第8話 十年後の再会
十年ぶりに日本へ帰ってきた。
飛行機の窓から見えた街並みは、懐かしいような、少しだけ遠いもののようにも感じた。
大学を卒業してから十年。
二十二歳だった若葉は、三十二歳になった。
あの頃は十年なんて途方もなく長い時間だと思っていたのに、振り返ればあっという間だった気もする。
空港を出ると、柔らかな春の風が頬を撫でた。
若葉は小さく目を細める。
「帰ってきたんだな……」
自然とそんな言葉がこぼれた。
海外での生活は充実していた。
仕事も順調だった。友人にも恵まれた。
けれど時々、どうしようもなく日本が恋しくなることがあった。
川沿いの桜。
夕暮れの空。
コンビニの灯り。
そして――。
思い出さないようにしていた人。
橘樹。
若葉は苦笑する。
この年になっても、まだ思い出してしまうなんて。
自分でも呆れる。
それでも忘れられなかった。
十年前の空港で別れたままの人を。
帰国して数週間後。
大学時代の友人から同窓会の連絡が届いた。
最初は迷った。
十年も会っていない。今さら顔を出しても気まずいかもしれない。
けれど結局参加することにした。
理由は自分でもよく分かっていた。
もしかしたら。
そんな期待をしていたからだ。
当日。
会場は大学近くのレストランだった。
「若葉!」
「久しぶり!」
懐かしい顔ぶれが次々に声をかけてくる。
卒業以来会っていなかった友人たち。
結婚した人。子どもがいる人。転職した人。
みんなそれぞれの人生を歩いていた。
「若葉、本当に変わらないね」
「そうかな?」
「綺麗になった」
「お世辞でしょ」
笑いながら答える。
けれど心は落ち着かなかった。
無意識に入口へ目が向いてしまう。
来るかどうかも分からないのに。
そんな自分に苦笑する。
その時だった。
店の扉が開いた。
何気なく視線を向けた若葉は、息を呑む。
一瞬、時間が止まった気がした。
背の高い男性が入ってくる。
黒に近い髪。落ち着いた佇まい。
派手さはないのに、不思議と目を引く。
まっすぐな視線。
十年という時間が流れても、見間違えるはずがなかった。
樹だった。
胸が大きく跳ねる。
鼓動がうるさい。
信じられない。
本当にいた。
樹もこちらに気づいたらしい。
一瞬だけ目が合う。
その瞬間、十年前の記憶が鮮やかによみがえった。
河川敷。
風邪を引いた日。
押し花のしおり。
空港。
穏やかな笑顔。
全部。
全部そこにあった。
樹は少し驚いたような顔をしたあと、ふっと笑った。
肩の力が抜けるような笑い方だった。
昔と変わらない。
「久しぶり」
たったそれだけの言葉。
なのに胸が苦しくなる。
「……久しぶり」
若葉もなんとか答えた。
思った以上に声が震えている。
樹はゆっくり近づいてくる。
「元気だった?」
「うん」
「そうか」
たったそれだけの会話なのに、心が落ち着かない。
樹は大学時代より少し大人びていた。
顔立ちも以前より引き締まり、落ち着いた雰囲気がある。
けれど。
変わらない。
話しているだけで安心する。
その感覚だけは、何一つ変わっていなかった。
同窓会が始まり、席につく。
みんなで乾杯をして、近況を話し合う。
若葉も笑っていた。
けれど意識は何度も樹へ向いてしまう。
視線が合うたびに胸が騒ぐ。
三十二歳にもなって何をしているのだろう。
自分でもそう思う。
しばらくして席替えが行われた。
偶然なのか、誰かの気遣いなのか。
樹が若葉の隣へ座る。
「海外生活長かったんだよな」
「気づいたら十年」
「すごいな」
「そんなことないよ」
「いや」
樹は首を振った。
「若葉は昔から頑張り屋だったから」
そして少しだけ笑う。
「頑張りすぎるくらいに」
その言葉に胸が温かくなる。
頑張った。
確かに頑張ったと思う。
知らない土地で働いて、生きてきた。
でも。
そんなふうに言ってくれる人は、もうずっといなかった。
「ありがとう」
小さく答える。
樹は静かに微笑んだ。
その表情を見るたびに思う。
どうして私はこの人から離れたのだろう。
どうしてあの時、逃げてしまったのだろう。
考えても答えは分かっている。
怖かったのだ。
幸せになることが。
大切な人を失うことが。
だから自分から離れた。
傷つく前に。
同窓会も終わりに近づいた頃だった。
「若葉」
樹が声をかける。
「今度、時間ある?」
若葉は目を瞬く。
「え?」
「よかったら会わない?」
心臓が跳ねた。
十年ぶりなのに。
昔みたいな自然な誘い方だった。
「会うって……」
「うちの店」
「店?」
「花屋とカフェをやってるんだ」
若葉は驚く。
「樹が?」
「そう」
少し照れたように笑う。
「コーヒーくらい奢るよ」
若葉は思わず笑った。
「それなら行こうかな」
「決まり」
樹も笑う。
昔と変わらない空気がそこにあった。
同窓会が終わり、店の外へ出る。
春の夜風が心地良い。
友人たちが帰っていく中、若葉は樹と並んで立っていた。
十年前なら当たり前だった距離。
けれど今は少しだけ緊張する。
「じゃあまた」
若葉が言う。
樹は静かに頷いた。
そして。
ゆっくりと若葉を見る。
「若葉」
「うん?」
樹の目が柔らかく細められる。
昔と変わらない。
安心する眼差しだった。
そして彼は穏やかに微笑む。
「おかえり」
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥に閉じ込めていた何かが、静かにほどけた。
十年間。
本当はずっと聞きたかった言葉だった。
若葉は泣きそうになるのを堪えながら笑う。
「……ただいま」
その返事は、思っていたよりずっと自然に口からこぼれた。
まるで最初から。
帰る場所は、そこだったみたいに。
読んでくださり、ありがとうございました。
面白いと思っていただけましたら、ブックマークや評価(★)をいただけると励みになります。
現在、新作連載
『「君は正しすぎる」と婚約破棄されたので、自分の答えを探すことにしました』を投稿中です。
失敗を恐れて生きてきた令嬢が、自分の気持ちを見つけていく物語です。
珈琲片手に楽しんでいただけましたら嬉しいです。




