなんともない——はずだった。
賞状に書けないやり方で勝ったのは、私の方。それだけの話。
前世の三年間、結果さえ出せば誰にも褒められなくても平気なように、私は自分を作り替えてきた。だから、これくらいで揺らぐはずがなかったのに。
でも。
隣に立っているこの人が、そのことに「慣れている」と言うのは、話が別だわ。
「アッシュ様」
「なんだ」
「他の誰も讃えてくれなくても、私だけは見ていましたわ。あなたの働きは、本当なら壇上で讃えられるべきものでした。……あなたと同じチームで、よかった。ありがとう」
彼は、ぽかんとした顔をした。
たぶん、生まれて初めて、そんなふうに言われたのだと思う。
しばらくして、彼はぼそりと言った。
「……演習は、終わった」
「ええ、終わりましたわね」
「契約も、終わりか」
無表情のまま言うものだから、一瞬、何を言われているのかわからなかった。
そして、気がついた。この人は今、本当に、菓子の話だけをしている。
「……アッシュ様。私の故郷の菓子は、まだ百種類は残っておりますのよ。三日程度で使い切るわけがないでしょう」
「……そうか」
無表情のまま、ほんの少しだけ、彼の口角が上がった。年に二回しか笑わないという噂の男が、この三日間で四回笑ったと、ディーン様が数えていた。
あの夜、私が三通の手紙に書いた約束のうち、二つは、壇上で本人に手渡された。
ディーン様には晴れ舞台を。ブライアン様には、消えない名前を。
でも、残る一つだけは、学院がどう頑張っても贈れない類のものだった。
知らないものに飢えている人に、知らない菓子を。——それは私にしか渡せないし、私が渡し続ける限り、終わらない約束でもある。
前世で私が夢見ていたのは、こういう瞬間だったのかもしれない。自分が壇上に立つことじゃなくて、自分が集めた人たちが、それぞれの一番いい顔で光っているのを、袖から眺めること。
……だからこそ、ひとりだけ光を当ててもらえなかった人のことが、いつまでも喉に刺さっているのよ。
そんなことを考えながら、隊の優勝記章を受け取って、席に戻ろうとした時だった。
「おめでとう、エミリア・フォックス嬢」
銀色の髪の男子生徒が、まっすぐこちらに歩いてきた。
会場の空気がざわっと揺れる。第二王子ロブ・フェンリール。近くで見ると、気絶する令嬢の気持ちも三割くらいは理解できる造形だわ。銀のまつげって何?画面に抜かれるために生まれてきたの?
「身に余る光栄ですわ、殿下」
私は完璧な淑女の礼をして、完璧な天使の微笑みを浮かべた。王族には近づかない、という方針は変えていない。ここは三秒で切り上げるわよ。
「実に見事な演習だった。特に、水場を見張る発想と、偽の作戦メモの筆跡。それから——野営地の周りの、十三個の罠」
「……あら。よくご存じですのね。確か公開されたのは旗の数だけだったと思いますけど」
「ああ、詳しいとも」
王子はにっこり笑った。金色の目が、月夜の獣みたいに細くなった。
「なにせ三番の罠には、俺が世話になった」
……。
…………。
待って。
三番。北西の三番。粘着液。すり傷。毛布。唐揚げ。ずり落ちかけた、蔓の折れたメガネ。
夜の森で拾った、あの迷子ーーーー?!
音を立てて記憶がつながって、私は自分の演技力を総動員して微笑みを維持した。頬、引きつってないわよね?私、今、天使よね?!
「まあ……殿下ともあろうお方が、罠に?ご無事で何よりですわ」
「無事だったのは、親切なメイドのおかげでね。……言っておくが、あの晩、俺は隊を抜け出して一人で動いていた。テオドールにも黙って、お前の拠点を見に行った帰りだ。それで、見事に落ちた」
「まあ。単独行動は、事故のもとですわ」
「それは耳が痛いな。同じことを、その晩にも言われた」
王子は、思い出し笑いのような顔をした。
「泥と松ヤニで、自分の髪の色すらわからん有様だったよ。おまけにメガネの蔓は折れているしな。それでも彼女は、傷の手当てをしてくれて、故郷の料理を食わせてくれて、夜の単独行動を懇々と説教してくれた。……エマ、といったかな」
「存じませんわ」
「そうか。おかしいな」
王子は少しかがんで、私にだけ聞こえる声で言った。
「あの晩の恩人と、いま目の前にいるご令嬢は、声がまったく同じなんだが」
不覚。声までは、変装できてなかったわ。
「……人違いですわ、殿下。世界には、声の似た人間が三人いると申しますし」
「かもしれんな。なにせ俺は、あの晩の恩人の顔を、ひとつも思い出せんのでね」
……え。
「泥のせいだと思っていた。だが、妙でな。目を離した途端に、輪郭ごと消える。ああいう顔が、この世にあるものかと」
王子は、指先で自分の目のあたりを、とん、と叩いた。
「——心当たりが、あってな。俺も持っている」
心臓が、一拍、飛んだ。
待って。
あの晩の、あの子。折れた蔓のメガネ。私、なんとも思わなかったわ。下働きの子が古いメガネをかけているだけだと。
私だって、あの子の顔を思い出せない。
あんなに近くで、ランタンまでかざして見たのに。
「……殿下。ひとつ、伺ってもよろしくて」
「言ってみろ」
「そのお品。どちらで、お手に入れになりましたの」
王子は、笑いをこらえるような顔で、少しだけ首をかしげた。
「さあな。……同じ店かもしれんぞ」
「存じませんわ。私、メガネはかけませんの」
「なるほど」
ちっとも信じていない顔で、王子は頷いた。
「では、世界のどこかにいる『エマ』に伝えておいてくれ。——恩は必ず返す主義だ、と」
王子はそれだけ言うと、優雅に一礼して壇の向こうへ歩き去った。すれ違いざま、楽しくてたまらないという顔で。
それにしても。
雰囲気を平凡にする魔道具をかけた王子が、雰囲気を平凡にする魔道具をかけた令嬢に、穴の底から引っ張り上げてもらっていた、ということになるのよね。
顔しか見られてこなかった人間が二人、そろって顔を隠して、夜の森で会っていたの。
……なにそれ。
台本に書いたら、演出に突き返されるわよ。ご都合主義です、って。
——それとも。
私たちみたいなのが行き着く店なんて、この世に一軒しかないのかしら。
席に戻ると、ブライアン様が紅茶のカップを持ったまま、片眼鏡の奥の目をすうっと細めていた。
……この人、聞こえていたわね。
「……エマ、か」
「なんの話ですの?」
「あの日、我々に茶を出した、包帯のメイドだな?」
私は、にっこり笑った。それから、口の動きだけで「黙って」と伝えた。
ブライアン様は、しばらく私を見つめてから、肩をすくめて紅茶を一口飲んだ。
「……私は、何も見ていない」
ブライアン様は、そう言って目を逸らした。見なかったことにしてくれる、という意味だ。
「賢明ですわ」
「言っておくが、これは貸しだ。いずれ、私が何か一つ頼み事をする時が来る」
隣でディーン様が「え? なに? なんの話?」と、私とブライアン様の顔を交互に見ていた。三往復したところで諦めて、皿の焼き菓子に手を伸ばした。……その切り替えの早さ、ちょっと羨ましいわ。
アッシュ様は、何も言わなかった。ただ、私の顔を一度だけ、じっと見た。あの人は、あの日、包帯より先に皿の持ち方に気づいた男よ。とっくに、わかっているんでしょうね。
気づいていて、黙っている。
共犯者って、案外、こういう顔をしているのね。
ブライアン様は、カップを置いて、声を落とした。
「エミリア。ひとつ忠告だが、あれは獲物を見つけた顔だ。私は幼馴染だからわかる」
「……ええ。わかっていますわ」
わかっているから困っているのよ。
顔がいいだけの王子なら、いくらでも受け流せた。前世で嫌というほど見てきたもの。
でもあの人は、変装も、声も、「エマ」の正体まで、あと少しのところまで見抜きかけていた。その上で、怒るでも咎めるでもなく、面白がって笑っていたのだ。
私の化けの皮を、剥がしかけている人が、この学院にひとりできてしまった。
しかも、私が近づかないと決めた相手のほうから、深夜の森の奥まで、勝手に近づいてくるんですもの。
——正直に言うわ。
そういうのが一番、厄介なのよ。




