表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
帰る場所は、ずっとあなたの隣だった~あの頃の私は、優しい人を愛せなかった~  作者: 黒猫と珈琲


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/14

番外編 帰る場所になれなかった男(蓮視点)

 若葉と別れてから、一年が過ぎていた。


 大学を卒業し、社会人になった蓮は忙しい毎日を送っていた。


 仕事。


 飲み会。


 取引先との付き合い。


 休日の予定もそれなりに埋まっている。


 周囲から見れば、以前と変わらない生活だった。


 けれど。


 何かが違っていた。


 その日は仕事帰りだった。


 コンビニで弁当を買い、一人暮らしの部屋へ戻る。


 テレビをつける。


 適当にチャンネルを変える。


 スマートフォンを見る。


 それでも時間が余る。


 静かだった。


 以前は気にならなかった静けさが、妙に耳につく。


「疲れたな」


 ぽつりと呟く。


 返事はない。


 当たり前だ。


 一人なのだから。


 蓮は苦笑した。


 若葉と付き合っていた頃。


 何でもないことを話していた。


 仕事で失敗した日。


 面白い動画を見つけた日。


 美味しい店を見つけた日。


 若葉はいつも笑いながら聞いてくれた。


 それが当たり前だった。


 だから失って初めて気づいた。


 あれは当たり前なんかじゃなかったのだと。


 スマートフォンが震える。


 知人からの飲みの誘いだった。


 少し前の自分なら迷わず行っていた。


 けれど今は気が乗らない。


 画面を見つめたまま、しばらく考える。


 そして短く返信した。


『今日はやめておく』


 送信してから、自分でも少し驚いた。


 変わったな。


 そんなことを思う。


 ソファにもたれ、天井を見上げる。


 若葉のことを思い出した。


 怒った顔。


 笑った顔。


 泣きそうな顔。


 そして最後に見た顔。


『別れよう』


 若葉はそう言った。


 本当は何度もサインを出していたのだと思う。


 不安だと。


 寂しいと。


 ちゃんと向き合ってほしいと。


 けれど自分は見ようとしなかった。


 面倒だったわけじゃない。


 怖かったのだ。


 向き合えば、自分の駄目な部分も認めなければならなくなるから。


 だから逃げた。


 若葉ではなく、自分自身から。


「最低だな……」


 小さく呟く。


 今なら分かる。


 若葉は十分頑張っていた。


 信じようとしていた。


 向き合おうとしていた。


 壊したのは自分だ。


◇◇◇


 数日後。


 蓮は久しぶりに実家へ帰った。


 玄関を開けると懐かしい匂いがする。


「おかえり」


 母が顔を出した。


「ただいま」


 リビングへ入る。


 食卓には夕飯が並んでいた。


 昔から変わらない光景だ。


 以前は何とも思わなかった。


 けれど今は少しだけ違う。


 温かいと思った。


「仕事はどう?」


「ぼちぼち」


「ちゃんと食べてる?」


「食べてるよ」


 母は呆れたように笑う。


 そして不意に言った。


「若葉ちゃん、元気かしらね」


 蓮の手が止まる。


 母は気づいていない。


 本当に何気ない一言だった。


「さあな」


 そう答える。


 母は少しだけため息をついた。


「あんたね」


「何」


「本当に馬鹿だったわね」


 蓮は苦笑した。


 反論できなかった。


「そうかもな」


 母は首を横に振る。


「そうかもじゃないの」


「厳しいな」


「当たり前でしょ」


 そう言ったあと、母は少しだけ表情を和らげた。


「若葉ちゃんみたいな子は、もう現れないわよ」


 蓮は顔を上げる。


 胸が少し痛んだ。


「そうかもな」


 すると母は再び首を振った。


「違うわ」


「え?」


「同じ人なんて最初からいないの」


 蓮は黙る。


 母は静かに続けた。


「若葉ちゃんは若葉ちゃんだったの」


「……」


「だから失ってから気づくのよ」


 蓮は視線を落とした。


 その言葉が妙に胸に残った。


 若葉は若葉だった。


 代わりなんていない。


 当たり前のことなのに、若い頃の自分は分かっていなかった。


 人はいつまでもそばにいてくれるものだと思っていた。


 大切なものほど失わないと信じていた。


 そんなわけがないのに。


◇◇◇


 帰り道。


 夜風が少し冷たかった。


 蓮は空を見上げる。


 もしも。


 あの時ちゃんと向き合っていたら。


 そんなことを考えないわけではない。


 けれど。


 きっと当時の自分では無理だった。


 人を大切にすることも。


 信頼を積み重ねることも。


 帰る場所の温かさも。


 何も分かっていなかった。


 若葉がいたから知れた。


 若葉を失ったから知れた。


 その事実だけは消えない。


 蓮は小さく笑う。


 少し苦い。


 でも昔ほど苦しくはなかった。


 若葉には若葉の人生がある。


 自分には自分の人生がある。


 もう過去を追いかけるつもりはない。


 ただ願う。


 あの人が笑っていてくれることを。


 幸せでいてくれることを。


 それだけでいい。


「幸せになれよ」


 夜空に向かって呟く。


 返事はない。


 それでも構わなかった。


 若葉はきっと、自分の帰る場所を見つけるだろう。


 そして自分もいつか。


 誰かの帰る場所になれる人間になりたいと思った。


 春の夜風が静かに吹いていた。


面白いと思っていただけましたら、ブックマークや評価(★)をいただけると励みになります。


夜20時に樹視点の番外編を投稿します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ