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元社畜ADは女狐に転生し、狼王子を翻弄する  作者: 鷹居鈴野


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【第11話】包囲網と空っぽの野営地

演習二日目の朝は、嫌な知らせから始まった。


「エミリア、水晶を見ろ。……妙だ。昨夜まで争っていたチーム同士が、今朝から一切戦っていない」


ブライアン様が地図を指でなぞる。西の川沿いで三チームが合流。南の丘でも二チームが並んで移動。全部の矢印が、じわじわとうちの拠点の方角を向いていた。


「……包囲網ね。どこかの誰かさんが、手を回したみたい」


昨日の夕方、うちが旗六本を持っていることは学院の掲示水晶で全チームに公開された。そこにご丁寧に「あの女と組む恥知らずを全員で潰しましょう」と触れ回った人がいるらしい。誰の差し金かは知らないけれど、敵ながら行動が早いこと。


「六チーム、総勢三十人前後。さすがの俺でも、いっぺんに来られたらキツいな!」


ディーン様はなぜか嬉しそうだけど、正面から受ける気は最初からないわよ。


「予定通り、作戦四番。……お引越しよ」


前世の撮影現場では、ロケ地が使えなくなるなんて日常茶飯事。代替地はロケハンの段階で必ず二つ押さえておくの。うちの本当の拠点候補は最初から三つあって、今の高台は「見つかりやすくて、見栄えがする」から選んだ表向きの本拠地。


私たちは朝のうちに、旗と荷物をまとめて第二拠点の洞窟へ移動した。ただし高台の野営地はそのまま残していく。焚き火は焚いたまま、洗濯物を干したまま、天幕の中には毛布を丸めた「寝ている四人」をセットして、仕上げに唐揚げを一皿、これ見よがしに置いておいた。


昼過ぎ、水晶モニターに包囲網の突撃が映った。


六チーム三十人が、時間をかけて慎重に高台を取り囲み、合図とともに一斉に無人の野営地へ雪崩れ込む。そして気づくの。もぬけの殻だと。


ここからが本番よ。三十人が顔を見合わせて、全員が同じことを考える。「旗六本はどこだ?」——ついさっきまで仲間だった六チームは、旗六本の獲物を前にした、ただのライバル同士に戻るのよね。


先に手を出したのがどこのチームかは、水晶の画像が粗くてわからなかった。わかっているのは、日暮れまでに高台で四チームが潰し合い、粘着液の罠に七人がはまり、私たちが夜の見回りのついでに旗を四本拾ったことだけ。


「信じられん……敵の包囲網を、旗の回収網に変えたのか……」


「ブライアン様、ちゃんと記録してくださいね。クラス分けの成績に響くんだから」


これで旗は十本。ふふ、約束の十二本まであと二本。


その夜、洞窟の見張り番は私だった。三人を寝かせて、焚き火の前で、ひとり明日の段取りを考える。


……考えていたはずなのに、気がつくと、まるで関係のないことを思い出していた。


演習の前の晩。屋敷の厨房で、マリーと二人きりで三日分の唐揚げを揚げていた時のこと。


「マリー。あなたのお母様、まだお屋敷にいらっしゃるのよね」


「はい。乳母ですから。お嬢様がお生まれになった日から、ずっと」


「どんな方なの?」


マリーは油をはねさせながら、少し笑った。


「よく喋る人です。お嬢様の小さい頃のお話なら、一晩でも二晩でも。……ただ」


「ただ?」


「旦那様と奥様が亡くなった日のことだけは、一度も話してくれません。お嬢様が小さい頃、何度お尋ねになっても、いつも『まだ早い』の一点張りで」


——まだ早い。


八年経っても、まだ早いのね。


私は、それ以上訊かなかった。


訊けない話には、訊けない理由がある。前世でも、そういう現場は何度か見た。口を閉じている人ほど、たいてい、一番大事なものを抱えているのよ。


焚き火が、ぱちりと爆ぜた。


そして迎えた三日目の朝、私は最後の相手を、こちらから指名した。


北の湖畔に陣取る、騎士団長のご子息テオドール様のチーム。開戦から一度も旗を奪われていない、実力なら学年最強と噂の五人組。正直、罠も謀も一番効きにくい、真っ向勝負が一番強いチームよ。


「言っておくが、あの隊は面倒だぞ」


ブライアン様が水晶を睨みながら言った。粗い映像の中で、五つの影が整然と湖畔を歩いている。


「テオドールの下に、精鋭が四人。……そのうち一人は、ロブだ」


「ロブ?」


「第二王子殿下だ。私の幼馴染でもある。……妙なんだ。王族は演習に不参加でも咎められない。ロブも毎年そうするものと誰もが思っていたし、本人も直前まで出ないと言っていた。それが締切の日になって、自分からテオドールの隊に加えてくれと頼み込んだそうだ」


……銀髪の、王子。


一瞬、二日前の夜に穴から引っ張り上げた、あの迷子のことが頭をかすめて、私は首を振った。


いやいや、ないない。あの子の髪は泥と松ヤニで固まって、何色だかもわからなかったのよ。灰色にも見えたし、ただの薄茶だったかもしれない。だいたい、あの国宝級の顔が、夜中に一人で人の罠に落ちて粘着液まみれで唐揚げをかじる? ありえないわ。


……それに、あの子の顔。


思い出そうとすると、なぜだか、輪郭からぼやけていくのよね。


まあ、二日も前の、暗い森の中でのことだもの。憶えていなくて当たり前だわ。


「……あら、テオドール様のチームには王族がいらっしゃるのね。だったら、ディーン様の見せ場は、もう整ったも同然だわ」


だから、真っ向勝負を贈るの。策も罠も使わない、一番きれいな勝ち方を。


「ディーン様。約束の『一番面白い演習』、最後の仕上げよ。万全のあなたと、万全のテオドール様、正面から一騎打ち。……勝てる?」


ディーン様は、背中の剣を担ぎ直して、犬歯を見せて笑った。


「エミリア、お前ほんとに最高だな! 俺、ずっとテオドールと戦ってみたかったんだ。……全力で倒す!」


湖畔での一騎打ちは、審判役の教師たちはもちろん、すでに演習を脱落した生徒たちまで集まってくるほどの、名勝負になった。


剣戟四十七合。最後はディーン様の剛剣がテオドール様の剣を跳ね飛ばして決着。両者、握手。観戦していた脱落チームからも、敵味方関係なく拍手が起きた。


……ただ、ひとつだけ、妙なことがあった。


対戦相手側の後方に控えていた銀髪の王子が、剣を見ていなかったのだ。


学年最強と噂の二人が火花を散らしているというのに、あの人は湖の対岸に立つ私のほうを、ずっと見ていた。目が合いそうになるたびに私は視線を逸らしたけれど、逸らした先の水面に、こちらを向いた金色の目が映っていた。


なんなの。私の顔にゴミでもついてるのかしら。


いえ、ついてるとしたら……この顔に見惚れているだけよね。うん、そうよ。この顔なら仕方ないわ。天使だもの。


そう自分を納得させて、私は最後の旗を回収に向かった。


かくして終了の鐘が鳴った時、うちのチームの旗は十二本。


学院史上最多記録、更新よ。

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